技師資格を奪われる日
議会へ向かう朝、リゼットは水路の音で目を覚ました。
細い流れの奥に、金属を擦るような不快な響きが混じっている。昨日までなかった音だった。彼女は外套を羽織り、急いで仮設水路へ向かったが、そこに着く前に、見知らぬ男たちが工房の印を掲げて立っているのを見つけた。
「リゼット・アーデンだな」
先頭の男が羊皮紙を広げた。
「部品商会の正式な告発状だ。お前は資格のないまま技師を名乗り、都市の水路を不法に操作し、修復費を横領した疑いがある」
「私は監督官の委任を受けています」
「その委任自体が無効だ。王都の技師資格審査会は、本日付でお前の資格を停止する」
男は別の紙を差し出した。
そこには、リゼットの名前と、技師資格停止という文字が並んでいた。理由として記されたのは、無許可修復、記録の改ざん、住民を扇動したこと。どれも事実とは逆だった。
周囲にいた住民たちがざわめいた。水を汲みに来た子どもが母親の背に隠れ、夜通し弁室を守った老人たちが前へ出ようとする。
「嘘だ」
誰かが叫んだ。
「この人がいなければ、病院区は水を失っていた」
「記録を見せろ!」
声が重なった。しかし男は動じなかった。
「騒ぐな。反抗する者は、証言の信用を失うぞ」
その言葉に、リゼットの胸の奥が冷えた。告発は彼女一人を狙ったものではない。住民が声を上げれば、共犯者に仕立てるつもりなのだ。
そこへエドガーが駆けつけた。彼の手には、王都から届いた封蝋付きの命令書が握られている。
「監督官殿にも通達がある」
告発人が告げた。
「本日中に王都へ帰還せよ。都市の混乱を招いた責任について、監査局で事情を聴取する」
「私がここを離れると思うか」
エドガーの声は低かった。
「命令です。従わなければ、あなたも職務放棄と見なされる」
リゼットは彼の横顔を見た。怒りを抑えているのが分かる。水門を閉じるときと同じ顔だった。力を込めすぎれば、古い弁は壊れる。だが、緩めれば濁った水が一気に流れ込む。
「エドガー」
「何だ」
「帰還命令には従ってください」
彼が振り向いた。
「君を置いていけというのか」
「違います。あなたが王都へ行けば、向こうで命令の偽造を証明できます。ここに残れば、私と一緒に反逆者にされる」
「君は資格を奪われようとしている」
「資格は紙です」
リゼットは停止通知を見下ろした。
「私が直した水路の音まで、奪われるわけではありません」
そのとき、仮設水路の下から、短い衝撃音が響いた。
リゼットは反射的にしゃがみ込み、板の継ぎ目へ耳を当てた。流れが乱れている。誰かが下流側の弁を半分だけ閉じたのだ。水圧を上げ、夕刻までに破裂させるつもりだろう。
「弁を開けて!」
彼女が叫ぶと、住民たちが一斉に動いた。だが告発人の男たちが行く手を塞ぐ。
「資格停止中の者が水路に触れることは許されない」
「このままでは病院区が止まる!」
「それが本当なら、正式な技師を呼べばいい」
リゼットは男の顔を見た。水の音を聞いていない者の顔だった。壊れる瞬間まで、壊れていないと思い込む顔。
「なら、見ていてください」
彼女は腰の工具袋を外し、隣にいた少女へ渡した。
「ミナ、赤い印の付いた留め具を探して。老人会の人たちは、下流の圧力計を見て。誰か、病院へ走って知らせて」
「でも、触るなと言われたぞ」
「私が触る必要はない」
リゼットは住民たちを見回した。
「これは私の資格で直す水路ではありません。ここに水を必要とする人たちの水路です」
最初に動いたのは、昨夜弁室で共に働いた鍛冶屋だった。次に、荷車を押していた若者が工具を拾った。ミナは板の下へ潜り込み、赤い留め具を見つけて声を上げた。
男たちが止めようとしたが、住民の輪がそれを阻んだ。
エドガーはその光景を見つめ、やがて命令書を二つに折った。
「私は王都へ向かう」
リゼットが振り向く。
「本当に?」
「ただし、逃げるためではない。監査局へ、君の記録とマルタの証言を届ける」
彼は公印の付いた封筒を差し出した。
「議会で審査を開かせろ。公開の場なら、住民は証人になれる」
「あなたが戻れない可能性もあります」
「それなら、戻る場所を君が守ってくれ」
胸の奥で、水の音が一度だけ澄んだ。
「約束はしません」
リゼットは封筒を受け取った。
「あなたが戻るまでに、全部を明らかにします」
エドガーは頷き、馬車へ向かった。出発の直前、彼は振り返った。
「リゼット。資格を失っても、君は技師だ」
「それは私が決めます」
「ああ。だから、君自身で決めろ」
馬車が去った後、仮設水路の弁が開いた。濁った水が一度だけ跳ね、それから正しい流れを取り戻す。
リゼットは停止通知を折り畳み、工具袋の底へしまった。
資格を奪われる日が来たとしても、技術まで奪わせるつもりはなかった。
そして翌朝、彼女は住民たちを連れて議会の扉を叩いた。




