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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
尾張統一編(天文20年~)
73/284

60. 女三人寄れば姦しい

結局、何も諦めていない

 噂すれば影来たる、とはよくいったもので。

「お市? こちらに上総介様がいらっしゃると聞いたのだけれど」

 ほのぼの空気が粉々に砕け散る音を聞いた。

 その場にいた全員が、涼やかな声で一瞬にして表情を変える。もちろん視線の先には俺だ。俺しかいない。どうするんだと目で訴えられても、答えられるわけがない。

「お、おおっ、お、おのっ」

「お姉様、しっかりなさって」

「う、んうんうん」

 お市に抱きついていたまま、ガクガク頷く。

「……何をしているのかしら」

 イヤアアアァ、見つかったアアアァ!!

 心のイメージを表すなら「叫び」というタイトルがつけられた有名な絵画が相応しい。ちゃんと理由があって、この格好をするのだ。女装おノブでなければならないと判断したから、お市と乳母にも協力してもらった。

 だがしかし、これとそれは違う。

 惚れた女に女装を見られて喜ぶ奴は変態だ。

「まごうことなき変態だと思いますが」

「変態という名の紳士っすね」

「よーし、そこの犬は後で折檻してやる。喜べ」

「わんっ」

 あ、ダメだ。こいつはもうダメだ。

「あなた?」

「大野お姉様ですわ、義姉様」

 帰蝶の絶対零度の微笑みに負けず、お市がにっこり笑って答える。

 違うんだ、これは違うんだ。誤解しないでほしいと内心でガタガタ震えながら、表面上は仕込まれた演技で取り繕う。大野って誰だよと思いながら、織田に仕える武家の娘を必死に繰り返す。

「そう、わたくしは――」

「信長様っすよね」

「…………」

「…………」

「どういうことか、わたくしにも詳しく説明していただける?」

「ハイ」

 そうだった、利家は嘘や冗談が言えない奴なのを忘れていた。

 不思議そうにしている馬鹿犬としいえの頭を思いっきり叩いてやりたいが、誤魔化そうとしたのが火に油を注いだ結果になっている。嫁の視線が痛い。蔑まれても冷たく睨まれても喜べるはずのマイハートはすっかり縮み上がって、隅っこでぷるぷる震えている。

 終わったな、俺の結婚人生。さらば、孫に囲まれた隠居生活。


**********


 場所は変わって、末森城の城門前――。

 困り果てた門番に向かって、美少女が柳眉を逆立てて怒っている。

「つべこべ言わず、取り次ぎなさい。わたくしを誰だと思っているの。無礼者!」

「お市、お止めなさい。権力をかさにきて威張るのは、器の小さい者のやることよ」

「あ……そうですね。ごめんなさい、お義姉様」

 静かに諭されただけで、しゅんとする様子は可愛い。

 要するに美少女おいちが可愛い。これだけで飯何杯でも行ける。もう変態でもいい。俺の嫁との共演が間近で見られるなんて、存在そのものがチートな戦国大名万歳。

「おノブ……大野様、顔が崩れとります」

「む」

 下からこそっと注意され、慌てて表情を引き締める。

 怪訝そうにこちらを見ている門番に気付いたので、お市スマイルでにっこり微笑んでおいた。美女と美少女が同じ城に住んでいるおかげで、勉強のネタには事欠かない。あくまでも演技の勉強であって、女装が趣味ではない。これは断言できる。

「おお、ニヤけとるのう。さすがじゃわい」

 楽しげな実況中継は猿こと、木下藤吉郎秀吉がお送りします。

 久しぶりの出番で気合が入っている模様。

「むうう」

「お市様……」

「源五郎は黙っててっ」

 相変わらずの二人である。

 年頃も近いせいで、ほとんど双子のようだ。お市はますます美しく、源五郎は凛々しく成長している。知らない者が見れば、雛飾りのようだと誉めそやすだろう。

「織田の血パネェ」

「何か?」

「ん、何でもない」

「大丈夫なのかしら。肝心なところでボロを出さなければいいのだけれど」

「君を泣かせたりしないさっ」

「その格好で言われても、全く嬉しくないわ」

「いや、全然変わらないっすよ」

 とまあ、こんな感じに大所帯になった。

 城門前なのに賑やかである。門番には申し訳ないことをしたと思っている。

 俺と利家だけで向かうはずが、お市と帰蝶までついてくると言い出してからが大変だった。説得するよりは連れていった方がいいのでは、と妥協案を出したのは源五郎である。利家だけでは手が足りなくなったので、普請奉行という名の何でも屋になりつつある秀吉を呼び出した。

 お市は過去に二度、城を抜け出した経歴を持つお転婆姫だ。

 帰蝶が機嫌を損ねると、俺のメンタルゲージが危ない。

 村木砦で発散できたものの、今もかなりギリギリな精神状態だった。自覚すると崩れそうになるので、気をそらす要素がほしかったのもある。これが終わったら、政秀寺へ向かうか。

 また、あの娘に会うかもしれんが。

 今度はどんなトラブルに遭っているのかと考えるだけで笑みが浮かぶ。

「あなた」

「お姉様、顔。顔!」

「む」

 そんなに崩れやすい顔をしているかな、俺。

 悪い想像をすると怖くなり、楽しい想像とするとニヤける。織田家の血のせいか、イケメンから程遠い地味顔は実に変装向きである。ただし俺の精神状態に大きく左右される、らしい。

