43. 兄、再び
「…………誰か忘れている気がする」
泥のように眠って、目覚めたその日のうちに末森城を出た。
往路と同じく、非常に重い空気が一同を包んでいる。そんな中で、馬に揺られながらの呟きはやけにはっきりと聞こえた。俺が喋ったんだから、俺が一番よく聞こえて当然なんだが。
「信広様じゃないっすか?」
「ああ、三郎五郎様か」
「だ……」
「あの幼い姫様を乗せて、爆走したらしいな」
舎弟たちの会話に、久しく会っていない異母兄の存在が浮かんだ。
「そういえばいたな、そういうのが」
「若。さすがにそれは、本人の前で仰らないでください」
「言わねえよ、義姉上に怒られる」
「あ、そっちなんだ……」
収穫期で知ったことだが、信広はちょいちょい村に出没しているらしい。
必然的に舎弟たちとも村の民とも顔見知りになって、それなりの関係が築けているようだ。俺は何もしていないので、なんだか蚊帳の外に置かれている気分である。
寂しいとか思っていない。断じて。
幼いお市を乗せて爆走とか、何を考えているんだ。
そんなのはゲームの中だけにしてほしい。
妹はあまりに怖すぎて、信広のことを記憶から飛ばしたに違いない。だから今の今まで名前が出てこなかったのだ。そう、俺はなーんにも悪くない。
「ん?」
「どうしたんすか」
「皆を集めた時に、知らない顔が一つあったような気が」
「それが信広様っすよ! 今思い出しました」
「使えねえ犬だな」
「うるせえよ、てめえだって今の今まで忘れていたくせに」
「貴様ら、喧嘩するなら徒歩で帰れ」
長秀がキレる寸前だ。鬼五郎左おっかない。
犬松コンビが震えながら、首をぶんぶん振っていた。いくら脳筋の体力馬鹿でも、城の影すら見えない距離を歩いて帰るのは辛すぎる。
俺が取り成してやってもいいが、考えているのは別のことだ。
親父殿の遺言通りに、俺が家督を継ぐ。末森城で宣言もしたし、もう決定事項だ。今後は那古野城で当主としての仕事をするのだが、定期集会みたいなものを行いたい。舎弟を集めて打ち合わせをしていたアレだ。
平手の爺に聞いてみるか。
過去の事例に倣うのが一番ラクだし、早い。俺流のやり方を混ぜていくことになるだろうが、ついていけない奴の面倒まで見る気はない。その辺のフォローができる役は家老に任せよう。
婚儀直後の療養中に行ったのは、結果報告を読むことだけ。
改めて当主が何をしなければならないのか、確認する必要がありそうだ。
そんなことをつらつら考えているうちに、那古野城へ着いた。きちんと睡眠をとったので、いつもの地味顔だ。お市に泣かれるのは嫌なので、そこは十分気を付けた。
「おにいちゃま、おかえりなしゃい!」
「ただいま戻ったぞ、お市!」
二度の失態は犯さない。
笑顔で突撃してきた妹を抱き上げ、高い高いをした。きゃっきゃっと喜ぶ様子は、自称5歳には見えない。村の子供よりも重く感じるのは、重ね着をしているせいだろう。
まだまだ小さいままでいてほしい。って父親みたいだな、俺。
「ふんっ、相変わらず能天気そうな面構えだな」
「誰だお前」
「な?!」
「のぶひろなのよ」
「そうか、お市は偉いな」
「えへへ」
「わ、私を……無視するなァー!!」
何故か、涙目で糾弾された。
信じられるか、これでも対今川戦線の勇将なんだぜ。
十代から戦場に身を置いていても、一度の敗北でこうもメンタル弱るものなのだろうか。俺は初陣の記憶すら曖昧なので、戦のおそろしさもよく分かっていない。
いずれ起きるだろう戦の為に、できる限りの準備はしている。
戦に何が足りなくて、何が有効なのかが分からない。そういう意味で、この信広という存在は使えると思っていたのだが見込み違いだったかもしれない。
お市を降ろして、信広との距離を詰める。
親父殿によく似た猛将顔だ。髭を生やしたらそっくりになるだろう。
俺の寝不足顔でびっくりしていた連中も、信広を見たら逃げ出すかもしれない。偽髭の用意が必要になるが、もう葬儀を終えてしまった以上は誰も騙されてくれない。
「兄貴」
「な、なんだっ」
「親父が死んだ」
「とっくに知っとるわ!! この小さいのに」
「ちいさくないもんっ」
「言葉を託して死ぬなど、らしくないことを。武人らしく戦場で死にたかったろうよ」
信広の目に涙はなく、しみじみと呟く。
そういえば俺も訃報を聞いてから泣いていない。その程度の情だったということか。怒りが引いていけば、胸にぽっかりと穴が空いたような気がする。吹き抜けていく風が妙に冷たい。
「ちいさくないったら! 市、いつつなのよっ」
「己を正当化する嘘を吐くのは感心せんな。まだ四歳なのは皆も知っていることだ」
「のぶひろキライ! おにーちゃま、市をいじめるの」
守ってと言わんばかりに、うるうる目で抱きつかれた。
幼いながらに末恐ろしい子だ。甘え方を知っているというか、どうやって自分の味方にできるかを理解している。そして俺は、最初からお市の味方である。
抱っこしたお市の頭を撫でつつ、信広を睨んだ。
「幼児虐待、ダメ絶対」
「だめぜったい」
「き、貴様ら……正室の子で結託しおって! ふふ、そうだ。どうせ、私は庶子にすぎんのだ。分かるか、私の気持ちが。いくつになっても、どれだけ頑張っても、認められない私の辛さがっ」
似たようなことを信行も訴えていた。
俺が嫡男であることを不満に思っている奴は多い。信広は側室の子だから相続権がないという考え方もよく分からないが、正室の子が優先というのは常識らしい。
それでも、これだけは言っておきたい。
「認めてもらえてただろ、親父殿に」
「…………私は、応えられなかった」
「兄貴」
お市の手を借りて、ぽんぽんと頭を軽く叩く。
「情けない顔するなよ。あんたは、俺たちの兄ちゃんだろ」
「しょーふくのこは、きょうだいじゃないって……」
「お市、それも間違いだ。母親が違っても、俺たちは皆兄弟だ」
「むう」
「さ、三郎。貴様は、私を必要としてくれるのか? 兄と認めてくれるのか?」
「もう認められているだろ、俺の村の奴らに」
信広の目がみるみる見開かれていく。
薄い膜が張ったかと思えば、ふよっと緩みかけた口を引き締めた。何故か俺を睨んで、人差し指を突きつけてくる。
「ち、違う! 分からん奴だな、貴様は。だから、うつけなのだっ」
「うつけですけどー?」
「ぐ、ぬ……ぬぬっ、やはり貴様は嫌いだ! 貴様なんか知るか!」
「言ってろ、馬鹿兄貴。単細胞。いじいじマン」
「私に分かる言葉で話せ、大うつけが!!」
「けんかはだめーっ」
お市の仲裁で、この場はとりあえず収まった。
それから数日の間、お市の「のぶひろも、おにーちゃまもキライ」が発動。乳母と一緒に帰蝶の部屋にこもってしまい、嫁ともども顔すら見せてくれなくなったのだった。
犬松コンビと同じくらいに、主人公と信広の(不毛な)喧嘩率が高くなりそうです




