57. 村木砦の戦い(後)
だから戦の描写なんて分からないって言ってるじゃないですかあ
大和守信友が籠城を決め込んだと聞いて、俺はにんまりと笑った。
北へ寄り道したのが功を奏したらしい。
熱田神社の参拝は信長が出陣前に欠かさなかった、という逸話に則っただけだ。前もって異母弟たちには清州勢と戦うことになったから、城から出るなと言い含めた。留守居を任せている美濃衆に関しては、帰蝶が上手く応対してくれる。
やっと正室の仕事ができる、と微笑んでいた。
嫁さんには夫を癒すという大事な役目があるはずなのだが、彼女はキャリアウーマンになりたかったのだろうか。今後は反省して、もう少し仕事を割り振ろうかと考えている。
なんとか上陸を果たした俺たちは、神社の敷地に陣を構えた。
全ての船が緒川城付近を目指したわけではない。状況によっては安全を考慮して、大高の港に向かうことも打ち合わせていた。ちょうど信光叔父貴の船がそっち方面に向かったようだ。
大高より陸路をとって、村木砦の包囲を始める。
ここでの注意点は、俺たちの動きを今川軍に気付かれてはならないということだ。砦を落として緒川城を救出する前に、駿河から本隊が戻ってくるのは非常にマズい。
目が覚めた俺は身なりを整え、水野家当主信元と面会する。
「信長殿、よくぞ参られた」
「お待たせして申し訳ありません」
なんていう定番の挨拶はさておき。
今川にバレてねえだろうなあ? フフ、もちろんですとも。の会話も済ませておく。
どう聞いても悪役っぽいが、実際は互いに取り繕っているので何も問題は、ない。後から聞いたら、思わぬところからの登場で驚きすぎて、状況を把握できた人間が身内くらいしかいなかったそうだ。
まあ、そんなこともあるよね! 結果良ければ全てヨシである。
「一益、今川方の間者の始末は引き続き任せる」
「御意」
無茶振りに乗ってくれた叔父貴のためにも、周辺の掃除は大事。
すぐに村木砦の包囲が完了したとの報告が届いた。
これで砦の将兵はどこにも救援を求められなくなった。立地条件がよくても、有効活用できなければ意味がない。交通の便がいいということは、攻めるにも有効ということだ。
「恒興、砦の兵力はどれくらい残っている」
「約三百でございます」
「ほっほう、随分減ったな」
「本隊は完全に駿河まで撤退したのでしょう」
「長期戦を見越しているのか、もう信元を調略した気になっているかのどちらかだな」
「ふふん、以前の私と違う。たとえ今川の軍勢が戻ってこようとも、我が投石兵たちが押し留めてくれよう。その間に砦が落ちれば、こちらのものだ」
城攻めなら、十倍の兵が必要となる。
砦だからといって十倍に届かなくても大丈夫だ、という保証はない。今川の総力をつぎ込み、一か月かけて作った最前線基地だ。
信広が投石衆を連れてきたのは正解だったかもしれない。
新しい玩具を手に入れた子供のように、喜々として自分用の部隊に組み込んでしまった。俺としても投石衆の実用試験になるから、文句はない。
砦をじっと睨んでいた長秀が口を開く。
「あの深い堀が厄介ですな」
「狙撃が得意な奴を何人か紛れ込ませて、牽制をかけたいところだがな。連射できない種子島銃には荷が重すぎるか。背後をつきたくても、そういうのが得意な奴らがいない」
「御意。後方は要害ゆえ、迂闊に踏み込むは危険でござる」
堀があるところには橋がかかっている。
これを落とされる可能性もあるのだが、橋がなくなれば砦の兵も外に出られない。念には念を入れて、確実に気力と判断力を低下させる。義元が兵力を温存したがっているように、俺だって兵力を温存したい。
追いつめられた砦の将兵は、決死の攻勢に出るだろう。
死兵と化した人間ほど怖いものはないのだ。
「……予定を早めるか」
「いいのか? 十分な効果が得られんぞ」
「何とかしてくれるんだろ、兄貴」
「ふふん、任せておけ」
萱津の戦いで実証された。戦に関しては、信広は全面的に信用できる。
