番外編 魔人相坂のブチキレ・エヴリデイ 第二話 『アザトース・ギル・シルヴィ・ヴァルカン』
エレヒ在住の元地球人、相坂正典は、怒りの沸点が超低い、みんなのコンビニ『サンキュウ』エレヒ港湾局前店の店長である。
彼は今日非番である。
宇宙ステーション『エレヒ』地球人街『幸町』にある、2DKのアパート。
テンテンテンと鉄製の外付けの階段を上がる軽い音がしたので、寝転がって『新撰組血風録』を読んでいた魔人相坂は、慌てて座布団に座り直し、姿勢を正した。
カチャ。
鍵が回る音がして、たいして厚くないドアが開く。
「たっだいまぁー!! マサさ~ん! イイコにしてたかなー?」
本日日勤だったシルヴィ・ヴァルカンが、帰ってきた。
「うん。ここはお前の家ではない。『ただいま』は、間違いだ」
本から目を離さず、相坂はブッキラボウにそう言った。
「うんにゃー!! 『愛』鍵くれたもん! 『女』が『家』に居付いたら、それは『嫁』なんだもん!!」
手に下げた買い物エコバッグを振り子のようにブンブンさせながら、シルヴィは抗議する。
「鍵返せよ……そして家を出て戻ってくるな!」
ムッとしながら相坂が言うが、シルヴィは平気な顔をしている。
「むっふー! レムル人に地球人のそういう強がりは効かないのよ」
シルヴィはニッコリ笑う。
「ピンクのハートがポッポッポッー!! マサさんから飛んで来てるんだもん!! 帰ってきて、嬉しかったんでしょ。かわいいなあマサさんは!」
自分の胸元。心臓の辺りでハートマークを指で作り、それを相坂めがけて発射する仕草をするシルヴィ。
「…………」
勝ち誇った顔で、シルヴィは言うが、魔人は否定しなかった。
「遅くなってごめんねー。晩御飯作るねー」
シルヴィは買い物袋から、痛みやすい食材を出して、冷蔵庫にしまい、寝室で服を着替える。
「あっれー? マサさ~ん! ご飯炊いててって、朝言ったよねえ? 忘れたのかな?」
エプロンを付けて台所に戻ったシルヴィは、電子ジャーの蓋を開けて、中が空っぽなのを見てそう言った。
「あ! すっスマン! 忘れてた!」
「んっふー! いいよいいよぅ。素直に謝れて偉いねえ」
シルヴィは、けらけら笑う。
「実はな、苦手なんだ。米研ぐの。かなりの量の米が、研いでいる最中に流され、水の分量が判らなくなり、ゴハンがベタベタになる」
「あっはっはー! あるある! とくに一回目のジャーってやる時ね。米が最終回みたいに次々と逝くよね。一回目なのに最終回っておかしいねぇ。……私解ったの! お米がね、こう、研いだ後、水を入れた時にね、水の中で底に沈む前にね、ジャーって流しちゃうとね、行っちゃうのよ! 一回目は磨ぎ汁が白くてよく見えないでしょ」
「なるほど。よく見えないから、漂ってるのが判らんのか」
「そうそう! マサさん超せっかちだから、きっと水いれてすぐに流すでしょう? だからね、マサさんはこれからお米を研ぐときはね、こう、一回目に研いだ後、水を入れたら『シルヴィかわいい、シルヴィせくしぃ、シルヴィダイスキ』ってゆっくり心を込めて唱えてね、それから…」
途中で苦虫を噛み潰したような相坂の顔を見て、シルヴィのアドバイスは尻切れトンボで終わった。
「き、今日はマサさんの好きな肉じゃがよ! 嬉しいねぇ」
シルヴィはニヘラと笑うと米を研ぎだした。
「悪いな、」
相坂は一言だけ礼を言うと、座布団に座り直し、本を読み出した。
シルヴィは、何だかもの足りなさげにそんな相坂を見ている。
「……。!」
