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月の異名  作者: 雲居瑞香
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十八話











 夏の盛り。深莉シェンリーがいつも通り刑部で仕事をしていると、禁軍……の、下部組織である衛府軍人だ。外朝の中にまで入れるので、もちろん偉い人。

「お忙しいところ失礼します、ジョウ侍郎」

「いえ、構いません。何のご用でしょうか」

 あまり面識のない相手なので、一応丁寧な対応をする。衛府軍人は彼女の前に木簡と書類を置いた。ちらっと見た深莉は顔をあげて尋ねる。

「これは?」

「本日、不審な行動をしていると言うことで、ジョウ嗣悠スーヨウと名乗る男性に衛府まで同行を願いました」

「……なるほど。外見的特徴から言うとうちのもののようだな」

「……引き取っていただけますか?」

 衛府武官も困惑気味だ。それもそうだろう。変人が多いと評判の周家だが、輪をかけて変わっているのが深莉の弟、嗣悠である。彼女は今日もいない尚書ではなく、卯侍郎に早退を告げると、そのまま獄舎に向かった。一応、深莉の関係者と言うことで牢の中にはおらず、部屋に留め置かれたようだった。


 深莉は署名を済ませると、弟のいる部屋に向かった。


「何をしているのだ、貴様は」

「お、姉上!」


 ぱっと顔を輝かせて椅子から立ち上がり、嗣悠は扉の前にいる深莉に両手を広げて抱き着こうとした。しかし、その前に深莉は嗣悠の頭に手刀を落とした。

「いだあああ! 姉上痛い!」

「馬鹿者。来るなら来ると文を出せ」

「え、怒るところそこなの?」

 深莉と嗣悠はあまり似ていない姉弟である。ちなみに、年は同じであるが、これは二人が年の初めと暮れの生まれの為で、双子なわけではない。

「弟が迷惑をかけたな。責任を持って引き取っていくゆえ、心配するな」

「はい。ありがとうございます」

 武官は安心したようにうなずいた。深莉は嗣悠を伴って邸に向かって歩き出した。


「お前、今度は何をして捕まったのだ」


 嗣悠が不審な行動で捕まるのは、これが初めてではない。嗣悠は「いやぁ」と悪気なさそうに笑う。

「久々に京師に来たらさ、描きたいなぁと思うものが多くて。特に禁城の後宮の庭園は素晴らしい」

「お前……本当に馬鹿だな」

 さすがに呆れた深莉である。嗣悠は、禁城を塀の外から覗こうとして捕まったらしい。

 嗣悠は芸術関係に才能を持つ男だ。絵はうまいし、歌もうまい。楽器の演奏もできる。頭も悪くないのだが、やはり芸術家と言うか、偏見になるかもしれないが、変人だ。

「貴様、禁城をのぞこうなど、ただの不法侵入では済まぬのだぞ」

「いや、姉上がいるから大丈夫かなって」

 確かに大丈夫だったわけだが、今後やめてほしい深莉であった。捕まるたびに迎えに行くのでは、深莉の仕事も進まない。次があったら刑罰を加えようと思う刑部侍郎である。今回だって、本当はこんなに簡単に解放してはならないのだ。武官たちも扱いあぐねていたようなので、引き取ってもらってかられもほっとしているかもしれないが。


