52. 寺に行って、栗鼠に会う
平手政秀が死んだ。
俺が最も頼りにしていた爺が、死んだ。またしても葬儀には間に合わず、石を積み上げただけの石塔が俺を待っていた。沢彦に命じて寺を作らせ、政秀寺と名付ける。
平手家の所有する領地、小木村というところだ。
真実がどうあれ、平手政秀が俺のために殉じたのは変わりない。
寺の建立は俺がどれだけ、爺を大事に思っていたかを示す証になるだろう。
「爺」
できたての本堂に入り、仏の像を睨めつける。
「恨むぞ、爺」
長生きしろと言ったじゃないか。
俺と帰蝶の子が見たいと言ったじゃないか。
守れない約束をする奴は嫌いだ。俺のものを傷つける奴も嫌いだ。守りたいものを守らせてくれない運命とやらが憎い。ついぞ忘れていた激しい念が、腹の中に渦巻く。
涙など、一筋もこぼれない。
親父が死んでも、爺が死んでも泣けない俺は一体何なんだ。
「これはこれは、まるで修羅のようなお顔をなさる」
「沢彦か。無理を言って悪かったな」
「このような立派な寺を任せていただけるのです。不平不満を抱くだけで、罰が下りましょう。それに……平手殿も、喜んでおられるかと」
「そんなわけあるか」
意外そうに沢彦が首を傾げているが、奴は俺の意図が分かっていない。
これは俺の意地であり、我儘だ。
爺の遺書が残されていたなら、親父殿の傍にひっそりと埋葬してくれと綴られているだろう。先代のことを主として認めていたから、うつけ者の俺に辛抱強く付き合ってくれた。
俺の秘密も、笑わずに聞いてくれた。
疑うどころか納得して、最後には微笑んでいた。
「爺。うつけはお前だ…………何故、死んだ……っ」
「お嘆きは尤もでございます」
「黙れ。発言を許した覚えはないぞ、沢彦」
「お変わりになられましたなあ。昔はよく話を聞いてくださったものですが」
ぬけぬけと言い放つ。
この泰然自若とした態度が気に入らなかった。
そして絶対勝てないと思っていた。俺がこの二十年の間に勝てないと思った相手は何人もいる。これから先も、確実に何人か出会うだろう。
「俺は嘆いているんじゃない。悔しがっているんだ。それも分からないような奴に、同情されたくない。沢彦、お前を開山としたのは都合がいいからだ。それ以上もそれ以下もない」
「…………そう、それでいいのです。あなたは全てを疑い、全てを憎み、全てを呪い、そして」
「よく回る口だなあ、ええ?」
「説法を語って聞かせるのが、仕事ですので」
濁りきった内容の説法なんざ聞いたこともない。
だが本性を現したのだ、と思った。
途端に湧き上がる疑惑に、俺は顔をしかめる。子宝祈願を勧めたのは他ならぬ沢彦だ。俺たちを一時的に尾張から追い出し、その隙に爺を殺したのかもしれないという疑念だ。まるで沢彦の言葉に誘発された気がして、この仮定を脳内から消す。
真実など、どうでもいいと思っていたはずだ。
沢彦が裏切ったところで、明確に何かが起きるはずもない。一揆を起こされるのは非常に困るが、その時点で俺の運命は終了する。天命に見放された、というやつだ。
「賭け事は嫌いなんだがな……」
苦い気持ちで、小さくぼやく。
歴史通りではない運命を望むようになったからか、歴史通りでないフラグが立つ可能性も想像できるようになってしまった。ただ漠然とした確信はある。沢彦は、俺を殺さない。
嫌な予感は、当たった。
今は何も感じない。だから大丈夫だ。
あまりいい気持ちはしないが、そういうことにしておく。沢彦に賭けたのではなく、俺が生き残る道に賭けたのだ。大言壮語を放っておいて、道半ばで倒れては政秀に笑われる。
「爺、また来る」
分骨に声をかけて、俺は立ち上がった。
背にねっとりとした視線を感じる。あの男が何を考えているのかは分からない。俺の考えが、あの男に理解できないのと同じだ。
信長は孤独な王であった、という説がある。
唯一の理解者である平手政秀の死は、信長を狂わせていったのだと――。
仮にそれを願う奴がいたとして、俺のように転生者なら厄介だ。しかし確かめる術はない。この時代には存在しないものを知っている、という確証を掴んでも「誰かからの伝聞」だったら意味がない。どこかに転生者がいる、という証拠にはなるが漠然としすぎている。
そもそも転生者が他にいたからって、俺と関わらなければいいのだ。
「あー……うん、関わったら関わったで面倒だな」
ぼりぼりと首の後ろを掻いた。
馬が歩くままに任せていると、あちこちから声がかかる。それを適当に返しつつ、俺は蒼天を見上げた。遮るものがない天然のドームを眺めるのが好きだ。
