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5.訪問者

 そのまま、何事もなかったように日々は過ぎていった。

 ローは、あの日以来、恋とか好きとか口にすることはなかった。ただ、俺に向けられる視線は変わらずに愛しげでやさしいものだったけれど、ローが何も言わない以上、俺も何も聞かないことにした。

 二人きりの部屋で、俺は趣味の機械いじりに打ち込む。その横でローはアドバイスをくれたり、美味しいコーヒーを淹れてくれたりする。

 闖入者が訪れたのは、そんな穏やかな、ある休日のことだった。

「……ティアレスじゃん」

 いつかどこかで俺がつぶやいたような気がする言葉が、入り口から聞こえた。

 そこには、靴を半分脱ぎかけた姿勢のまま、ぽかんと口を開けた友人の姿があった。

「うそ。うそうそうそ、まじでぇ!?」

 靴を放り投げるように脱ぎ去ると、トレンチコートを着たまま、友人は転げるようにローのもとに走り寄った。

 ローが、身を固くして俺を横目に見る。まるで命令を待つ忠犬のようだ。

「あー、ごめんロー。それ友達」

 俺が言うと、ローはわずかに緊張を解いた。しかし友人を見るローの視線は、氷のように冷めきっていて、俺はローがこんな表情もできるということに驚いた。

「ティアレス!?本物のティアレス!?まじで?なんで!?」

 友人はそう言いながら、がっしりとローの腕をつかんで、ローの体をあちこち触りまくっている。こいつ相変わらず寝起きみたいに頭がぼさぼさだなと、俺はとりとめのないことを考えていた。

