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公爵の思惑、マリエラの決意

 マリエラはアンセムに会おうと、侍女に取り次いでもらうように頼んだり、部屋が近く、たびたびアンセムのところへ行けるイーダンにも伝言を頼んだ。

 しかし、アンセムとは会えないまま数日が過ぎた。



「皇子は今はお会いしたくないと仰せです」



 何度もそう言われると、いくらマリエラでも気持ちが沈む。今はといっているので、会いたくなれば、あちらからくるかもしれない。



「それで、マリエラはどうしたいの?」


「エマジオ先輩」



 エマジオは昨日、公爵との話し合いをして、その結果をミストリア王国に持ち帰るため、一時帰国する支度をしていた。もともと、エマジオはマリエラを王国へ戻すために呼ばれたので、マリエラに帰国の意思があるか確認しにきていた。



「私は、まだ、残ります」


「そう、とりあえずぼくは一旦国に帰って、また来る予定だから、それまで悩んでていいんじゃない」



 この公爵城とミストリア王国の首都は、大体馬をとばせば1日で着く距離だ。何日か滞在するにしても、数日のうちに戻ってくるだろう。

 それまでに、マリエラは帰国するかどうか決めなければならない。しかし、マリエラが帰るということはアンセムともう会わなくなるということだ。アンセムがどうしたいかもマリエラにとっては大切なのに、アンセムはマリエラと会おうともしてくれない。



「アンセム皇子とはまだ会えてないの」


「ええ、先輩の言う通り、時間を置けば置くほど、こじれそうなので嫌なんですけど」


「そうだね。うん、そうか。それなら、どうしようかな。言った方がいいような気がしてきたな」



 エマジオは何かを考えるような顔で、人差し指を頬にあて、首をかしげた。



「なんですか、もったいぶって」


「ううん、でもなあ。言っていいとは言われてないんだよね。悪いともいわれてないけど、マリエラは当事者なわけだし、そうだなあ」


「ちょっとはっきりしてよ!」


「あ、いい罵声。もっと罵ってくれたら言っちゃうかも」



 エマジオの悪癖だ。マリエラは呆れたが、話の内容も気になるので、言われるままにののしった。



「この変態! ろくでなし!」


「ふふふ、そこまで言われたらしょうがないな」



 エマジオは片方の口角を上げて、にやりと笑った。エマジオは普通にしていれば人好きのする顔立ちだったが、こういう時の顔は変態的で気持ちが悪いなとマリエラは思った。



「でも、これは人づてに聞いた話だから、本当かどうか分からないんだ」


「いいから、早く言って」


「公爵閣下がいうには、だ。アンセム皇子は、皇帝になる意思を固めたそうだよ。その上で、ミストリア王国に軍事的な協力を要請している。帝国内の勢力だけではこころもとないんだろうね」



 マリエラはガンと頭をなぐられたような衝撃を受けた。

 アンセムが皇帝になるということは、アンセムと一緒にいることは、つまり皇妃になるということだ。マリエラは皇妃になりたくないと、すでにアンセムに伝えている。

 つまりアンセムは、マリエラと一緒にいる未来より、マリエラとは決別して、皇帝になる未来を選んだということだった。



「マリエラ、君は王国の聖女で、見方によっては君がいるだけで王国の支持を表明できる大切な立場なんだ。だから、くれぐれも気を付けて。もし、この国から離れるなら今が一番いいとぼくは思うよ。戻るまでによく考えておいてね」



 エマジオは最後、優しい兄のような口調になり、マリエラの頭をくしゃくしゃとかき回した。



「もう、髪が崩れるから、やめてっていつも言ってるじゃん」


「ふふ、じゃあね、マリエラ」



 エマジオはひらひらと手を振りながら、去っていく。

 マリエラは、じんじんと胸が痛くなるのを感じた。マリエラは皇妃になりたくない。それは自分で選んだことで、今苦しいのはその結果だとわかっていても、自分の身体の一部が無理やり引きはがされていくような痛みを消すことはできなかった。



※※※



 夜、アンセムは部屋にイーダンと二人きりだった。ろうそくの明かりがほのかにアンセムの顔を照らしている。アンセムは椅子に座り、それまで読んでいた資料を机に置いて、イーダンに話しかけた。



「マリエラはどうしてる?」



 イーダンは驚いた。ここ数日、アンセムはマリエラの話を一切しなかったからだ。イーダンから、マリエラが会いたがっていると何度か伝えていたが、その返事以外、マリエラのことを一切アンセムは口にしなかった。

 イーダンは先ほど見かけたマリエラの様子をそのまま伝える。



「昨日までは、皇子に会いたいと焦った様子で言っていましたが、今日はずいぶん落ち込んだ様子で、夕食も取らなかったようです」


「エマジオは今日、帰国したんだったな」


「ええ」



 話の関連性がわからないまま、イーダンがうなずくと、アンセムは苦いものを食べた時のように顔をゆがませた。



「そろそろ、会ってあげてもいいのではないですか」


「いいや。特に今は、公爵が僕を皇帝にすると同時に、マリエラを皇妃にすることを望んでいる。近くに置くと、彼女の意思とは関係なく、皇妃にさせられてしまうだろう」



 アンセムは最初は、エマジオとマリエラの関係に気持ちが抑えられず、マリエラを避けていた。しかし、気持ちが落ち着いてからは、別の理由でマリエラから離れるようにしていた。

