第1話 火のない灯り
「……火、ついてないよな?」
真昼間の通りで、俺は店先に並べられた小さな灯りを覗き込んでいた。
細い金属の枠に硝子の筒。その内側が、ふっと青白く光った。芯も油も見当たらない。試しに横から見てみても、やっぱり火はない。
「兄ちゃん、近い近い。まだ直してる途中だ」
奥にいた職人らしい男が、俺の鼻先から灯具を引っ込めた。
「あっ、すみません。今の、どうやって光らせたんですか?」
「どうって……ここを合わせて、こっちを締めるんだよ」
男は裏返した灯具を見せてくれた。金属の内側に細かな線が彫られている。ねじを回すと、さっきより明るい光が硝子の中に広がった。
「おお……!」
「お、今度はいいな」
俺より男の方が嬉しそうだった。ところが、しばらくすると光がちかちか瞬き始める。
「……よくないな」
男が舌打ちし、またねじを緩めた。
何だこれ。電球なら光っている部分が見えるのに、こいつは硝子の中が丸ごと明るい。どういう仕組みなのか聞きたかったけれど、男の手元はもう細かな部品でいっぱいになっている。
「兄ちゃん、悪いけど、そこ空けてくれ!」
背後から声がした。
「え?」
振り向くと、荷を山積みにした荷車が迫っていた。
「うわっ、すみません!」
慌てて道の端に飛び退く。石畳を車輪が跳ね、木箱ががたがた揺れながら通り過ぎていった。
危なかった。見物するにも場所を選ばないと。
「気になるなら、また来な。直ってりゃ見せてやる」
職人が笑った。
「はい! ありがとうございます!」
思わず元気よく返事をしてから、肩の荷物を持ち直す。
ここは領都ヴェルノス。ラウゼン村とは、人の数も店の数もまるで違う。
道端では金属を削る音がして、向かいの店からは焼きたての生地の匂いが漂ってくる。荷車を避けながら歩いていたら、今度は籠を抱えた子供に追い抜かれた。行き先を見失いそうになるくらい、目に入るものが多い。
あの灯具は、直ったら誰の家へ戻るんだろう。店先に並んでいた細かい部品を思い出す。もう一度見てみたくなった。
「……っと、また寄り道するところだった」
先に荷物を置かなきゃ。
俺は道順を書いた紙を広げた。村を出る前、エルマが教えてくれた目印を写したものだ。ここまでは合っているはずなのに、目の前には似たような路地が二本ある。
「どっちだ、これ」
悩んでも仕方ない。さっきの職人はもう作業に戻っていたので、近くで布を並べている人に声をかけた。
「あの、すみません。この目印のある家へ行きたいんですけど」
相手は紙を覗き、あっさり右手を指した。
「その角から裏へ回ると早いよ。二つ目の曲がり角を左だ」
「ありがとうございます!」
ちゃんと通じた。ラウゼンに来たばかりの頃なら、目の前でどれだけ説明されても、頷くしかできなかっただろう。
この街へ来たのは、日本へ帰る方法を探すためだ。村で聞いた、昔ここにいたという変わった技術者の噂。それだけを頼りに出てきたから、正直、何が見つかるのかは分からない。
でも、さっきの灯具みたいなものを作って直している人たちなら、話を聞けるかもしれない。
まずは今夜の寝床だ。
教えられた通りに曲がると、賑やかな通りから少し離れたところに、探していた家が見つかった。
「もしかして、カイ?」
扉を開けた女性が、俺の荷物に目をやった。
「はい、霜鳥櫂です。エルマから話が――」
「聞いてるわ! 私はネリサ。重かったでしょう、入って入って」
中に通され、ようやく肩から荷物を下ろした。
ネリサさんは水を持ってくると、俺の向かいに腰を下ろした。エルマの母親だ。エルマは、俺がこの世界へ来て最初に助けてくれた女の子で、今も祖父のガレオスさんとラウゼン村で暮らしている。
「それで、エルマは元気? おじいちゃんを困らせてない?」
「元気ですよ。出発する朝も、俺の荷物を全部開けようとしてました」
「えっ、どうして?」
「忘れ物がないか自分で確かめるって。俺が一回見たって言っても、全然聞かなくて」
「ああ、あの子なら言いそうね」
ネリサさんは笑った。けれど、そのまま杯に水を注ごうとして、ふと手を止める。
「……ねえ、背は伸びた?」
「俺が村に来た頃より、少しは伸びたと思います。本人はもっと伸びるつもりらしいですけど」
「そう。次に服を送るときは、大きめにしなきゃね」
