42. 嘘から出た実
ただの茶番です
末森城の奥の間――。
上座に一人の男が胡坐をかいて、指をトントンしている。
ムスッと機嫌の悪い顔は、凶悪の一言である。なにしろ目の下にはクマができているし、頬は落ちくぼんでエラが張り、丸みを失った顎が面長の顔立ちを際立たせている。血色悪く、青白くみえる肌には髭がぼうぼうに生えていた。
白装束を着ていれば、立派な幽鬼の出来上がりだ。
「……殿」
「遅い」
「おそらく急なことゆえ、場が整うのに時間がかかっておるのです」
「遅い!」
「そのように駄々をこねても、小姓が怯えるだけでござる」
「だぁまれ、半介」
ぎろりと睨む男。ひぃっと小さく声を上げる小姓A。
眼力に定評のある信盛は、正面から睨まれても毅然とした態度を崩さない。そんな彼を肝の座った猛者として尊敬しつつも、この状況を更に悪化させないでほしいと願うのは何も間違っていないだろう。
かくいう俺も、その一人である。
「寝たい。今すぐ横になりたい。布団が恋しい。抱き枕がいい。あれがあれば、どこででも寝られる。今すぐ持ってこい。それで許してやる」
「はて。許しを請うべきことなどありましたかな」
「の、信盛様……っ」
小姓Aが涙目である。
こいつの名前なんだったかな。
名乗られていないし、聞くのを忘れたまま現在に至る。初対面で名乗るが筋なのだが、小姓の名を覚える必要はないとか何とか言われた気がする。当時はそういうもんかと思っていたが、小姓ってアッチ方面の処理も担当するのな。襲われそうになって反射的に蹴り出してから、名前で呼びたいと思わなくなった。
俺、ノブナガ。されど、性癖はいたってノーマル。
女好きだの変態疑惑だのが浮上しているらしいが、嫁一筋の純情ボーイだ。
結婚してから二年以上経っても、未だに寝所は別なんだぜ。ははっ、笑えるだろ…………いいから笑えよ。俺は泣きたい。
正常で健康な青年男子なんだぞ。
そろそろヤりたい。だが無理強いはしたくない。それとなーく平手の爺から世継ぎの話をほのめかされるし、あらぬところから隠し子が出てきてもおかしくないとか脅される。
主を脅すなよ。本気にするだろ。
「半介」
「は」
「目を開けたまま寝る方法を考えろ。五秒以内に」
「ふむ」
「瞼の上に目を描くのは却下な。自分で確認できん」
「その発想はなかなかに奇抜。一度試して」
「俺はやらんって言っただろ。お前の顔に描くならともかく、俺の顔にやるなよ。絶対にやるな。目を瞑った瞬間に爆笑されたら、寝るどころじゃなくなるだろうが」
「え、そこなんですか!?」
「ああ?」
「申し訳ありませんっ」
ひいぃっと小さくなる小姓A。
ちなみに小姓Bは「さすが信長様だぜ」と呟いている。小声になっていない上に、俺の真後ろに控えているので丸聞こえである。いつもの派手な格好でなく、髪と着物をきちんと整えた真面目の利家だった。
この馬鹿犬、もともと小姓として召し抱える予定だったらしい。初耳だ。
そこへ見知った顔が、バタバタと慌ただしく駆け込んでくる。
「の、信行様が参られました!」
「恒興ィ」
じろりと睨む俺、びくりと肩を竦ませる乳兄弟。
あれれおかしいな、なんだかデ・ジャビュ。
「いつまで待たせやがる」
「……はあ」
「恒興殿?」
いつになく歯切れの悪い彼に、信盛も首を傾げている。
俺の代わりに話を促してくれるのはありがたいが、質問の内容を明確にしなくてもいいのか。って、この短期間でサイボーグ吉兵衛に影響されつつあるようだ。くわばらくわばら。
恒興は廊下を見やり、釈然としない面持ちで頭を振った。
