46. 嫁自慢
【速報】うちの殿が童貞卒業しました
嫁はいい。最高の癒しである。
結婚当初は同衾なんて夢のまた夢だと思っていたし、本体が現れても夢幻の如くなりだったし、態度もそっけなかった。巷ではラブラブ夫婦として噂されていたが、ちょっと触っただけで睨まれるような関係だったのだ。
それもまた熱く見つめ合っている、と誤解されていた。
ということを帰蝶がどこからか聞きつけて、俺を平手打ちしてから報告してくれたのだ。うん、平手打ちは余計じゃないかな! それならと言ってハリセンを出さない。どこから出しているんだよ、嬉しすぎるだろ(と言ったら殴られた)。
「柔らかくていい匂いがしてさ。もう最高」
「よかったですね」
本人の前で言えば確実に物理ダメージを受けるので、不在の時に限る。
三年目にして盛大に惚気ているのに、家臣たちの反応は淡泊だ。
「つまらん。嫉妬や羨望はないのか? 俺も嫁ほしい、ってなるだろ普通」
「なりませんよ、普通」
「信長様の場合、奥方様がいらっしゃってからずーっと変わらないっすよ。うちの嫁はウチューイチ、は何度も聞いて覚えちまいました」
今日の訪問者は佐々成政。
利家と並んで馬廻り衆を率いることになったので、その訓練内容などについて話し合っているところである。脱線するのはいつものことだ。ストッパー役の長秀は、信盛と共に算盤開発に駆り出されている。
俺は誤解していたのだが、馬廻りとは騎馬とその周囲を示すらしい。
それらの集団からなる馬廻り衆は、まんま騎馬隊だ。
道理で長秀が真っ先に反対してくるわけだ、と何年も経ってから納得した。俺のイメージする馬廻り衆は騎馬の周囲そのものだ。今まで藤吉郎が一団をまとめ、その上司として利家を置いていた。
藤吉郎が足軽志願したのを機に、馬廻り衆の再編を決めたのである。
なんだかんだで互いにライバル心の強い二人だ。同じ役職につけておいた方が、張り合いも出るだろうという思惑もあった。
「羨ましいなら羨ましい、って言え。そしてお前らも結婚すればいいだろ」
「ウラヤマシイデス」
「馬鹿犬、復唱してどーするんだよ」
「オレを犬って呼んでいいのは、信長様だけだ!!」
それもどうかと思うぞ、利家よ。
成政が呆れた顔をするのも無理はなかった。
利家は、俺が「利家」と呼んだだけで絶望的な顔をするのだ。犬と呼ばれるのに慣れすぎて、たまに「わん」と吠える。どこまで素で、どこまで芸なのか分からない。
こいつが人間に戻れるのか、本気で悩みたくなってきた。
小姓に戻したのは、人間に戻したいからともいう。俺の御家来衆には犬も猿もいるが、雉がいない。鬼退治をする気もない。むしろ、鬼(五郎左)は頼もしい味方だ。
ぎゃあぎゃあと喧嘩を始めた二人に、新型ハリセンを振り下ろす。
「頭は冷えたか? 話を戻すぞ」
「……へい」
「……うす」
先に脱線したのは俺だっていう指摘は受け付けない。
「馬廻り衆再編にあたって把握しておきたいことは色々あるんだが。内蔵助、馬は揃えられそうか?」
「いやあ、ちょっと難しいですね。良馬がなかなか」
「オレのところは大丈夫っす。走れるなら何でもいいんで」
「はあ? てめえはやっぱり馬鹿だな。人馬一体となってこその騎馬だぞ。馬廻り衆が馬に振り回されたらどうする」
「そりゃあ馬が悪いんじゃなくて、人間が悪い」
成政の口がぽかん、と開いたままになった。
何言っているんだという利家が「何言っているんだ」である。野生児通り越して、野生に先祖返りしていたのか。記憶力の良さと五感の鋭さは、野生に所以していたのだ。
「さすがは、犬だな」
「よっしゃあ! 信長様に褒められたぜっ」