 公爵は老獪な政治家だ。ルルベルナ帝国でも有名な”ミストリア王国の聖女”であるマリエラの利用価値をよくわかっている。アンセムのマリエラへの執着心を知ればなおさらだ。マリエラは研究を続けたい自分の気持ちとはかかわりなく、強制的に皇妃にまつり上げられ、帝国から出られなくなる。



「マリエラなら、自分で逃げられるでしょうに」


「そうかな。彼女にも大切な人がいる。エマジオや、ミストリア王国自体を人質に取られたら、きっと自分の気持ちを殺して、僕と一緒にいるだろう。でも、そんな形になるくらいなら、遠くで自由に暮らしてくれてる方が、よほどいい」


「アンセム様…」



 イーダンには慰められる言葉をもってなかった。何年もそばに仕えていた主、その幸せを常に祈っていたのだが、無欲な皇子は何もほしがることはなかった。アンセムが何かに執着するのは、これが初めてだったと言っていい。

 そのアンセムが、執着するものを自ら手放そうとしている。その選択がアンセムを幸せにするのか、イーダンにはどうしてもわからなかった。



「公爵領がこのような状況で、他の地域でも紛争が絶えないと聞く。そんな状況では、僕が皇帝になるのが、一番だとわかっている。わかっているんだ」



 毎日のように、公爵がアンセムに皇帝になる決意を迫る。周りにも、いずれそうなると吹聴していることもアンセムは知っていた。ほうっておけばいずれは公爵の思惑通り、周りの声におされて、アンセムも皇帝になることを望むようになるかもしれない。


 しかし、アンセムには、まだ決断ができなかった。

 目をとじるとマリエラの朗らかな笑顔が浮かぶ。自由で屈託のない、自信にあふれた笑顔だ。



「なぜ、僕は皇帝の子などに生まれたのかな」



 アンセムはこめかみを押さえる。イーダンはその横顔を見て、疲れをみてとった。



「今日はもう、お休みになったほうがよろしいでしょう」


「…そうだな」


「マリエラのことは、細かく報告するようにします」



 アンセムは返事をしなかったが、その沈黙が肯定だとイーダンにはわかっていた。



※※※



 公爵邸で、ランドとクルス、そしてマリエラは自由にすごすことがゆるされていた。しかし、アンセムと会うことは自由にできない。イーダンを通して話をして、許されれば会うことができた。それが、帝国での正式な皇族の距離感なのだという。

 マリエラは故郷では一応貴族の端くれで、聖女という肩書をもっていたが、ルルベルナ帝国での地位はないため、一般人と同じくくりにいた。


 自由といっても、逆にいえば仕事もなく、暇な時間だ。マリエラとランドはよく二人で話をしたりして時間をつぶしていた。

 クルスはいたり、いなかったりする。なにかと忙しそうにしているので、部屋にいないことが多かった。



「そういや、昨日アンセムと会ったぞ」



 マリエラはアンセムと自由に会えるランドに、いろいろ聞きたいこと、頼みたいことがあったが、ぐっとこらえた。あまりにも個人的なことだし、人を通して聞いたり伝えたりすると、余計にこじれることを恐れていたからだった。



「どうだった?」


「どうって、これからどうするつもりか、とか聞かれたな。とりあえず冬までは厄介になりたいってことを伝えたら、わかったってそれだけだな」


「元気そうにしてた?」


「そうだな、あ、侍女がちょっと見ないくらいの美人だったな。やたらアンセムに色目使ってた。ありゃ玉の輿狙いってやつかな」



 ランドは明らかになんの悪意もなく、ただ思ったことを口にしているだけだったが、マリエラはそれを聞いて落ち込んだ。少なくともその侍女はアンセムに近づくことを許されているのだ。会いたくないと言われているマリエラとは違って。



「あ? そういやマリエラ元気ないな。ふだんなら、『そんな女、ぶんなぐって辞めさせる』くらい言いそうなもんじゃないか」


「そんなこといわないわよ。どんなイメージなの、普段の私って」


「暴れ馬」


『なんて的確なんでしょう』



 アイがマリエラにだけ聞こえる声で感嘆をあげた。

 基本的にホムンクルスのアイは目立たないようにイヤリングの形になっているが、今は小さな人形のような形をとっていた。アイの存在を知っているランドが、暇なときに肩に乗せたりして遊んでいるからだ。今も青い人の形をした宝石が、ランドの人差し指と中指につかまって、指の動きに合わせて踊っている。

