二十話
その夜。深莉は一人で歓楽街の方へ歩いていた。料亭で榮河、子俊と夕食の約束をしていたのである。
慣れた道なので、てくてく歩いていたのだが、ふと違和感に気付いた。
「……幽世か」
どうやら、現世とは違う世界に迷い込んでしまったようだ。京師では珍しい事態である。やはり、結界が緩んでいるのだろうか。その割には、兄の貴新も何も言っていなかったが。
とにかく、こんな場所から早く出るに限る。どこかに境界があるはずだ。無理やり破ることもできなくはないが、あまりやりたくはない。
「これはこれは。珍しい方にお会いする。しかも女性とは」
気づけば、目の前に男性が立っていた。女性の平均身長どころか男性の平均身長を凌駕している深莉より、背の高い男性だった。手には、抜身の剣。その剣を見た瞬間、深莉はぞわりと鳥肌が立った。思わず足を後ろに引く。
「女性を斬るのは忍びないが……あんたを斬れば、さらに強化できそうだ!」
剣が振り下ろされる。避けられない、と思った深莉の判断は早かった。避けるのではなく、受け止めることにしたのだ。言っておくと、彼女は丸腰である。剣と言うものは割と重たいのだ。背は高くとも膂力は一般女性並みの深莉にとって、持ち歩くのは厳しいものがある。
と言うわけで、彼女はいつも持ち歩いている扇子で剣を受け止めた。予想外だったのか、男は一瞬驚いた顔をした。深莉はすぐに受け止めた剣ごと扇子を右にひねり、左足で男のひざ裏を蹴る。さらに、前のめりになった男の背中を肘で思いっきりうち、そして、駆け出した。逃げる。相手は剣をもっているのだから。
一瞬とはいえ、体勢を崩した男の脇をすり抜け、深莉は走る。だが、すぐに追いつかれるのは目に見えている。なので、この幽世から脱出する必要があった。
足を止めると途端に斬られる。悠長に印を切っている暇はない。となると、詠唱召喚だ。
「出でませ!」
現世から幽世へ、紫電が貫いた。空間の裂け目ができる。深莉がそこから現世に出ようとしたとき。
「ちょっと遅かったかな」
「っ!」
さしもの深莉も背後に迫っていた凶刃に声にならない悲鳴をあげた。
「深莉!」
肩をつかまれ、深莉の前で剣が止まった。正確には、別の剣が受け止めた。と、ほぼ同時に幽世が崩壊する。そして、金属がぶつかり合う音が響く。
「……子俊」
ぽつりとつぶやく。深莉を助けに入ったのは、子俊だった。そのまま深莉を襲った男……たぶん、連続殺害犯と交戦している。それを見た深莉は、自分がほっとしていることに気付いた。一度息を吐いて子俊たちを見る。
互角だろうか。やや子俊が押している。というか、男の方の動きがおかしい。まるで、剣に振り回されているような……。
「深莉!」
子俊に呼ばれてはっとした。すぐさま印を組む。
捕らえろ!
風が男の体を拘束する。一瞬であったが、子俊は逃さずに男を斬った。さらに、倒れて来たところを子俊が顎を蹴り上げる。容赦ないが、これで男は気を失ったようだ。からん、と掌から剣が零れ落ちる。
深莉はそろそろと子俊とその足元に倒れた男の方に近寄る。
「気絶した?」
「たぶんな。起きねえし」
と、子俊は男を剣先でつついている。深莉は息を吐くとその場にくずおれた。それに子俊がぎょっとする。
「おい、大丈夫か?」
子俊がしゃがみ込んだ時、「魏将軍!」と声がかかった。武官たちが駆けつけてきたらしい。
「襲われたんですか、撃退したんですか、大丈夫ですか!?」
立て続けに聞かれる子俊は、「うるせえよ」と返した後に答える。
「大丈夫だ。そいつは気を失っている。それと、襲われたのは俺じゃなくて皓月」
「あ……周侍郎」
座り込んでいた深莉に、武官が目を向ける。他の武官たちも現場を検分しているし、本当にもう大丈夫なのだ、と思える。
と、同時に再び恐怖心が襲ってきた。図太いだの度胸があるだの言われる深莉だが、さすがに死ぬかもしれない状況は怖い。しかも、戦争中のような状況ではなく、比較的平穏な中でそんなことが起こると、さしもの深莉も慄くわけだ。……なんだか考えていると呼吸が苦しくなってきた。
