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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
雌伏編(天文13年~)
30/284

23. 貞操を守れ

 どさっと転がされて、思わず呻く。

 お、落ち着け。落ち着くんだ。

 俺はノブ……もとい、わたくしはおノブ。織田氏の庶流、弾正忠家に仕える武家の娘。淑やかに、それでいて誇りをもって意志は強く。

 お市の乳母に何度も言われたことを、頭の中で繰り返す。

「なんだあ、コイツは?」

「へい。森の中をウロウロしてたんで、攫ってきました!」

 子分らしき男の声は浮かれている。

 まるで美味しそうな食べ物を見つけて喜んでいる犬だ。そういえば、利家たちはどうしているだろうか。体に触れている感じからして、土が露出している場所だ。

 盗賊の隠れ家といったら、洞窟である。

 ちょっと冒険心がくすぐられるが、探検している暇はないだろう。幸いにして縄で縛られているわけじゃない。動こうと思えば、いくらでも動ける。

「う、ううっ」

 わざとらしい声を出して、目覚めをアピール。

 まずは目を開けて、近くに何人いるかを把握しておきたい。武装しているなら相手をするのは避けたいし、不意打ちで倒せるのはせいぜい一人だ。声の野太さからして、相手はいい年をした大人である。

 やっぱり短刀持ってくればよかった。

 帰蝶姫のように閨でも短刀を忍ばせる心得を見習っておくべきだった。

「こ、ここは……っ、お前たちは何者です!?」

 どうよ、この演技力。

 最初は寝ぼけた感じに呟いて、近くにいた不審人物に驚く武家の娘だ。ついでに距離をとるために後退ったら、裾が思いっきりはだけてしまった。やばい、さすがに足を見られたら男だとバレる。慌てて戻して、足首から引き寄せる。

 すぐ立ち上がれなくなってしまったが、女だと思われている方が都合はいい。

 焦りから表情が硬くなっていたのだろうか。

「おーおー、怯えちゃってかわいいねえ」

 ニヤニヤと笑う男たちは、そこから動かない。

 可愛いとか初めて言われたぞ。全然嬉しくねえ! 女装しているから仕方ないとはいえ、皆で揃って「美しい」と褒め称えられたのに、これだから野盗どもは粗野でいけない。

 よし、観察を続けよう。

 男は二人。同僚ということはなく、どっちかが偉い。毛皮の上着を羽織っているが、その下は木綿か何かの古着に見えた。汚れ具合からして、着たきり雀の状況に違いない。

 なにしろ体臭がすごい。鼻が曲がる。

 ふいに男の一人が動いた。

「さ、触るな。無礼者! 不埒者っ」

 恒興のヒステリックな声を思い出して、叫んでみる。

「わめいても無駄だぜ。こんな辺鄙な場所に、助けなんぞ来るもんか」

「おい」

「なんスか? あ、気が利きませんで。どうぞどうぞ、あっしは後で」

 後も先もあるかー!!

