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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
天下統一編(元亀4年~)
263/284

220. 悪童たちは茶室に集う

ノブナガ、その正体をバラす

 最初は古寺だった。

 舎弟たちを集め、大人に隠れて色々な話をした。といっても基本的に俺が主導権を握り、舎弟たちはそれに倣う形だ。まず行動指針を立てて、それに意見を出し合う。

 こういうものがほしい。あんなのをやってみたい。

 今思えば、尾張統一までが俺の意志だったような気がする。それ以降は流されるままというか、喧嘩を売られたから買う。助けを求められたから、事態の解決に向けて行動する。そんなことの繰り返しだった。

 あの地が欲しい、と明確に言ったことはないと思う。

 食べ物に関しても、欲しければ自分で作ればいいと考えてしまう。なければ諦めるし、貿易で手に入るのなら何を売るか考える。

 昔は「天下統一」といったら全国制覇だった。

 日本という国、日ノ本という世界がどんな感じなのかも知らないで適当なことを言っていた。織田信長だからできると、根拠のない確信を抱いていた。とりあえず流されていけば、なんだかんだで本能寺の変まで行きつくだろうと軽く考えていたのだ。

 歴史は変わらない。変えられないと、思っていたから。

 自分だけこっそり逃げ出せばいい、と。お濃が、愛する家族が、付き従ってくれる家臣が、民のことが大事だと思っているくせに、最後は何もかも放り出すつもりでいたのだ。

(突き詰めたら、そういうことだ。違うとは、言えねえよな)

 岐阜城の茶室は、きっちり正方形の区画で設計されている。

 もともとあった城を増改築した際に、この茶室も増やした。今では茶道が武士の嗜みとして広まりつつあるが、茶道具のコレクションに関してはイマイチ理解できない。刀と同じ扱いで献上品として届いたものは、箱のまま蔵に眠っている。

 お高い茶道具は怖くて扱えない、というのもある。

 俺がいつも使うのは、つくろいの跡がある美濃焼の器だ。初めて舅殿に会った時、話の流れで真っ二つになった茶碗だと知る者はいない。無銘の焼き物なのに、信長の所有物として後世に伝わっていたら笑えるな。

 俺が主人をやる時、作法は特に問わない。

 内緒話が気になって落ち着かない信忠から勧めてやれば、やや緊張した面持ちで茶碗を受け取っていた。お前の爺さんの持ち物だと言ったら、どんな顔をするだろう。

 一口含んで、眉を寄せる。

「……にが」

「まだまだガキだなあ。図体だけでかくなりやがって」

「にが! わざと分量間違えただろっ」

「ちっ、バレたか」

「父上!!」

「内緒話するってのに、騒いでんじゃねえよ。外で聞き耳立ててる奴らがこぞって乱入して来たらどうするんだ」

 ぎょっとして、あちこち見やる信忠。

 実にからかい甲斐がある。抹茶は苦いものだという先入観があるせいか、あまり苦味を感じないと物足りなくなる。それに苦い方が落雁も美味しく感じる。

 平然と茶碗を傾ける俺に、胡乱な視線が二つ。

「あんた、舌がおかしいぜ。美食家の名が泣くぞ」

「そうですよ、こおひいといい、薬草茶といい、良薬は口に苦しにも程があります」

「ハーブティーは体にいいんだぞ。女性陣には人気だ」

「だからって、そればっかり勧められてもなあ」

 遠い目をする慶次は、おまつのことを思い出しているらしい。

 彼女もハーブティーにハマった一人である。一匙の蜂蜜をたらすと格段に飲みやすくなるのだが、慶次にはそのまま振舞っているのかもしれない。歯磨き習慣を徹底する際に、蜂蜜は虫歯の原因だって言い聞かせたからな。まあ、仕方ない。