「嗣悠、お前、しばらく京師に滞在すると言うことか?」

「まあね~。近くまで来たから、久しぶりに姉上の顔でも見ようかなって」

「見ても楽しいものではないだろう」

「楽しいよ。美人だし」


 それは自分の姉に言っていい言葉なのだろうか。わからなかったので、深莉はただ沈黙で返した。

「どれだけ滞在するかしらんが、出て行くときは一言言って行けよ」

「あいよ」

 どうにも信用できない返答である。邸につくと、深莉は玄関をまたいだ。


「ただいま。ファンさん、いるか?」

「お邪魔しまーす」


 たぶん、嗣悠の声の方が大きく響いただろう。奥から範夫人が出てきた。

「まあ! 深莉様、お早いお帰りですね! 嗣悠様もお久しぶりです」

「うん。しばらくお世話になります」

「かしこまりました……それで、実は深莉様。御来客なのですが」

 範夫人がちょっと困った顔で言った。深莉は首を傾げる。

「この時間にか? 私が不在であることは知っておるだろうに」

「ええ……ですが、お上げしないわけにはいかなくて」

 深莉は思わず嗣悠と目を見合わせたが、彼も首をかしげた。誰だろうか。そう思いながら奥の応接室に案内され、脱力した。


「兄上……何をしているんだ」

「お邪魔してるよ、深莉」


 応接室でにっこり笑っているのは、二人の男女、深莉と嗣悠の兄夫婦だった。嗣悠も応接室をのぞいて「あれ?」と声を上げる。

「兄上たちも来てたんだ」

「お前こそ来ていたのか、嗣悠。深莉に迷惑をかけていないか?」

「今かけられてきたところだ」

 何しろ、捕まった嗣悠を回収してきたところなのだから。まあ、と同じく客人の女性が微笑む。

「今度は何をしたのかしらね」

 おっとりと微笑んだこの女性は兄嫁だ。兄はジョウ貴新グイシンと言い、深莉たちより十四歳ばかり年上だ。兄嫁の方はジャオ琅景ランジンといって、深莉たちより十二歳ほど年上。おっとりして見えるがしっかりした人で、当たり前だが静花ジンファの母親である。

 範夫妻はもちろん、この夫婦をもてなしていたようだが、深莉は追加で自分と嗣悠の分のお茶も頼んだ。


「それで、はるばるどうしたんだ? と言うか、嗣悠も兄上も、来るなら事前に手紙の一つも寄こせ」


 深莉の主張はまっとうである。いくら家族だとはいえ、家主である深莉の断りなしに勝手に邸に入っているのはいかがなものか。いや、嗣悠は牢屋に入っていたのだけど。ついでに言うなら、静花も勝手に入ってきていたから、これは貴新の血なのか?

「少しな。静花の顔でも見ておこうかと」

「あの子、いい子にしてる?」

 貴新と琅景は笑ってそんなことを尋ねたが、それが主目的ではないのだろう。深莉は目を細めたが、深くは掘り下げずに「元気すぎる。何とかしてくれ」と答えるにとどめた。琅景がからからと笑う。

「あの子、元気だけが取り柄だもの」

 母親、言うことがひどい。

「主上と仲良くしていると聞いたが、引き合わせたのはお前か?」

「ああ」

 貴新の問いに深莉はうなずく。静花のまわりで、彼女を美蘭メイランに引き合わせるなどと言う暴挙に出るのは深莉くらいだろう。

「へえ、いいなぁ。深莉、僕も主上に会ってみたいなぁ。きっと可愛いだろうね」

「お可愛らしいのは否定しないが、お前が言うとただの変態だ」

「ひどい! 兄上! 深莉がひどい!」

「お前たちは仲がいいのか悪いのかはっきりしなさい」

 泣きつく嗣悠に、貴新は冷静だった。琅景はくすくす笑っている。


「ふふっ。楽しいわね、あなたたちは」


 ひとくくりにされてしまった。誠に遺憾である。

「さて、深莉。まじめな話、こうして私たちが京師にそろったことは、何を意味すると思う?」

 口調を変え、貴新が尋ねた。深莉もまじめに返答する。

「偶然とは思えない。兄上も嗣悠も、何かに導かれてこの時期に京師へと足を向けることになったのだろう……それが何故かはわからぬが」

「深莉でもわからないってさぁ。でも、術者が関わってるってことかな」

 嗣悠の言葉だ。それで、深莉は思い出した。

「そう言えば、初夏のころ、京師内に妖魔が侵入してきたことがあったんだ」

「京師に!?」

「そんな! 京師には結界があるはずでは?」

 声をあげたのは嗣悠と琅景だった。そう。妖魔除けの結界があるのに侵入された。だから不可解なのだ。あのなぞはまだ解明されていない。


「……この京師の結界は、それぞれ神器を置いて結界を形成しているはずだ。その支点のどこかがゆがんだとか?」


 貴新が冷静に言うが、普段は周家のある華北かほく州にいるので、京師のこととなるとちょっと怪しい。とりあえず。

「そのうちその支点とやらを見に行ってみるべきだな」

 深莉も目を細めて言った。まあ、それが見つからないから苦労しているのだけど。

「まあ、それはさておき、私たちは明日にでも静花の様子を見てくるよ」

「わかった。子俊ジジュンに話は通しておこう」

 そう言えば、建前上貴新たちは静花に会いに来たのであった。重ねるように嗣悠が口を開く。

「あ、僕は禁城の中に……」

「入りたいなら入ってもいいけど、今度はちゃんと捕まえて裁くからな」

「……深莉、ひどい……」

 ひどいのは嗣悠の頭の中身であると思うのは深莉だけだろうか。










ここまでお読みいただきだき、ありがとうございます。


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