玄関の扉が開いたのは、そのときだった。
「ただいま。……おっ、カイか!」
入ってきた男性が俺を見て笑った。
「オルヴェンだ。よく来たな」
「初めまして。カイです。しばらくお世話になります」
「腹減ってるだろ? 今、作るからな」
そう言って、もう台所へ向かおうとしている。
「まず手を洗ってきてね」とネリサさん。
「洗う洗う。……なあカイ、エルマは最近、何をよく食べてた?」
「ええと、ガレオスさんが作る煮込みとか。おかわりもしてましたよ」
「そうか。じゃあ、今度あいつが来たときは何を作ってやるかな」
オルヴェンさんはしばらく考え込んでから、「まあ、先に今日の飯だな」と笑って台所へ引っ込んだ。
台所の方で鍋がかちんと鳴った。入り口から覗いてみると、鍋の片方の取っ手だけ、色の違う金具で留め直してある。長く使い込まれた鍋肌は黒ずんでいるのに、その金具は妙に新しかった。
「その鍋、直したんですか?」
「ああ。取っ手が折れたんだよ。この辺には、そういうのを直す店も多くてな。……あ、そこの蓋取ってくれるか?」
「はい」
蓋を渡すと、オルヴェンさんは鍋をひと混ぜし、湯気を逃がしてから蓋を載せた。香草の匂いに腹が鳴り、笑われてしまった。
窓の外では、夕方になっても荷車の鈴が鳴っている。向かいの通りからも、金属を打つ音が聞こえた。
「お待たせ!」
卓に運ばれてきたのは、深い器に盛られた肉と野菜の煮込みだった。湯気から知らない香草の匂いがする。一口食べると、柔らかな肉のあとから少し酸味が広がった。
「うまっ。これ、何が入ってるんですか?」
「肉と根菜、それから干した赤い実。酸っぱいのはその実だな」
オルヴェンさんが匙で示した先に、煮崩れた赤い皮が浮いていた。
「じゃあ、この匂いは?」
「刻んだ香草だ。……苦手か?」
「いえ、好きです。何の匂いだろうって」
「ならよかった」
オルヴェンさんは満足そうに自分の皿へ手を伸ばした。
ネリサさんは俺がまだ料理を眺めているのを見て、面白そうに言った。
「お店でも初めてのお客さんに出すと、よくそういう顔をされるのよ。どんな味か分からないでしょう?」
「はい。でも、食べたらおいしいです」
「今度、店にも顔を出して。働いてるときのこの人は、もう少し真剣な顔をしてるから」
「俺は今だって真剣に飯を食べてるぞ」
思わず吹き出した。
二人は同じ食堂で働いていて、オルヴェンさんが料理、ネリサさんが注文や会計を担当しているそうだ。今度店へ行ったら、何を食べよう。
食べ終わる頃、日本での夕食を思い出した。母さんが妹の栞を呼んでも返事がなくて、父さんが代わりに「はーい」と返していたことがある。あれは何度聞いても笑ってしまった。
……栞のやつ、ちゃんとご飯食べてるかな。
「カイ、まだ食べられるか?」
オルヴェンさんが鍋を持ち上げた。
「あ、もう少しお願いします」
さっきより大きい肉が、ごろっと追加された。
食後、寝る部屋を案内してもらう前に、滞在中のことを相談した。
「村で働いて貯めたお金があるので、食費は出させてください。家のことも手伝います」
「そうね。いくらくらい必要か、何日か暮らしてから決めましょう」とネリサさん。
「皿洗いは歓迎だぞ。俺は料理を作ったら、もう片づけた気になっちまう」
「そこは自覚してたのね」
「……明日から洗います」
俺がそう言うと、ネリサさんは「今日はゆっくり休んで」と笑った。
「明日はどこか行くの?」
「市場に行ってみようと思ってます。村で、昔この街に変わった技術者がいたって聞いたんです」
「ああ、エルマの手紙にもあったわね」
「日本のことを知る人がいなくて。何でもいいから、手掛かりになればと思って」
ネリサさんは頷いた。
「市場なら、色んなところから人が来るわ。うちの人は料理の材料しか見てないけど、あなたは違うものを見つけられるかもね」
「おい、それはひどいな」
「明日、入口まで案内するわね。帰りが遅くなるなら教えてちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
そこへオルヴェンさんが台所から、細長い根菜を一本持ってきた。
「ついでに頼んでいいか? 市場でこれと同じのがあれば買ってきてくれ。なければいい」
根の先だけ赤く、上の方は白い。手に取ると、土の匂いがした。
