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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
雌伏編(天文13年~)
34/284

27. ひとりぼっちの花嫁

やっと濃姫の輿入れまで来ました!

第一印象は最低最悪です(予定通り)

 天文18年2月、やけに空の青が目にしみる日だった。

 冬の寒さがいよいよ厳しくなる頃に、何が悲しくて冷たい水と格闘しなきゃならんのか。一益特製の地図をもとに線を引き、きちんと四角形の田んぼを整えていく。コメを計る升の統一は長期戦を覚悟しているので、目下の優先事項にとりかかっているわけだ。

 それでも、何か忘れているような気はしていた。

「今日は少ないね」

「ああ、舎弟どもにも色々あるからな」

「ふうん」

 今日に限って、村にいるのは俺一人だった。

 猿も何やら用事があるらしく、昨日から姿を見ていない。姿の見えない方が多い一益はともかく、恒興も珍しく忙しそうにしていた。竹千代は親父殿に呼び出されて、新しくできた末森城にいる。そんな日もあるよなと自分に言い聞かせて、一人寂しく馬でやってきたわけだ。

 地図の読み方が分からないなりに、子供たちが興味津々で覗き込んでいる。

 躾が行き届いているので、手を出すヤンチャ者はいない。

「ノブナガはひまなの?」

「暇とか言うな。今まさに、仕事中だろうが」

「ふうん」

 幸め、今日はやけにつっかかるな。

 地図に書き込めるものは書き終えて、くるくると巻く。俺が懐に入れているメモ帳と同じく、墨が乾くのを待つ必要がない特注品なのだ。さっと書いて、すぐ片付ける。手が黒くなりやすいのはご愛敬というやつか。

 そう、木炭ペンである。

 右筆を務める小姓が無言で訴えてくるので、とうとう根負けして分けてやった。墨を作る要領で細い棒状に成形するだけだ。手に持つ部分を布で包んで完成。

 折れやすさに気を付けるだけで、とても手軽に使える。

「遊んでほしいなら、そう言え。水路建設は、あいつらがいないと進められないからな」

「あそんでくれるの?」

「あそぶ!」

「ダメだよ。ノブナガ、忙しいんだから」

 その途端、ブーイングの嵐。

 子供たちのうるうるした目に見つめられ、俺は仕方ないなあと言った。

「ちょっとくらいなら」

「ダメだってば。お嫁さんくるんでしょ」

「…………はい?」

「さっき見たもん。すごい行列で、白い着物の人が馬に乗っていたの」

「いつ」

「だから、さっき」

 ヤバイ。

 さーっと血の気が引く。

 俺としたことが、すっかり忘れていた。

 その日が近づいてくるまでは指折り数えていたのだ。寒い日に来るのは可哀想だなあ、せめて部屋を温かくしとかないとなあって思っていた。それで恒興が忙殺されていたのか。奴が鬼気迫る様相だったのは、俺のせいだった。

「幸、またな!」

「しばらく戻ってこなくていいよ」

 寒波より冷たい送り出しに、俺のハートがひび割れる。

 転がるように村を出た。

 小さな子供でも、幸は女だ。花嫁を待ちぼうけさせていることに、かなり怒っている。そして俺は死に物狂いで馬を駆っていた。何人か轢き殺しそうになったが、構っていられない。

 下馬する手間も惜しく、門を突破する。

 悲鳴やら怒号やらお構いなしで、俺は馬から飛び降りた。忙しそうにしていた城仕えの者たちが、ぎょっとして立ち止まる。あちこちに石像を作りつつ、俺は先を急いだ。

 待望の嫁である。

 前世で恋人すらいなかった俺が、嫁を迎える。

 廃嫡寸前で縁談もご破算になるかと思いきや、幸いにして蜂須賀の目論見は外れてくれたようだ。いつの間にか結納の品が届き、婚儀の日取りが決まっていた。悔しがる男の顔を想像して笑っている余裕はない。

 当日に、すっぽかす新郎がいてたまるか。

「御免!!」

 俺、ノブナガ。只今参上。

 その場の全員が一斉にこちらを見た。当然のことだが、誰もが正装を着ている。泥まみれの汗まみれ、髪を振り乱した酷い有様なのは俺だけである。

 ふうふうと息を切らしつつ、上座を見た。

「遅い」

 すこーん、と額に軽い衝撃がきた。

 鈴を鳴らすような美声にクラッとしたが、額に物理的なダメージが加えられたのは確かだ。ころころと足元を転がっていくのは朱色が鮮やかな盃。

 投げたのは白無垢に身を包んだ花嫁である。

 綿帽子の下から、ぎろっと睨む目が怖い。さすがは蝮の娘だ。気が強いどころじゃなかったらしい。いや、すごく怒っているのは分かる。怒らせた自覚もある。反省もしている。

 それよりも何よりも、今の俺は一つのことしか考えられなかった。

 白無垢に負けない白い肌がほんのり紅潮して、赤い唇はきつく結ばれている。切れ長の目は大きすぎず小さすぎず、つんっと尖った鼻と見事に調和している。当たり前だが、俺の女装より数倍美人だ。いや、万倍美人だ。

「きれーだなあ」

 今度は酒入りの朱盃が飛んできた。

 べっしょり濡れた俺をこれでもかと睨みつけ、花嫁が退場する。慌ててついていったのは、美濃からついてきた侍女だろうか。姫様、姫様と呼ぶ声が遠のいていく。

「三郎」

 地獄の底より修羅来たる。

 案の定というべきか、婚儀の席であるから当然というべきか。武士の正装を纏っているのに、阿修羅の装いに見える俺は早くも酔っている。

「この、大たわけが!!」

 人生二度目のアイキャンフライ。

 逃げる暇なんかなかった。一益が腕を広げて待ってくれることもなく、俺は寒々しい庭にぼとりと落ちた。そのまま気絶したので、周囲が何を言っていたかまで知らない。

 顔の腫れが引くまで数日。

 あちこちぶつけたり、折ったりした箇所が治るまで数か月かかった。

 そして愛しの花嫁殿はその間、一度たりとも会ってくれなかった。


ノブナガ発明品その3「木炭ペン」...炭を蝋と粘土で混ぜ固めたペン。持ち歩きに最適だが、けっこう脆い。

ノブナガ発明品その4「俺メモ帳」...紙を小さく切って、糸で綴じただけ


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