81. 英雄、色を好む
新キャラ追加ついでに、仕込みを少々
清州城が一気に華やかになった。
というのは、城内で働く者たちの噂である。元より豪華な城であったが、彼らは側室を歓迎しているように思えた。俺に対しては反発しやすい奈江も、帰蝶の前では借りてきた猫のごとく大人しい。吉乃は下働きの仕事まで奪いかねない勢いで、城中を駆け回っているようだ。
長康は一体、何をしているんだか。
「それで?」
こちらを見つめる冷ややかな双眸。
肉感的な唇は嘲笑の形に歪み、目元の泣き黒子が大変色っぽい。着物からでも分かる熟れきった女の体をしどけなく投げ出し、まるで我こそ部屋の主と言わんばかりに鎮座する。
俺よりも年下に見えない彼女は、親父殿と年の離れた妹である。
つまり叔母だ。お艶の方、と呼ばれている。
未婚なのに姫と呼ばれないのは、その熟女然とした見た目のせいだろう。滴るような色香に誘われる男は後を絶たないらしいが、老けて見えることを本人はひどく気にしていた。若いうちの老け顔は、年相応になれば若く見られるようになることは言わないでおく。
「俺はお濃一筋だーって騒いでいたのは、どこのどなただったかしら」
「仕方ないだろ。面倒見るって言っちゃったんだから」
「ほんっとーに面倒を見ているだけじゃない!」
「あんたは俺に、何を求めているんだよっ」
「娯楽」
つんと顎をそらし、キッパリ言い放ちやがった。
「三郎殿、気持ちはわかるけど……押さえてくれまいか」
「又六郎はわたくしの味方でしょう!?」
信じられない、とばかりに彼女が噛みつく相手を変える。
まるで従者のように控えていた男は織田又六郎信純という。清州三奉行の一つである「藤左衛門家」の当主だが、いつの間にやら弾正忠家の家臣として周知されている。遡れば同じ一族であり、親父殿の代には「寛廉」と名乗っていた。
先日、ひょっこり現れて偏諱を求めてきたのだ。
この時まで俺は情けないことに、藤左衛門家の存在すら知らなかった。
『ようやく藤左衛門家当主として、三郎殿に仕えることができます。つきましては永劫の忠誠を誓う証として、御名の一文字をいただきたく』
名前なんて適当に名乗ればいいだろうに。
俺は偏諱について知らなかったので、軽い気持ちで頷いてしまった。交換条件にならないから、信広と同じように敬語を使わないように頼んだ。最初はかなり渋っていたが、年上に敬語を使われるのは織田家以外にしてほしい。
こうして寛廉は「信」の字を受け、信張と変えたのである。
それだと異母弟の信治と音が同じになるので、更に「信純」へ変えてもらった。どうせ通称で呼び習わすとはいえ、紛らわしいのはいかん。
というか、織田家にノブノブ多すぎるのだ。
せっかく元服して好きな名前を名乗れるのに、弟たちは俺の名前を欲しがった。彼らの中で、俺という存在がどれだけ美化されているのか怖くて聞けない。今後も俺を支える気持ちをこめて、「信」と「長」を入れたのだと思うことにしている。
話がそれた。
叔母であるお艶が信純を連れてきたのは、お市と長益みたいな関係だからだ。どうやら、お艶の生母と知り合いだったらしい。面倒を見ているうちに、女王気質な彼女の従者的役割を果たすようになった。
見た目からそう思われているだけで、実際は純粋培養の乙女思考。
俺と帰蝶の関係は理想の夫婦そのもので、こっそり憧れていたという。それなのに側室を二人も迎え入れて、どういうつもりだと文句を言いに来たのである。余計なお世話だ。
「ちょっと三郎、聞いているの!」
「あー、悪い。全く聞いていなかった」
「なんですってえ!!」
どうしてこうも、やかましい女ばかりが増えていくのか。
帰蝶は物静かで理解も早く、秘めたるところまで察して、俺のことを蔑んだ目で見つめてくるところまで完璧なのに。吉乃や奈江も、よく騒ぐ。城へ入った晩からして、妻問いも呼び出しもなかったと不平を垂れてきた。
確かに欲求不満気味だが、誰でもいい訳ではない。
俺だって本命に「子供と寝る」と言われて、かなり凹んだのだ。二人目が欲しいとか言っていたのに、焦らしプレイを繰り出してくるとは流石である。さすがは俺の最高の嫁。
「さ、ぶ、ろ、う」
「いてて」
頬へ食い込む爪が痛い。
純情乙女は怒らせると怖かった。織田家の美形は、怒ると凄みが増す。
「巷でどんな噂が広まっているか知らないの? 可愛らしい少年少女を集めるだけじゃ飽き足りず、美女を侍らせて……い、いやらしい遊びに興じているって言われているのよっ」
「言いづらいなら無理するなよ。顔が真っ赤だぞ」
「だまらっしゃい!! よくも、わたくしの夢をぶち壊して、くれて!」
「いだだだだ」
掴んだままの頬をぎゅうっと抓る。
やばい、涙が出そうだ。男が泣いていいのは財布を無くした時と、親が死んだ時だけと相場が決まっている。親以外でも泣いた俺は、早くも涙腺が緩みかけていた。情けなさすぎて、こんなの側近・側室たちには見せられない。
