余談・その後の日本
1946(昭和21)年4月8日、牡丹江
「立派な外見なのに、これでは張りぼてじゃないか」
ひとりの男が、最近配備された新型戦車の前でそう呟いた。
「小隊長、何やってるんです?」
そこへ、別の男がやって来た。
「高鉢か」
小隊長は高鉢に自分がやった事を説明した。
戦車学校で教わった様に、戦車にヤスリをかけてみたら削れたのである。削れないと教わったのに、削れてしまった。目の前の戦車が酷く陳腐な張りぼてに見えたと。
「小隊長、四平で古い知識を教え込まれたんですね」
小隊長は高鉢が何を言っているのか分からなかった。
「小隊長、今、我が軍が使う砲弾は何ですか?」
小隊長には、なぜそんな話になるのか分からなかったが、それくらいは当たり前に知っている。それに、階級は下だが、相手はサラモアでシャーマン相手に戦っていた古参兵であり、雑に扱える存在ではない。
「それは、モチ、被筒、タ弾、榴弾だな」
「はい、そうです。そのうち、小隊長の仰る表面硬化装甲で防げない弾はどれでしょうか」
高鉢は、まるで戦車学校の教員の様な口調で問う。
「モチはまず無理だ。硬さなんて大した意味はないらしい。被筒はどうなんだ?」
「はい。モチは衝撃波により内壁を剥離、飛散させるので表面硬化では防げません。被筒は、そうですね。トンカチで木を叩いても割れませんが、クギなら刺さりますよね?硬いクギを用意すればラワンの様な木にすら刺せます」
小隊長は高鉢の言わんとする事が分かった。
「硬かろうと、矢じりの様な細く尖った被筒の芯なら、貫けるか」
「はい。ただ、それを阻止するために、こうした傾斜を付けて滑らせたり、実際に進む距離を伸ばす事で防ぐ様に作られています」
被筒とは、イギリスで実用化された装弾筒付き徹甲弾の事である。日本では被筒甲弾と呼称されている。
「すると、タ弾もこの装甲では無理か?」
小隊長は、不安げに高鉢へとそう聞いた。
「そうですね。一枚板なら、アメリカのバズーカやドイツのパンツァーシュレックで撃ち抜かれるかも知れません。そうならないために、雑具箱にもなる外装や棚がついているんです」
ドイツ戦車が装備するシュルツェンの様に、車体にはスカートが垂れ下がり、砲塔側面や後部には棚や箱が取り付けられていた。
「砲塔のこの装甲も、間にゴムと鉄板を重ね合わせて厚さを増していますよね?このゴムでモチの衝撃波を逃がし、タ弾の穿甲噴流が車内に到達するのを妨げます」
実際にサラモアでバズーカと対峙した高鉢が言うのだから説得力があった。
「なるほど、すると俺の教わった事は古いのか」
「はい、残念ながら。昔の炸薬を詰めた徹甲榴弾なら表面硬化によって砕けるでしょう。しかし、今主流の砲弾には効果が薄く、製造の手間を考えれば、これからの戦車に使う意味がないのです」
牡丹江に駐留する、久留米戦車第一連隊へ最近配備された戦車は、五式中戦車チカである。
日本陸軍は怪文書から得られた情報を元に様々な戦車を開発していた。
南雲がインド洋を制した後は独伊からの技術導入やⅣ号戦車、Ⅵ号戦車の輸入を行い国産化を目指したが、Ⅳ号戦車は将来性に乏しく、Ⅵ号戦車に至ってはその重量から生産や輸送の問題まであり、国産化は上手くいっていなかった。
その様な状況の中で、二式軽戦車や九七式中戦車チハを改良した間に合わせ車両とモチ弾で何とか誤魔化していたが、限界が目に見えていたのであった。
そんな折、イギリスが停戦した事でイギリス製戦車や火砲が手に入った。
なかでも、キャバリア巡航戦車は陸軍の望む未来型戦車の要素をいくつも備えており、早速ベースとして新たな戦車開発がはじまる。これがチカ車の原初の姿であった。
この様に、日本は1939(昭和14)年から様々な開発を始めており、1943(昭和18)年には30トンクラスを支えられる400馬力級エンジンも完成していた。
ただ、そのエンジンは少々難物で、陸軍が求める空冷ですらなかったが。
ところが、新たにベースとしたキャバリアが水冷であった事から上手く噛み合う事になり、サスペンションもクリスティ式から日本で開発されたシーソー式の技術を取り入れた変則ボギー式(ホルストマン式の亜種)が新たに開発され、変速機はドイツから工作機械と技術を得て、新型中戦車チカを完成させた。
