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二話

手紙は、私の援助を申し出るものだった。要約すれば借金を肩代わりするから結婚しろと。手紙の差出人は小鳥遊(たかなし)幸司(こうじ)。英雄的扱いを受ける名門軍人一家の当主で結婚相手は彼の次男との事だった。


もう、これに頼るしかなかった。これが無くなれば本当に首を括るしか道はないのだから。首を括るのではなく、私は腹を括った。


「狐塚薫子様ですね」


運転手の男性が私だと確認する。了承の手紙を出すとすぐに家に高級車が迎えがきた。小鳥遊家は現在の私の状況を知っているらしく至れり尽くせりだった。


「はい、そうです」


「さあ、どうぞお乗りください」


丁重に車のドアを開け乗るように促される。


「あの、私がこんな高級車に乗っても宜しいのでしょうか。私など徒歩で充分では…」


目を丸くして運転手はしばし固まった。


「狐塚家も自動車を所有なされていたと聞きますが乗るのは初めてですか?それに可愛らしいお嬢さんを歩かせるわけには行きませんよ」


自動車は父と姉だけが乗ることを許された。奴隷の私が乗れるはずないのだ。


「失礼いたしました。ありがたく乗らせていただきます」


私は深々と頭を下げて車に乗り込んだ。狐塚家にあったソファよりも座り心地は良かった。ぎゅっと着物の袖口を掴む。喫茶店で働いていた頃の着物だ。小鳥遊家に行くのにふさわしい着物はこれしか無かった。

あとはつぎはぎだらけのあの日着の身着のままで放り出された時の着物しかない。数少ない荷物を包んだ風呂敷を膝の上に置き、揺られる車体の中から街並みを眺めた。


(どうして小鳥遊家はもう消えた狐塚家の私と結婚を…)


小鳥遊家ならもっといい家柄の娘を嫁に迎えられるはず。一抹の不安を抱えたまま私は前を向いた。もし何かの手違いだったり、未来の旦那様に飽きられたり嫌われたりして捨てられでもしたら。今度こそ私は首を括らねばならない。


こんな醜くて死んだ方が喜ばれる存在の私が生きたいなんて願うのは酷くおこがましい事だけれど、心の中で死にたくないと叫んでいる自分がいることに私は気づいていた。


小鳥遊邸は帝都の自然豊かな場所に構えてある。狐塚邸とは比べ物にならない程広大だった。


「着きましたよ」


車の扉が開くと、そこには洋風の豪邸の玄関があった。


「ようこそいらっしゃいました」


玄関の重厚な扉が開くと両端に一列に並んだ使用人達が一斉に頭をさげた。


「はじめまして。狐塚薫子と申します」


こんなに統制の取れた使用人達は見たことがなかった。さすが軍人の家というべきか。しかし人に頭をさげられることに慣れていない私は相手が頭を下げるなら自分はそれよりも下に下げなければいけないと体に染みついていた。


私なんかに頭をさげなくていいです。私は女狐で害虫で本当は生きていてはいけなかった存在なのだから。


一人一人に深々と頭をさげ続けていると


「一人一人に頭をさげていては日が暮れてしまう」


低い男性の声がステンドグラス越しの光が降り注ぐ大理石の玄関ホールに響いた。


「はじめまして。小鳥遊幸司と申します。よく来てくれた」


「狐塚薫子と申します」


私はもう一度、頭を深々と下げる。声色は優しそうだったが顔は白い髭を立派に生やした厳しい顔つきであった。


「狐塚様、お荷物お預かりいたします」


近くにいた使用人が私の風呂敷を預かる。


「ありがとうございます」


「当然の事でございます」


当然…と私は小さく口の中で繰り返していた。一人の人間として尊重されるなんて初めてだ。あの家では使用人からも虐げられる奴隷、それが私だったから。


「客間に案内しよう。そこに家族達が待っている」


私は幸司さんの後をついて行った。客間には幸司さんと同年代の女性と若い女性、そして若い男性が二人いた。


「小鳥遊幸司の妻、小鳥遊(たかなし)響子(きょうこ)と申します。始めまして薫子さん」


やや吊り目の瞳に髪を後ろで一つにまとめ女学校の教師風な雰囲気を醸し出す、小鳥遊家の女主人の響子さんに深々と頭を下げる。


「狐塚薫子と申します」


響子は凛々しい笑顔を浮かべたままじっと私を観察するように…いや、値踏みするようにつま先から頭の先までをみた。そうして自己紹介がまだだった若い男性のうち一人に話を振った。


