73. 失ったモノ
かなり悩みましたが、こんな感じになりました。
追記:ご指摘を受けましたので、一部表現を加筆しました。
まずは織田本隊に合流する。
うかつに武装していれば、落ち武者狩りに襲われる危険もある。可成たちも鎧は脱ぎ捨て、逃げやすい身軽な恰好で伊勢豪族のフリをした。十郎が小回りの利く舟を貸してくれたのも大きい。
たった数日、されど数日。
尾張国に俺の失態が伝わっていなければいいのだが。
幸いにして、国境辺りから最後尾に加わることができた。
「なんで森殿まで荷駄隊に紛れているんですか!?」
「似合うだろ」
「三郎様のご命令とあらば」
「いやいやいや!」
可成ったら、お茶目さん。
行軍中は定期的に見回りするように言いつけていたため、馬廻衆の見回り担当・成政に見つかった。あっという間に騒ぎが広まり、行軍が止まる。
「隠れ鬼しているみたいで面白かったのになー」
うっ、成政が怖い。
ふざけている場合か、と目が訴えている。
こんなに早く合流できたのは長秀の機転でである。本隊の移動速度を限界まで遅らせ、利家が身代わりを務めてくれていたようだ。具足を着込んで兜を被ってしまえば分からなくなる。
「すげえ信長様っぽく振舞いました!!」
「おお、エライエライ」
「っしゃああ!」
とても生温い視線が向けられているのはともかくとして。
俺は側近たちを見回して、がばっと頭を下げた。隣には可成と橋介が残っているのは、この際気にする余裕もなかった。一刻も早く尾張国へ戻らなければならない。
謝るチャンスは今しかなかった。
「スマン。皆に迷惑をかけちまった」
「……っめ、迷惑などと仰らないでください! そんな他人行儀な謝り方などいりません。我らがどれほど御身を案じていたと思っているのですかっ」
「あ、いやまあ……うん、心配させたか」
「当たり前ですよ!!」
こんなに騒ぐ恒興は何だか久しぶりだ。
長秀たちも止めるどころか、恒興の言葉を肯定しているように見える。さっきまで大いに喜んでいた利家まで、へにょりと眉を下げている有様だ。
『何でも一人でやろうとするな。お前は何様のつもりだ!?』
ふいに思い出したのは、前世で上司に叱られたことだった。
どういう経緯だったかはよく覚えていない。俺は理不尽さを感じ、上司に対して反発していた。言葉にすると生意気だの何だの言われるから、心の中で罵倒していた。怒られるべきは俺じゃない。俺から仕事を奪った新人野郎の躾がなっていないからだ。
憐れみをこめた周囲の視線が嫌だった。
知ったような顔をして、上辺だけの慰めをくれる友人面の同期が嫌いだった。
「……俺には多くの手がある、か」
顔が歪む。
その言葉をくれた者に対する尊敬の念は、憎悪に替わってしまった。絶対勝てないと思った相手を、絶対倒さねばならないと思う日が来るとは考えもしなかった。
何年も昔にもらった言葉が今、心に沁みる。
俺は、皆を頼っているつもりで頼っていなかった。側近たちのことを便利な道具として認識していた。前世の記憶が俺を孤独へ追いやっていたのは事実だ。その孤独に甘んじようとしていたのも否定できない。一人でいたいくせに、一人でいるのが怖い。だから嫁である帰蝶へ、異常に執着してしまう。
彼女の存在は、前世の俺になかったファクターだから。
奴の真意はどうあれ、教育者として正しかったことは疑いようもなかった。知恵の使い方を教わらなかったら、成長と共に前世知識を忘れていったかもしれない。ついでとばかりに叩き込まれた数々の経文のおかげで、長島の地から生還できたようなものだ。
この時代における宗教は、想像以上に大きな意味を持っている。
それにしても十郎という男には、また会えるといいな。できれば味方として。
「あ、殿をつとめた件に関しては謝らんぞ? 撤退指示を迅速に通達させることができたのは俺じゃなくて、お前らだからな」
「僭越ながら……殿とは、敵陣に突っ込むことではございませぬ」
「え、そうなの?」
可成の渋い顔を見つめ返す。
だって漫画ではそういうシーンがあったんだぞ。
死に華咲かせたらぁとか叫んで、敵陣特攻かけて味方の撤退を援護するやつだ。本当に帰ってこなかったパターンと、どっこい生きていたパターンがある。敵の進撃を止める役目だから、押し返す勢いの方が効果的だと思っていたのに違ったらしい。
「殿、奥方様に泣かれますぞ」
信盛の言葉に、ぎくっとした。
村木砦の戦いで勝利した後に、嫁の熱烈な抱擁を受けたのは織田家中では有名な話になっている。相変わらずアツアツ夫婦ですなと冷やかされたのも一度や二度ではない。
いや、そうじゃない。大事なことを忘れるところだった。
「五郎左!」
「はっ」
「あれから何日経った!? 舅殿は、道三殿は――…」
「一益。あれを持ってこい」
今回ばかりは一益の顔など見たくなかった。
普段から表情が変わらない奴の、何かを耐えているような色が分かってしまう。呼びかけ一つで察するようになってしまった。一益の有能さが憎い。
「……これを」
生々しい赤で汚れた書状が差し出された。
達筆で俺の名前が書かれている。文を書くときに表書きをする俺に倣って、帰蝶が始めたことだ。もちろん彼女のテによるものでないのは分かりきっている。
『織田上総介信長殿』
むしり取るように奪い、懐へねじ込んだ。