ただ、Ⅵ号戦車国産化の為、必死に開発していたトーションバーサスペンションは間に合わず、開発継続の形となっている。
チカはキャバリアをベースとしながらも、車体前面は傾斜装甲へと変更され、砲塔も垂直箱型ではなく、傾斜に優れた亀甲型を志向したが、実現するだけの鋳造技術がなく、さらに主砲に選定した8.8センチkwk36には狭すぎた。
そこで、怪文書に記載された戦車の中から使えそうな砲塔形状を漁り、基部を鋳造亀甲型のまま、主砲の操作に必要な容積に合わせて鋼板溶接で砲塔を組み立てるという、いびつな形状の砲塔へと変貌している。
こうまで大口径に拘った理由は、日本の技術力にあった。
ドイツの7.5センチkwk42やイギリスの17ポンド砲の性能を安定して実現するのは日本の冶金技術では難しく、大口径による威力増加が求められていたからだ。
特に徹甲弾の性能差は如何ともしがたく、モチ弾に頼る場面がまだ多いという背景が存在した。
こうして開発されたチカは、同じくキャバリアをベースとしたイギリスのコメット巡航戦車と比較される事が多い。
重量はほぼ同じ34トン、車体サイズも似通っている。ただ、車体前面は傾斜装甲となり、砲塔が歪な先細りしたナニカに変貌したという違いがあった。
エンジンはコメットがV型ガソリンエンジンなのに対し、チカは対向ピストンディーゼルエンジンという違いがある。
このエンジンはユモ/クルップ式のライセンスを取得した日本デイゼルに試作させていた戦車用エンジンを採用したもので、当時三菱で開発されていた統制型エンジン拡大型より小型軽量であった。ただ、液冷であり、さらに出力向上のために排気過給器を備え520馬力に高めた事で、軽量という利点は失われていたが。
主砲はコメットが17ポンド砲をベースとした77ミリHVなのに対し、チカは8.8センチkwk36を国産化した四式八糎八戦車砲であることから、性能は近距離ではコメット有利であった。
総じて両車とも、T34を撃破出来る事に変わりは無く、スターリン戦車にも対抗出来る性能を有していた。
防御力に関しては、傾斜装甲や多層積層装甲、空間装甲を持つチカに軍配が上がる。
イギリスはコメットの後にセンチュリオンを登場させる事になるので、日英の差はすぐまた開いたとも評されるが、防御技術の点では日本が先んじていた事は間違いない。
閑話休題
高鉢による小隊長への講義が終わりを迎えた頃、呼集の声が掛かり、ふたりは駆け出した。
集められた先には連隊長が待っていた。
「これより、我が戦車第一連隊はウスリースク攻略を行う事となった!これは演習ではない!!とくに福田!慎重にやれよ?」
まさか満州で戦争なんて起きるはず無い。と、呑気に構えていた小隊長福田にとって、それは衝撃であった。
「小隊長、戦車は俺に任せてください。ドッシリ構えて居れば何も怖くありません」
歴戦の古参兵高鉢が、ニコリとそう声を掛けてきたのでホッと胸を撫で下す福田であった。
当時のソ連情勢は複雑怪奇であった。
前年12月にエカテリンブルグへ逃げたスターリンは徹底抗戦を唱えたが、3月半ばに何者かに暗殺される。様々な幹部に犯行の嫌疑がかけられたが、戦時の混乱に権力闘争が重なり事態は混迷し、シベリア、沿海州へもその波が押し寄せていた。
それを見た満洲国は故地回復を表明する。それを受けて日満両国は沿海州侵攻を計画した。
日本はソ連がいつ侵攻して来ても良いだけの準備をしていたので、すぐさま故地回復作戦が実行に移される事となったのである。
久留米戦車第一連隊は、戦車第一師団の隷下部隊として作戦に参加し、第三中隊第五小隊を預かる福田も出撃する事になった。
この戦いで、いとも容易くT34を撃破するチカの勇姿を後に、「満蒙の虎」という小説として世に送り出す事など、福田本人すら未だ知る由もないのだった。
チカたんの誕生である。
ちょっと仕様が異なるチカたんになったけど、それは歴史が違うのだから仕方がない。
何を言っているのか分からない人は、「とある世界の日本」に収録しているチホたん秘話を読んでください。




