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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
躍動する闇編(天文23年~)
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断章之一 サブロー

遠くない未来への布石、かもしれない。

伊勢長島と北勢四十八家、そして一向宗の話が出てきますが、例のごとく独自解釈を多分に含みます。断章を書くにあたって、感想欄の考察を参考にさせていただきました。いつも大助かりです。本当にありがとうございます

 悠々と流れる長良川の畔に、一人の青年が立った。

 手にした数珠をじゃらりと鳴らし、澄んだ声で数回唱える。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 思わず鼻と口を覆いたくなるほどの死臭だ。

 岸に打ち上げられたものは言うに及ばず、川水の濁りが砂泥のそれとは大きく異なる。人も馬も一緒くたに、死肉喰らいたちの餌にされていた。あれから数日と経っていないが、見るも無残な有様だった。

 金目のものは全てむしり取られ、髪の毛もごっそり抜かれている。

 ただ骨と肉の連なりに鳥獣が群がり、聞くに堪えない音を立てていた。三つの流れが大地を潤す伊勢長島の地は、他国の民によって汚されてしまったのだ。正しき法に従い、心を一つにすれば間違いなど起きなかったものを――。

 美しき清流は見る影もなく、当分は魚も戻ってこないだろう。

「ん?」

 青年の役目は、河畔の様子を見てくることだった。

 嫌悪しか沸かない仕事であるが、誰もやりたがらないので仕方なくだ。おぞましい臭いが体に染みつく前に退散したかったのに、一族でも抜きんでた視力で気付いてしまった。

「今、何か動いたか」

 物見によれば、両軍は既に自領へ退いたという。

 それなら運悪く生き延びた者は、国へ帰ることもできない。あるいはもうすぐ死を迎えるだけの哀れな命かもしれない。しばらく逡巡して、青年は地を蹴った。

 軽々と川を飛び越え、対岸へ降り立つ。

 確かその辺に、動く何かがいた。かろうじて人か馬か判別できる程度の群れに紛れ、不心得者が潜んでいるとも限らない。草の者と呼ばれる輩は、そうやって相手の不意を衝くのだ。

 腰の得物に手をかけつつ、油断なく距離を詰める。

「う……」

 人の声だ。生きている。

 死中に生を見出す奇跡に、青年の足は浮き立った。

 死にぞこないであろうともかまうものか。救いを求める魂に須らく手を差し伸べるのが、阿弥陀如来の慈愛である。いずれ尽きる命ならば余計に、浄土に導くことが青年に課せられた使命と心得る。

 まあ要するに、お人好しな性格が放っておけなかっただけだ。

「おい、……おい!」

 そこで、もぞもぞと動いているのは分かっている。

 だが触りたくない。死体の山の下敷きになっているようなのだ。とにかく生きているのは分かったし、このまま放っておけないのも確かなことだが、助け出すにはあれらを触らなければならない。ちょうどいい道具がその辺に転がっているわけもなく、素手の救助一択だ。

 青年は己が汚れるのも厭わない聖人ではなかった。

 ひたすら生存者が自力で出てくるのを期待する。

「う、ううっ」

「頑張れ! 早く出てこいっ」

「うごおお……」

 獣の唸り声のようなものが聞こえ、声援が止まる。

「ぐああああ!! なんっっじゃ、こりゃああっ」

「うわあ、汚いっ」

 色々跳ね飛ばして、そいつが吠えた。

 慌てて飛びのいて事なきを得たが、青年ほど身体能力が高くない者は汚物にまみれていただろう。その証拠に、死体から出てきた男は、とにかく酷い様相だった。自らの体に驚き、めちゃくちゃに暴れるものだから更に飛び散る。

「や、やめろ! そこに川があるから、そこで落とせよ!」

「かわ」

「あんたの後ろだっ」

「かわーっ」

 盛大に水飛沫が上がった。

 ぐるんと方向転換した直後に落ちていったので、もしかしたら溺れているかもしれない。だが青年はやっぱり助けたくなかった。汚くて臭いのもあるが、とても理性ある人間のそれに思えないからだ。

 だが見捨てることだけはできない。

 連れ帰った後は、誰かに世話を押し付けてしまおう。そう思った。

「ぶわあああ!! …………ふぬー、ふぬー……」

 哀れな男だ。

 どれだけ恐ろしい思いをしたのか、心が壊れてしまったらしい。獣のように暴れつつ川から上がり、おかしな呼吸を繰り返している。

「お、おい」

「ああん、誰だてめえ? そして俺は誰だ! ここはどこだ!?」

 うがあっと全身で叫ぶ。

 その異常な様子に、思わず数珠を握りしめた。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

「……はん、浄土真宗か。なら、ここは尾張じゃねえのか」

「そういうあんたは織田軍の兵士みたいだけど。そんな細い体で、よく生き残ったね」

「モヤシっていうな!!」

「言ってないよっ」

「そうか、スマン。腹がへったので、何か食わせてくれ」

 騒がしい上に、図々しい男である。

 生き残っただけでなく、大した怪我もしていないようだ。髪の毛が少し減っているのは、言わないでおいてやろう。これも優しさである。正しきを行えば、必ず報われるものだ。

 男が近づいてくると、青年よりも頭一つ分高いことが分かった。

 見下ろされて、ムッとする。

「なんだ?」

 だが配下でもない男に、頭を垂れろと命令できない。

「なんでもない。とりあえず腰に何か巻いてくれ。せっかく拾った命を捨てたくなければね」

「ふむ」

 納得顔で顎をさすった男が、死体の山から何かを漁っている。

 信じられない精神だ。一部腐っているのも気にせず、引っ張り出したボロ布を川で洗っている。かろうじて白さを取り戻した褌は、新たな持ち主の股に収まった。

 ついでに足にも布を巻いているが、男の意図がよく分からない。

 多少草を敷いたとしても、草鞋ほどの役には立たないのだ。素足で歩き回る者も珍しくない時代に、わざわざ面倒なことをする。しぶしぶ徴兵に応じた農民出身の足軽かと思っていたが、本来の身分はもっと上だろうか。

 それならそれで取引に使える。

 大きく勢力図が変わろうとしている今、生き残りをかけて国人衆同士で意見が分かれている。本願寺が送ってきた坊官は口を揃えて、門徒以外に慈悲は無用と言い切った。真宗の門徒になるなら味方だが、そうでない者は全て仏敵である。

 はたして織田の男は敵か、味方か。

 ちらりと様子を窺えば、大人しく後をついてくる。元気がないように見えるのは、空腹をかかえているからだろう。それにしても、キョロキョロと落ち着きがない。

「おっ、ヨモギ」

「勝手なことをするな!」

「いいじゃねえかよ、ケチだな。若いのに」

「余計な世話だよっ」

 本当におかしな男だ。

 あんな苦い草を見て喜ぶ気が知れない。

 青年はますます分からなくなった。男の正体が明らかになるまで、長島から出すわけにはいかない。監視を兼ねて睨みをきかせれば、ニヤニヤと笑みが返る。それどころか、あれは何だこれは何だと矢継ぎ早に質問が飛ぶ。

「いい加減にしろ!!」

「なんだよ、本当にケチだな。怒ってばかりだと、ここが切れるぞ」

 笑みを消し、こめかみを突く。

「……あんたは一体、何者なんだ」

「名乗らせたいなら、先に名乗るが礼儀じゃねえのか?」

「く、……十郎だ」

「サブロー。俺は三郎だ」

 こちらが氏を名乗らなかったから、男も名乗らなかった。

 そうと分かっていながらも、苛立ちは抑えきれない十郎であった。


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