あまり反り返っていると、また落馬するかもしれない。
なんかそういうことをぼんやり考えているうちに、本当に落馬した。慌てて駆け寄ってくる民は、どいつもこいつも泥をつけている。作業の手を止めさせてしまった。
「い、生きてるんかな」
「生きてる、かな」
「うわっ、目が動きよった」
「ぎょろってした! おっかねえ」
わあわあ騒ぐので、よいしょと半身を起こす。
「失礼な奴らだな。これでも石頭だから、そう簡単に割れねえよ」
「石? 殿様の頭は石でできてんのか」
「すげえ! 石でできてんだと」
「あーもう、それでいい。お前ら、仕事に戻れ」
手を振って追い払えば、慌てて散っていく。
小木村はそこそこに豊かで、飢えている民はいなさそうだ。ふと見覚えのある水車小屋や、牛の引いている耕作機に思わず笑ってしまった。小さい国だから周囲に脅かされる日々だが、小さい国だから発明品が浸透しやすい。
技術を独占しなくてよかった。
木綿の着物の農民が、大名でも大金を出したがる道具を当たり前のように使っている。各サイズの升も、この調子で広めていこう。庄屋の段階できっちり締めていけば、年貢を取りすぎて飢えさせることもない。
悪いことを考える奴には、それ相応の罰も必要だ。
かといって規則でがんじがらめにすると、窮屈すぎて頭脳派の悪党が生まれる。それはのちの歴史が証明していることだ。俺は提案するだけ、実行するのは頼れる家臣たち。
「ねえ」
ふいに声を掛けられた。
俺が考え事をしている最中に割り込んでくる命知らずは誰だ。機嫌の悪い顔で見上げれば、若い女がビクッと体を竦ませた。使い途中なのか、手荷物を抱えている。
目が大きくて、おどおどしている。小栗鼠みたいな娘だ。
「何か用か」
「え、あっ……そ、そう! 用はないんだけど」
「じゃあ、放っておけ」
「で、でも馬から落ちたりしてたしっ」
「何ともない」
「そっか。うん、それはよかった。えっと、それで」
要領を得ない。
そこそこ上質な着物を纏っているから、商家の娘より身分は高そうだ。俺は目立つのが面倒で、かなりラフな格好をしている。先日、罠に引っかかっていた大物の毛皮を羽織ってるくらいか。
どこぞの若衆だと思われているらしい。
「これ、あげる」
「いらん」
見向きもせずに断れば、ぐいっと顔に突き付けられた。
団子である。串が刺さって少し痛い。
この串団子も一般的でなかったようで、小さい団子を串に刺して食べていたら広まった。立ち食いするのに便利だという、非常に行儀の悪い理由なのだが言わぬが華か。
串を喉に突いて死んだという話は、幸いにしてまだ聞かない。
「遠慮しないで食べなさいって」
「いらんと言っている」
「もう、頑固ね! 腹が減っては戦ができぬっていうのよ。出陣前におっきなお握りを振る舞った殿様が仰っていた、ありがたーい格言なんだから。本当よ?」
その殿様が俺、ノブナガ。
舌の付け根まで出かかっていたが堪えた。
弟か家来に諭すみたいにして威張っている彼女が、顔を青くして平伏するのは見たくない。俺が愛する民は、いつでも自由がいい。
渋々折れる風を装って、串団子を受け取る。
「絶対おいしいから! 頬が落ちちゃうかも」
「さっきまで串が貫通しそうだったけどな」
「ええっ、ごめんなさい。そんなに強く押したつもりはなかったんだけど」
「使い途中じゃないのか?」
「あーっ、そうだった! じゃあねっ」
素っ頓狂な声を上げた彼女は、ぱたぱたと駆けていく。が、コケた。
颯爽と助ける王子様はいない。
俺? 俺は団子を味わうので忙しい。
むぐむぐと咀嚼している間に、栗鼠娘はなんとか立ち上がっていた。しかし包みがない。錯乱気味にばたばた騒いで、道端に落ちているのを発見した。まるで餌に飛びつく獣のような動きである。
汚れを取り、ホッと息を吐く。
そして再び駆けだそうとして、コケる。
「何やっているんだ、一体」
見ていて飽きないとは思う。
何もない場所で転ぶドジッ子ヒロインというのが現代日本に存在していたが、この時代にはアスファルトが存在しない。しっかり踏み固められている割に、小石や小さい穴があちこちにある。注意散漫だから、ああやって何度も転ぶのだ。
俺は団子の礼に、栗鼠娘を送ってやった。
娘の親は俺を見て叫びそうになったが、例の修羅顔で黙らせる。蒼白な顔で何度も頷いていたので、娘にはとても不審がられた。まあ、死んでも俺が殿様だとバラさないだろう。
「ふっ」
自分のもらした小さな笑い声に驚く。
爺の死で荒んでいた心が、ほんの少しだけ軽くなっていた。
出会いと別れは一期一会といいます