「それが、私にもよく分からないのです。信秀様が甦ったとか、何とか」
「…………修羅の国の人パネェ」
「殿」
コホンと咳払いをする長秀。
「いたのか、五郎左」
「最初からおりますぞ。今の殿は非常にお加減が悪うございますから、なるべく刺激しないようにおとなしく控えておりました」
「体調はいい。機嫌が悪い。あと、すこぶる眠い」
「ああ、目の下がすごいことになっていますね。おいたわしい」
「同情するなら、ここ代われ。今すぐ代われ」
「無理です」
きっぱり断る恒興。
嘘泣きを疑いたくなる切り替えの良さである。
そんな風にくだらない会話で時間を潰し、本格的に頭痛がしてきた。
俺が眠い理由は明白で、全然寝ていないからだ。
絶賛完徹なう。何日目か数えたら瞬間爆睡する自信がある。
ぶっちゃけ緊張して眠れなかっただけだが、最初はナチュラルハイになった。うっすら感じていた眠気が吹き飛んだことで、このまま事を済ませてやろうという愚かな考えが浮かんだ。これが拙かった。
もうすぐ末森城に着くかという頃になって、急に眠気が襲ってきたのだ。
この時代に風呂文化はほとんど発達していないため、毎日入浴するという常識がそもそも存在しない。身を清めるには濡らした布で拭くか、川に飛び込む。これを知った俺は、天然の風呂である温泉を探すように滝川一族へ命じた。
最初の命令がコレとか、全然おかしくない。切実な問題だ。
温泉がなかったら源泉掘り出すしかないと思っている。
そういえば、信玄の隠し風呂が有名だよなあ。
甲斐・信濃には温泉がたくさんある。
草津ともかく、別府は遠すぎるからダメだ。隠居してから行くのもいいなあ。早く隠居したい。20歳になっていないのに何を言っているんだと思われるかもしれないが、これから待ち受ける波乱の人生を考えるだけで頭が痛い。
こめかみを揉みたいが今、顔を触ったら寝る。
「頭いてえ」
「一通りの仕儀を終えた後でしたら、いくらでもお眠りください」
「五郎左、お前は鬼か」
「鬼五郎左ですが何か?」
くそ、皮肉も嫌味も通じない。
長秀は長い付き合いのせいで慣れてしまっているし、信盛はもともと性格が悪い。そして貞勝に至ってはサイボーグなので根本的に融通が利かない。藤吉郎もそうだ。敬語がうまく扱えないのは大目に見ているが、猿知恵がきくので口が達者である。
なんだかな、利家のお馬鹿な発言に癒されたい。
そう思って振り向いたら、大きな鼻提灯がぷっくーと膨らんでいた。
「……っ、この駄犬が!」
「あだ!? て、敵襲っすか!」
「後で覚えてろよ」
「っす」
キリッと顔を引き締めて頷いているが、何一つ分かっていない。
そうやって俺が眠気(強敵)と戦っているうちに、ようやく意中の相手が現れた。もちろん甘ったるい意味ではないのは、一気に緊張感を増した元舎弟たちの様子からもお分かりだろう。
「……父上」
「あ?」
「本当に、父上なのですか。亡くなったというのは、嘘だったのですね」
信行がおかしい。
憔悴しきった様子で、ふらふらと部屋へ入ってきた。
咄嗟に恒興が動こうとするのを、手で止める。
林のクソジジイも姿を見せたからだ。続いてジジイによく似た顔を蒼白にしたオッサンも、のろのろとおぼつかない足取りで現れる。そして葬儀で睨んできた髭面が、これまた死地に出向くような覚悟を決めた様子である。
あ、思い出したぞ。
このオッサン、林(弟)だ。髭面は、信行に仕える家老の柴田勝家か。
もう一人くらい来ると思ったんだが、案外少ないな。
「信行、俺だ」
「……はい、申し訳ありませんでした。父上」