「文句ばっか言うなら、もう話してやらん」

「も、申し訳ありませんっ」

「おとなげないぞー、第六天魔王」

「慶次は少し、父上に気安すぎると思う。いくら許されているからって」

 ぶつくさ言っている息子はさておき、前置きが長くなったので本題に入る。

 茶碗を置いて、火の始末をすれば、ことこと煮えていた茶釜も次第に大人しくなった。俺は脇息を引き寄せると、頬杖を突く。すっかり長話をする際の定番スタイルになった姿勢を、行儀が悪いと指摘する者はいない。

「俺、未来からやってきた転生者なんだ」

「……は?」

「転生っつーと、輪廻転生のあれかい」

「あれだ」

 へえ、ほお、と気の抜けた相槌だけが返ってくる。

 さすがに現実味がなさすぎて、二人とも実感がわかないらしい。信忠なんかは俺の真意を探ろうと思考を巡らせているらしいが、まだ何も始まっていない。

「過去に一人だけ、これを話した相手がいる」

「母上ですか?」

「いずれ話すさ。お濃に死なれたら、俺も生きていける気がしないからな」

「ってことは、話した相手は死んでるってことか」

「わ、私は死にたくないです! それとも父上は、私が死んでもいいと思っているということですかっ。そんな、未来からやってきたとか、転生だとか」

「言われてみれば、あんたの発想は時代を先取りしすぎている。昔に死んだ魂が生まれ変わったんじゃなく、未来で死んだ魂が過去に生まれ変わったってのも大概に信じがたい話だが。俺たちをからかうためだけに、そんな与太話をするような人だとは思っちゃいない」

「け、慶次は……父上が本当のことを言っていると?」

「ああ、疑う理由がないね」

「それは、確かに。だけど、父上が未来から……でも、だったらどうして!」

「どうして九郎は死んだのか、か?」

「先の時代から来たのなら、信治叔父上を死なせないことだってできたはずです。父上が止めたら叔父上だって、きっと! ……っ、それとも信治叔父上に話したから? 叔父上は父上が転生者だと知ったせいで」

「違う。俺が話した相手は、平手政秀。俺についた傳役で、お濃と逢わせてくれた恩人で、この世で一番……孝行したかった人だ」

 何もできなかった。

 死なせまいとした行動は無駄になった。爺を殺した奴はまだ生きていて、俺の行く先々で邪魔をする。その全てを明るみにしても、処罰できない。子供時代からの恩師が邪魔になったから、排除しようとしたと思われても仕方ない。

 信行も、側近たちも、奴を殺せない理由を知っている。

 俺の一言で、その手を汚す覚悟もしているかもしれない。坊主は長生きする奴が多いとはいえ、奴は俺よりもずっと年上だ。俺が、奴よりも長生きすればいい。奴が望む展開だけを阻止できればいい。

 死ぬほど悔しがって、恨んで、往生しやがれ。

「………………まあ、そいつのことは、今はいい。信忠も関わろうとするな。監視はついてるし、何かあった時には対処できるようにしている。もう二度と、思い通りにはさせない」

「父上、ですが」

「繰り返させるな」

 奴に対する黒い感情を表に出したくない。

 飢えた獣を解き放つような真似は、したくない。織田信長は苛烈な性格だったというのなら、俺もそうなる可能性がある。激情に囚われ、目の前が真っ赤に染まった経験は後味が悪いものばかりだ。

「いいか、信忠。施政者として、常に冷静であれ。私情を挟むな、とは言わない。俺たちだって人間だ。国を形作るものは人間だ。人間の社会は、人間によって動いている。人間としてあるべき感情を除外すれば、ロボットと同じだ。お前はそんな主君になるな」

「はい」

「未来から転生したが、俺はこの時代のことを詳しく知らない。前世の記憶なんて年を経るごとに忘れていくもんだ。大まかなことしか覚えていない」

「そういうもんか?」

「そういうもんだ。他の転生者は知らないが、俺は」

 小心者のダメ人間だった。そう言いかけて、止めた。

 この時代における織田信長に比べたら、名も残らない雑兵以下だ。戦になったら足軽として出陣して、真っ先に死ぬやつ。だから俺は、一人一人の名を覚えていようと思い至ったのかもしれない。名を惜しむよりも命を惜しめ。生きてこそ、成せるものがある。今は無理でも生きていれば、いつかは成せる。

