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ただのサイコにゃ

不知火は手を当てたまま動かない。これは一種の駆け引きだった。この状況で彼女から先に動くことはない。


彼女にとってはヒールが全員に行き渡るまでの時間稼ぎだ。だが、奴が動こうものなら容赦なくその掌から魔術を撃ち込む。


だからヒールを阻止したい猫であっても迂闊に動くことは出来なかった。だがここで猫が予想だにしない行動を取る。


「甘いのはお前にゃ」


奴は自分の腹ごと不知火の腹を爪で貫通させた。突き立てていた不知火の右手が離れ、猫が一旦距離を取る。


不知火同様、腹に大穴の空いた状態では奴もそう簡単に動き回ることはできない。ヒールが全員に行き渡り、役目を果たした不知火が地面に膝を着く。


「今ヒールを」


仲間の魔術師が不知火に駆け寄る。しかしその時既に奴に空いた穴は完全に塞がっていた。


「危ない!」


不知火は猛スピードで此方に直進してきた猫の姿を捉えた。斜線上に駆け寄った仲間を庇うように横に押し退け、不知火と猫が対峙する。


しかし腹に穴の空いた不知火では魔術を放つことが出来ない。この先に待つのは不知火が奴の爪に貫かれるのみ。


俺は不知火しか見えていない奴に念力を飛ばす。しかし、それよりも速く1人のハンターが不知火の窮地を救った。


「どけぇぇぇぇぇぇ」


透道の振り抜いた大剣が2人の斜線を一刀両断する。そして彼の大剣がそこに飛び込んできた猫に直撃する。


「にゃっ」


咄嗟にガードを挟んだ猫だったが、後方の大木まで吹き飛ばされ、背中を強打した。


「田町!速くヒールを!」


「分かってます!」


駆け寄ってきた魔術師がヒールを再開する。


「もう大丈夫です」


穴の塞がった不知火は立ち上がり、奴の姿を探す。しかし、木に打ち付けられた筈の奴の姿がない。


辺りを探るが奴の気配はない。


「代表、奴どこに行ったんでしょうか」


透道が不知火にそう呟く。彼も奴の姿がなくなったことに気付いたようだ。


「代表!」


突如声を上げたのは透道だった。しかし声は目の前の彼とは真逆方面から響いた。後ろを振り向くとそこにも透道がいた。


「まさか」


透道が2人いるというこの状況にいち早く反応したのは不知火自身だった。彼女は振り向きざまに魔術では間に合わないため魔術師でありながら回し蹴りを放った。


凄まじい衝撃音が響く。不知火の蹴りは透道の顔面を直撃した。突然仲間から攻撃を受けた透道は何が起きたのかも分からずに頭に重い一撃を貰う。


「え」


不知火もその異変に気付く。自分の蹴りが直撃するとは思っていなかったのだ。当然この状況を完全に理解しているのは奴だけなので、魔術師の蹴りなどに遅れを取る筈がない。それでも蹴りを繰り出したのは条件反射みたいなものだった。


しかし、目の前の透道は攻撃を受けてもなお猫に姿を戻す気配がない。そこで気付く、本当の偽物がもう1人の方だったことに。


彼女は既に奴に遅れを取ったことを自覚しながらも振り替える。


「こっちだにゃ」


振り替えると顔半分が透道の猫の姿があった。奴は既に不知火の眼前に迫っていた。もう彼女にはガードも反撃も取る時間は残されていない。


『プリズンスタンプ』


絶体絶命の状況に仲間達が待ったを掛ける。彼等の詠唱に応えるように大地がうねりを上げる。根は地より這い出し、奴を足元から縛り上げる。


『魔操剣術アサルトキリング』


透道は振り抜いた大剣の軌道上に身動きを封じられた猫の胴体を捉える。しかし直撃寸前で大地の根をすり抜けるように奴に逃げられる。


猫特有の狭場の移動を駆使して、奴は捕縛からすり抜けたのだ。


「危なかったにゃ」


そう溢す奴の表情に焦りは感じられない。涼しげな面を浮かべ、此方を嘲るように口角を吊り上げる。


「ここからが楽しいんだにゃ」


奴の速さに更に磨きがかかる。音速すら越える奴の速さはこの場の全てを置いていった。不知火は最早目で追うことを諦め、感覚を研ぎ澄ませる。彼女以外は完全に置いてかれて抗う術を持たない。


『パーミネント』


閉じられた不知火の瞳が見開かれる。彼女の捉えた位置座標が、一本の大木が突如発火する。燃え盛り、一瞬で炭へと化す枝木だったがそこに奴の姿はない。


彼女の視線は、確かに猫を捉えていた。感覚だけで音速を捉えきった彼女だったが、それが猫に届くのは零距離だった場合のみ。


二人の間に距離が少しでもあれば魔術が当たることはない。気づいた頃には既に術者は背後を取られているだろう。奴はそう言う奴だ。


「遅いにゃ」


不知火の肩に顎を乗せて、挑発する。身体を捻り背後に肘打ちを放つが、猫は先回りする。


「殺しちゃうにゃ~」


振り返りざまの肘打ちは空振りに終わり、再び奴に背後を取られる。明らかに遊んでいるがそれだけの実力差がある。


そもそも魔術師が近接に持ち込まれた時点で敗けなのだ。それは彼女の失敗ではなく天断ギルドの失敗だ。


そして今回は敵との相性が最悪。恐らく天断は重量級の攻撃特化型にはめっぽう強い筈だ。主軸が魔術師である限り、そこを生かせないとなると勝ちはない。


前衛部隊も目前にいるにも関わらず迂闊に手が出せない。奴は不知火に張り付くように移動しており、一歩間違えれば彼女を攻撃してしまう。


そしてそこまで読んだ上で奴はこの戦況を楽しんでいる。


俺はここまで傍観を決め込んでいたがそれにも理由がある。


まず俺が入ると天断ギルドの連携が乱れる。どこのギルドに付き添ったとしてもこの事態は免れなかっただろう。


幾通りの戦略や陣形は長い時間と経験を重ねてやっと習得できるものだ。そこに今日入ったばかりの俺が連携を取ろうとしても帰って邪魔になるだけなのだ。


そして俺はE級だ。天断との共闘である程度の実力は知れているとしても流石に1番隊が苦戦する悪魔を単独撃破なんて事態は避けたい。


そして最後に1つ。奴が遊びに興じている間は問題ない。最初からここまで殺そうとする気配を一度足りとも見せていないのだ。


根っからのサイコ野郎だ。こういう奴は殺しではなく相手の苦しむ表情をみて快感を得ている。逆に殺してしまえば遊び道具が減ってしまうからだ。

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