177. シの覚悟
賑やかな祭りが終われば、寒い季節がやってくる。
「大成功だったよな、うん」
収穫祭にしようと思いついたのは今年が大豊作だったからだ。
在庫過多になっていた米や麦を一気に消化できたし、屋台メシ定番のあれこれを試す良い機会になった。海から山から各地から、様々な品物が集められて物産展のような様相を呈していたところもある。尼子衆の印刷技術に関してはまだまだ実用化まで至らないのに、勝久が質問攻めに遭って涙目だった。
もちろん俺は助けない。
表向きはノータッチ、という方針だからな。いつの間にか知る人ぞ知る発明家扱いされていて、今回もスコップやプランターが織田印つきで売り出されていた。問屋たちが集うスペースでは、津島商人を堺商人がフォローする珍しい場面もあったようだ。
仲良しさんで、実に喜ばしい。
そして結局、蜂蜜飴は門外不出の品となった。長利と信包が何かやらかしたらしい、ということしか聞いていない。年長者は敬え、と教えておくべきだった。
ともあれ、5日の日程はあっという間で。
片付けが始まっている城下町の一部では、二日酔いに苦しむ馬鹿どもがうんうん唸っている。岐阜城の大広間も酒臭さが抜けるまで何日かかるか。
そうそう、その宴席で秀吉が改姓宣言をした。
『長秀殿と柴田殿から一文字ずついただいて、羽柴と』
はて、台詞の続きは何だったか。
凄まじいブーイングの嵐で(物理的に)もみくちゃにされていたような気がする。猿のくせに生意気だの、ようやく武家の仲間入りしただの、祝福の言葉は少なからずあったはずだ。長秀とは日吉と名乗っていた頃からの付き合いがあるし、利家繋がりで勝家にも何かと世話になっていた秀吉である。
酒と拳をしこたま食らうのも、織田流の歓迎だろう。
これで改姓を勧めたのが俺だと判明したら、秀吉は次の夜明けを拝めなかったかもしれない。その辺りは嫉妬まみれの家康が助言してくれたので、大変助かった。そこまで懐かれた理由はさっぱり分からんが、家臣団の操縦に関しては家康に敵わない。
今の徳川家臣に反信長派は皆無、という一益の報告がある。
何をどうやったのか知らないが、義景や長政にも教えてやりたいくらいだ。越前・近江は揃って家臣の内部分裂を起こしている。三好長慶が生きていたら、六角氏を焚きつけるなどして戦乱の大火を起こしていただろう。
屋台メシ制覇に燃える頭巾男から、当時の泥沼は想像もできない。
束の間の平和だなあなんて和んでいたのは、最終日までだ。
「うちは託児所じゃねえんだぞ」
手にしていた図案をぽい、と放り出して頭を抱えた。
浅井万福丸に茶々、武田の末姫、太郎義信改め又八郎信直、蒲生鶴千代が岐阜城にて滞在中。この中で織田の血をひいているのは、姪の茶々だけだ。なんでも内津茶を飲んだら産気づいたとかで、長政が命名したらしい。
あいつも大概にネーミングセンスが残念だな。
残る二人の姫は初と江。万福丸を見て、表情を固くしていたお市には複雑なことだろう。俺としては、この先も長政が生き延びてくれないと次の姪が見られないわけだ。
非常に業腹だが、お市は近江国へ返さねばならない。
「……いや、ダメだ。長政が来い」
「お市様との婚儀が済むまでは、ちょくちょく来ておりましたのう」
「近江を織田領に。それで解決」
「越前と若狭も支配下に置けば、加賀への対応も楽になります。越後との関係が友好であるうちに、手を打つべきではありませんか?」
「お前らな」
猿はともかく津田監物、下間頼廉は久しぶりの対面だ。
いよいよ手を借りる時が来たので呼びつけたはいいが、ぶつけてくる内容は側近たちと変わらない。時代は、どうあっても俺に天下統一一歩手前まで行ってほしいらしい。
