まだ見えぬ世界
私はある日を境に、目が見えなくなった。
私には光がなかった。絶望という暗黒だけが、私の心を飲み込んでいた。
ーーねえ誰か、私を助けてよ。誰でも良いから、私を助けて。
春という季節に私は胸を踊らせたーーはずもなかった。
私には生きがいがなかった。生きる意味など皆無であった。
だからーー生きたいなんて、これまで一度も思ったことはなかった。
それは春の日、高校に入学した私は白杖を持ち廊下を歩いていた。
高校など退屈である、私は一度も授業に出ることはなく、春の風に吹かれて学校の屋上へ向かっていた。そこの扉を開けると、男のこぼれた声が聞こえた。
「ん?」
先客がいたか。
私が引き返そうとした時、その男は私へ言った。
「おや。君もサボりか?」
私は何も言わず、その場を後にしようと振り返る。小鳥が私の顔へと飛びつき、そこで体勢を崩してしまった。
私は倒れ、階段から落ちるーーその間際、何者かが私を覆うようにして抱き締め、共に階段を転がった。
私はかすり傷もなく済んだが、私を助けてくれた人物はきっと大怪我を負っているだろう。だが私には分からない。だって目が見えないのだから。
「いててて」
そんな呑気なことを言いながら、私を助けてくれた人物は口を開いた。
どうやら、死んではいなかったらしい。
「あのー、大丈夫ですか」
私は彼へ言った。
「大丈夫ですよ。君の方こそ大丈夫かい」
「あなたが護ってくれたおかげで助かったよ」
「ねえ君、なんでずっと目を閉じているの?」
唐突に彼はそう訊いてきた。
特に隠す必要もないし、私は杖を拾い、立ち上がりながら彼へ言った。
「私はさ、生まれつき目が見えないんだよ。だから杖を持っているし、目も開かないって感じかな」
「なるほど。じゃあ俺の顔も見えないのか」
「うん。そういうことになるかな。というか、どうしてあなたは授業中なのにこんなところにいるのですか」
「授業なんてつまらないだろ。だから君も授業を抜け出してここにいる。違うかい?」
「大正解。授業なんて受ける必要はない。そもそも、私はこの学校に入りたくて入ったわけじゃないしさ」
「じゃあどうして入ったんだ」
「それはだな、ある人物に言われたんだよ。この学校に入れば私の目は治ると。だが実際、治るどころかこんなにも退屈な人生を送らされて、正直嫌気が差している」
私は大きなため息を吐いた。
「奇遇だね。俺もこの世界には退屈していたところだ」
それに何の返答もしないでいると、しばらく沈黙が流れた。その後、彼はゆっくりと口を開き、言った。
「ねえ、今から俺と一緒に図書館でも行かないか」
「図書館って、私本読めないんだけど」
「だからだよ。俺が読み聞かせてやるから、来ないか?」
断る理由もないし、悪い人でもなさそうだ。それにこの人は私を救ってくれた。一度くらいは行ってみても良いだろう。
そう思い、私は彼とともに図書館へ向かった。
「目には目を、っていう本あるけど、それで良いか?」
「うん」
実際、なんでも良かった。
私はその話を読み聞かされることとなった。
それは王子様が目の見えない王女を救うため、目を治す力を持った不思議な花を手に入れる話であった。
しかし花を手に入れる途中で王子は両目を怪我し、目が見えなくなった。だが何とか花を手に入れ、王女は目を手に入れた。
だが王女は王子が目を失っていることを知り、心を痛めた。そして王女はーー
とても切ない終わり方に、私は特に何か感想を言える心情ではなかった。
それは彼も同じであったのか、何も言えずに本を閉じる音だけが響いた。
そこで図書館の閉館の知らせの放送が流れ、私たちは図書館を後にした。その帰り道、彼は私に言った。
「なあ、こんなことを訊くのは失礼なのは分かっている。だけど訊いておきたい。君はさ、目が見えるようになったら嬉しいか?」
「うん、嬉しいよ。そのために私はこの高校に来たんだから。でもさ、入った後で思ったんだ。結局、私の目が見えるようになることはないんだって。だってあの本みたいなお伽噺は、現実世界ではあり得ない。だから私は背負い続けるしかないんだよ。この体を。それにさ、悪いことだけじゃないしさ。目が見えなくても、良いことはきっとあるから」
そう、きっとある。
きっと、きっと……きっとだ。
私はそう自分へ訴えかけた。
けれど私は希望を抱いていた。お伽噺のような話を。不思議な花の存在を。