「なんで!?」

 友人の目が、俺の方を向いた。とがめるような視線だった。

「んー」

「ねえ、なんで教えてくれないの!?」

「いや、ごめん」

「ごめんじゃないよ!ティアレスだよ!?どこでみつけたの!?」

「大谷のオヤジのスクラップ屋」

「あそこー!!?」

 友人は片手で顔を覆うと、文字通り天を仰いだ。

「ちょー穴場っていうか、ないでしょう!普通ないでしょう!で、いくらで買ったの?」

「んー、まあそれは」

 俺は言葉をにごす。

「言わないわけね。まあいいや、大体想像つくから。あのいいかげんなオヤジがティアレスなんて知ってる訳ないもんな」

 友人はそう言うと、くるりとローに向き直った。

「すっげー、本物だ。睫毛長い!顔きれー。肌ちょーきれい。爪きれい。細工こまけー。あ、でも右手は後付けだな」

 友人の手が、ぐいとローの耳をつかむ。

「これかー!書いてるよAって。これがあの、伝説のティアレスのトパーズ付きイヤーカフ!はー、すげえ。寒イボ立つわ」

 このへんで、俺は友人に対してちょっともやっとしたものを感じた。

 いや、機械なんだけど。機械だから痛いとか感じないと思うけれど、耳をぐい、とかさ。

「長谷野」

 俺が言うと、友人がこっちを見た。

「ん?」

「丁寧にな」

「あ、悪い悪い」

 言いながらローを掴んでいた手を離し、心持ち身を引くと、手のひらを見せた格好のまま、ジロジロとローを観察している。

「ロー、悪いけど長谷野にお茶を頼める?」

 俺が言うと、ローはあからさまにほっとした様子を見せた。

「承知しました」

 キッチンに向かうローの後ろ姿を見ながら、友人はソファにどさりと腰を下ろした。

「まじかよ。まじでお前ティアレスのマスターになっちまったの?信じられねえ。お前アンドロイドとかあんま興味なかったろ?」

「ん、まあ」

「でさ、あれ売るんだろ?俺に売れよ!頼む!お前が買った倍、いや三倍出すから!」

 友人の言葉にキッチンに立つローの肩が、ピクリと揺れた。

 俺は慌てて言葉を探す。

「それは無いな」

 心臓が、どくんと鳴る。

「はぁ、やっぱオークションか?あれでこれだと15億は固いからな。そりゃそうだろうけどさー。あー、もうちくしょー!」 

 友人は再び天を仰いだ。

「お前もオヤジの店に行ってみたら?」

 俺の言葉に、友人がジロリと俺をにらむ。

「何それ。お前、ふざけてんの?嫌み?ティアレスだよ?そう何度も落ちてる訳ないでしょ。いや、しかし万が一ってこともあるか?……、いや、ないか」

 友人が、ひとりで煩悶している間に、ローがお茶を淹れて持って来てくれた。

「飲め。うまいぞ」

 俺は言う。

 友人は、お茶をずずっとすすりながら、涎の出そうな目つきで俺の後ろに立つローを眺めている。

 うーん。なんか気持ち悪いな。美人の娘を持つ父親の気持ちって、こんなんかも。

「わかった。じゃあオークションに出す前にさ、よく見せてよ。もうちょっと触らせて。ティアレスを間近で見られる機会なんて二度とないだろうからさ」

 友人の言葉に、俺は心の中で唸った。

 まあ、そもそもこの友人の存在がなかったら、俺もティアレスの存在を知ることもなかっただろうし。……でも。

「頼む!このとーり!」

 友人が、ぱんと手を合わせて、おおげさに頭を下げる。

「……どうする?ロー」

 困ってローを見ると、ローは固い表情のまま小さく頷いた。

「ありがたい!」

 友人が、ローに飛びかかる。

「ちょーっとここ座って」

 ローの腕を掴んで、自分の横に座らせると、友人はローの顔を掴んで、目を覗き込んだ。

「眼球はグラスか?いや、強化アクリルか。へー、虹彩動いてる。細かいなー。ちょっと口開けて。おお、舌の再現性かなり高いな。材料なんだろな。30年前でこれとは、神だね、まったく。奥は……見えないな」

 無遠慮にローの口の中に指をつっこむ友人に、またモヤモヤしてくる。

 なんか、なんかすごく……いやだ。

「長谷野」

「あー、うん悪い。あれ?何これバンソコー?」

 友人が、ローの額に手を伸ばすと、ローはびくりと身を震わせて、驚くほどの勢いで立ち上がり、その手を避けた。

 ローが、救いを求めるように俺を見る。

「長谷野、ロー嫌がってるから」

「うん、わかった。触んないよ。はあ、さすがティアレスだね。この自律性はなんとも新鮮。ぞくぞくするよ。でも下、傷があんのか?だったら早く直した方がいいぞ。そこから劣化したりするから」

「わかった」

「な、そのバンソコー大事なんだな。触んないからここ座って」

 友人がローに言うと、ローはこちらを見ながら、ゆっくりと元の位置に戻った。

「はいはい、大人しくしてろよ。手出して。左ね。握って、開いて」

 ローが、友人の言葉に従う。

「なるほどねー、アクチュエーター滑らかだなー。筋肉とか血管とかもだいぶ拾って再現してるよ。『揺らぎ』もさすがだね。違和感ないよ。さてと、じゃあいよいよ中見るか。ちょっと動作止めさして」

「え?」

 俺は驚いた。

「中身見たいからさ。噂のDNAコンピュータ。ココロシステムって奴」

「止める?って、え、何?」

 胸が、ざわりとした。

「いや、中見るには止めなきゃでしょ。こん中にティアレスの秘密がつまってるんだよ。高松晶子博士のみ、たどり着いたDNAの微細構造に反応装置。自分で設計図を描き、人間に近い自我と感情表現を持つ唯一のアンドロイド。彼女以外誰も解けてない謎っていうのがさ、ロマンなんだよねー。ティアレスのDNAコンピュータに比べたら、今のアンドロイドに搭載されてるコンピュータなんて、糞も糞。技術ばかり進歩した出来損ないだよ」