「信長様に治めてもらった方が、民は幸せになれるんじゃ」
「羽柴殿の仰る通り、顕如様もそれを期待しておられます。新たに支配下へ置いた土地をそのまま統治するのではなく、新旧どちらも採用する。働き次第で評価が変わるため、自然に競争する姿勢が生まれる。敵も、味方も」
「褒めるなら褒め言葉だけで終わらせてくれ」
「何故、楠十郎を生かしておくのですか?」
「命の恩人だからだ」
頼廉が軽く目を瞠り、監物の片眉がぴくっと動いた。
長政のことを笑えない。
いや、ずっと前からそうだった。嫌なことや面倒な話から目をそらして、見ないふり気付かないふりをして、事態を悪化させたのは一度や二度じゃない。時間が何もかもを解決してくれる、なんてひどい妄想だ。
俺の知らないところで上手く転がったのも、俺のために皆が頑張った結果だということを知っている。俺はそれに甘えてきた。
伊勢国人衆としての楠家は、既に信包へ忠誠を誓っている。
次期国主である茶筅丸か、北畠家には膝を折る気になれなかったようだ。とはいえ、茶筅丸はこれから成長していく。国主の器たりえなければ、信包に実権を移す。
我が子は可愛いが、そのために国を潰すわけにはいかない。
「…………長島も、割れたか」
「一色龍興を処罰し、長益殿に一任すればよかったのです。彼は茶人としても名が売れています。そして織田家は仏教の宗派に留まらず、他宗教にも寛容。重税をかけることなく、民に重きを置いた政を一貫しています」
「十郎は違う、と言いたげだな」
「少なくとも、あの男では民を幸せにすることはできませんよ。復讐心に囚われ、甘言を吐く男の囁きしか聞き入れません。そして、あの男が狂う前に慕っていた民も少なくないのです。特に前の城主がいた時代を知る者たちは、あの男によく助けられていたようですから」
「共に地獄を見た縁、か」
傭兵とはいえ、僧形の監物が言うと重みが違う。
生き地獄を味わい、死ねば天国へ行けると信じている民は多いということだ。一向宗の門徒はまさしくそれだろうと言いかけたが止めた。なんだかんだいって、俺は恵まれている。
殺されかけても飢えたことはない。
人も、獣も、数えきれないくらいに殺してきた。どちらも生きるためにやったことで、気持ち悪さや罪悪感はとっくに麻痺している。民に優しくするのも、巡り巡って自分のためだ。
「戦はいつ」
しんと静まり返った室内で、問いかけが鋭く突き刺さる。
「春。というか、長政が本格的に軍を動かすまでは何もできん。俺が先に動いちまうと、あいつの覚悟が台無しになるからな」
「のう、信長様。わしの考えを言ってもええですか」
「ええぞ」
「越前と近江が割れとるように、若狭も割れとるかもしれんでしょう。じゃから、相手が『こりゃかなわん!』と思うような圧倒的勝利が必要だと思ちょります。信長様がじっと耐えておられるんも、よう分かっとるつもりです。今までの信長様なら、とっくに城を飛び出しとるはずじゃ」
「…………」
「それじゃあ、いかんのでしょう? あくまでも長政殿に花を持たせたい。長政殿が此度の乱を見事収めたなら、きっと誰もが長政殿を認めずにはいられん。お市様も、堂々と長政殿の所へ戻ることができる……。じゃがのう、信長様。どうあっても牙を剥きたがる愚か者もおりますでしょう。そいつらまで、許してやらんでも……いいでしょう?」
「知った風な口を利くな」
じろりと睨んだ俺に、秀吉はふっと笑う。
「大丈夫じゃ。信長様はなーんも知らんで、わしらが勝手にやらかしたことにすればええ。長政殿にはあらかじめ、殺してもいい家臣の名前を聞いて」
「やめろ」