「ん? お前大丈夫か?」
荒い呼吸をしている深莉に気が付いた子俊が問いかける。武官があわてた声を上げる。
「え! もしかしてどこか斬られてるとか!?」
あわてる武官に対して、子俊は冷静だった。
「ただの過呼吸だろ。大丈夫だ、深莉。落ち着け。ゆっくり息しろー」
間延びした声で子俊が言う。深莉の肩を抱え、背中をさすってくれる。少しずつだが、落ち着いてきた。そもそも、待っていれば自然に収まるものである。とっても苦しいが。
軽く咳き込みながらも通常呼吸に戻ってきたところに、子俊の鋭い声が飛んだ。
「触るな!!」
その怒声とも取れる声に、一番驚いたのは深莉だろう。らしくもなく体を震わせた。少し、心が弱っているのかもしれない。身を震わせたことに気付いた子俊が言う。
「ああ、悪い。お前じゃない。おい、その剣に触るな」
連続殺人犯が持っていた剣を拾おうとした武官に向かって言った言葉らしかった。深莉に声をかけた時と、武官に対する声音が全然違う。叱責された武官は中腰の恰好で固まっていた。
「誰も触るんじゃねぇぞ……深莉、悪いが、立てるか?」
こくりとうなずくと、子俊は深莉の肩を抱いたまま立ち上がらせた。そのまま連続殺人犯の元へ連れて行く。襲われたことを思い出した深莉は、子俊の衣装の袖をつかんだ。
「大丈夫だ。俺が側にいるからな」
優しい言葉に少し安心する。眼があった武官が、顔をひきつらせているけど。
「で、悪いが、この剣、どう思う?」
「……うん」
そこは深莉も実は気になっていた。先ほど子俊が『触るな』と言ったのも、彼は気づいていたのだろう。この剣が、使い手を乗っ取る魔剣だと言うことに。
妖魔戦争のころは、この手の剣がごろごろしていた。一応、神剣に数えられるからだ。不思議なことに!
一度息を吐いてから、深莉は地面に置いたままの剣を見る。うん、やはり魔剣だな。
「すまんが鞘をとってくれ」
「これですか?」
武官が連続殺人犯の腰から鞘を抜き取って渡そうとしてきた。何気ないしぐさだが、深莉は何故か、受け取るのをためらった。
「悪いな」
代わりに子俊が受け取り、深莉に向かって「鞘に戻すのか?」となんでもないように尋ねた。その流れが自然すぎたので、だれも違和感を覚えなかっただろう。
「……ああ。こういう場合、鞘が封じになっていることが多いのでな」
深莉はそう言うと、子俊から鞘を受け取り、無造作に落ちている剣をつかんだ。
「おいおい、大丈夫なのかよ」
「問題ない。何かあればお前が斬れ」
「それ、俺に対する嫌がらせ?」
まあ、普通に友人を斬るのは嫌だろう。深莉がそんなことを言うのも、自分が乗っ取られないのを確信しているからだ。
しゃきん、と深莉は剣を鞘にしまう。それから自分が首にかけていた首飾りを鞘と剣に巻きつける。
「……それは?」
「念のため。封じの強化だな。尤も、簡易的なものでしかないけど」
はい、と深莉は子俊に剣を渡した。子俊は顔を引きつらせる。
「これ、大丈夫なんだよな……」
「もちろん。そもそも乗っ取られたとして、お前に私が斬れるか?」
「無理だ」
「だろうな」
ちなみに、深莉だったらためらいなく斬る。子俊はたとえ何が起こったとしても、深莉のことを斬れないだろう。
「……お二人は、その、恋人なんですか?」
「いや、別に?」
尋ねた武官に答えたのは子俊だ。深莉は何となく視線を逸らしただけである。そんな彼女の肩を子俊がたたいた。
「それで、そろそろ帰ってもいい? こいつ怯えてるから」
「どこがですか?」
武官がきっぱりと言い返した。まあ、深莉の態度を見て怯えていると判断するのは難しいだろう。と、自分でも客観的に考える。
「おーい、子俊! 深莉!」
微妙な沈黙を破るように、榮河が駆け寄ってきた。ずいぶん遅い到着であるが、すっかり存在を忘れていたので深莉は何も言わなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ちょっとこの辺から恋愛っぽくなって行く…か?