なにかを思い付いたシルヴィは、急に目眩に襲われたようによろめく。
「うーん。足りないな。マサさんの愛情パワーが足りないなー! シルヴィマン、心が濡れて力が出ないよぅ」
「貧血か? 戸棚にピーナッツチョコ入ってるから、食べなさい」
相坂はそう言って、戸棚を指差す。
「……ちめたい。これが、ケンタッキーってヤツかしら?」
「倦怠期になるほど深い仲か?」
「ふぎゅ! 今のはちょっと、心に刺さったぞ正典くん! ケンタッキーボケを突っ込んでもくれないし……」
電子ジャーのお釜を抱いて、少しよろめくシルヴィ・ヴァルカン。
相坂は急に立ち上がり、シルヴィの方へ歩いてくる。
「おきゃ! 伝わった? 愛のテレパシーが伝わった!? ……ん、」
慌ててお釜をジャー入れて、相坂の方を向き、瞳を閉じて唇を尖らせるシルヴィ。
相坂はシルヴィをよけて台所に入り、冷蔵庫を開けると缶ビールを取り出した。
「な! なんじゃそりゃー! 萎むぞ! お水を時々あげないと、私と云う花は萎むぞ!」
居間に帰ろうとする相坂を、華麗な横移動でブロックするシルヴィ。
「……すいません。避けていただけますか?」
真顔の接客言葉で、そんなことを言う相坂に、ちょっと涙目のシルヴィ。
「ううう、うー! ここを通りたくば、私を倒してから……すんません…」
ただでさえ、デフォルトで恐ろしい顔をしている相坂が、ちょっと殺気だった表情をしたので、シルヴィは慌てて飛び退いた。
相坂はちゃぶ台に缶ビールを置き、本を読みながら片手でプルを上げた。
「…………さみしいよぅ」
キロ単位で買った網入りの玉ねぎを抱き締め、身をよじるシルヴィ。
「あ! そうだ!」
玉ねぎをネットから一つ取り出したシルヴィは、大きめの声で独り言を呟く。
「ああ! 困ったなー! 玉ねぎ切ると、おメメが痛くなるのよねー。(ちらっ)だれか、代わりに切ってるくれる人いにゃいかニャー!(ちらっ) このままじゃいつまでたっても、(ちらっ)マサさんの大好物の肉じゃがが、(ちらっ)完成しないよう! 困った!(ちらっ) 困った!(ちらっ)」
一応(括弧)で括っているが、シルヴィは『ちらっ』までしっかり発音している。
「わざとらしい! 貸せっ!」
台所に戻ってきた相坂は、シルヴィの手から玉ねぎを受けとる。
「んっふー!! ありがとうねぇ。ぎゅーっ」
「あ、危ない! 包丁持ってるんだ!」
相坂はシルヴィと並んで台所に立った。
「んふ♥」
シルヴィは相坂にくっ付き、尻で相坂の尻を突っつく。
「ほら。目が痛いんだろう? ちょっと離れてろ」
「んー。見てる♥」
相坂は玉ねぎの皮を剥かずに、玉ねぎを両断した。
「あら、マサさ~ん。ダメよ。玉ねぎはね、切断面からおメメしぱしぱ成分が出るの。そうやって先に切っちゃうと、皮を剥いている間、切断面が出るでしょう。だから、皮を剥いてから切って、まな板に切断面をぺとって張り付けるのよ~」
「…………」
相坂はムスッとしながらも、まな板に半分の玉ねぎを二つ切断面を下に置く。そして置いたまま苦労して皮を剥く。
皮を剥き終わったら、そのままザクザクと切り始める。
「あー、ダメよ~。ダメダメ! そんな風に切ったら、切断面が沢山できるでしょう。崩れないように押さえたまま切れ目だけ入れるような感じで……」
ブチン。
「うっがー!! そこまで対策があるなら、自分でやれ!!」
ブチキレた相坂はまだ切っていない半分玉ねぎを丸かじりし、何度か咀嚼した後、ブハーっとシルヴィに息を吹きかけた。
「ほんげ~!!」