 道理で、作戦を聞いた信盛が微妙な顔をしていたわけだ。

 着物を脱がしたら男なのはバレてしまう以前に、そういう行為があるかもしれないと気付くべきだった。この時代は死が当たり前すぎて、俺も影響されつつあるらしい。

 死ぬのも嫌だが、尻を狙われるのも嫌だ。

「見たトコ、それなりの家柄の娘だ。そんな人間が一人で、夜の森をウロウロするなんておかしいと思わねえのか」

「いや、一人じゃねえんで。小者がおりました、へえ」

「そいつはどうした」

「殴って、転がしときました。金になりそうなもんは何も持ってなかったんで、殺そうと思ったんですが女が騒ぎやがるんで」

「置いてきたのか!?」

「ぶへえっ」

 殴られた子分が、こっちに転がってくる。

 容赦ないだけでなく、力が強いのも分かった。それこそ正面からやり合うのは危険だ。頭もキレるようだし、野盗たちの頭目クラスかもしれない。

 うーん、それにしても子分の武器は使えそうにないな。

 使い古した鉈を腰に差している。とりついて、一気に引き抜くには向かない武器だ。大人しく助けを待っているのが上策と分かっている。だが尻は守りたい。

「フン、この程度で声も出ねえか。さっきの勢いはどうした?」

「……臭い」

「あン?」

「近づかないで。臭いがうつる」

 洗ったくらいで落ちるかな。

 ニオイ菌は洗剤を使わないと落ちない、とか聞いたことがある。汚さないでくださいねーと言われて、泥汚れくらいな何とかなるだろうって思っていた。甘かった。

「テメェ……、こちとら好きで獣みたいな生活してるわけじゃねンだよ!」

「ハチスカ!!」

 激高した男が掴みかかる寸前で、新しい人間がやってきた。

 くそ、間が悪い。子分が気絶しているから、今のうちにと思っていたのに。とりあえず諦めて、全身に行き渡らせていた意識を少し緩める。

 体術は沢彦に少し教わった。

 武術が上達しないことを相談したら、刀を振り回すよりも肉体そのものを鍛えた方がいいと助言してくれたのだ。確かに沢彦はムキムキの筋肉質な体型ではないのに、かなり強い。

 細い体には、細い体のやり方があるという。

 だから、もやしとか言うな。しまいにゃ泣くぞ!

「ん? 蜂須賀、だって?」

「俺様のことを知ってンのかよ」

「ええと孫六だか、助六だかっていう」

「小六だ」

 ムスッとして名乗る髭面の男。

 獣のような眼光は林のジジイや、美濃の蝮を思い出させた。俺の背にぬるい汗が滑り落ちる。正真正銘、こいつは強い。蜂須賀小六といえば、秀吉に仕えていた盗賊上がりの男だ。

 なんで覚えているかって、墨俣の一夜城で有名だからだ。

 あのイベントを成功させるためにどれだけ苦労したか、ってのはどうでもいい。まず失敗しないはずの策すらこなせないヘッポコ軍師ぶりを見せつけた因縁あるゲームの名前が――。

「お、おい、なんで泣くンだよ。今更泣くのかよ!」

「違うし。これは汗、心の汗だし」

「痴話喧嘩かあ、ハチスカ? 嫁にするにゃあ、もったいねえ器量だな! どこで拾ってきたんだ、こんな別嬪さん」

「うるせえよ、そこの阿呆が森で拾ってきた」

「はあん? さしずめ家出娘か。いいんじゃねえの、嫁にすれば」

 嫁嫁うるさい。

 後から来たのは蜂須賀と同じくらいの身分らしいが、随分と気安い仲のようだ。それに今すぐ始めようとした子分と違って、ガツガツした空気がない。見るからに臭くて、野盗っぽい恰好をしている男たちも、身綺麗にすれば違った印象になるのではなかろうか。

 俺はピン、ときた。

 大変だ。今宵の俺は冴えまくっている。女装を思いついた時には自覚しなかったが、眠っていた才能が目覚めた気分だ。

「お前たち、美濃の人間だろう」

 その瞬間、顔色を変えた男たちがサッと身構える。

 予想はしていた。もっと下種い奴らだと思っていたが、そうではないかもしれない。美濃の蝮と話す前なら、その認識を変えなかった。織田を、尾張を揺さぶるために悪質な手段を用いたのだろうと考えたかもしれない。

「目的は偵察か? 女に嫌がられるような変装をしてまで、ご苦労なことだ。命令とはいえ、さっさと終わらせて帰りたいって思っていたんじゃないのか」

「テメェ、ただの女じゃねえな?」

「ますます面白いじゃねえか。おい、蜂須賀。お前がいらねえっていうんなら、俺がもらう」

「はあ? 何を言っ――」

「でぇりゃあああっ」

 気合い一発、扉が吹き飛んだ。

 木製の扉があったことも驚いたが、ちょうど扉を背にしていた男が海老反りになって倒れる。その向こうでは、カンフー映画さながらのポーズを決めた成政が会心の笑みを浮かべていた。

 間髪入れずに雪崩れこんだ舎弟たちに、蜂須賀も捕らえられる。

 気絶した子分もろとも、縄にかけられた。

「て、テメェ……最初から狙ってやがったのか!」

「悪いな、男を相手にする趣味はない」

「ご無事ですか、三郎様」

「ああ」

 長秀に助けられ、俺はゆっくりと立ち上がった。

 手足首に違和感はないし、殴られた腹も幸いにして痛くない。狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めなのが息苦しいだけで、心はむしろ安定している。