 向かい合って、正面には何とも言えない顔の信行。

 さぞ苦い顔をするだろうと予想していただけに、これはちょっと意外だった。

 いや、俺のせいか。分かっている。まさか女装までして、末森城に乗り込んでくるとか思わないよな。しかも嫁と妹の同伴つきだ。二人とも、完全にこちら側である。

 母の土田御前は話がややこしくなるので、ここにいない。

 訪問を知らせてもいない。

 たまたま外にいた信行が俺たちを見つけた瞬間、離れへ引っ張り込んだからだ。美女をぞろぞろ連れて歩く信行は、さぞ衆目を集めただろう。

「そういえば、信行」

「何ですか」

「結婚はしたのか?」

「…………関係ないでしょう、今は」

「あるだろ、普通に」

「では言い方を変えます。その格好でそういう話題は止めていただけますか。とても気持ち悪いです。鳥肌が立ちます」

「ゴメンナサイ」

 お市と源五郎の憐れみを含んだ視線が辛い。

 数年ぶりに見る信行は、すっかり大人になっていた。少年らしい甘さが消えて、どこか儚げな雰囲気が漂っている。母性本能をくすぐられるタイプだ。幸いにして帰蝶がぐらりと来た感じはないようなので、こっそり安心している。

「本題に入ろう」

「ようやくですか。いいですよ、覚悟はできています」

 俺が男口調のまま進めると知って、信行も居住まいを正した。

 あるいは危険を冒してまで末森城に来た理由を、信行こそが知りたかったのだろう。思っていても急かさないのは、昔から変わらない。自分よりも相手を優先する性格だ。

 だから野心ある家臣どもに利用される。神輿として狙われる。

「内乱の卦がある」

「……兄上はいつもそうだ。僕の動揺を誘おうとしても無駄で」

「本当のことですわ。裏付けもとれています、利家」

「はっ」

 え、今の誰が返事した。

 すすっと何かを捧げ持ちながら、無駄のない動きで信行に届ける。そして元の位置へ戻っていった。びしっとマテをしている様は犬そのものだが、どう見ても犬なのだが。

「こ、これは」

「反信長派を糾合し、挙兵せよとあります」

「確かにそう書いてある。ですが、兄上の策略ではないのですか!?」

「このクソ忙しい時期に内乱やってどうするんだよ」

「守護大名である武衛様を亡き者にするのでは?」

「……それを狙っているのは大和守だ」

 武衛様とは斯波義統のことだ。

 やっと繋がった。安堵のあまりに、大きなため息が出る。

「お前な、ずっと利用されていたんだよ。薄々気づいていたんじゃないか? 何かがおかしいって。あの親父殿の息子にして、俺の弟だ。分からないはずがないよな」

「…………」

「これは俺も最近まで知らなかったんだが、義統様は親父殿と懇意にしていたようだ。まあ、大和守にはそれが面白くなかったんだろう。先代の守護職がアホだったせいで、幼い主を傀儡化するところまでは上手くいった。それを放っとく親父殿じゃない」

 織田本家の庶流、三奉行の一人で甘んじる気はなかった。

 着実に力をつけていく分家に対して、大和守が憎々しく思うのも無理はない。それも今の大和守じゃなくて、親世代だったようだ。敵の敵は味方というわけで、守護職との繋がりができた。

 うつけの噂を信じて、俺に見切りをつけたのが運の尽きだ。

「俺が義統様を亡き者に、だと? それで誰が納得する。尾張国に入り込んだ今川勢を駆逐するにも、大義名分が必要なんだぞ。これ以上悪い要素を取り入れて、誰が得をする?」

 信行がはっとする。

「美濃…………いえ、申し訳ありません。帰蝶姫」

「ちっとも気にしていませんわ。そんな風に父が疑われると分かっていたから、こうして出てきたのですもの」

「大和守も坂井大膳以下、家老たちの意見に振り回されているらしいぞ」

 坂井の軍が俺たちと交戦したのは聞いているはずだ。

 暗殺計画は未然に防いだものの、俺に大和守を討つ理由ができた。そして林美作守以下の馬鹿どもが挙兵したなら、それを理由に討伐命令を出せる。

「……兄上は、僕に何をさせたいのですか」

「手を組もう」

「え」

 今度は、ぽかんとする。

 幼かった頃に戻ったようで、俺はちょっと笑った。

「何もおかしくないだろう? 俺たちは兄弟だ。意見が合わなくて喧嘩もするが、最終的には手を取り合って」

「兄上は何も分かっておられない!!」

「信行」

「あに、兄上は……そうやって、簡単に。どうして、そんな風に生きられるのですか。父上からも、母上からも酷く扱われて、なのに妹のお市は……兄上についていって、家臣たちの半分も兄上の味方で、民衆からも兄上の…………僕、は」

「格好悪いわね」

「信行兄様、子供みたい」

 ザク、ザクッと女性陣から攻撃の矢が刺さる。

 それ以上何か言うつもりはないのか、とても冷たい目が信行を見つめていた。

 お市はともかく、帰蝶はこれが初対面である。もう少し手加減してやるべきと言いかけて、俺も初対面で朱盃を二度も投げつけられたのを思い出した。


本作における信行はブレやすい子なので、細かいツッコミ(石)はやめてあげてください。たぶん泣きます。

カットした情けない信行くんのシーンは、もったいないので小話集にあっぷしました

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