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第一話:身代わりの花嫁は、青空を見上げて笑う

 姉の身代わりとして「死にに行く」のだと、分かっている。

 でも、揺れる馬車の小窓から見上げる空は、呆れるほどに青かった。


「はあ……いいお天気」


 私がそう呟くと、向かいの席に座る護衛の騎士が、まるで信じられないものを見るような顔でこちらを見た。無理もない。これから私は、国中が恐れるバケモノの元へ嫁ぐのだから。


 数日前、没落寸前の実家・ノーヴァル伯爵家で、私は父から唐突に呼び出された。

 用件はたった一つ。


『お前を、ディアス公爵の元へ嫁がせる』


 元々、公爵家と婚約を結んでいたのは、美しくて優秀な姉のマリアだった。


 しかし、相手のヴァルター・ディアス公爵は、数年前の魔王討伐の際に『触れたものを腐らせる黒の呪い』を受けたという。

 黒死公——それが、今の彼の異名だ。

 これまでに嫁いだ、あるいは婚約した三人の令嬢たちは、夜を共にした直後に行方不明になったという黒い噂すら流れている。


 そんな恐ろしい男の元へ、可愛い長女を行かせるわけにはいかない。

 そこで白羽の矢が立ったのが、家族から使用人以下の扱いを受けていた次女の私、レティシアだった。


『レティシア、可哀想に……。でも、どうせお前はすぐ死ぬのだから、最後に少しでもノーヴァル家の役に立ってから死んでちょうだいね』


 涙を拭うふりをしながら、お姉様はうっすらと笑っていた。

 その言葉に、私はただ「はい」とだけ頷いたのだ。


 逃げ出そうとは思わなかった。

 実家にいても、毎日カビの生えたパンと冷たいスープしか与えられず、朝から晩までこき使われるだけだ。

 公爵家に嫁げば、もしかしたら死ぬまでの数日間くらいは、温かいベッドで眠れて、美味しいお肉が食べられるかもしれない。


「まあ、なんとかなりますよね!」


 ぽんっと両手を合わせて微笑むと、護衛の騎士はとうとう耐えきれなくなったのか、深く顔を伏せてしまった。


 ◇◇◇


 やがて馬車は、王都のはずれにあるディアス公爵邸に到着した。

 見上げるような漆黒の門。分厚い雲に覆われたような、重苦しく冷たい空気が領地全体を包み込んでいる。


「……お待ちしておりました、レティシア様」


 出迎えてくれたのは、青白い顔をしたメイドたちと、胃を痛めているような表情の副官らしき男性だった。

 彼らは皆、まるで生け贄の羊を見るような、可哀想なものを見る目で私を見つめている。

 公爵の呪いを恐れ、屋敷中が怯えきっているのが痛いほど伝わってくる。


 だから私は、精一杯の笑顔を作ってスカートの裾をつまんだ。


「初めまして! レティシア・ノーヴァルと申します。本日からよろしくお願いいたしますね。お掃除でもお料理でも、なんでもお任せください!」

「……え?」


 悲壮感を漂わせていた使用人たちが、ポカンと口を開けた。

 怯えて泣き出すか、絶望して倒れるかだと思っていたのだろう。まさか満面の笑みで家事のやる気をアピールされるとは思わなかったらしい。


「あ、あの……お荷物は……」

「これだけです! あ、裏庭に少し空きスペースはありますか? 実家から持ってきた薬草の種を植えたくて」

「は、はあ……?」


 困惑する彼らをよそに、私は案内されるまま屋敷の奥へと進んでいく。

 廊下はどこも綺麗に磨き上げられており、飾られている調度品はどれも一流の品ばかりだ。

 実家の物置小屋のような私の部屋とは大違い。これなら、いつ死んでも悔いはないくらい素晴らしい生活が送れそうだ。


「こちらです。……閣下がお待ちです」


 副官の男性が、重厚な両開きの扉の前で足を止める。

 ゴクリ、と彼が息を呑む音が聞こえた。


 ギィィ……と重い音を立てて扉が開く。


 ひんやりとした空気が流れる大広間。

 その最奥、薄暗い窓を背にして、一人の男が立っていた。


 漆黒の髪。氷のように冷たく、整いすぎた顔立ち。

 そして、獲物を射抜くような銀灰色の瞳。


 彼こそが、国内最強の魔力保持者であり、呪われた黒死公——ヴァルター・ディアス公爵。

 室内の空気すら凍りつくような圧倒的な威圧感に、私は思わず息を呑んだ。


 ――怖い。


 本能がそう告げている。

 けれど、窓から差し込む僅かな光に照らされた彼の横顔は、ひどく孤独で、どこか悲しげに見えた。


 私はゆっくりと足を踏み出し、彼に向かって、ふわりと笑いかけた。


 ◇◇◇


(……なんだ、この女は)


 死に送られてきた、哀れな生け贄。

 どうせ他の女たちと同じように、俺——ヴァルター・ディアスの姿を見ただけで怯え、泣き叫び、絶望するのだろうと思っていた。


 だが、扉から現れた小柄な令嬢は、逃げるどころか真っ直ぐに俺を見つめ返し、春の日差しのような、柔らかく屈託のない笑顔を向けたのだ。


(……思ったより、綺麗な目をしているな)

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