「後の禍根を断つ、という意味では賛成しますよ。不穏な空気は加賀にも広がりつつあります。能登やそれ以外の豪族が動き出すと、少々厄介なことになります。ひとたび一揆が起きれば、鎮圧するのは簡単なことではありません。それこそ大きな犠牲を払うことになりましょう」
「大丈夫じゃ、信長様。いつもの戦をするだけじゃ」
織田軍は神速を貴ぶ。
そして負ける戦は決してやらない。不敗伝説とまでいかなくても、勝率の高さから俺に信頼を寄せている織田家臣も少なくなかった。長政よりも先に軍を出せば、侵略戦争になる。
だが長政が危機に陥るのは――。
「ん?」
「如何しましたか」
怪訝そうな三人に片手を上げ、俺は記憶をたぐる。
織田信長は圧倒的な強さを誇っていた。だがピンチに陥ったこともある。長政を警戒していたのはお市の夫になるということもあるが、織田信長を裏切った男だからだ。しかも家臣の裏切りとは違う。
そして思い出した。
「そうだ、金ヶ崎だ!!」
「へ?」
「猿! 丹波の宗勝へ……いや、爆弾正へ密使を送れ。もう耐えられない、織田家から出たいので手を貸してほしい。雪解けを待って、若狭攻めをする織田軍を急襲する。あわよくば、信長の首を獲るつもりだ、とな!」
「む、無理じゃ。無理無理!!」
「うるさい。命令だ。め、い、れ、い、だ」
襟首を掴んでガクガク揺さぶれば、揺れた回数だけ頷いた。
その反応に満足した俺は、すぐさま行動へ移らせるべく尻を蹴飛ばす。転がるように部屋を出ていった秀吉を、頼廉が憐憫の情をもって見送った。
「若狭国から越前へ攻め込むつもりですか。朝倉にも何か文を送るべきでしょうね。そう。浅井殿の軍を攻めるように、と」
「成程。織田軍が到着次第、矛先は逆臣へ」
「これなら、秀吉の言った通りに圧倒的優勢な状況を作ることができる。しかも長政のために一致団結した形になるだろう。若狭国内に寝返りそうな奴がいるなら、今のうちに引き込んでおきたいところだな」
「松永殿に任せておけばよろしいのでは? あの者ならば、隠された意図を汲むことくらい造作もないはずです。むしろ、あなたは余計な行動をするべきではないでしょう」
「信用ねえなあ」
「我らは信頼している」
「おう、ありがとよ」
監物の無機質な目がふっと柔らかくなった、気がした。
聞けば、生駒家の援助で根来衆監修の新型鉄砲が完成したとか。
精度に劣る種子島を改良し、暴発の危険性も格段に減った。今は鉄砲の量産が始まっているらしい。吉乃が言っていた「商売」とはそれか、と今更ながらに納得する。吉乃は控えめな性格だから言わなかったんだろうが、俺の嫁たちは三人ともが働き者で助かる。後でたっぷり褒めてやろうな。
硝石に関しては伊勢国内で効率的な生産が検討中だという。
茶筅丸とその傳役が一枚噛んでいるような気がしてならないが、大砲の時代はまだ遠い。それこそ鉄砲玉を作るくらいなら、お玉を作りたい。でっかい中華鍋、フライパン、寸胴鍋にエトラセトラ。それらで作れる料理を指折り数えていたら、知らず涎を垂らしていたようだ。小言を垂れ流しつつ頼廉に世話を焼かれながら、興味津々で聞いてくる監物に料理の素晴らしさを説いていた。
紛らわしいので以後、武田の末姫は「松姫」とし、利家の嫁さんは「おまつ」で固定します(という面倒なことになるから、お犬の方を出さなかったのに…)
ついでに余談ではありますが、秀吉が「羽柴」を名乗り始めたのはもう少し先になります。武家の仲間入り~のくだりは木下家が尾張国の一農家だからで、織田家臣の羽柴家に成り上がったのを祝福した意をこめています。見栄とか名乗りって大事ですから。
ああ、長浜(秀吉がもらう予定の城)が遠い。




