終 後に勇者と呼ばれる少年の視点
「くっ、なんでこんな奴がここに……!」
王都から山を2つ越えた先に広がる荒野。
満身創痍の姿を映す少年と仲間の先には、天をつくような巨体をほこる一匹の“魔竜”が立ち塞がっていた。
黒く分厚い鱗に全身を包み、湾曲した鋭い2本の角がばちばちと青色の稲妻を湛えている。空を覆い隠すがごとく展開する双翼が暗い影を落とし、爛々と輝く紫色の双眸が射殺さんばかりに少年達を見下ろすと、少年の仲間である女性神官が短い悲鳴を上げた。
「なんでこんなところに魔竜種が……この辺には猿しかいないハズだろう!」
「最近、魔物の動きが活発になってるって聞いてたけど、まさかこいつらが王国圏まで出現するなんて……!」
「『聖玉』や『神翠玉』級の冒険者でも十全な準備で勝てるかどうかって相手だぞ。今の俺達じゃ……!」
「ど、どうするの。リーダー!」
どうするって、戦うしかない。
当の魔竜が逃がさないと言っている。
でも、魔法での攻撃も【聖剣】での一撃もあの鱗にはかすり傷すらつけられなかった。そんな相手にどう戦えというのか。
少年は選ばれた人間だった。
最年少で《聖騎士》としてのスキルを極め、教会から神託を授かり国王の手から【聖剣】を授かり“魔物”“魔獣”“魔竜”そして“魔族”の頂点に君臨する“魔王”を倒すべく旅立ったばかりだった。
【聖剣】は使い手の成長と共に攻撃力を増す神の加護が付与されている。
多くの魔物や魔獣と戦って経験を積んでいけば、いずれ少年の振るう聖剣の刃は魔竜の鱗を切り裂くまでに至るだろう。
共に歩むパーティーの仲間も、戦士ギルドに所属するエースや教会に所属する聖女に魔導を極めた黒魔術師など、まだ若輩ながらも既にその道では名の知れた英雄候補ばかり。
無限の可能性を秘めた彼らを束ねるのが少年だったが、不運なことに魔竜との遭遇はまだ早すぎると言わざるを得なかった。
「あの2本角から来る雷撃だ……広範囲に拡散して確実にこちらの動きを奪ってくる。こんなのどうやって防げば……」
「こっちに来ますよ!」
「畜生、あいつのエサはギガントだけじゃなくて人間もってわけか!」
魔竜は口に程よく収まるサイズの“生きた獣”を食糧として好む。有体に言ってしまえば人間のそれだ。
ギガントだけならば複数体相手だろうとパーティーの敵ではなかった。まさかそれらを補食する生物が現れるなんて、完全に予想外だった。
「く、来る!」
「みんな構えろ!」
そんな指示されたところで鎧すら貫通してくる雷の衝撃をどう耐えろというのか。
はたして魔竜を震源に放たれた蒼雷は周囲のあらゆる物質を弾き飛ばし、粉砕する。
少年達パーティーの身体も小石のように吹き飛ばされると、あるものは岩に激突し、あるものは地べたに叩きつけられてそのまま意識を失った。
「ぐ……くそ……!」
少年だけは何とか受け身を取ったものの、雷の衝撃で体が麻痺して立ち上がることすらできない。
そうこうしている内に魔竜が地響きを立ててこちらへやってくる。
魔竜が嗤っているような気がした。ゆっくりと食事にとりかかるつもりなのだ。
「僕は……ここまでなのか」
少年が死を覚悟したその時だ。
魔竜が歩みを止め、その長い首を別の方へ向けている。
「……?」
少年がそちらを見ると、そこにはひとりの女性が立っていた。
歳は自分よりも2つか3つは上と思われる。長く美しい金糸の髪に透き通るような白い肌。まるで貴族令嬢のように繊細なラインを描く体型に、母性を醸す双丘の膨らみが窺える。
薄桃色の唇、整った鼻梁、程よい肉付きの輪郭――顔をつくる全てが整い尽くしたと言えるほど、こんな戦場にはおよそ不釣合いな絶世の美女。
だがそれ以上に、少年の心を奪ったのは2つの色だ。
1つは彼女の衣装。
