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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
雌伏編(天文13年~)
48/284

39. 金色の野原

 季節は変わって、秋である。

 秋といえば色々言われるシーズンだが、今年の秋は一味も二味も違う。日本の田園風景といえば水田だ。稲作だ。金色に輝いて、たわわに実った稲の穂だ。

 これを竹千代にも見せたかった。

 あのマセた子供はもういない。

「かんどうだ」

 今、俺は生まれて初めてかもしれない達成感を味わっている。

 親父殿に言われるまでもなく、直接関わったことなんて雑草むしりくらいだ。荒れ地を耕したのも、水路を完成させたのも、分けてもらった種から立派に育て上げたのも、俺じゃない。

 ぽつぽつと家が点在する散居村が、広大な水田地帯に変わったからだろうか。

 見渡す限り、一面の黄金だ。

 全ての区画へ行き渡らせた水路が見えない。水車小屋の屋根と、水車はかろうじて見える。それくらいに背の高い稲が揺れている。薄い茶色の粒がたくさんついていて、なんだか重そうだ。

「まあ、こんなもんかのう」

 感動に水を差すような声の主は、藤吉郎だった。

「そうなのか?」

「もともと痩せた土地で、こんだけ育ったんじゃ。今まで使っとらんかった場所まで広げたのと、新たに水を引いたおかげかのう。って、信長様?! こ、こりは失礼をっ」

「農家の猿だったんだな、と今更納得した」

「そ、そんなあ……わしのこと、今まで何だと思っとったんですか。って、結局猿なのは変わらんのかいっ」

 一人騒いでいる猿は(面倒なので)放っておくとして。

 村の皆はどうしているかと振り向けば、達成感に浸るは早いとばかりに農機具の用意を始めている。区画整備をしても、全て手作業でやらなければならない。実った稲を眺めていても、白いご飯にならないのだ。

「ふむ、私も手伝ってやろうではないか」

「やめてくだせえ、信広様! 万が一、怪我でもされたら大変じゃ」

「馬鹿にするな。刀も鎌も武器として使えるのだぞ。何も変わらん!」

「そういう問題じゃねえっ」

 ここにいるはずのない人間が藤吉郎とやり合っている。

 ものすごく自然に馴染みすぎている辺り、少し前から村に顔を出していたのだろうか。誰も信広の存在を気にしていない。

「じゃあ、俺も手伝お――…」

「若殿」

 ぬうっと鉄面皮が割り込んできた。

 出たな、サイボーグ吉兵衛。紙の束と筆を構えている格好が、これ以上はないくらいハマっている。宣教師たちがやってきたら、眼鏡を送ってやろう。きっと似合うはずだ。

 そして俺は南蛮鎧や、西洋式マントを羽織って、革靴を履くわけだな。

 着物に慣れた今となっては、洋装に違和感を覚えるかもしれないと考えるだけでワクワクしてくる。来たる出会いのために、前世知識から英語を発掘するべきか。とはいえ、英語は苦手だったからなあ。辞書もないのに勉強とか、萎える。

 ちなみに帰蝶は城で留守番だ。

 来客があるらしく、朝から忙しそうにしていた。そして俺は恒興に雑務を押し付け、もとい信任した上で那古野村へやってきたのである。待ちに待った収穫を手伝うというイベントは、貞勝のせいで不発に終わった。

 隣村にも応援を頼んでいるが、一日では終わりそうにない。

 結局、五日ほどかかってしまった。

 藁を干すために並べた柵が、これまた壮観である。備蓄分は確保できそうだという藤吉郎の見立てに、ホッと胸をなでおろした。廃嫡云々はなくなったものの、年貢を納めるだけでは村を再考できたとは言えない。

 そこへ貞勝の無情な声が刺さる。

「備蓄? 何を寝ぼけたことを仰っているのですか」

「え」

「返済期限を忘れないでください。若殿があちこちに声をかけて借りた分はきっちり返さねば、商売として成り立たなくなります。今度は商人たちを飢えさせるつもりですか」

 貞勝が持っていたのは借財の覚書だった。

 俺たちが考えなしに買い付けた分、そしてツケにしてもらった分がずらずらと並んでいる。銀どころか、金何両と書いてある。とてもじゃないが、那古野村の収入では賄えない。

「お、俺のポケットマネーで支払うとかは」

「先日、津島より大量の酒と物資が届きました。こちらで支払いを済ませておきましたが、どれほど残ったか報告が必要ですか? 今年の税収如何では、若殿の直臣へ払う分も危ういかもしれません」

「マジか」

「質問の意図は明瞭、かつ簡潔にお願いいたします。それから先の言葉の意味を教えていただきたいのですが?」

「へ、へそくり?」

「把握している限りでは、一銭たりともございません」

 半ば呆然としながら、働く人々を視界へ収める。

 その中には当然、家臣として召し抱えた元舎弟たちがいた。楽しそうに民と語らいながら、汗水たらして働いていた。本来なら城で至れり尽くせりの待遇を受けているはずが、こんなところで土まみれになっている。

