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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
躍動する闇編(天文23年~)
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74. 悪夢

 昼夜を問わない強行軍で、ひたすら馬を駆る。

 辿り着いた那古野城は、不気味なほどに静かだった。それもそのはずで、信次たちはそれぞれ自分の城へ逃げ帰っていたのだ。信光叔父貴は既に埋葬され、奴らが殺したという証拠は残っていない。

 城が焼かれていれば大義名分も立てられたが、金目の物を持ち去っただけだ。

 どこの空き巣泥棒かと思う。

 そして俺たちを出迎えたのは、白装束に縄をかけられて座する秀貞の姿だった。

「ほう、死地より舞い戻られたか」

「……このクソジジイ」

「弾正忠家の主ともあろう御方が、そのような口を利く者ではござらぬ」

「ぬかせ。この場で首をはねてやってもいいんだぞ」

「ご随意に」

 マジでむかつくな、このジジイ。

 そう言われたら俺が処刑断行できないのを理解した上で、しれっと答えているのだ。今回も親父殿の弟や、自分の弟を守るために矢面に立っている。誰にやってもらったか知らないが、少なくとも半日以上は縛られた状態だったと思われる。

 握りしめた手が震えた。

「何故だ」

 生きていてほしい人が死んで、死んだ方がいい奴は生き残る。

 処罰するのは簡単だが、死ねば終わりだ。生きている俺が家臣へ仕事を丸投げするのと、死んで後始末を任せるのは違う。信光叔父貴を殺した罪だけでなく、俺への暗殺未遂や何やらを全てひっかぶせて自決させるのはできる。

 信行さえ大人しくしていてくれれば、尾張の外へ意識を向けられる。

 体の全てが震えてくる。

 これは何だ、怒りだ。ぶつけようのない感情を、俺はいつまで抱えていればいい。気に入らない奴を殺したら、その時点で俺は俺でなくなる。人を処刑することに躊躇いがなくなる。

 殺せと誰かが叫ぶ。

 やめろと誰かが唸る。

「歯ぁくいしばれああぁ!!」

「と、殿っ」

「信長様ぁ!?」

「一体、何を……なさる」

「驚いたかよ、ヘッ。ざまあみろ」

 顔がズキズキ痛い。頭も痛い。

 無様に転がって格好悪いったらないが、自分で自分の顔を殴ったのだから仕方ない。口の中を切ったらしく、血のクソ不味さに早くも後悔してきた。こんな不味いものを糧にする吸血鬼の気がしれない。

 いや、そんなことはどうでもいい。

「俺と取引しようぜ、クソジジイ」

「…………」

「信行を立てて、挙兵しろ。どうせ、ずっと準備していたんだろうが。謀反やらせてやるから、ありがたく思え」

「三郎、何か考えがあるのだな?」

 戦が関わると、信広の思考力は数倍以上だ。

 なんだかんだで俺と行動を共にする回数も増えて、考えることも分かるようになってきたらしい。同じように大体察しているだろう長秀は、すごい顔で睨んでいる。それでも側近たちは俺のやることに異を唱えない。

 そんな人間は、もういない。

「馬鹿どもに伝えろ。コテンパンにのしてやるから、せいぜい死に物狂いでかかってこいってな。戦で死ぬは、武士の誉れだろうが。自決するか、戦死するか選ばせてやる」

「その言葉、二言はござらぬな?」

「信長の名に…………いや、五郎左衛門政秀の名にかけて誓おう」

 ざわりと周囲が揺れる。

 俺が爺の名を出したのは、これが初めてかもしれない。記憶にある限りでは一度も名を呼んだことはないし、爺が死んだ後は話題に出すこともなかった。

 クソジジイ、秀貞がじっと見つめてくる。

「兄貴、今日から那古野城主だ」

「仕方あるまい」

 守山城も新たな城主を据える必要がある。

 そして前田家には、林兄弟からの分離を促す。ほぼ命令という形になるだろうが、また荒子城を避難場所にされたらたまらない。利家が荒子に寄りつかないのをいいことに曖昧な態度をとってきたが、謀反人の関係者にはなりたくないだろう。

 帰ってきたばかりなのに、やることが山積みだ。

 いや、先延ばしにしてきた問題が限界を迎えただけか。お前は一体何がしたいんだと怒られそうな気もする。誰にとは言わないが。

 翌日、清州城への帰途へつく。

 疲れきった足を引きずって戻った俺に、またしても出迎えはなかった。確実に拗ねているであろう信包はともかく、帰蝶は俺と顔を合わせたくないのかもしれない。

 無性に、何もかもを投げだしたくなった。

 城を飛び出して、月のない夜をがむしゃらに走る。途中で石に躓いて、ちょっと空を飛んだ。久しぶりの感覚に、頭がぼうっとする。

「そういえば、土産……どうしたかな」

 転がったまま、ぼんやりと空を眺めた。

 満天の星も薄雲のせいで、ほとんど分からない。ああ、確かこんな空だった。家と会社を往復するだけの日々で、なんとなく空を見上げた時のことだ。

 なんだか、ものすごく泣きたくなった。

 俺は声をあげて泣いた。

 この世界に、俺は独りぼっちだ。たくさんの手が俺を支えて、高いところへ昇らせようとする。怖いから降りたいと叫ぶことすら許されない。身近な人間が味方で、恵まれていると思う。俺のおかしな言動を不気味と思わず、ちゃんと理解しようとしてくれるのは嬉しい。