大きくスリットが開いて太腿が露出しているものの、パーティーの一員である《聖女》が着ているローブに似ているものがあった。
ただし清らかさを象徴するそれと違って、眼前の女の衣装は全く異質な色に染まっている。
強烈な忌避を感じる、どす黒くも鮮やかな赤い色で。
――あれは血の色だ。
少年とて、もう幾度となく戦闘を経験した。
魔物の体を切り裂き、あるいは自身が傷を負うたびに、命の流れが吹き出すのを目にしてきた。
だからこそ断言できる。
煽情的にさえ映るその布地を染め上げるのは、生き血だ。
そんなものを身に纏って事も無げに佇んでる女に、少年は戦慄すら覚えた。
そしてもう1つ。
彼女の双眸。
宝石のような輝きを放つ碧眼に宿る、底の見えない深淵の色。
美しいと思うと同時に、虚空を眺めるだけで彼女は何も見ていないのがわかる。息をしていても、その心がとっくに死んでいるのだと感じる。
遠いどこかを見据えて、儚くも幽鬼のようにたゆたう人の形をしたなにか。
それが、彼女に感じる全てだった。
どこに向かっているのか、細腕の先には紐が握られ布の袋を引きずっている。
「グルルルゥ……」
魔竜が唸る。
対する彼女は目の前に聳える驚異を意に介すこともなく、無防備にその姿を晒して歩く。
嘗められたとでも感じたか、魔竜は彼女目掛けて前足を叩きつけた。
少年は声すら掛けられずに女が潰れるのを目の当たりにする。
ごしゃ、と荒地が抉れて女の姿が消える。
どんなに異質だろうと、ただの人間。
箒で叩かれた虫けらのように、地べたと一体になって後は食われるだけ。
そのはずだった。
(は?)
魔竜が叩きつけひび割れた荒地の中心。
女は何事もなかったように立っていた。
体のどこにも――衣服にすらよごれの1つ付着していない。
握りしめたら折れてしまいそうな細い足首がしっかりと大地に伸びている。
先刻、少年は女のことを幽鬼にたとえたが、本当に実態がないのではないかと思えるほど、彼女は傷ひとつ無い姿でそこにいた。
「グゥ……」
魔竜ですら違和感を覚えたのだろう。
2回、3回と女に向かって足を振り下ろしたがやはり、無傷。
いや、1つだけ。
手にしていた布の袋だけは無事ではすまなかったようで、女性はしきりにそちらを気にしていた。
「ルァァァァ!」
全く手応えのない状況に嫌気がさしたのか、魔竜はひと際高い咆哮をあげると角に力を貯め始めた。
もう1度、あの雷撃が来るかと身構えたがどうしようもない。
しかし、今度は周囲への拡散ではない。
ほとばしりを角と角の間に集中させ、蓄えている。
一点集中。
そんなこともできたのかと思う合間に、荷電の蒼光は女性に向けて全力で叩きつけられる。
サンダーブレスとでも呼ぶべき嵐気の渦は地面を抉り続けた。
舞い上がった砂埃が視界を奪い、余波に吹き飛ばされそうになりながら、顛末を見届けるべく少年は傍の岩にしがみ続ける。
「…………!」
少年の目が見開かれる。
自分達が為すすべもなく瓦解した雷撃、それを更に収束した一撃を喰らっても尚、女はそこにいた。
無傷。
肌にも、衣服のほつれさえ存在していない。
布袋は跡形もなく消し炭になったようだが、そこで初めて女性は竜の方を不快そうに睥睨した。
だがそうした光景もそれまで。
魔竜は、なんと女を鷲掴みすると、そのまま口の中に含んだのだ。
女は少なくとも霊体ではなかったようで、竜は鋭く生え揃った牙でごりごりと入念に嚙み合わせ、最後にはごくりと咀嚼する。
なんとも呆気ない結末だった。
一体彼女は何だったのか、そんなことすらわからないまま、魔竜は次に少年を見る。
次は自分の番。
少年が覚悟を決めた時、突如、竜の顔が苦悶に歪み始めた。
「グ……グァァァ……?」
前足で器用に腹をおさえる姿はまるで人間のそれだ。
ある意味滑稽にも思えた光景だが、やがてその表情は苦悶どころか激痛を耐え抜くものへと変わる。