 彼らは望んでやっていることだ。

 それでも俺が動かなかったら、何も起きなかった。一年前は死に瀕していた村を救ったことに後悔はない。必死にやってきて、結果を出せたことは胸を張って誇るべきだ。

「困っているようだな、弟よ」

 泥まみれの親父殿、もとい信広が現れた。

 こうして見ると、どっしりした体格や面影がよく似ている。

「戦だ! 金がないのなら、戦をすればいい」

「現状で収入を見込める戦は予定しておりません」

「軟弱なことを。決まっているだろう、西三河を取り戻――」

「吉兵衛」

「はい」

「おい、私を無視するな!」

「はいはい、三郎五郎様はこっちへ来てください。あなた様にしか頼めないのです。是非、お力を分けていただけませんでしょうか」

「む、むう。この私の力を必要とするならば、仕方あるまい!」

 俺の舎弟たちに上手く丸め込まれて、単細胞のぶひろがいそいそと離れていく。

 おい、あんなに単純でいいのか。

 離れの屋敷を半壊させる勢いで喧嘩した俺は、おみつに怒られ損だ。やろうと思ってやったわけでなく、気が付いたら大惨事だったことはここで言い訳しておく。

 そんなことよりも金策である。

 馬鹿兄貴のアドバイス通り、戦をするわけにもいかない。

「どうすればいい?」

「大殿に頼むしかありませんな」

「ダメだ。絶対殴られる」

 俺はもう空を飛びたくない。二度目は数か月も寝込んだのだ。

 しかし、貞勝は顔色一つ変えずに言った。

「無計画に借用書を増やした代償と思っていただければ」

「…………痛いのは嫌だ」

「弾正忠家の次期当主様は、借金を踏み倒す暴君であるという噂が立ちますな」

 元はといえば、親父殿が年中戦をしていたせいだ。

 和議を結んでしまうくらいなら、最初から戦なんてしなければいい。末森城を建てずに古渡城を修復するとか、尾張の外へ欲を出さないで我慢するとか、鉄砲の大量購入を見送るとか、いくらでも節約できた。

「おまゆう……」

「は?」

「吉兵衛、内政関連は任せる。年貢の、税収に関してはずっと考えていたことがある。詳しくは五郎左に聞いてくれ。あと半介も何か始めたらしいから、そっちの報告も頼む」

「分かりました。それで、末森城へはいつ?」

 間髪入れずに刺してくるな。

 狐を思わせる細い目をもっと細めて、じーっと見つめる貞勝。どうせ熱く見つめられるなら、女の子がいい。いやいや、嫁がいい。熱くなくても、氷のような視線でも絶対嬉しい。

 そこへ髪を揺らしながら、幸が駆けてきた。

「ノブナガ」

「悪い、幸。俺は用ができた」

「宴はどうするの?」

「参加できそうにない」

「……そうなんだ、うん。わかった。残念だけど、仕方ないよね。皆もガッカリすると思うけど、ちゃんと伝えておくから」

「ああ、頼む」

 寂しそうな笑顔に、胸がしめつけられる。

 自分で縫ったという着物を着て、端切れで作った髪飾りでまとめた髪は艶が出ていた。最初に会ったころに比べると別人のようだ。きちんと毎日食べて、働いて、人間らしい生活をしている。

 ちゃんと十代の少女に見える。

 尾張国を統一すれば、彼女みたいな子供もたくさん抱えることになる。

 家臣も増える。

 働かざるもの食うべからず。金は無限に湧くものじゃない。

「殴られるのは嫌だなあ」

 一人城へ戻る足取りはとても、とても重かった。


**********


 今日は帰らないと言っていた夫が、夕暮れ前に現れた。

「ひどい顔ね」

「ああ、お濃か」

 勢いに任せて田畑を拡大したせいで、収穫に手間取っていると聞く。

 それも終わりに近づいたと、酒宴で祝うのだと嬉しそうに語っていたはずだ。意気揚々出発した朝とはうってかわって、妙に湿った空気をまとっていた。

 何かあったのだろうか。

「え」

 フラフラとよろめきながら帰蝶の前を、素通りする。

 ありえない。

 人の顔を見る度に気持ち悪い笑顔で、べたべた触ってこようとする信長がこちらを見ずに歩き去る。こんなことは初めてだった。婚儀に遅れてきた時ですら、顔をそらしたことはないのに。

「あなた」

「寝る」

「あ、ちょっと! お待ちなさい」

 改めて考えなくても、帰蝶は初めて信長の後を追いかけた。

 はっしと袖を掴む。

「あなた、かなりおかしいわよ。何があったのか教えなさい。気になるじゃない」

「金がない」

「は?」

「だから、親父殿に殴られてくる」

 意味が分からない。

 つい思考を止めた隙に、信長はふらふらと寝所へ入っていってしまった。

 本当に、そのまま寝てしまうのか。やることも考えることも多すぎて、抱き枕がないと眠れないと言っていた男が――。

 帰蝶はしばらく誰もいない廊下を睨んでいたが、さっと踵を返した。

「あら、姫様? 出迎えに行かれたのでは」

「今から文を書くから、お父様に届けてちょうだい。至急ね」

「は、はあ」

 由宇は怪訝そうにしていたが、説明してやる余裕はない。

 何がどうなっているのか分からないのは、こちらも同じなのだ。それでも父・利政ならば理解できるはず。そう思って帰蝶は一心に、筆を走らせるのだった。


好き放題やったツケが回ってきました(すごい今更感)

おまゆう:お前が言うなの略

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