「いや、そこは喜ぶところじゃねえよ。全然羨ましくねえっつの」
「我慢は体に良くないぞブヘッ」
「その顔ムカつく。すげーイラッとする」
拳を固め、真顔で呟く成政。
元舎弟たちの中で特筆するところのないヤンキー少年は、立派なチンピラに成長した。時々出てしまう現代用語を真っ先に吸収し、自然な形で使えている。鍛えぬいた肉体はもはや二足歩行する熊の如くで、ニコッと笑えば子供が泣きわめく。
たぶん、同じ理由で女にもモテていないんだろうな。可哀想に。
この時代におけるモテる男の基準は、あまりよく分かっていない。
帰蝶は俺にベタ惚れであることは、最近になって明らかになった。見極めるのに三年かかるとか、どんだけ冷静なんだよというツッコミは心の箱へ永久封印する。
せっかく進展した仲をぶち壊したくない。
そろそろ子供がほしい。平手の爺に孫を見せてやりたい。
「つーか、俺たちは次男三男ですから。下手にガキ作っちまうと、跡目争いの火種になることもあるんですよ」
「馬鹿松! てめえ、よりによってそのネタ引っ張ってくんなっ」
「松じゃねえって言ってんだろうが。それこそ、いつまで引っ張ってんだよ!!」
怒鳴り声に続いて、スパパンと小気味良い音が響く。
今日はハリセンの出番が多いなあ、うん。
「まあ、聞け。子は宝っていうだろ? 小さいときから、しっかり教育すれば大丈夫だって。経験者である俺が保証する……」
どうしよう、声が震えてきた。
幸せの絶頂にあるということは、すなわち転落する運命が待っているということだ。転がり落ちるのは嫌だから絶頂だと思いたくないが、どうしても信行のことを考えてしまう。
あいつが今も苦しんでいるかもしれないのに、俺が幸せになっていいのだろうか。
なんとも今更すぎる感情までわいてくる。
「ふはは、話は聞かせてもらった!」
ずざーっと足袋でドリフトしながら、信広登場。
ちょっと通り過ぎて、慌てて戻ってくる辺りが締まらない。うぷぷ、カッコワルイ。
「安心しろ、弟よ。私にはおみつという最高の嫁がいて、可愛い娘もいる。幸いにして男児ではないから、跡目争いの心配もないぞ! 娘もやらんっ」
「な、んだ……と?!」
信広に娘がいたとか俺、初耳なんですけど。
慌てて利家を見れば、成政と一緒にぶんぶん首を振っている。別に俺だけ知らなかったからって咎めたりしないのに、その青ざめた顔は何だ。
いや、そんなことはいい。信広には娘がいるのか。
いつ結婚したのか知らないが、年齢的におかしくないかもしれない。
「なんだろうな、この敗北感」
「な、泣かないでください信長様! オレが、オレたちが悪かったっす!!」
「そうですよ、信長様! 俺たちがいるじゃないですかっ」
「家族がほしい」
「……あ、えー…………が、ガンバッテクダサイ」
「こればっかりは奥方様次第としか」
おいこら、ちっともフォローになっていないじゃないか。
だが俺はこの程度じゃ、へこたれない。
「大丈夫! 最近デレ始めたからなっ」
「でれ? おい、貴様ら。でれとは何だ?」
「はあ。信長様、すげー幸せそうだなあ。……家族かあ」
「だめだこりゃ」
額を抑えた成政をハリセンで叩こうと一瞬思ったが、止めておいた。
俺は寛大な主君を目指しているのだ。
後世に伝わる評価と違う、っていうツッコミはスルーする。親父殿みたいに息子殴って、アイキャンフライさせるような暴君にもならない予定だ。腕力ないから、そもそも無理だしな!
そして信広は、といえば。
「家臣どもにまで無視された……。やっぱり私は、その程度の人間なんだ」
部屋の隅っこで鬱陶しく拗ねていた。
脱線はデフォルト。
信広のトラウマは相当に根深いようです