 仲間がいるって素晴らしい。

「さ、さぶろう……だって? お、男?!」

「こちらにおわすは弾正忠家がご嫡男、織田三郎信長様にあらせられる。大事な若君に狼藉を働いたこと、きつく罰を申し与えるゆえ」

「あー、待て待て。ストップ、五郎左」

 しぶしぶ中断した長秀は不満げである。

 気持ちはわかるが、恥ずかしいから止めてほしい。恒興がやりかけた口上の続きを、こんなところで聞かされるとは思わなかった。俺は先の副将軍でも、大店のご隠居でもない。

「この野盗どもはな、利政殿の家来衆だ。下手を打つと、面倒くさいことになる」

「まことですか!?」

「マジよ。自分で名乗ってたからな」

 ニヤニヤと笑いながら目配せすれば、蜂須賀は顔を真っ赤にしている。

 憤怒の形相である。うわー、こわいなー(棒読み)。

「姫様のお相手が、このような変態だとはな! そら、さっさと縄を解け。殿に、縁談の破棄を進言申し上げる大役ができたわ」

「あのな、蜂須賀。女だと言った覚えもなければ、女装趣味でもないっつの」

 ぽりぽりと頬をかきながらため息一つ。

 歯が立たない強い野盗集団の正体はこれだった。

 なるほど、討伐隊が返り討ちにされるわけである。元敗戦兵の野盗は足軽や、身分の低い武家が多い。戦から逃げ出す程度の根性で、腕っぷしが強いわけもなかった。

 そうなると、信盛の行動に答えが出てこない。

 毒殺未遂の後に味方宣言、野盗の活発化。信行に近づく守護職の動き。

「あ! テメェも、変態若様の手下だったのかっ」

 美濃衆の調子のいい方が突然、叫ぶ。

 え、俺? 違う。その後ろだ、って言われて振り向けば信盛がいた。利家たちも予想外のことにポカンとしている。ただ視線を集めている本人だけが、覚悟を決めたような難しい顔をしていた。

 いかんいかん。また思考の海に沈むところだった。俺の悪い癖だ。

「……ハッ。三郎様を変態呼ばわりすんじゃねえ!」

「やめろ、馬鹿犬。んで、半介。聞きたいことは山ほどあるが、後で聞かせろ。成政、縄を解いてやれ。長秀、他にも捕まえた奴がいたら集めとけ。俺は利政殿に書状をしたためる」

「はっ」

 こうして、野盗騒ぎは終了。

 美濃の蝮からは後日、詫びの品と言い訳を並べた書状が届けられた。

 これが那古野城ではなく、古渡城へ運ばれたものだから大変なことになった。村の再建も終わっていないのに、俺は親父殿に呼び出されて一部始終を説明する苦行を味わう。

「あー、酷い目にあった。なんとか女装アレはバレずにすんだぞ」

「姫様の乳母殿も口の堅い方で助かりましたね」

「全くだ。……半介は自主謹慎中か」

「村で生活しているそうです」

「真面目なんだか、そうじゃないんだか分からない奴だなあ。経緯はともかく野盗一掃できて、俺への疑惑も晴れたんだからヨシとすりゃあいいのに」

「そう簡単にいかないのが、人情というものでしょう」

「ん~、そういうもんか」

「そういうものです」

 穏やかに微笑む恒興を見ていると、なんだか不思議な気分になる。

 若様、若様と騒いでは口喧しくて仕方なかったのに、野盗の一件から急に大人しくなった。同じく殊勝な態度に徹している信盛とは、何か通じるところがあるのだろう。

 ちなみに犬松万トリオは、何一つ関わっていないことになっている。

 彼らが堂々と家臣を名乗れるのはいつの日か。

「あれ?」

「若様、どうなさいましたか」

「なんか忘れている気がする」

 首を捻って思い出そうとするのだが、あと一歩というところで出てこない。

 なんとなく物足りないような、モヤモヤした感覚を抱きながら村へやってきて気付いた。共同住宅の片隅で、泥と葉っぱまみれの少年がいじけている。

 子供たちが面白がって、つんつん突いて遊んでいた。

 その名は木下藤吉郎。ちょっと前に元服したのに、誰も祝ってくれなかった猿である。


蜂須賀小六(正勝):美濃出身、斎藤利政(道三)の家臣


後の秀吉の家臣であり、墨俣一夜城で有名な武将です。講談で元野盗一味であったことや、少年時代の秀吉とやり合った話を聞いたので、少しいじってみました

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