「だから俺だっつの。俺、ノブナガ。お前の兄」
「え?」
ぽかんとする信行。おお、すごい間抜け面だ。
三人三様の呆然とした顔を堪能しつつ、ぺしぺしと肘置きを叩いた。
さっと膝を寄せてくる利家に顔と名前を確認する。
結果、間違いなく本人たちであるという言質がとれた。林(弟)は美作守と呼ばれているらしい。奴は生粋の信行派ということなので、俺に名前で呼ばれたくはないだろうから別にいい。
利家の記憶力には、絶対の信頼を置いている。
ついでに色々と知識を詰め込んで辞書代わりに使ってやろうと計画したこともあるが、興味のないものに関しては全く覚えられないらしい。使えるようで使えん奴である。
「こ、この大うつけめが! 我らをたばかりおったかっ」
いち早く正気に戻った林美作守が唾を飛ばす。
このオッサン、本当に俺のことが嫌いなんだなあ。林のジジイは止めるでもなく、こちらを静かに睨んでいる。もはや信行側についた、と思うべきだ。
罵声や嘲笑は飽きるほど聞いてきた。今更、どうこう思わない。
「落ち着かれよ、美作守殿」
「柴田殿、おぬしは腹が立たぬのか! 葬儀でこのうつけが何をしたか、その目で見たであろう。亡き御屋形様のご位牌に抹香を撒き散らかし、声高に罵る暴挙をな! あまつさえ、御屋形様の名を騙るなど正気の沙汰とは思えぬわ。こやつは……そうだ、気が狂っておるのよ!」
「これは異なことを」
ニヤニヤ笑いながら、口を開いたのは信盛だ。
「抹香を撒くは、仏僧がよくおやりになる作法でござる。聞くところによれば、幼き時にて勉学などの研鑽を積まれたとか。葬儀においては、仏僧の作法に拠った行動をなさったのでありましょう」
「な、なな……っ」
「それと美作守殿。貴殿は何やら、大きな勘違いをしておられぬか? こちらにおわす方こそ、我らが主と仰ぐべき御屋形様。先代様直々の命により家督を譲られた、弾正忠家の正統なご当主でござる」
「馬鹿なことを申すでない。そのようなことがあるはず――」
「美作守殿」
再び、勝家の静かな声が割って入る。
まだ呆然自失から戻りきれていない信行を一瞥し、溜息を吐いた。
林兄弟に比べれば、息子ほども年の差があるはずだ。毛深い体質なのか、日焼けしやすいのか、30代後半ぐらいに見えた。
「死人は蘇らぬ」
厳然たる事実を告げ、勝家は俺を見た。
どこまでも真っ直ぐで曇りがない。野性味あふれる外見に反して、その目は深い知性に溢れていた。腹の底まで見透かされそうな気がして、居心地が悪い。
「よく、似ておいでだ」
「親父殿にか?」
「左様」
さんざん地味だ、女のようだと言われてきたので意外だった。
あるいは寝不足で酷い顔になったのと、機嫌が底辺を這っているからだろう。確かに数少ない親父殿メモリーズも凶悪な顔ばかりだ。あれとそっくりだと言われても、あまり嬉しくない。
「……五郎左。ここは礼を言うべきか?」
「ご随意に」
わざとじゃない。挑発するつもりなんかなかった。
だが勝家はぴくりと眉を上げ、明らかに機嫌を損ねた表情になった。
口数の多い男でないとは聞いている。だが、どういう性格なのかは把握していない。少なくとも信行の傍にいて、害を与える存在ではないという認識だけだ。
「家督就任、祝着至極にござる。では御免」
「し、柴田殿」
林美作守が慌てた声を上げるも、勝家は振り返ることすらしなかった。
ずんずんと歩いていく音が次第に遠くなり、辺りが静まり返る。
「は、はは……ははは」
「信行?」
「これで満足ですか、兄上! 勝家からも認められて、さぞ嬉しいでしょうね」