シルヴィは目を押さえ、のたうち回る。
「うっ、くはははははー!」
魔人相坂は、むせ返りながらも高笑いをする。
「くうううー、」
シルヴィはまだ苦しんでいる。
「お、おい、……大丈夫か?」
「ううう……」
「おい! シルヴィ!」
相坂は、膝をついて床に転がるシルヴィを抱き上げる。
「だみだがどばらないよう!」
シルヴィの両目からは血の涙が流れている。
「あああ! シルヴィ! シルヴィー!!」
『ピーポーピーポーピーポー……、』
「レムル血涙症…?」
「さよう。レムル星人の女性に時折見られる症状で、一度に大量の涙を流すと、涙腺から血液まで流れ出し、眼球が炎症を起こすんだよ」
エレヒ港湾局の近くにある、拠点病院に救急車で担ぎ込まれたシルヴィがベッドで横になっている。
相坂はベッドの横に椅子を寄せて座り、シルヴィの手を握りながら、担当医の話を聞いていた。
「一週間は目を開けず安静にしてね。なにも見てはいけませんよ」
「ありがとうございました。それにしても玉ねぎはレムル人にとって危険なんですね……知らなかった」
心底反省している相坂を医師は横目で見ている。
病室にミール人の看護婦が入ってきた。
「失礼しまーす。包帯をお取替えしますね☆ あららら、旦那様、ちょっと片寄ってくださいな」
相坂を退かし、包帯を取り替え始める看護婦。
医者は病室の出入り口まで行ってから振り返り、
「相坂さん。ちょっと良いかな?」
そう言って手招きをし、相坂と連れだって病室を出た。
「一つ耳に入れておきたいことが」
病室を出て廊下の壁際の椅子に座ると、医師は相坂にも座るように促しそう切り出した。
「はあ、」
レムル人の医師は、胸のポケットから電子タバコを取り出して、口にくわえる。
「先ほど、玉ねぎが毒と仰っていたが、正確には玉ねぎで出た涙は、切っ掛けにすぎなくてね」
「はあ」
医師の隣に腰かけた相坂は生返事をする。
「私も見ての通りレムル人だから、まあ、レムル人女性の心を代弁させてもらえばね、我々は、その、精神的なコンディションが肉体にも強く影響する種族なわけでね、……悲しかったり、寂しかったりするだけで、この世から去ってしまう者だっているんだよ」
「…………」
「なにか心当たりがあるのなら、どうか優しくしてあげてね。見たところ彼女は心底あなたを好いているようだから」
金髪のボサボサ髪を、ポリポリと掻きながら医師はタバコ片手に話す。
「…………」
「あっ、所で、入院させます? 今の話を踏まえて」
「いいえ、連れて帰ります」
「いいの? 一週間なにも見えないよ?」
「自分が仕事を休み、付きっきりで面倒見ます」
思い詰めた顔で相坂がそう言うと、医師は笑顔で相坂の肩を叩く。
「あはははは、そうしてあげて! 喜ぶよ。さあ、では処方箋をもってお帰り」
シルヴィを肩に掴まらせ、相坂は病院を後にした。
「タクシー探そうか」
「ううん、マサさん歩いてこ」
「ごめんなシルヴィ。俺が悪かった!」
「ううん、いいよぅ、えへへ❤」
相坂に抱きついたシルヴィは、彼に見えないところで、少し悪い笑顔を浮かべた。
入り口まで見送った医師と看護婦が、遠ざかる患者の背中を眺めている。
「先生……。あの娘って……」
「ああ。シルヴィは私の娘さ。知ってて黙ってるんだ。シルヴィのアザトさにしてやられたな。彼もお気の毒に……」
そう言って担当医『レナード・ヴァルカン』は、病院へ戻っていった。
この日から一週間。
相坂は天国と地獄を味わう事になる。