 遊んでもらっているからか、最近のアイはランドに好意的だ。

 マリエラがにらむのも構わずにアイは踊り続けている。



「まあ、いいわ。とりあえず、そんなことはしないの」


「でも元気ないだろう。メシもろくに食ってないし。若いんだから、ちゃんと食えよ」



 ランドらしい判断基準にマリエラは笑ってしまう。



「やっぱり、アンセムか? ここに着いた途端にマリエラと会わなくなったよな」


「そうだけど、それだけでもないと思う。アンセムはもう決めていて、それが受け入れられないんだから、結局私の問題」


「そうか? なんか難しいな」


「難しくなんてないのよ」



 マリエラはランドに初めから説明した。マリエラが「皇妃になるならついていけない」といったこと、アンセムが皇帝になるつもりらしいこと。そしてマリエラは錬金術師として究めたいから、皇妃になれないと思っていること。わかっていても、マリエラがアンセムをあきらめきれないこと。

 話を聞き終えたランドは、豪快な笑い声で笑い飛ばした。



「なんだそんなことか」


「何よ、こっちは真面目に悩んでいるのに」


「あきらめなきゃいいんじゃないか。どっちも」


「そんな簡単に言うけど」


「簡単だろ。ほかのやつならどうか知らんが、お前なら」



 ランドはやけに自信満々だった。



「おれは魔法のこともよくわからんが、今もお前は自分ができないことをこいつにやらせてるんだから、同じようなことじゃないのか」



 ランドは、こいつと言いながら、指で踊って遊んでいたアイを手のひらに乗せた。



「あのね、簡単に言うけど、ホムンクルスは…」


『できますよ!』



 マリエラが否定しようとすると、アイが口をはさむので、マリエラは途中で言うのをやめた。アイはマリエラの研究のことを大体知っている。そのため、マリエラが思いつかないことも、アイが思いつくことがあったのだ。



『ホムンクルスは無理ですけど、ゴーレムならできます』


『ゴーレムは、でも魔石を食うから』



 たしかにアイのいうとおり、ホムンクルス最初に礎とした魔石の大きさのまま、大きさを変えることはできないので、身代わりに向かない。しかし、ゴーレムなら、土を使って自在に大きさや姿を変えられ、ある程度の知能は遠隔操作もできる。

 ただ、ゴーレムには致命的な弱点があった。ホムンクルスは核の魔石さえ用意できればほかに必要ないところ、ゴーレムは大量の魔石を使うのだ。

 魔石のことを指摘したマリエラに、アイはなんでもないことのようにこう言った。



『魔石なら、たくさんあったじゃないですか。あの隠れ里に。帝国の領土ですから、マスターが皇后になったら、融通してもらえばいいんです』


『たしかに』


「悪くないかも」


「やっぱりな。解決、解決。よかったじゃないか」



 ランドは豪快に笑った。その笑い声を聞いていると、マリエラの気持ちも軽くなっていく。今まで停滞していたのが嘘のように、これからどうすればいいか、アイディアが浮かんできた。



『ゴーレムで解決できる可能性はあるけど、まだ確実じゃないわ。そんな精巧なゴーレムつくったことがないから、試作しないといけない』


『さっそく試作ですか』


『ええ、部屋に戻らないと。あと、アンセムが会ってくれないのも問題よね。会わないと私の意思も伝えられないから。ああ、でもそうだ、これを渡せば』



 マリエラは、首からペンダントを外した。メームの最高傑作のペンダントだ。アンセムに渡そうと思っていたのだが、それどころではなくなって、そのまま渡せずにいたものだった。

 対になっている二つともを、首から下げていたが、一つだけ外し、ランドに渡す。



「ランド、話を聞いてもらって助かったわ。お願いがあるんだけど、このペンダントをアンセムに渡して、それで、伝えてほしいの。このペンダントはあなたがもつべきだって、あとどうしても話したいことがあるから、一度時間を作ってほしいって伝えてもらえるかしら」


「ああ、任せとけ」


「私は部屋で、研究をしているから、よろしくね」



 そう言って、マリエラはすがすがしい気持ちで部屋に向かった。

 今なら、何でもできる気がする。足取りも軽い。


 そのまま、廊下の角を曲がる。



『マ、マスター、あれ…』



 アイが震えているのを、イヤリングがついた耳で感じる。廊下のその先にいた人を見た瞬間、今までの軽い気持ちはどこかへ行ってしまう。アイの声がか細くマリエラの耳に響いた。廊下の先に、真っ赤な髪の男が、マリエラの方へ向かってきていた。



「キース…」



 かつてアイを粉々に砕いた、赤い髪の魔術師が、マリエラをじっとみながら近づいてくる。


 アイもおびえている、逃げよう。と、一歩後ずさり、しかしそれ以上動くことができなくなった。

 『何か』に口をふさがれたように、急に呼吸が苦しくなる。



『マスター! マスター!』


『いきが、できない』



 キースは、余裕のある足取りでゆっくりマリエラに近づいてくる。

 マリエラは苦しくて立っていられなくなり、膝をついて、最後には床に倒れた。



「見つけた、マリエラ・ルネサンス」



 這いずるような低い声だった。キースは氷のように刺すような冷たい目でマリエラを見下ろした。

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