人払いしておいてよかった、マジで。
顔が近い。花の香りがする。ちょっと視線を向ければ、極楽が見えそうだ。
いやいや待て。理性よ、戻ってこい。
「おい、離れろ」
「この色情魔! 女たらし!!」
「つや様、それも三郎殿の策だと申し上げたでしょう」
「信じられないわっ。このだらしない顔を見なさい。どう考えても、……その、なんていうか、破廉恥で、下劣で、とんでもないことを考えている下品な男そのものじゃないの」
「だから、言いづらいなら無理するなって」
「言わせているのは、そっちでしょう!?」
「はいはい、少しは落ち着いてください。あまり騒ぎ立てると、さすがに何事かと伺いに来る者が出てきますよ。ちなみに今の貴女は、三郎様を篭絡しようとしているようにしか見えません」
「!?!?」
「とりあえず、そこから降りてはいかがですか」
お艶は大人しく従った。
いそいそと裾を直しながら、火を噴かんばかりに真っ赤だ。まあ、自業自得である。頬を抓りながら喚いているうちに、どんどん俺に接近していた。おそらく無意識の行動だろう。でなければ、俺が嫌だ。
両頬を抓る頃には、とうとう膝の上へ乗っていた。
お市や帰蝶に乗られたら嬉しいが、お艶に乗られても嬉しくない。ああ、お市には家族愛しかないことを断っておく。
俺の好みは巨乳よりも美乳。微乳でなく、美乳である。
そしてお艶はぷくっと頬を膨らませていた。お市もよくやる子供じみた仕草だが、この叔母がやると何でも妖しげになるから不思議だ。
「三郎が悪いのよ」
「はいはい」
「ええ、その通りですね」
「又六郎! 三郎!!」
涙目である。
壮絶なまでの色香が溢れているのに、反応しない男が二人。
信純はきっと幼い頃から知っているためで、俺は正室専門だからか。信純はともかく俺がどうにかなってしまうと、叔母と甥の近親相姦が成立してしまう。
うむ、話がそれてばかりだ。現実を直視したくないらしい。
「……おい。子供を集めているのは将来の人材育成のためであって、エッチなことをしたいわけじゃないぞ。どうして、そんな噂が広まっているんだ」
「うーん、織田の当主は代々艶福家が多いと言われているからね」
「又六郎も『織田』だろう」
「私は違うよ」
そう言って信純がにっこり笑った。怖いって。
気が付けば、お艶の顔色が赤から青へ変わっていた。さんざん騒いでいたくせに、この話題は信純にとって地雷のようだ。覚えておこう。
「って、俺も違うっつの!」
「どうかしら? わたくしが又六郎を連れずに、一人で来たら…………その気にならないとも限らないわね。これでも、言い寄ってくる男たちは数えきれないのよ」
「鳥肌立つなら、言うなよ」
「イチイチうるさいっ。細かい男は嫌われるんだから!」
しきりに腕をさすりつつ、元気に反論する。
お艶はお艶なりに苦労しているのはよく分かった。見た目はともかく年頃の娘なのも確かなことで、お市たちが裳着を迎えたことに焦りを感じているのかもしれない。
「俺でよければ、いい相手を探してやるが」
「何を言っているの。当主命令に逆らえるわけないでしょう」
「優しくて誠実で、お艶だけを愛してくれるような男がいいんだろ?」
「い、いるわけないわ。そんな人……」
「私からもお願いします。三郎殿」
真摯な表情で言い添える信純を、お艶が愕然とした様子で見つめている。
あれ? これって、もしかするともしかするのか。俺とお艶はマズいが、信純の母親は斯波氏の娘だ。一回りの年齢差はこの時代、そんなに珍しくない。
信純は俺の視線に気づいて、少し困ったように微笑んだ。
なるほど、とっくに気付いているのか。それでも自分以外の男に嫁がせたいと思うのは、なかなか複雑な心境がありそうだ。奈江ではないが、お節介な気持ちが疼く。
「おう、任せろ。当主命令なら、断らないんだろう? 叔母上」
「お、お、お、おばって呼んだら、二度と口利かないんだからぁーっ」
泣きながら逃げていったお艶を見送り、俺はくつくつ笑う。
「支離滅裂」
「あまり虐めないでくれまいか。あれで結構、傷つきやすいのだから」
「俺が虐められていた時は庇わなかったくせに、叔母上は庇うんだな?」
「男として、女人は大事にするものだからね」
当然だよと言う信純の真意は、やっぱり分からなかった。
織田又六郎信純:通称は太郎左衛門、左兵衛佐とも。
小田井城主で清州三奉行の一人。信秀の代から弾正忠家に仕えているが、主人公個人に忠誠を誓う。本作では偏諱を受けた最初の家臣となった。
お艶の方:織田信秀の末妹。
まだ十代前半なのに、熟女の色香を備えてしまったために美少女とは表現されない。老け顔がコンプレックスで、叔母と呼ばれるのをひどく嫌う。裳着の前から発情した男に襲われることも多く、ボディガードとして信純がつけられた。見た目から性に奔放な女と誤解されがちだが、純愛に憧れる処女である。