「これなら見つけられそうです。何本ですか?」
数を教えてもらい、忘れないうちに紙の余白へ書きつけた。
夜になっても、街は静かにならなかった。向かいの店の軒先に、青白い灯りがともっていた。昼間の灯具に似ている。店じまいをしているのか、男が軒先の木箱を一つずつ店の奥へ運んでいた。
あの職人の灯具も、もう直っただろうか。
日本にいたときは、帰りが遅くなると朱奏から連絡が来た。今は、俺がどこにいるのかを、朱奏にも家族にも伝えられない。
神社で朱奏を庇おうと手を伸ばしたところまでは覚えている。その先がどうしても曖昧だ。目を覚ましたのは、見知らぬ山の麓だった。
……あいつ、無事だよな。
寝返りを打ち、しばらく天井を見ていた。
廊下の向こうでは、ネリサさんたちが明日の仕事の話をしている。人の声を聞いているうちに、いつの間にか眠っていた。
翌朝、ネリサさんに市場の入口まで案内してもらった。そこから先は、一人だ。
昨日はただ圧倒されていたけれど、少し歩いてみると店ごとの違いが面白い。籠いっぱいの香草を並べる店、店先で包丁の切れ味を試す料理人、使い古した金属の部品を布の上に広げた店。
頼まれた根菜を見つけて買ったあと、金属の管や継ぎ手を扱う店に足を止めた。並んでいる部品のうち、いくつかには見覚えのある細い線が彫られている。
「あの、これって、灯りにも使うんですか?」
店の男性が顔を上げた。
「ああ、使うのもあるよ。けど型が合わなきゃ駄目だ。買って帰っても動かないなんて、よくある話さ」
「昨日、修理してるところを見たんです。直したのに、すぐ点滅しちゃって」
「そりゃ、調整が足りないんだろ。まあ、他にも原因はあるけどな」
男は手元の部品を一つつまみ、磨り減った縁を見せた。
「こういうのは、見た目が同じでも長く使ってると変わるんだよ」
俺には違いなんてほとんど分からない。顔を近づけると、男は部品を日差しの当たる方へ傾けてくれた。細い線の一部が、擦れて消えかかっている。
「あの、もう一つ聞いていいですか」
「何だい?」
「昔、この街に変わった技術者がいたって話を聞いたんです。遠くから来た人で、珍しい物を作ってたとか……」
「名前は?」
「分からないです」
「いつ頃?」
「それも……」
男は目を丸くしたあと、苦笑した。
「そりゃ探すのが難しいな。どこで聞いた話だ?」
「ラウゼン村です。村へ来た人から聞いた話で」
「なら、元の話をした奴をたどるしかないかもな。工房の噂なら、材料を卸してた連中が覚えてることもある」
「古くから材料を扱ってる店って、この辺りにありますか?」
「向こうの角にある金物屋を訪ねてみな。うちよりずっと昔から商売してる」
「ありがとうございます!」
男は笑って、ついでのように付け加えた。
「ただし、あっちも知らなかったら知らないぞ。名前なしじゃな」
「ですよね……」
思わず一緒に笑った。
店を離れると、市場の外れへ歩き出す。頼まれた野菜の袋が、腕に当たって揺れた。
途中、通りから少し奥まったところで、荷を積んだ木箱が一列に並んでいた。その先の細い路地から、男の声が聞こえる。
「ちょっと来てくれれば済む話だって」
「だから、行かないって言ってるでしょう」
女の子の声だ。
妙なやり取りに足を止めた。路地の奥から笑い声が返る。
「そんなに警戒しなくてもいいだろ」
「警戒させてるのは、そっちよ。道を空けて」
何があったんだ?
木箱の横から覗くと、男が三人いた。通りへ出る道を二人が塞ぎ、もう一人が壁際に立っている。
その間に、淡い金髪の少女がいた。肩にかかるくらいの髪が動く。小さな包みを片腕に抱えたまま、出口側の二人の間合いを見比べていた。
「ほら、こっち来いよ」
一人が腕を伸ばした。
「触らないで!」
少女は身体をひねってかわした。男の手が空を切る。
木箱の向こうでは、客を呼ぶ声が何度も重なる。通りを歩いていた人が一人、少女の声に振り向いたが、そのまま行ってしまった。
少女はもう一度、男たちの間と通りを見た。
そして、俺と目が合う。
「ねえ、そこのあなた! 悪いけど、人を呼んで!」
俺は買い物袋を木箱の脇に置き、通りへ向かって声を張り上げた。
「誰か! こっちで――」
「おい、何してんだ!」
男の一人が、俺の方へ歩いてきた。