「そして小鳥遊家の長男の」


「小鳥遊翔吾(しょうご)と申します。隣は妻の美琴(みこと)です」


隣の凛とした綺麗な女性が頭を下げる。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花という言葉を体現しているかのような人だった。彼女に比べたら私は酷く醜い。蔑まれ虐げられる女狐なのだから比べることすらおこがましいと思考を打ち消した。


(この方は長男の翔吾様だから私の結婚相手ではないのよね )


そうして自然に視線は最後に残る切れ長な冷たい瞳と、整った目鼻立ち。そして烏の濡羽のような艶のある髪の高貴な佇まいの男性に向かう。


「小鳥遊庵司(あんじ)。次男です」


ぶっきら棒に言い放ったのが私の結婚相手となる小鳥遊家の次男だった。確か私より十歳年上の二十七歳。正直、女学校の同級生達は歳の離れた方と結婚していたのでもっと年上を覚悟していたのだが…。


「あの…何故私などと結婚すると仰ってくださったのでしょうか?」


下げた頭をチラリと上げ庵司さんの顔を伺う。そういえば手紙に書き忘れておったわ…と笑いながら言う幸司さんにまったくあなたったら…と響子さんはため息をついていた。


「狐塚家の先先代当主…つまり貴方の祖父とうちの祖父は親友同士でいつか孫同士を結婚させる約束をしたんだ。本当は子供同士をさせたかったんだそうだが、約束した当時もう両方とも縁談がまとまっていたからだ」


庵司さんはまたぶっきら棒に説明する。


「白紙になっていてもおかしくない結婚の約束を…守ってくださるのですか?」


私は目を見開いた。狐塚家の没落と同時に有耶無耶にできた約束を守るためにもっといい家柄の娘を迎え入れる選択を捨てたのかと。


「誠実の小鳥遊家だからな。約束は必ず守るよ。薫子さん」


そう幸司さんは笑ったが、庵司さんは笑わなかった。それどころか私を睨み付けているように見える。


(望んだ結婚ではないのでしょうね。こんな醜い女狐を娶りたいと思う奇特な方ではなかったという事よ)


私はまた下を向いてしまった。少し、浮かれていたのかもしれない。借金が返済できて、嫁ぎ先が見つかって。そして小鳥遊家の人達に優しくされて。

 

「あの、結婚を了承いたしましたが父が亡くなってまだ一カ月です。一年は喪に服したいと考えております」


「そうか。しかし薫子さんの現状は知っている。庵司と結婚するまでは小鳥遊家で客人として面倒を見よう」


「ありがとうございます」


私は無意識のうちに床に膝をつけ頭も床に付けていた。


「薫子さん、そんなに頭をさげなくても…」


翔吾さんと美琴さんが私の腕を掴んで立ち上がらせてくれる。


「申し訳ありません」


「いや、謝らなくていいんだよ」


迂闊な行動をしてしまったと反省している。その証拠に庵司さんからの視線が先ほどよりも厳しいものになっている。


「祝言をあげるまでは庵司の別邸にいればいい。いいだろう?庵司」


幸司さんが庵司さんに視線を向ける。


「承知しました、父上」


心の篭ってない無機質な声色に本当は結婚したくはなくて、別邸に私を置きたいと望んでいないことは丸わかりだった。


(でも、この人と結婚しないと私は…)


後がない。出来る限り居座ってやる。私は醜く卑しい女狐なのだから、多分人生最初で最後になるだろう我儘で私の生死は決まる。

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