 目標に至らずとも、努力は自分を裏切らない。頑張った過去は消えない。

「俺は知ってる。織田信長は天下統一できない。道半ばで倒れることになる。俺が天下統一しないと言い続けてきたのは、それだけじゃない。織田家には天下統一できない理由がある」

「それは、何ですか。私が後継として不甲斐ないからですか」

「まーだそれ言ってんのか。いい加減やめろ」

「で、ですが」

「織田が天下統一できねえのは、俺にその気がないからだ」

「ぶはっ」

「慶次!」

 思いっきり噴き出した慶次は、腹を抱えて爆笑している。

 今頃は茶室の外でもずっこけている輩がいるかもしれないが、乱入してこないだけ褒めてやるべきか。天下統一事業は、言う程に簡単なものじゃあないのだ。

「まずノウハウがない。今までの幕府は武家のリーダーという形として征夷大将軍の地位を得ているが、これを与えていたのは天皇だ。あくまで朝廷が頂点にあって、公家衆とは別に武家が存在し、これらをまとめていたにすぎない」

「今じゃ、守護や国守もあったもんじゃあないからなあ。各地の有力武将たちが納得するだけの統率力が求められるわけか」

「父上なら、皆を認めさせることができるはずです。やらないうちからできないなどと言わないでください」

「いや、よく考えろよ。信忠、全国の戦国武将たちを従えるのはお前だぞ?」

「えっ」

「ああ、そういや隠居するんだっけ」

「そっ、あ!? た、確かにその通りで……で、でも! 私だってやれば」

「できない。無理。無茶無謀」

「ううっ」

 顔の前でひらひらと手を振れば、信忠がたちまち情けない顔になる。

「あと二年くらいで家督譲る予定だった。二年で本気の本気を出せば、確かに天下統一できなくもない。その後が続かない。信忠の代で、崩壊する。乱世に逆戻りだ」

「うわあ、バッサリ。泣くなよ、若様」

「ないてない」

 実際、秀吉の死後に天下は割れた。

 秀頼にだいめが天下人としての器だったかどうかが問題じゃない。秀吉のやり方では、正しく天下統一できなかったからだ。家康が幕府をひらいても、世の中が落ち着くまでに代替わりして三代将軍が誕生している。

 長く続いた乱世に、戦ばかりの日々に人々が慣れてしまった。

 平穏を望みながら、平穏な日々を甘受できない。一揆は坊主共が民を煽動して起きるものだが、戦は地位ある武将たちが引き起こすものだ。相手がいなけりゃ喧嘩はできない。売られた喧嘩は買うものだ。それが武士だ。

 武士から刀を奪うことは、死ねと言ったも同然。

 この辺りの考え方から変えていかないと、天下泰平は無理なのだ。ということを説明してやれば、信忠は頭を抱えていた。慶次は何やら思案顔だが、笑い飛ばす気分は失せたようだ。俺が口を閉じると同時に、重い沈黙に包まれる。

「ふうん? 秀吉が次の天下人で、その次が家康か。どっちもあんたが生きている間に天下獲りの野望を抱きそうにないんだが」

「だって十年経ったら俺、死ぬから」

「はああぁ!?」

「やかましい」

 素っ頓狂な声を上げた信忠を、ハリセンで黙らせる。

「心配するな。病気じゃねえよ。……まあ、色々あってな。俺と信忠がまとめていなくなったもんだから、後継者争いが始まって、最終的に秀吉が勝ち残った」

「父上を倒したのは九州おおともですか、中国もうりですか。それとも北条、上杉、いやまさか東北の!?」

「だから落ち着けって」

「これが落ち着いていられますか! 父上が死ぬなんて、そんなっ」

「なあ、信長様。あんたが死ぬのは天命か?」

「おそらく。だが俺は死ぬつもりねえから」

 にっと笑う。

 ちょっと話しすぎた気もするが、まだまだ先の話だ。秀吉はともかく、家康が天下人の名乗りを上げるまでに何年もかかる。その頃には皆仲良くジジイである。織田家臣の中で、家康をどうこうしようと考える輩はいないだろう。秀吉はともかく。

