173. 養子縁組
「父上! ご無事ですかっ」
血相を変えて走ってくる若者に、つい目を瞠る。
父って呼んだか、今? こんなでっかい息子なんかいたかなーと首を傾げていたら、後ろから「若様」と叫びながら信盛似の青年が走ってきた。
「あー、なんか見たことあるぞコレ」
「見たことあるどころか、君の息子だよ」
「士別れて三日なれば刮目して相待すべし、ってやつか」
「呂蒙ですね!」
うん、確かに俺の息子だ。
三国志が好きすぎて暗唱できるというのは本当かもしれない。有名なエピソードだから知っている人間も多いかもしれないが、三国志ネタを出しただけで嬉しそうにするのは奇妙丸くらいだ。ぱっと輝いた顔をたちまち険しくして、隣の信純を睨んだ。
「父上を止めるどころか、二人だけで国を出るとは何事だっ」
「お前が言うな、奇妙丸」
「ですが、父上! 武田の追手が」
「それも片がついた。虎のおっさんが軍を動かすような真似をしたお前に、又六郎を注意する資格があるのか」
「で、ですが……」
「デスガもカスガもねえ!」
怒鳴ると同時に体が動いていた。
がつっと鈍い音と手応えに、俺は殴った相手を凝視した。奇妙丸じゃない。勢い余って廊下に転がったのは信盛似の青年だった。名前もちゃんと覚えている。
「甚九郎」
「処罰はどうか、我らに。今更、言い訳はいたしません」
「やめろ。そんなことは望んでない!」
「二人まとめて縛っとけ」
「はっ」
親衛隊は、たとえ嫡男だろうと容赦しない。
呆然としている奇妙丸を眺めつつ、残りの面子も広間へ連れてくるように命じた。岐阜城へ戻る前に話しておくべきことがある。
信純にはお艶を呼んできてもらう。
少しだけ精悍さを増した利治と、相変わらず色白のなよっちい半兵衛、野生の獣みたいな青年が森可成の息子・勝三で、僧形の男が義信か。寺に幽閉されたから出家したのか、死んだことにされたから出家したのかのどっちかだな。
あとは縛られたままの甚九郎と奇妙丸。
一人ずつの顔をじっくりと観察し、三年近く離れていた時間を想う。甲斐国へ着くまでにも色々あっただろう。背が伸びて声替わりも済んだ奇妙丸は正直言って、かなり見違えた。頑張ったなと褒めてやれないのが心苦しい。少しだけ、ほんのちょぴっと。
「時間が惜しいから、報告などは後回しだ」
「え、いいの?」
「面倒くさい」
「三郎殿、本音が出てるから」
きょとんとする半兵衛のせいで、口が滑った。
数度咳払いして、仕切り直す。
「坊主の名前は気に食わんから、……太郎義信」
「はい」
「貴様は還俗し、織田一門に入ることを許す。今日より又八郎信直と名乗れ。こっちの又六郎信純が、後見人となる。喧嘩するなとは言わんが、そこそこ上手くやれよ」
「私に、織田姓を名乗れと仰るのですか」
「死んだことになっているんだから、どうとでもなるだろ。一応、実の親から許可は得ている。清州同盟のことは知っているな? 同盟相手である徳川家と今川家は敵対している。ゆえに織田が親今川派に傾くこともない」
意味は分かるよなと言えば、義信改め信直は静かに笑んだ。
「承知しました。死ぬ前の縁は全て、ないものと考えることにいたします」
「ねえ、義母上って呼んでもいいのよ?」
「お艶様!」
「だって、そういうことでしょう。わたくしは別に構わないわ。坊丸に兄ができるなんて素敵じゃないの。三郎もたまには、イイコト考えるのね」
「たまには、は余計だっつの」
今初めて聞かされて驚いているだろうに、お艶はにこにこ上機嫌だ。
反対に信純はかなり不機嫌である。俺以上に、彼女があっさり受け入れることは予想していたに違いない。だから、あれほど嫌がったのだ。とはいえ、お艶の言うことも一理ある。坊丸は幼すぎて、正式な城主になれるのは十年以上先だ。
今後も信純に色々動いてもらうことを考えれば、信直の存在は大きい。
「それから奇妙丸と愉快な仲間たちは、一年の謹慎を申し渡す。この期限を迎えるまで、岩村城を出ることは許さん。分かったな?」
「……分かりました」
奇妙丸は物言いたげだが、今は聞いてやれない。
利治がほっと表情を緩めているので、もっと重い処罰も想定していたか。比叡山の坊主をやりこめたり、遠山氏追放のきっかけを作ったり、甲斐国滞在中も何かやらかしていたりするので、差し引きゼロどころかプラスなのだ。
信玄との対談後、信純と話し合って決めた。
それまで大人しく聞いていた半兵衛が軽く首を傾げる。
「ねえ、愉快な仲間たちって僕たちのこと?」
「他に誰がいるんだ」
「そのまま対武田の防衛に回れ、って聞こえたんですけど。僕の聞き間違いじゃないですよね。それならそれで、今後の軍備体制について話しておきたいかなあ」
「勝手にしろ」
「はーい」
相変わらず緊張感のない奴だ。
その神算は凡人の俺には想像もつかない。
国境付近の武田軍は退いていったとはいえ、今度は堂々と攻めてくる。一点集中か、多方面への同時展開か。駿河・遠江両国の問題も解決しておらず、同盟破棄を知った家康が救援要請を送ってくるかもしれない。
言うべきことは言ったので、広間の外へ出た。
話し合いは頭イイ奴らでやればいい。
「ふーっ」
空に向かって息を吐く。タバコが欲しいぞ。
秀吉はそろそろ但馬国に着いた頃だろうか。
石松丸のためだと言われたら、賭けのことを持ち出されなくても許可を出していた。今の秀吉は独自の兵力を持っている。その大半が農民や没落武士だというのに、どういう魔法を使ったのか。木下軍団の仲間意識と連帯感はかなり強い。
「うっかり但馬国を落としてこないといいが……」
丹後の一色氏は義昭に友好的だ。
播磨国内は別所・赤松・浦上の三つ巴になっている。別所安治は六条襲撃の際に援軍を出してくれたり、赤松家は娘を侍女に出そうとしてくる辺り、義昭には友好的だと思いたい。ただし、互いに険悪なので戦乱が終わらない。
なんかこう、代理戦争やらされそうな予感がする。
ん、違う?