だからというわけでもないが……ぶっちゃけ、早く帰りたくなったのだ。
美濃勢を率いてきたのは安藤守就だとはいえ、あの憎たらしい蜂須賀がどこかにいるような気がしてならない。あいつはダメだ。顔も山賊風だが、山賊たちにも顔が利くに違いない。
帰蝶を信じていないわけじゃない。
俺が耐えられないだけだ。政秀のことがあって、帰蝶とほとんど話せていない。留守を頼むくらいしか言えなかった。それでも気丈に振る舞う嫁が可愛い。美濃なんかに返せない。
「土産がほしい」
「今回は名のある将ではないようですし、首を獲る必要があるかどうか」
「違う。お濃に土産を持って帰りたいんだよ。あ、お市や弟たちにも用意した方がいいな。お濃だけだと知られたら、絶対拗ねる」
「はあ」
「新鮮な魚は最高なんだが、日持ちしないしな。干物はどうだ? やっぱり海の魚は美味いよなあ。この辺だと熊野の九鬼水軍か……どうにかして、味方に引き入れたい」
「妙案だぞ、弟よ。私も生の魚は初めて食べたが、なかなかに美味であった」
「お二人とも、まるで食べ物目当てで水軍を求めているように聞こえます」
「美味いものは正義!!」
恒興が額を抑えて呻いている。
体調が悪いのなら休んでおくように言い付けて、俺たちは緒川城へ向かった。
早く帰りたい、じゃなくて迅速な攻めによる早期決戦を提案するためだ。供をする者たちが揃って生ぬるい目を向けてくるが、全く気にならない。自他ともに認める愛妻家で何が悪い。
信元は、即座に招集をかけてくれた。
軍議では信広が布陣を説明し、水野軍の面々が真剣に聞いている。地図は水野家に伝わるものだったが、遠慮なく書き足させてもらった。滝川一族が偵察ついでに、周辺の状況を細かく調べてくれたのだ。
情報の共有は大事。これ重要、テストに出るよ。
しかしながら、俺にとっての常識はこの時代の非常識だ。
惜しげもなく情報を与える俺に、信元は目元を赤くしていた。うーん、怒らせたかな。同盟関係はこれきりだ、と言われたら非常に困るんだが。
ともかく布陣に異論はなかったので、よろしく頼んで解散する。
戻る途中、長秀が尊敬の眼差しを向けていた。
「三郎五郎様、素晴らしい策でした。あのような隙のない布陣は、そう思いつくものではございませぬ」
「今川軍とは何度もやり合っているからな。手を抜けば、そこを突かれる。あれをただの砦と思わんことだ」
「承知しました。それでは殿、某は先に戻っております」
「おう」
「ふふふ、明朝は忙しくなるな! へばっていた兵士諸君も、元気を取り戻した頃だろう」
信広が過去最高に生き生きとしている。
その様子をぼんやり見ていると、急にこちらを振り向いた。
「三郎、お前もかなり辛そうにしていたが大丈夫か? 明日は私に全て任せてもらってもかまわんぞ」
「あれだけ揺れていたのに、船酔い一つ起こさない兄貴が異常なんだよ」
「違うな! 鍛錬の賜物である」
脳筋理論はときどき理解に苦しむ。
「まあいいや。明日は勝つぞ」
「当然だ」
そして翌日、戦端が開かれた。
疲弊しきって食べるものも食べられない砦の将兵に比べて、織田・水野両軍ともに意気軒高である。朝露も消える時間まで待ったため、引き絞った弓矢のように先陣が飛び出していった。
もちろん、これには理由がある。
鉄砲の威力を最大限に発揮するためだ。
「弾込め始め!」
「槍隊、構え。前進!!」
萱津で学んだ戦い方を参考に、三方向から砦を攻め立てる。
騎馬や足軽は珍しくない。鉄砲隊の前には柵があり、それより前には味方を配置していない。今川軍は穴を見つけたとばかりに、なだれ込んできた。
「ひ」
「まだだ! ……まだ待て。奴らを十分に引き付けるんだ」
最前列の弾込めはとっくに終了している。
地響きを立てて迫りくる軍勢に、鉄砲兵は今にも浮足立ちそうになっていた。
命令がなければ動けない。これを徹底していなかったら、とっくに逃げ出す者が続出していただろう。今更ながらに長秀は正しかったのだと思い知る。