「また於次丸が石松丸と間違われて襲われるのも可哀想だからな。今後は二人とも、俺が面倒を見ることにする。もう五つだし、勉強を始めるのに遅いってことはないだろ」

「猿には釘を刺しておきますか」

「なんでだよ。奴は出世街道を駆けのぼってもらわねえと困るんだから、近いうちにデカイ仕事を頼むことになるだろう。おねねには悪いが、時間が惜しい」

「信長様。俺は何をすればいい?」

 慶次がひた、と視線を合わせてくる。

 ここまで話しておいて除け者なんて許さない、という眼だ。一所に落ち着いていられない雲のような男、風来坊だと噂されていることは全く気にしていないらしい。おまつや利家に心配をかけている自覚はあるのだろうか。

(いや、ほとんど俺のせいか)

 慶次が持ってくる情報はどれも価値が高い。

 越後に向かわせたのは、兼続と出会ってほしかったからだ。越中併呑は、わざわざ俺が言わなくても勝手に軍を進めていただろう。信玄がいなくなっても、越中を巡って戦をしていた過去は消えない。軍神なら、中途半端に手を引くことはない。

 軒猿衆についても情報がほしかったが仕方ない。

「あ、そうだ。風魔一族って知ってるか」

「北条家に仕えてる忍だな」

「なら、風魔小太郎の情報。それから東北の動きもできる限り」

「北条とやり合う予定でもあるのかい?」

 俺はすぐに答えず、肩を竦めた。

 天下統一を果たすなら避けて通れない道だ。秀吉が小田原攻めを始めるまで、俺が生きている保証はどこにもない。人生五十年で終わらせる気がない、というだけだ。その先はノープラン。せっかく楽隠居するんだから、戦だ天下だっていうのとは無縁でありたい。慶次には、俺が去った後のことを頼むことになるだろう。

 と、いうのはまだ言えない。

「ないことを祈る。それで信忠、奥平の件はどうなった?」

「父上の助言通りに、徳川の姫君と奥平の嫡男が婚姻を結ぶことになりました」

「へえ」

 助言した覚えはないが、とりあえず頷く。

 亀姫といえば、家康の長女だ。娘婿となったら、もう徳川家の身内である。今後は離反しようなんて考えないだろう。戦国最強が黙っていない。それに奥三河が徳川領となった以上、武田家にも動きがありそうだ。

「一つだけ聞いておく。もし徳川と武田が戦になったらどうする」

「家康殿にお味方します」

「いいのか? 勝頼は松姫の兄だぞ」

「姫は塩川家の養女です。武田とは縁が切れています。……それに」

「ん?」

「もし四郎勝頼が戦を望むなら、避けられないのだとするならば。私は織田家の嫡男として、受けて立つべきだと考えます」

「そうか」

 息子が「男」の顔をしていた。

 凛として前を向き、堂々と発言する様子にちょっと複雑な気分ではある。なんかこう寂しいというか、悔しいというか。上手く表現できる気がしない。信忠がいつまでも自覚しないで、駄々をこねていることを苦々しく思っていたはずなのに不思議なものだ。

「戦後処理までが戦だからな? 分かってんだろうな」

「も、もちろんです」

 うーん、ちょっと不安だなあ。

 頼りない部分を見つけ、微妙にほっとする俺がいた。


側近たちは忙しくて、盗み聞きどころではありませんでした(ノブナガの勘違い)

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