お手紙公方が動けないので、織田軍が代わりに出向いて行って乱を収めてこい的なアレだ。毛利軍からのお願いは尼子家が関わっていたので、今回は言われるままに兵を出した。
「将軍の要請を拒否ったら、上洛命令を無視した奴らと同類だよな」
ぼりぼりと首の後ろを掻く。
追い詰められるか、勢いがつかないと動けない辺り、我ながら情けないとは思う。オセロのように周りを囲んだら、一気に反転していく展開はそう簡単に起こらないものだ。
乱世は終わらせなければならない。
それは、分かっている。
他の勢力を潰しまくって全国制覇しても、天下泰平は成らない。そもそも俺は天下人になるつもりも、なりたいとも思っていないのだ。家康や秀吉がどんどん勢力拡大していけばいいなーと思っているのに、なかなかそうもいかないだけで。
なまじ力があるから悪い。
俺みたいなダメ人間は、すぐ使ってみたくなる。
そういう考え方自体がダメなんだと分かっているが、どうにも踏み切れないラインがある。信玄はだてに甲斐の虎なんて呼ばれていない。何でもお見通しだった。
「隠居したい」
「どうしてですか?」
「もう疲れた。田舎に引っ込んで、庵を建てて、家族とのんびり暮らしたい。……そうするには、まだまだ世の中を変えないといけないんだよなあ」
「どうすれば世の中が変わるんでしょうか」
「ん~。とりあえず各地の戦乱を――…」
「父上?」
隣に息子がいた。
知らないうちに成長して、ほとんど背丈が変わらない。声も低くなった。子供っぽさが抜けて、女受けする綺麗な顔だ。眉が細くて長いので、動きがよく分かる。
どことなく帰蝶の面影があった。
「奇妙丸」
「はい」
「いくつになった」
「15になりました」
「そうか。お前に弟が生まれたぞ」
「えっ」
「於次丸という。ああ、謹慎中だから会えんなあ。可哀想になあ」
奇妙丸が出奔してから、随分と色々なことが起きた。
奇妙丸は出奔して、随分と色々なことをやらかした。
考えても考えても息子を労わる言葉が出てこないのだ。無茶なことをしたお冬は褒めてやれたのに、すぐ近くにある頭を撫でようという気が起きない。
「俺は16でお濃と結婚した。18で家督を継いだ」
「はい」
「元服したのはお濃に会う前年、15の時だ」
「は、い」
「お前は13で元服したいと願い、叶わなかった。この先一年は不可能だし、お前が元服しない限りは弟たちも元服できない。その意味が、分かるか」
「申し訳ありま」
「謝るな!!」
びくっと細い肩が揺れた。
まだまだ成長期だ。
これから更に伸びて、俺は抜かれるかもしれない。俺と違って筋肉がついて、しっかりした体つきになるかもしれない。その成長期が完全に終わるまでは、元服させない。幸か不幸か、茶筅丸たちは奇妙丸よりも3歳年下だ。
男子は15歳で元服する。
「18だな」
「えっ」
「なんだ、不満か? じゃあ、19で」
「父上!」
悲鳴じみた声に、俺は笑った。
泣きそうな顔は見慣れた息子の顔だ。誰よりも早く元服したがった奇妙丸は、誰よりも遅く元服するというのも一興じゃないか。あと4年、それだけ猶予があれば何とかなる。
「苦労は、させないさ」
親父殿が急死して、それはもう大変だった。
奇妙丸にはそんな思いをさせたくないと決めたのに、もう忘れかけていた。息子のために信玄が覚悟を決めたなら、俺も息子のために腹を据える。
二人で見上げた空は、目に痛いくらいの青だった。
その後の織田親子
父「あ、そうだ。ちゃんと又六郎に謝っとけよ」
子「えー」
父「あれで根に持つタイプだから、今のうちに謝らないと……」
子「今すぐ行ってきます!!」
織田信直...通称は又八郎。信純と養子縁組をして、藤左衛門家を継承する。
その正体が武田信玄と三条夫人の子、太郎義信であることを知っている者は少ない。