 だが本当の意味での理解者は、いない。

 死んでしまった。

 俺を見守ってくれた人は、俺を武士の子として教育してくれた人に殺された。本当に沢彦が自ら手を下したのかは、分からない。こんなことなら、政秀にも滝川の者をつけておくんだった。

 信光叔父貴は、初めて「叔父」と呼べる存在だった。

 道三は、二人目の親父殿だった。

「なんでだよ!! なんで、死ななきゃならないんだよ!?」

 叫びながら、大地を殴りつける。

 手の甲に何度も冷たい感触を受けながら、俺は駄々っ子のように暴れずにはいられなかった。運命だから、歴史の一つとして刻まれた事実だから、この世界で定められた事象は変えられないから。

 歴史通りに進めなければと思っていた頃もあった。

 ちょっとくらいは変わってもいいだろうと思ったこともあった。

「何様だ、俺は……っ」

 俺様信長様第六天魔王様である。

 俺が信長である限り、信長としての生き方は変えられない。俺も彼らと同じように、本能寺で死ぬ定めだということだ。

「あるいは、もっと俺が信長について詳しく知っていたら……回避できたのか?」

 否。

 政秀は切腹に見せかけた方法に変わっただけで、俺を逃がすために道三は死んだ。信光叔父貴の場合は、林兄弟を任せたこと自体が間違いだったかもしれない。ずっと城で大人しくしていた信次を、下っ端の兵士らが不審がるはずもない。

 あの城で俺は死にかけたのに、何故気付かなかったのか。


『兄上、兄上……お加減はいかがですか』

 信行? お前こそどうしたんだ。

 問いかけようとした俺の口は、勝手に妙なことを喋りだす。

『不摂生が祟ってな。もうダメらしい』

『そんなたちの悪い冗談で、私が騙されるとでも思っているのですか』

『本当だぞ。ほら、わしの手を見ろ。震えが止まらん』

 布団の中から小刻みに震える手を出してみせる。

 俺はいつの間に寝床へ戻っていたのだろう。

 いや、少なくとも体の調子は悪くない。それなのにわざとらしく咳き込んで、ぜえぜえと苦しそうに息をした。そりゃあ無理矢理咳をすれば、しんどくなるに決まっている。

 真っ青になった信行は慌てて傍へ寄った。

『兄上!』

『勘十郎、すまなかった。わしは、間違っておった』

『もういいのです、兄上。喋らなくていいですから、お休みください』

『そうだな。そうする』

 背を支えようとする信行の肩を、ぐっと掴む。

『あ、にう……え?』

 肉に指が食い込むほどの力は、今にも死にそうな男のものじゃない。

 だが驚愕に見開かれた信行の目は、次第に光を失っていく。二本ある腕の一方が、ぬめる何かに覆われ始めた。握りしめた何かを更に奥へ押し込む。

『ぐ、うっ』

『すまぬ、勘十郎。ゆるりと、休むがいい』

 倒れこむ体は、俺が受け止めた。

 辛くて痛くて仕方ないのに、どうしてこんなことをしてしまったのだろう。低く唸るように謝っても、信行には届かない。だらりと下がった手が、布団に影を落とす。


「うわあああああああああっ」

「きゃ」

「っはあ! はあっ、はあっ、はあ……っ」

 俺は跳ね起きた。

 投げ飛ばしたらしい掛け布団が横に落ちている。死に装束のような白い襦袢から、赤い褌が覗いていた。越中褌が現代で流行していたので、注文したら赤いのが届いたのだ。

 確かに着け心地はいいが、紅白の組み合わせは目出度すぎて逆にツライ。

「あなた」

「………………お濃?」

「お茶を淹れたの。飲んでくださるかしら」

 いつもと変わらない彼女が、いつもよりも優しく声をかけてくれる。

 そっと出された湯呑を受け取り、一気に干した。

「あっぢゃああぁ?!」

「ご、ごめんなさい! 今、お水を持って」

「お濃」

 喉が焼けた。舌もヒリヒリする。

 呼びかけに反応した隙に、その白い手を取った。

 力任せに引っ張れば、柔らかな体が落ちてくる。子を産めば体型が変わるかと思えば、そうでもない。むしろ、少し痩せた。そうでなくても、帰蝶はほっそりしているのだ。あまり細くなると折ってしまいそうで怖い。

「抱き心地がイマイチ。いてっ」

「放してちょうだい」

「いやだ」

「わたくしは薬師でないから分からないけれど、口の中を冷やした方がいいでしょう?」

「舐めれば治る」

「な……っ」

 みるみる赤くなる顔が可愛い。

 逃げを打つ体に絡みついて、どうあっても放さないぞと態度で表す。そのうちに俺の体が震えているのに気付いたのか、彼女は抵抗を止めた。

「夢を見た」

「道端で寝ているからじゃないかしら」

「ここは城だ」

「あれから三日寝ていたのよ。二日前は大騒ぎだったわ」

「そうか」

 早朝、農作業のために出てきた村人が第一発見者だ。

 死体だと思って片付けようとしたら、俺の顔を知っている奴が騒ぎ立てた。そして生きているのが分かって、清州城へ報せに走ったらしい。

 季節が春でよかった。冬なら死んでいたな、たぶん。

 そんな独り言がちゃっかり嫁の耳に入ってしまい、久しぶりの平手打ちをもらった。


嫁ビンタはご褒美です(ノブナガのMPが回復した!)

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