「嬉しくないと言えば嘘になるが。信行、忘れたのか。勝家はお前につけられた家老であって、織田家中にはまだ直臣も陪臣もいるんだぞ」
「……そうですか。そうですね、その程度では満足できませんよね」
ダメだ、話が通じない。
いつからだろう。信行と話をしていても、すれ違っているように感じたのは。信行は俺じゃない俺を見ていて、俺も信行じゃない何かに話していた。
かみ合わないと感じた時、動くべきだった。
俺は逃げたんだ。
傷つくのが嫌で、人と深く関わるのが怖くて、当たり障りのない流されるままの人生を歩んでいた前世の俺と同じやり方をしていた。きっと信行が話していたのは、前世の記憶が溢れる前の俺なのだ。そして俺も、俺が信じたい「信行」に話しかけていた。
「今更、気付くなんてな」
「そんなの、とっくにご存知でしょう? 僕はその程度の人間なんです」
「信行様、何をおっしゃいます! 信秀様の血を引く者の中で、あなたほど次期当主に相応しい方はおりませぬ。そう何度も申し上げたではないですか」
「それは何度も聞いた。聞き飽きたんだ」
「の、信行様……?」
「僕は認められたかった。勝家に、兄上に、そして父上に……僕がいることを、ただ認めてほしかっただけなんです」
懺悔するように告げて、がくりと項垂れる少年。
『そっか。信行も苦しんでいるんだな』
『はっ、おかしなことを。重責から逃げ出した苦しみなら、自業自得ですよ。あなたに対する失望を、何度も聞かされる辛さが分かりますか』
昔、そんな会話をした。
「あれは、いつだったか」
思い出せない。
人を育てる時には、SOSを見逃すなと教えられた。小さな救難信号を見つけるのが大事だと会社の先輩が言っていた。後輩を育てるのも、人付き合いも同じことで、見つけてほしいと望んでいることを気付いてやれと諭された。
痛みを知り、痛みを分かち合う大切さを理解できたら、もう傷つくことは怖くない。
傷つくことを怖がる人間は、傷つく痛みを誰よりも分かってやれるのだと。
「戻りましょう。これ以上ここにいてはいけません、信行様」
「ああ、分かった」
ようやく喋ったジジイに引っ張られて、信行が立ち上がる。
「信行」
「……もう手遅れなんですよ、何もかも」
暗い目が俺を見ていた。歪な笑みを浮かべていた。
さようなら、という言葉が地に落ちる。
彼らが去っていくまで、誰一人として動かなかった。動けなかった、のかもしれない。今や完全に林秀貞は敵へ回った。信行もまた、俺との決別を覚悟したように思えた。
沢彦の「諦めろ」という言葉が、頭の中で冷たく響く。
「殿を寝所へ」
「あ、ああ」
「私が連れていきます」
長秀たちの声が、どこか薄い膜の向こうにあるようだ。
いつの間にか俺は眠りに落ちていて、目が覚めた時には頭痛も胸の痛みもなくなっていた。
柴田権六郎勝家:この頃はギリギリ20代。本作では、信行が幼い頃からの付き合いとしている。実直で寡黙、自他ともに厳しく接するタイプ
「御屋形様(信長)が参られた」という通達を「御屋形様(信秀)が参られた」と勘違いした小姓が犯人です。(追記:信秀は屋形号をもらっていませんが、作中の設定として呼ばせています)
余談になりますが、信行は母親似で、信長は両親の特徴を継いでいたために地味顔と言われ、同じく両方の特徴を持っているお市は女の子だった(うりざね顔は女性向き)ので美人さん扱い。んで、顔が痩せると凶悪面になります(劇的BF風)
信広は喋ると台無しなので、何故か親父殿に間違えられたことはありません




