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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
雌伏編(天文13年~)
33/284

26. 走れ、牛馬のごとく

 じっとしていられない寒さの中、今日も子供たちの賑やかな声が聞こえる。

「こっちだよ。じいちゃ、こっち」

「じっちゃ!」

「ほほ、そう慌てずとも逃げぬよ」

 両手を子供たちに引かれながら、平手の爺が歩いていく。

 まさしく好々爺といった感じで、心温まる光景だ。

 ちなみに息子の久秀も一応誘ってみたが、すげなく断られた。下々の民と関わりたくないだの、遊んでいる暇はないだのといった文句だったと思う。俺たちが変わっている自覚は十分あったので、気にしていない。

 平手の爺だけが、申し訳なさそうに肩を落としていた。

 息子が堅物だったと知らなかった俺はどう慰めていいか分からず、そこへやってきた救世主が幸たちだったというわけだ。あっという間に爺を囲んで、連れて行ってしまった。

 竹千代が俺を見上げて、ちょっと困ったように笑う。

「行っちゃいましたね」

「俺たちも俺たちの仕事をするだけだ」

「はい、三郎様」

 数日が経ち、俺は爺孫の供連れで村に通っている。

 一益は偵察に、恒興は城代として留守番だ。

 信盛は佐久間一族へ報奨が与えられたのを知ってから、少しだけ態度を軟化した。これも平手の爺が口利きをしてくれたおかげだ。つくづく、爺には頭が上がらない。

 さて、田んぼの様子を見に行くか。

 いくつか家を壊したせいで、広大な用地を耕すことになっているのだ。

「ぬおおおおおっ」

「どおりゃああああ!」

「ぐぎぎぎぎっ」

 はっきり言おう。むさい、男むさい。

 爽やかな蒼天の下、全身から湯気を上げながら気合いを入れる野郎ども。一番頑張った者には褒美を約束しているので、いつになく腰の入れ方が違うようだ。

「がんばれー!」

「がんばれー」

 爺についていった子供が少ないと思えば、ここにいた。

 両腕にどっさりと羽織やら何やらを抱えているので、荷物係をしているようだ。半裸になっている奴らはともかく、大量の衣類が寒さを軽減してくれる。ぴょこぴょこ跳ねては、羽織を落としそうになって慌てて持ち直していた。

 俺もずり落ちそうな着物を畳んで、上に乗せてやる。

「あ、ノブナガ…………と、竹坊」

「なんだ、幸か」

「こんにちは、お幸さん」

 竹千代が微笑むと、幸はぎろっと睨む。

 村の子供たちと馴染めないのは、彼女が原因ともいえた。

 竹千代とそう変わらない年頃だから遊び相手になるかと期待したのに、裏目に出てしまった形だ。仕方がないので、俺の秘書として連れ回している。東照大権現を小姓扱いできるのも、今のうちである。

「ノブナガもやるの? アレ」

「俺はさすがに無理だなあ」

「ふうん、もやしだから?」

「……チガイマス」

 不機嫌そうな幸がチクリと反撃してくる。

 器用さと覚えの良さが気に入られて、木下家で本格的に習い事を始めたと聞いた。猿を馬廻り衆の筆頭に据えたが、そのうちに利家の管轄へ組み込む予定だ。そうすることで、織田家中の反発も抑えることができる。

 猿こと藤吉郎の出世に合わせ、木下家の親戚も役目をもらうことになる。

 彼らだけ贔屓しているように見えるから、少なからず村での風当たりが厳しいようだ。死に絶える寸前だった村を丸ごと面倒見ているのとは違う。

 だが、そこまでフォローしてやる余裕はなかった。

 民の不平不満をどう収めていくかは、猿や利家の仕事だ。こうなることを予測して、長秀は俺に忠告してきたのだろう。事態は既に動き出し、俺はより多くの人材を求めている。

 そういう意味で、佐久間一族が丸ごと味方になったのは僥倖といえた。

「おお、若殿」

 汗まみれの顔を拭いもせず、信盛がズンズンと歩いてくる。

「それ外せ。どこまで耕す気だ」

「おっと失礼を」

 肩に掛けた荒縄を外せば、凄まじい土埃が舞い上がる。

 それもそのはず、舎弟たちが背負っているのは石と木で組んだ即席の耕作機である。壊した家の梁が残っていたので、再利用することにした。力任せにやらかしたせいで、家を支えていた木材は割れたり折れたりしている。この尖った部分で、固い土を耕すのである。