「な、なんだ……?」
ガランと、魔竜の鱗の隙間から何かが落ちた。
赤くて細い何かだ。剣だろうか。
目を凝らしてみるとやはりというか、剣先から柄まで真っ赤に染まっている以外は一般的なサイズの剣だ。
赤というのは、当然あの色だ。
何が起きているのかと思う前に、もう一振り剣が落ちてくる。
「グ……ガアアアアアアアアアアアアア!」
ガラン、ガラン、ガラン。
体中、鱗の隙間から剣が次々と。
やがてそれは滝のように魔竜の顎からも漏れ出した。
湧き水のように血の色をした剣が溢れてくるのだ。
まるで王都にある噴水の、天使のオブジェのようだ。
こちらは吐き気を催すほどのグロテスクさだったが。
剣の洪水は止まない。
やがて、竜の口端から、さらには眼球の裏側からも漏れだした。
おぞましい悪夢のような光景だった。
どちゃどちゃ、どちゃどちゃ。
どちゃどちゃどちゃどちゃどちゃ。
水たまりのように同じ形の剣が溜まっていく。
魔竜は苦しみにあえいだ。
体の内側から来る激痛にのたうち回っているのだと思った。
人間と同じような苦しみ方に親近感すら湧いた。
自分より遥かに巨体を誇り、あれほど恐れていた魔竜の姿はもうどこにもなかった。
体中から同じ形の剣を溢れさせて魔竜は死んだ。
「…………」
やがて、彼女は姿を現した。
血染めの衣装を纏い、食われる前と同じ姿で立っている。
直感的に、魔竜を殺したのはこの女だとわかった。
自分も同じ目に遭わされるのかと思ったが、彼女は虚無に染まった表情を浮かべながらどこへともなく去っていく。
「…………待っててね。もうすぐいくから」
鈴の音のような声で、傍を通り過ぎた彼女がそんなことを呟いたような気がした。
やがて少年は意識を失った。
全ては夢の中の出来事だと、そう片づけた。
それからしばらくして仲間のひとりに起こされた少年は、離れた場所に案内される。
そこでは、ヴィア・ギガントのものと思われる大量の死骸が無残に散乱し、血の海を形成していた。
この辺り一帯に棲息していたものを、手あたり次第に殺して回ったという感じだった。
憎しみをこめて、一匹一匹丁寧に体が引き裂かれていた。
幼体だろうとなんだろうと容赦なく、憎しみをぶつけ殺し尽くしたという感じだ。
勿論、魔竜の仕業ではない。
そうであるなら、死骸を喰らったはずだから。
「……あのヒトだ。彼女がやったんだ」
「え……?」
それが少年と彼女との、最初で最後の邂逅だった。
数年後。
少年は勇者と呼ばれ、魔王と呼ばれる存在を仲間と共に討滅し、世界を救った英雄となる。
その後、仲間のひとりと結ばれて悠々自適な生活を送っている間も、英雄譚を語らせられる日々はしばし続いた。
中でももっとも訊かれるのは、もっとも苦戦を強いられた相手は誰だったか、だ。
彼は答える。
刃を交えた中でもっとも強かったのはもちろん“魔王”だろう。
だけど、敵という範疇でなければ、もっとも強いのはあの日窮地を救ってくれた“血の聖女”だ、と。
どこまでも美しく、哀しく、慈しい目をした女性。
彼女は何者だったのだろう。
今、どこで何をしているのだろう。
人間だったのか、それとも別の何かだったのか。
その正体を終ぞ知ることなく、勇者と呼ばれた男は生涯を閉じることになる。
☆★☆★
「待っててくださいね。ヴィクト君」
「わたし、すごく強くなりましたよ、カーナ」
「もっと早く、こうなりたかったな」
「そうしたら、2人を守ってあげられたのに」
「ごめんね、本当にごめんね」
「でも、すぐに逢いにいくからね」
「『白銀』になって、みんなの夢を叶えて、きっと」
大好きです、ふたりとも。
これにてプロローグ完!
楽しんでもらえてるかなぁっ!
次回は来週頭くらいから連載再開しますのでよろしくどぇす!




