44. 算盤
俺は正式に弾正忠家当主となり、那古野城にて号令を発した。
『織田上総介信長を主君とし、恭順する意思のある奴は那古野城へ参じよ』
この命令にあくまでも強制力はない。
当主命令なんだから、従わなければ不敬にあたる? そもそも俺のことを次期当主、現当主と認めていない時点で不敬に相当するのだ。嫌なら来なくていいよ、何もしないからの追加文をどう受け取るかは彼ら次第である。
それに上司にあたる守護職から信行宛にメールが届いている。
いや、文です。文と書いてフミと読む(睨むなよ、吉兵衛)。
内容は激励文に近かったっぽい。そして守護職義統の名義で、実は信友からの親書だったというのが最近判明した。以前からその疑いはあったんだが、裏付けがとれた。
本当に俺の家臣団、有能すぎる。
そして主家から認められていない分家当主、っていうことも判明した。
「本家が跡目争いに口出すことってあるのか?」
「ないわけではありませんね」
狐目を細めつつ、貞勝が答える。
今日も今日とて忙しそうに筆を走らせている彼だが、木炭ペンは性に合わなかったらしい。絶賛魔改造中だと報告されて、思わずニヤけそうになったものだ。そのうち、シャープペンシルを発明してくれないかなと密かに期待している。
「親父殿が気に食わないからって、俺に余波くらわすの止めてほしい」
「明らかに扱いづらい駒よりも、扱いやすい駒の方が好まれるものです。嘆かわしいことですが、家中の者にもそういった考えがあるのは否定できません」
「主犯格はピックアップしているから問題ない」
「殿」
「分かったわかった。なるべく使わない」
狐が蛇になった。
キロリと睨んでくる様子がまさしく蛇のそれに近かったのだ。
ということは何か? 俺は蛇に睨まれた蛙、っていうことになる。井の中の蛙大海を知らず、だ。その後にまだ何か続くらしいが覚えていない。
それに貞勝も理解できない単語を嫌がっているだけだ。
算術に強そうだから理系人間だと思っていたが、言葉に関して並々ならぬコダワリがある。ように、見える。俺の勘が当たっていれば、の話だ。
そして何故、俺が貞勝と喋っているかというと――。
「だー!! なんで、こういう答えになるんだよ。どう考えてもおかしいだろっ。計算間違い多すぎ!」
「自分としましては、殿が瞬時に間違いを見抜く才があることに驚嘆を禁じえません」
「……実は俺のこと嫌いだろ」
「先日の誓いをお忘れでしたら、如何様にも」
わたしの言ったことが信じられないのね、このヘンタイ! という副音声が聞こえた。
当然、気のせいである。
前世でゲーマーだった俺は、女体化に興味を示すタイプじゃなかった。ヲタク仲間からは同志の縁切りをされた。女体化の良さが分からない奴とは一緒に遊びたくないそうだ。
ははは、昔のことだよ。俺も若かったのさ。
貞勝が女体化したら、インテリ眼鏡美女になるのだろう。ツンデレ要素は俺の嫁の専売特許にしておきたいが、需要と供給は常に把握……って何の話だ。脱線しすぎた。
「算術は、得意なんだ」
うっかり算数、数学と言わないように気を付けなければ。
この時代の計算技術は、小学生から中学生レベルに相当する。
最古の計算機にあたる算盤って、かなり昔から日本に存在していると思っていた。貞勝に聞いてみると、あるにはあるが巨大すぎて扱いづらいらしい。よほどの時じゃないと使わない貴重品で、通常はひたすら足していくのだそうだ。
四ケタの足し算引き算なんて、上位文官でも無理だとか。
「いやいやいや!!」
「嫌でも手伝っていただきます」
「そうじゃねえよっ。算盤作ろう、今すぐ! こうしちゃいられねえ、半介呼んでこい。あと五郎左も」
「そのような暇があれば、一枚でも片付けていただきたく存じます」
「一人一つ携帯算盤があったら、あっという間に片付くだろ!」
「……殿。毎度申し上げておりますが、発言の意図は明確にお願いいたします。簡潔どころか、省略しすぎて伝わらないので余計な手間が発生しています」
このサイボーグめ、本当に融通の利かない男だ。
「俺、小さい算盤作る。量産する。皆に配る。計算力アップ! 作業効率アップ!」
「承服いたしかねます。かかる費用と資材はどこから出すおつもりですか」
金がねーんだよクソ馬鹿、という副音声が聞こえた。
こいつ、本当に俺のことを主君として認めているのか疑いたくなってきた。
副音声は俺脳内発信なので、被害妄想も含まれているかもしれない。信長なのに内政できない俺に、辛抱強く相手をしてくれる貞勝はスゴイ奴だと思う。
「側近の方々は殿にとても甘いので、自分くらいは厳しくすべきと愚考いたしました」
「そーですか」
机に突っ伏す俺、ノブナガ。
なんだろうな。今まで結構色々あったし、叱られた回数も両手で足りないくらいある。それとも「うつけ」なら、数えられないほど叱られた方がよかったんだろうか。……いや、ダメだ。これ以上難易度上がったら、俺が生きていけない。早々に潰れる。
ビバ、俺にやさしい世界! 戦もイージーモード希望。
「算盤については後日話し合いの場を設けましょう」
「マジか!?」
がばっと起き上がれば、貞勝の目がきらんと光る。
「ですので、今はこの採決を全て終わらせていただきたいものです。物事を中途半端にすると間違いが発生しやすくなり、大きな問題に発展しかねません」
「くそう、どうしてこうなった…………内政も雑用全般、家臣に丸投げする計画が」
「フラリとこの部屋に現れた殿が、計算間違いをご指摘なさったからですが」
