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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
信長包囲網編(永禄12年~)
206/284

172. 虎の挑戦状

【お知らせ】今月から隔日更新(奇数日)になります

 気が付いたら、俺と信純は山中の庵にいた。

 何がどうなったかって、武田側から迎えが来たのである。国境付近の山県軍に見つからないように、絶対ついていくと聞かなかった小姓たちの目を盗んで城を出て、兵士がいなさそうな場所を選んだと思ったのに。

「織田尾張守殿とお見受けいたす」

 熊面の親父――――秋山虎繁あきやまとらしげと名乗った――が仁王立ちしていた。

 そういえば、こいつもいたなと思っても遅い。表向きは同盟関係を維持しているとはいえ、やすやすと通過できるなんて思っちゃいなかった。二人なら何とかなる、という甘い考えがあったのは否定しない。

 強行突破を試みなかったのは、

「お館様の読み通りでございましたな。どうぞ、ご安心を。このようなところで首を獲る、などという真似はいたしませぬ。大人しくご同行いただきたい」

 にこりともせず言い放つ男に敵意を感じなかったからだ。

 むしろ、大いに呆れているらしい。

 たった二人で、しかも武装もせずに岩村城を飛び出してくるとは思わなかったのだろう。身軽な方が動きやすいのと、地味顔の俺なら没落武士のふりもできる。以前の失敗を踏まえて、織田木瓜が刻まれた印籠は置いてきた。

 その代わりに野宿の準備はバッチリだ。

 腰回りに妙な視線を感じるので、近くにいた兵士に刀以外の道具を預ける。片手鍋に始まって荒縄や火打石に携帯食料、塩や薬草類はもちろん、なめした革と金属類と竹とエトセトラ。一つずつ並べるだけで辺り一帯が道具だらけになる。

 何故か、隣の信純までが呆れた顔になっていた。

「重くないの?」

「鞄と短筒は置いてきたから、軽い方だぞ」

「十分、あやしいから」

 道理で出発する時点で妙な溜息を吐かれたわけだ。

 何を言っても無駄だと、俺のやることだからと早々に諦めたらしい。そんなこんなで雑談しつつ、護衛なんだか監視なんだか分からない兵士諸君を巻き込みつつ、わりと和気藹々とした空気のままに信濃国の森を歩いていった。

 信玄も別荘感覚で、あちこちに庵を持っているという。

 なんて羨ましい。

「俺、隠居したら苔生した庵を建てて、そこに住むんだ……」

「道三殿の庵があるじゃない」

「それだ!」

「ぶはっ」

 背後で熊男が睨んでいる気配を察知。

 笑いの発作が始まった信純を引きずり、庵の中へお邪魔しまーす。

 はい、今此処。

 どれくらいの広さまでが庵と呼んでいいのか分からないが、俺たちの招かれた庵は結構広い。門があって、井戸があって、庭らしき一角もあって、壁で仕切られた部屋がある。そんな堂々とした佇まいが、森の中に突如として現れたのだから驚いた。

 綺麗な少年に案内される。

 男娼か、男娼なんだろうな。色小姓っていうもんな。老いてますます盛んなのはいいことだが、せめて女にしとけよ。三人の嫁がいる俺としては、ハーレム上等とだけ言っておく。

 それ以上はホラ、墓穴掘るから。

「虎のおっさん、いるかー」

「あっ」

 非公式の対談だ。作法なんか気にしていられるか。

 少年を押しのけて障子を開ければ、肘置きに体を預ける老人がいた。剃髪してから久しい頭は毛の一本も生えておらず、代わりに顔の半分が白くてフサフサなものに覆われている。小太りな体型からして、赤い帽子と赤い服が似合いそうだ。