「まだだ」
「……う、ううっ」
「もう少し」
「殿」
まだかと訴える視線に応えず、前列の鉄砲に火をつけさせた。
三人ごとに一人つけられた点火役は篝火から火をとる。じりじりと焼ける音に、鉄砲兵はむしろ冷静さを取り戻したように見えた。
噴きあがる土埃で前が見えない。
だが確実に迫る影が俺たちを覆いつくす。
「撃て!!」
一斉に火を噴く中、俺も鉄砲を構えた。
耳に詰め物をしていても、ぐわんぐわんと反響する頭は思考ができない。役目を終えた鉄砲を投げ渡し、反対側に控えていた小姓を睨んだ。
「おい、次も寄越せ」
「は、はいっ」
種子島は単発銃だ。
一発撃つごとに掃除してから弾込めをしなければならない。その都度、銃身を冷やすことも重要だ。この手順を一つでも怠ると、惨劇が起きる。
これは鉄砲隊に厳しく言い含めてあった。
守れない奴は死ぬ。だから鉄砲隊から外す。誰もが必死に学んだ。その成果が今、現れている。突き出しただけの長槍に馬が棹立ちになり、人間が落ちる。そこへ槍が刺さる。
鉄砲の大音量に馬も人間も怯え、足が止まる。そこに鉄砲弾がめりこむ。
「次! 早く寄越せ」
「はいっ」
俺は目をそらさなかった。
為す術もなく、無防備に人が死んでいく様を網膜に焼き付ける。鉄砲の三段構えで有名な長篠の戦いは、明智光秀が三千丁を揃えた。今の十倍の規模だ。
もっと悲惨で、無慈悲な光景が広がるに違いない。
「次!!」
俺は鉄砲を撃つ。ひたすら撃つ。
当たったかもしれないし、当たっていないかもしれない。元服して間もない頃、信行の前で鉄砲を撃ってみせた。動かない的にすら当てられなかった俺が、今も鉄砲を構える。
狙いなど定めない。
ただ真っ直ぐに突き出す槍衾のように、無心に引き金を引く。
「次」
「……も、もうありません」
「分かった」
近くにいた槍兵から三間槍を奪い取った。
鉄砲の音に驚き、鉄砲の威力に倒され、柵の前は死屍累々の血濡れた平原だ。俺の具足が、びしゃびしゃと音を立てている。顔にかかる飛沫が何色か、確かめる余裕はない。
「うおおおおおお!!」
技術もへったくれもなく、めちゃくちゃに振り回す。
「だ、誰か……っ、信長様を援護してくれ!」
「おい、馬鹿松。あっちに殿がいるっ」
「はあ? うわ、マジでいるし!」
誰かが俺の名を呼んで、大将首がここにあると知れた。
敵も味方も俺に群がってくる。
「いいだろう、相手になってやるさ」
「ちょ!! 信長様、なんでヤル気になってんすかっ」
「ここで死ぬなら、それも運命。生き残ったなら天命。もとより死ぬ気は更々ないが、俺だって武士の子だ! 織田の魂見せたらア!! うるあぁっ」
「や、やべえ。信長様がキレちまった」
「前からキレてんだろ。今の今まで我慢してたんだ。仕方ねえのかもしれねえが……くそ、槍が長すぎて近づけねえ。誰だよ、あんな馬鹿長え槍作ったのは!」
「そんなの信長様に決まってる!!」
「あ、なる…………って納得してる場合か、この馬鹿犬がーっ」
「やかましい!! 戦場でも喧嘩するでないわ、この大戯け者どもが!」
あちこちで怒号や罵声が響く騒然たる戦になった。
日暮れ近くになって、とうとう砦側の将兵が降伏してくる。
今回も勝利を収めたものの、織田側に少なからず死傷者が出た。その中には見知った者もいて、俺は憚らず涙を流した。遺体はこの地に埋め、遺品を大切に持ち帰る。
昂ぶりが収まらない馬鹿で即席の小隊を作り、寺本城下に火をつけさせた。
花井氏は織田を裏切ったのだ。
その報復はいつかする。そう心に決めて、俺たちは那古野城へ帰った。
主人公はストレスが溜まりまくっていたので、大暴れです。あくまでも織田は援軍なので、後始末は水野家にお任せします。
ちなみに。
美味しい魚を出してくれたのは九鬼水軍の皆さんではありませんので、念のため。津島にも港があるのですが、この頃の主人公はまだ知りません。