「自我……心……あるのか」

「え?何今さら。知ってたから、このアンドロイドにああいう態度とってんでしょ?いちいちお伺い立てたり。ほんじゃ、止めるよー」

 友人の手が、ローの耳の中に入っていく。ローの目が、見開かれている。

 俺のローに襲いかかる、無遠慮な手。

 俺は初めて、友人の行動に心からの嫌悪を感じた。

「やめろ!」

 思わず立ち上がり、友人の手を叩いた。

 友人が、目を丸くして俺を見た。

「……トオヤ」

「悪いけど、帰ってくれ」

「え?何お前、マジで怒ってんの?」

「帰れよ」

 ローが立ち上がり、俺の後ろに立った。

「トオヤ。ごめん、悪かった。そんな怒んなよ。お前が嫌ならしないよ。見るだけ」

「帰ってくれ」

 俺の表情から何かを読み取ったのか、友人はハアッと深いため息をつくと、立ち上がった。

「……わかった。今日は帰る。でもまた来させてよ。だってティアレスだよ?こんなチャンスないって。外から見るだけだからさ。あとオークションの日が決まってるなら教えて……」

 俺にギロリと睨まれて、友人は肩をすくめると、「またな」と言って、玄関から出て行った。

 閉まった扉を見つめたまま、俺はしばらく立ち尽くしていた。

 自分で、自分の怒りをコントロール出来なかった。こんなことは初めてだった。

 俺は、何にこんなに怒っているんだろう。

 友人の、あの無遠慮な態度に?自分の持ち物を乱暴に扱われたから?

「トオヤ」

 ローが、俺の肩に触れ、静かにソファに座るよう促す。俺はヨロヨロと、ソファに腰掛けた。

 しばらくして、ローが湯気の立つコーヒーを運んで来てくれた。そのカップを握りしめた。小刻みに手が震えた。

 震えるほど興奮するなんて、久しぶりだ。

 しばらくして、ローが言った。

「わたしをオークションに出されるのですか?」

 ローの言葉に、心臓が締め付けられるように痛んだ。目の奥が熱くなる。

 言葉にしようとして、でも何か言ったら泣いてしまいそうで、俺は小さく頷いた。

「そうですか」

 ローが言った。その表情からは、どんな感情も読み取れなかった。 

 でも、ローはきっと傷ついている。いっぱい傷ついている。

 次々に涙が溢れて落ちてきた。

「……だって、仕方ないんだよ。俺、高卒だし。機械工で、給料安くて。親、死んだけど、生きてる時、いっぱい援助しなくちゃなんなくて、金だって借りてさ。借金まだ返せてない。君を買うのに、また借りちゃったし。金なくて。……俺、無理なんだよ。ごめん。君のマスターになれなくて」

「トオヤ」

 ローの手が伸ばされて、俺の頬に触れる。じんわりと暖かい。俺を慰めようとしてくれている。

「ロー、あいつに、嫌なこといっぱいさせて、ごめん」

「トオヤ、泣かないでください」

 俺は思わず、ローの手にすがりついた。ローが、両手を伸ばし、俺を抱きしめてくれる。

 ローの胸に顔を押し付けて、俺は声を殺して泣いた。

「トオヤ、泣かないでください。あなたが苦しんでいるのが、わたしは一番つらい」

 俺は、黙ってうなずく。心の中で、何度も何度もごめんとつぶやきながら。

「トオヤ。わたしはあなたの決断を尊重します」

 涙がローの胸元を濡らすのを、また申し訳なく思いながら、俺は泣くのを止められなかった。ローはずっと、俺の背を撫でながら、俺を抱き続けてくれた。 

 俺が、あの時怒ったのは、ローの意思を無視して、ローを機械のように扱われたからだ。

 俺のローに。自分だって、さんざんローを機械として扱ってきたっていうのに。

 俺は全部に怒っていた。何より、ローを守りきれない自分自身を、俺はどうしても許すことができなかった。


 その夜、俺はローをオークションに出品登録した。


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