「よう来た。おぬしらだけかの」

「ああ」

「そういうところは変わらぬか。やれやれ」

 まあ座れ、と勧められるままに俺たちは腰を下ろした。

 小姓は席を外すように言われ、さりげなく整えられた庭が障子によって見えなくなる。そうやって締め切られた部屋の中で、俺は鼻をヒクヒクさせた。

 この臭いは覚えがある。

「痛み止めか?」

「ほう、さすがじゃな。臭いだけで分かるとは」

「たまたまだ」

 痛み止めと止血、消毒は必然的に詳しくなった。

 戦には怪我がつきものだ。せっかく拾った命も怪我がもとで動けなくなり、死に至る時もある。的確な処置を早く行えば、酷いことにはならない。

「体、かなり悪いのか」

「情けない顔をするでないわ。今日明日に死ぬことはあるまいよ。わしの場合は持病のようなものじゃ。死ぬ時がくれば、おのずと分かる」

「…………」

「それよりも、うつけ殿」

「何だよ」

「おぬしの悩みを晴らしてやろうと思うての」

 ゆるりと目を細め、信玄が言う。

「やめろ、聞きたくない。そもそも悩んでなんかねえし」

「武田にあって、織田にないもの。貨幣による流通拡大の難航は知っておる。金山が欲しくはないか? わしが抱える金山衆は質の高い金を生み出すことができる」

「鉱山病の対策が甘い。うちじゃ抱えきれん」

「それに黒川金山は、そろそろ枯渇すると思いますよ。その過酷な労働環境の対価として、金山衆は様々な融通が利くといいます。同じ待遇を期待されても困りますね」

 地下資源は有限だ。

 信純が言うからには、根拠のない話でもないのだろう。武田領に複数の金山があったから、甲州金が誕生した。細かい単位まで指定しているが、市井にまで流通していない。日本製の銅貨は粗悪銭ばかりで、枚数通りの価値がないというのが常識だ。

 毒対策のことも考えて、銀の方がいい。

 毛利家が尼子家を攻めたのも、領地に石見銀山があったからだ。

「なんじゃ、つまらん。誰もが鉱山を欲しがるものだというのに」

「ボケたのか、おっさん。甲斐・信濃の鉱山は武田家が所有しているだろ」

「そうですよ、信玄公。三郎殿が鉱山目当てに戦を仕掛けるわけがないじゃないですか。どうしても攻め込んでほしいなら、武田領でしか作れない特産品をちらつかせないと」

「おい、又六郎。まるで俺が食いしん坊みたいに言うな」

「違うの?」

「違えよ!」

 この時代にブドウはあっただろうか。

 高地であることを利用した野沢菜栽培は、確か武田領のどこかだった気がする。名前しか聞いたことのないほうとう鍋にも興味があるし、有名な信州蕎麦も期待大だ。

 しかし織田領にしなければならない理由は、どこにもない。

「今まで通り、取引を続ければいいだろ」

「武田は遠からず滅びる」

 思わず息を呑んだ。

「四郎では後ろ盾が弱すぎる」

「諏訪勝頼殿のことですね。騙し討ちのような形で諏訪家を潰して、山本道鬼斎の手引きで姫を娶って生ませた子というわりには、なかなか聡明な若者であると聞いていますが」

「詳しいな、又六郎」

「冬姫様の婿になったかもしれない人だからね。できる限りの情報を集めておくのは当然だよ」

「おい、おっさん!」

 お冬までいなくなったら、俺はどうすればいいのか。

 そもそも諏訪姓を名乗っているらしい勝頼だって、いずれは織田家と敵対するのだ。確か長篠の戦いでは、武田方の総大将が勝頼だった。戦があったことしか知らないので勝頼がどうなったかはともかく、不安要素は長政だけで十分だ。

 非常に癪だが、ここは鶴千代に頑張ってもらうしかない。

 織田家臣に嫁ぐのであれば、手元に残るも同然だ。岐阜城下に北畠屋敷を作らせるのもいいし、今まで通りに城で生活してもいい。本当は、どこにも嫁いでほしくない。茶筅丸以下、三人の子供たちが手元を離れていったのだ。