 ちなみに発案者は俺といいたいところだが、平手の爺だ。

 肉体の鍛錬にもなるし、壊れた木材が細かくなったら薪に使える。

 破片を拾い集めるのは子供たちの仕事だ。もし取り残しがあっても土に還っていくから、心配しなくてもいい。自然にやさしいって素晴らしい。

 ちなみに俺流耕作機の参考にしたのは、野球選手のトレーニング風景だ。 

 ゴムタイヤを紐で引っ張るやつな。今もやっているか知らないが。

 上の方で重石を追加すれば、引っ張るだけで田を耕していく。最初は一つずつ乗せていた石も、三つ以上に増えていた。信盛の耕作機にはなんと、鍬の刃がついている。

 俺の視線を感じてか、奴はにかっと笑った。

「失敗作でござる」

「本当に鍛冶師のところで作っていたのか」

「これは心外。拙者はもう二度と、若殿に嘘偽りは申し上げぬと誓い申した。平手殿にも多大なる恩を受け、一層の働きにて」

「あー、わかったわかった。やる気があるのはいいことだよな」

 口上を中断されて不満そうだが、俺は暑苦しいのも苦手だ。

「手当たり次第に耕しやがって…………あのな、ここに水路も引くんだぞ。忘れてないか? 水の通り道は底が柔らかいと、流れる前にしみ込んでいく。土管があれば最高なんだが……、この時代にコンクリートなんかないしな。作り方も分からん」

「どかん、でござるか」

「固く焼いた筒状の石、といえばいいのか? こう、丸の中を水が通る」

「ふむ」

「田んぼに水を入れるための通り道だから、適当に穴を空けて……塞ぐのは木の板を使う」

「塞いでしまうので?」

「入れっぱなしにすると溢れるだろ。鉄を使うのはもったいないし、金属は冷えると縮むんだよ確か。木の板なら、外すのには苦労しない。それでダメだったら、その時考えればいいし」

「ふむふむ」

「半介?」

「万事承知仕った。そのドカンとやら、拙者に任せられよ!」

 立派な胸筋を叩く信盛は、やけに自信満々だ。

 戦国武将の一人であることを忘れてないか、こいつ。土管を作ってくれれば、水路の問題は水を引くためのラインを確保するだけで済む。それも大変っちゃ大変なんだが。

 水を引いたが、田んぼに水が入らないとなったら苦労も無駄になる。

 近いうちに井戸も復活させないとな。

 最寄りの川から水をくむだけでも、相当な重労働だ。俺たちが村に来られなくなった途端、水不足で悩む状況は避けたい。

「やれるか」

「若殿は一言、命じるのみでござる」

「……頼む」

「仕方ありませんなあ」

 信盛が苦笑している。

 だって仕方ないじゃないか。俺はなるべく命令したくない。こればかりは個人的なエゴだ。命令をしたら、選択の余地がなくなる。命じた俺に全責任が降りかかってくる。

 そんなのは面倒だし、なんか嫌だ。

 俺が生きている世界は戦略ゲームとは違う、現実である。

 データリセットはもちろん、セーブ&ロードもない。

 死ねば終わり。前世の記憶がある俺が断言するのもなんだが、ノブナガとしての生は一度きりだ。やり直しはできない。

「さて、もうひと頑張り」

「がんばれーっ」

「がんばれー」

「おお。この半介の働き、とくと見よ!」

 子供たちの声援を受けて、信盛がまた土煙を上げて走っていく。

 入れ替わりに長秀が戻ってきた。利家と成政は互いに張り合って、休むタイミングが掴めないようだ。気絶するまで走り続けるというから、放っておくことにする。

 これは面倒だからじゃない。奴らの男気を認めているからだ。

「本当かのう」

「猿、文句があるならお前も走るか」

「いやいや、滅相もない! わしは、わしの仕事っちゅうもんがありますでのう。あの平手という御方は、何気に人使いが荒うて」

「藤吉郎! 若様の邪魔をするでないわ。早う、こちらへ来ぬかっ」

「わひゃっ、見つかってもうた」

 首を竦めた猿が、ひょこひょこ走っていく。

 どいつもこいつも楽しそうだ。

 皆が汗水たらして頑張って、村が息を吹き返す。あちこちで賑やかな声が聞こえてくる。そんな場所に俺がいることを、ふとした拍子に恐ろしく感じる。

 俺、ノブナガ。されど、信長。

 こんな俺が信長らしく、生きている確信はない。

 こんな風に過ごしていること自体が、歴史を歪めているんじゃないかと責める声がする。流されるまま生き、事なかれ主義だった前世の俺が怯えた顔で佇んでいる。

「それでも、俺は」

 何故か、続くべき言葉が見当たらない。

 熱くこみあげる何かはあるのに、うまく言葉にならない。

「俺は」

 未来を思うとき、俺はすごい顔で睨んでいるらしい。

 幸たちが顔を青くして、後退った。目の端でそれを捉えながら、俺はどこか遠くを睨んでいる。俺しか知らない何かを、俺だけが気付いている何かをじっと睨んでいた。


信盛が「若様」「御屋形様」呼びから「若殿」「大殿」に変化していますが、わざとです。

次から新章(気分的な問題)


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