もしかしなくても斎藤道三による最後の肉筆だ。読まずに帰蝶へ預けることも考えたが、一人で泣かせるのは嫌だ。よく回る頭で、余計なことを考えられても困る。どういうわけか、彼女は妙に自己評価が低いのだ。
これ以上、悪い話は聞きたくない。
無言で歩き出した俺を、可成と側近たちがついてくる。
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あれから、俺たちは黙々と帰り道を歩いた。
事実上の敗北だ。
喧嘩を仲裁するどころか、織田軍にも少なくない死傷者を出してしまった。最初から意義の薄い進軍であったため、無理をした甲斐も全くない。俺のエゴで軍を動かし、織田の兵に苦痛を強いた。
つまるところ、連勝したおかげで調子に乗っていたのだ。
ゲームで勝てなくても、リアルの戦に勝てる。語れるほどの知識がなくても、前世の記憶がある限りはこの時代の誰にも負けない。そんな妄想に囚われていた。
沈んだ心へ追い打ちをかけるように、清州城は騒然としている。
出迎えのない城門をくぐり抜け、皆に解散を告げた。途中で道三軍の者とおぼしき将兵も回収したが、蜂須賀には会えていない。実戦よりも雑用任務が多かった秀吉も疲労の色が濃く、さっさと屋敷へ戻っていった。
誰もが言葉少なく、黙々と事後処理を行う。
俺は具足を外そうとする小姓らに断って、そのまま城内へ入った。土足で入るなどと怒られそうだが、そういう日常会話を心のどこかで求めていたのかもしれない。
帰蝶の出迎えがなかったのは正直、助かった。
どんな顔をすればいいのか分からない。どうしても爺の死がちらつく。考えうる限りの可能性に対応できるように、側近たちへ細かく指示を出したつもりだ。不穏分子の監視、城の守備に継続している工事などの手配もした。
春は田植えの時期だ。
稲以外にも夏から秋に収穫できる作物の種付けがある。商人たちは遠方への取引を再開するし、梅雨に発生しやすい水害の対策もある。
戦よりも優先してやるべきことは多い。
「くそっ」
腰から抜いた太刀を投げ捨て、胡坐をかいた。
このまま横になりたい。体が重いのは武具のせいだが、脱いだ途端に心が脆く崩れてしまいそうな気がする。まだ気は抜けない。まだ何かある。
不穏な足音は、ドカドカと聞き慣れた響きで近づいてきた。
「帰ったか、三郎!!」
「おう」
「具足のままか。ちょうどいい、来い!」
「兄貴?」
その言い様に、片眉を跳ね上げる。
留守番を言いつけられた不平不満をぶつけに来たのかと思ったが、どうやら違うらしい。俺を見下ろし、信広は苛立たしげに足を踏み鳴らす。
「落ち着けよ。何があった」
「ええい、これが落ち着いていられるか! 信光叔父上が殺されたぞ」
「な、ん……っ」
「やったのは信次だ。林兄弟も解放されて、那古野城を占拠している。早く取り戻さねば、貴様の大事な村が蹂躙されるであろうな。お、おい!?」
円座が温まる暇もなく、再び城門を目指して歩き出す。
俺は何度、己の甘さを悔いればいいのか。
明確な叛意を出さなければ咎めることはしないなどと、よくも言ったものだ。林兄弟を処罰しろという意見は側近や信広だけでなく、他の家臣からも出ていた。無視し続けていたのは俺の勝手な思いだ。
顔見知りが死ぬのは嫌だ、というだけの――。
「五郎左、犬、内蔵助!! 半介、橋介!」
怒鳴りながら歩く後から、信広が追いかけてくる。
「俺も行くからな。三郎、聞いているのかっ」
「勝手にしろ。……猿、履物を持ってこい!! 出陣だ!」
「お待ちくだされ、殿。戻ったばかりで、すぐ兵を集めるのは無茶でござる」
「黙れ、勝介。千も集めろと言っていない。先が見えていない馬鹿を殴りに行くだけだ」
「信長様! 馬廻衆はいつでも出られるっすよ」
「よし、ついてこい!!」
「兄上っ」
少年特有の高い声に振り向けば、具足を付けた信包が駆けてくる。
それを追いかけるのは恒興だ。俺と同じく武装解除していないのが、事態の慌ただしさを物語っている。できれば滝川一族にも動いてもらいたいが、彼らはもう働きすぎを超えている。
「恒興、遠慮はいらん。その馬鹿を縛っとけ」
「嫌です、兄上! 僕も連れていってください」
「兄貴、準備ができ次第ついてきてくれ。俺は先に行く」
「うむ」
「兄上!!」
「堪えてください、信包様。今回は戦ですらないのです。初陣を終えていない御身には相応しくございませぬ」
「相応しいとか相応しくないとか、そんなの理由になりませんよっ。僕は兄上のお役に立つために、今日まで鍛錬を重ねてきたんです。信広兄上まで出陣されるというのに、どうして僕が留守番なんですか。九郎や源五郎だって、十分戦えます」
ふうっと溜息を吐いた。
ちょうど橋介が、部屋に置いてきた大小を携えてくる。
それらを受け取るついでに、鞘の部分で信包の腹へ一撃をくれてやった。鎖帷子のおかげで気絶できなくても、俺から攻撃されたという事実が信じられないのだろう。
まん丸に見開いた目が、今にも零れ落ちそうだ。
「恒興」
「ご無礼仕る」
硬い表情で恒興が痩躯を縛り上げ、少年兵の虜囚が出来上がった。
外に出る前でよかった。こんな光景は兵士たちに見せられない。今にも大粒の涙をぼろぼろ零しそうな弟の姿には心も痛むが、泣きたいのは俺も同じだ。
森可成はそれなりの年齢なので、息子の長可が初陣する頃かなと思っていたら小学生ですらなかった驚きの事実