「そうだよ、俺のせいだよ! ちゃんと仕事してっかなあ、と主君らしく見て回ろうと考えちゃった俺の馬鹿馬鹿、大うつけ!」
「それから投石衆に関して、一部問い合わせがございました。勝手に武具の発注をなさるのはお止めください。現場が混乱します」
「布と荒紐だから武器じゃない」
「では投石衆の件は破棄いたしますか? 既に募集人員に達しているため、訓練を始めたいという申し出が来ております」
「なんで、その話がこっちに来ているんだよ!?」
「ご自分の胸に手を当てて、よくお考えください。さて雑談は終わりです、殿」
結局、その日は帰してもらえなかった。
今夜は寝かせないぞ、の副音声を何度聞いたか覚えていない。
領地を持たない家臣たちは、城の周りに作った武家屋敷で生活している。貞勝にも屋敷を与えたような記憶があるのに、部下ともども滅多に帰っていないらしい。そんな話を聞いてしまえば、手伝いたくないとゴネるのも難しくなる。
挨拶に来る家臣との接見は午前に固定し、午後から夜明け前まで計算三昧。
嫡男時代に届いていた陳情も数を減らしたものの、長秀たちで振り分けて解決しているようだ。そして那古野村では後学のために住み込む奴が出てきて、結果的に人口が増えた。あの筋力トレーニングもどきの農耕機も、少しずつ広まっているらしい。人間が引っ張るんじゃなくて、ちゃんと牛馬任せである。
土管は改良が進み、筒型と半円型の二つが商品化に成功した。
売らなければ収入が増えない(貞勝談)からだ。
ちょっと特殊な技術が必要らしく、当面は専売特許として佐久間家お抱えの職人たちが受注するらしい。そうすることで中間マージンが入り、佐久間家の影響力が上がる。という余計な心配をした古参の織田家臣たちがこぞって仕事を寄越せと訴えてきたり、流通強化の為に街道の改善を急ぐことになったり――、瞬く間に時は過ぎていく。
ようやく税収処理が終わった夜、俺は一人で祝杯をあけていた。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば……夢幻の、如くなり」
ひとしきり呟いて、酒を呷る。
ブラック企業並みの拘束時間だったからか、妙に前世のことが懐かしい。
仕事明けに飲む一杯のビールは格別に美味かった。冷蔵庫を開けて、プルトップを動かすだけで簡単に飲めた。アルミ缶はリサイクルできるが、洗うのも面倒くさくてゴミに出していた。料理は一度もしたことがない。
思えば酷い食生活をしていたものだ。
タチの悪い病気にかかったのも、不健康な生き方をしていたからだろう。あっさり死んで、遠い過去の人間に転生してしまった。
「人生なんて儚いものである、か」
自嘲的な笑みを浮かべ、酒が揺れる杯に月を映しこむ。
甘やかされていた自覚はなかった。
前世の方が、よっぽど世の中に甘えていた気がする。とりあえず与えられた仕事をこなしていれば給料がもらえた。もっと頑張れば上を目指せたかもしれないが、努力するのが嫌いだった。人付き合いにおいても同じで、うまく付き合うのが面倒で仕方なかった。
独りで気楽な人生だと言い訳をして、コミュ障だからと開き直っていた。
「結構、刺さったな」
何気ない一言だったかもしれない。
俺もその時は、ほとんど気にならなかった。半月以上経って思い出して、こんな風にしょげているのだから笑えてくる。昔から、こうやって過去を振り返ってはジメジメする。
そんな時に決まって、彼女が現れるのだ。
「あなた、独り言が多いのね」
「一人だからなあ。今はお濃がいるから、二人になった」
「そう」
口が上手い、という皮肉は聞こえてこなかった。
代わりに杯が奪われ、ぐいっと眼前に突き出される。
「注いで」
「いいのか?」
「飲めないわけじゃないのよ。知っているでしょう」
「いや、そうじゃなく…………まあ、いいか」
とくとくと酒を注ぐ。
前世の俺はビール派だった。
米で作った酒はもっとアルコールが強いと思っていたが、そうでもない。全く気付かなかったが、清酒を水で薄めて嵩増ししているという。詐欺行為だと憤ってみても、この時代では暗黙の了解だと言われたら何も返せない。
そのせいで大量に飲みすぎて、俺たちはぶっ倒れたのだ。
とんだ祝宴になったが、家督就任の祝いはまだだったなと今更思い出す。信行のことを考えると、どんちゃん騒ぎをしたい気分になれない。お市は末森城に戻るのを嫌がって、那古野城での生活を始めてしまった。異母兄弟の何人かも傍仕えを伴って、那古野城へ移ってきている。
他の城にいる親族には注意しろと、それとなく言われた。
敵が多すぎてウンザリする。
寝所まで忍び込んでくる暗殺者はいなくなり、毒殺も起きていない。実際のところは滝川一族が未然に防いでくれているのを俺は知っている。逐一報告してくれないだけだ。
「あなた」
「ん?」
「酔ったわ」
ふわっと香りが強くなる。
柔らかい何かが当たっている。いや、包み込まれている。なんだ、何が起きているんだ。俺は一体どうしてしまったんだ。パニック状態に陥って、心臓の音が頭に響く。
「どうして、触れてくれないの」
「え、あ……な、何が?」
「とぼけないで」
頬をつねられる。爪が痛い。
「蝮の娘だから? 言葉をくれても、何もしないのは他に好きな女がいるからなのでしょう? それでもいい。だから、わたくしを」
「お濃、待て。何か誤解していないか?」
「待てないわ」
「え、ちょ……お濃さん!? ここ、外――」
俺たちは結婚して以来、初めて寝所を共にした。
NAISEIチートなんて知らないったら知らない