 あー、本当に決断早まった。

 頭がどうにかしていたとしか思えない。いや、今は於次丸がいる。満を持しての帰蝶懐妊というのも期待できる。岩村城へ向かう前日まで頑張ったしなー。

 娘でもいいんだけどなー。

「それで奇妙丸が、太郎を連れていったようなのでな。うつけ殿の養子に迎え入れてもらえぬか」

「は?」

 ちょっと待て、途中の話を聞いていなかった。

 信純を振り返るが、こちらも驚いている。

「太郎って、太郎義信殿のことですか? 信玄公への謀反を計画し、廃嫡されたと聞いています。亡骸は手厚く供養して、幽閉先の寺に墓も建てたと……」

「その太郎の命をのう、奇妙丸が拾って持ち帰ってしもうた」

「はああぁ!?」

「出家しただけなら見逃しもするが、国外に出られたとあっては仕方あるまい」

「追手の軍って、それかよ」

 なんということだ。

 そこまで大事になっているとは思いもしなかった。信純が知らなかったのは、義信と面識がなかったからだろう。奇妙丸か本人が名乗らない限り、そんなの分かるはずもない。

「ってことは何か? もう賽は投げられてんのか」

「内々に収めるつもりはないぞ。良い機会でもあるしの」

「どんな好機だよ!? 何度でも言うが、俺は戦なんかしたくねえんだ」

 何とかならないのかという叫びは、喉の奥まで出かかっていた。

 奇妙丸がやらかしたことはある意味、信玄にとって救われた面もあったんじゃなかろうか。親子関係が悪かったとは聞いていない。むしろ川中島の戦いでの武勇を伝え聞く限り、かなり期待されていたと思われる。

 義信が謀反を起こした後、今川領への侵攻が始まった。

 その義信を拾って、織田うちに――。

「うーん。廃嫡されているから武田家は関係ないし、三郎殿の養子にするのなら問題ないかなあ。対外的には隠し子とでも言って」

「無理ありすぎるわ! よくて弟だろ」

「そこはほれ、末姫の婿に」

「今すぐ首獲られてえか、おっさん」

 バツが悪そうな顔をして黙る信玄を一瞥し、それから信純を見た。

「又六郎」

「……嫌だよ、お艶様に嫌われたくない」

「大丈夫だ、心配するな。あの人はこまけーことは気にしない。むしろ、弟みたいな息子ができたと喜ぶかもしれん」

「想像するだけで斬り殺したくなるんだけど」

「俺の子供にする方が問題あるだろ!」

「お艶様には坊丸がいるから十分だよっ」

「藤左衛門家は?」

「なくてもいいんじゃないかな」

 そんなに嫌か。嫌だよ。俺も嫌だ。私も嫌だってば。

 イヤイヤを繰り返して、最終的にジャンケンで決めた。イザという時には強い俺の悪運が勝利のラッパを吹き鳴らし、敗者たる信純が畳に突っ伏している。

「話は済んだかの」

「おう」

「では、次に会うのは戦場じゃな」

「なんでそうなる!!」

「動き出した時は止められぬよ。四郎のためにも、敵はなるべく減らさねばならぬ。それに何度となく出された上洛命令にも従っておらぬしの。公方様のために、おぬしは武田を討たねばなるまいて」

「そんなこと言ったら、他の所にも攻め込まなきゃならなくなる」

「当然じゃな。公方様の後ろ盾となり、幕府を支える家柄となった以上は幕府に従わぬ者を排除する。それがおぬしの役目であろう」

 本当は分かっていた。

 上洛命令を無視したという名目で、伊勢国を併呑した。南近江の六角氏をどうにかするためだったとはいえ、その後の畿内統一までは勢い任せだった。望んでいないから馴染まない。同盟相手だからと、同じように上洛命令に従わない信玄を見逃している。

 俺の心は矛盾だらけだ。

 だから胸糞悪くて、イライラが収まらない。

「甘さを捨てよ、うつけ殿」

「だが、ことわ」

「捨てられぬなら、捨てさせるのみ」

 この日、織田と武田の同盟は破棄された。

 必然的に奇妙丸と松姫との縁談もなくなり、両国間の交流も途絶える。国境付近に留まっていた山県・秋山軍は俺たちが岩村城へ戻るのを見届けてから、それぞれの城へ戻っていった。

※筆記用具と酒徳利と武装はサバイバルセットに含まれません



秋山虎繁...史実では、お艶の方の再婚相手になる人。

 信濃国に所領を持ち、武田二十四将の一人に数えられる。本編では信純と因縁があったりなかったりするかもしれない

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