11 アーノルド
森に入るアーノルドを見て、男は満足げに笑んだ。
男は風車の三階から外を眺めている。
遠くまで見渡せて、地上は的でしかない。
「意外と頭が回るな。王女に馬車を譲っても、自分は守る方に徹するか」
男はアーノルドが王女に馬車を譲ることは分かっていた。
「他国の王女を捨ておけば、下手したら外交問題ですからね」
同じく隣で隠れている女は、この男の補佐だ。
若いながらも弓の腕は国一番とも言えた。
「この風車から離れるのも賢い。何も無い平野だからな」
アーノルドは一瞬こちらを一瞥した。
恐らくこちらがここで潜んでいることに気付いている。
もしかしたら馬車が壊れたことも、その代車の手配に時間がかかることも故意だと予想しているかもしれない。
「実は聡い人間なのでは?」
彼女の指摘は正しい。
しかし。
「本当に変人かなんてどうでもいいことだ。ただ任務に忠実であればいい」
「はい」
「それにしても、森に入ったか」
「追いますか?」
「ああ。きっとこれほどのチャンスはそうそうない」
男は補佐を含めた部下達を集め、あらかじめ綿密に練っていたいくつもの作戦から、最善の選択を選ぶ。
***
森を歩いていると、最初は普通だった。
どう普通なのかは説明は難しいが、小鳥の囀りや、深い緑の風が通り抜けていった。
しかし段々と静かになった。
それはある意味不気味だった。
そこまで深く森に入っていない。
リックは鼻をひくつかせた。
何か、臭う。
「王子、この辺は焼畑でもしているのですか?」
「いや、この辺にはそんな習慣は無い。何故だ?」
「煙のような臭いがする気がします」
アーノルドはハッと目を見開いた。
そして慌てて後ろを振り返った。
しかしその時には既に煙で視界が遮られていた。
「まずい、煙で追い込まれている!」
じわじわと迫り来る濃い煙にリックは右往左往した。
「どっちに向かいますか!?」
アーノルドは答えるより先に、リックの手を引いて前方、つまり森の奥に走った。
「この様子だと、向こうでも一悶着ありそうだな」
「今は王女方より自分の心配をして下さい!」
森に逃げ込むように二人は走った。
煙を吸い込めば意識を失う。
風上に逃げるのは得策ではない。
しかし馬車の方から遠ざかるというのは、護衛からも遠ざかるということだ。
そして珍しくアーノルドは心配そうな表情をしていた。
その答えはすぐに判明する。
「崖!?」
リックは悲鳴じみた声を挙げる。
アーノルドはこれを懸念していたのだ。
「リック、私の後ろに」
リックを背中に隠すようにアーノルドは剣を抜く。
そこには足音無く追って来ていた刺客に息を呑む。
(いつの間に!)
刺客は三人。
彼らはそれぞれ特殊な紋様の仮面を付けていて顔の判別は出来ないが、全員男のようだった。
彼らはナイフを手に、三人でアーノルドに襲い掛かった。
アーノルドも応戦するが、その内一人がリックに狙いを定めた。
不気味な仮面が近付いたが、リックは地面の砂を掴んで顔面にぶつける。
仮面の上から目を抑えても対処することが出来ず、苦しむ刺客にアーノルドは隙をついてその剣を左胸に刺した。
刺客は呻く間もなく絶命する。
「リック!」
「大丈夫です!王子それより横!」
左からの攻撃には対応出来たが、後ろからアーノルドの左太ももにナイフが投げられた。
「王子!」
アーノルドは自分に刺さったナイフを抜いてリックの足元に投げた。
そして一人を剣で押さえ込み、その刺客背がリックに向いた。
一瞬の隙を見逃さず、リックはすかさずナイフを拾い上げ、アーノルドが押さえつけた一人に、背中から右胸に刺した。
すると無傷の刺客が刺された方を引っ張って、二人とも何かを決したようにその場から逃げ出した。
ナイフはあの背中に刺さったままだった。
リックは肩で息をした。
妙な緊張で鼓動を速く、胃を逆流させるような気持ち悪さを感じた。
「なんとかなり、ましたかね」
「ああ。・・・・・・すまない、ナイフなんて使ったことなかっただろう。嫌な思いをさせた」
リックはハッとした。
アーノルドの脚部に目を向ける。
「そんなことより止血をしないと! 」
出血も激しく、何より今無理をした反動が来たのか、アーノルドは痛みを堪えているのがわかった。
眉間にシワを寄せ、歯を食いしばっている。
見るからに痛々しかった。
リックは自分のハンカチを結ぶが、ただの気休めにしかならなさそうで歯がゆかった。
そうこうしていると、また誰かがやって来る気配がした。
今度は数が増えて四人だ。
「王女達の方で動いていた奴らか」
リックは納得した。
普通森で何かあれば護衛が飛んでくる。
しかしそれを阻むように、王女様とアーノルドの間に燻る煙、そして一人も来ない護衛。
「でもそれなら、こちらももうすぐ増援が───」
リックはこの時間を、後々死ぬほど後悔することになる。
目の前の四人に気を取られていたのが悪かった。それはアーノルドも同じだった。
普段のアーノルドならそんなことはなかったかもしれない、けれど怪我のせいで意識が遠のいていた。
だから、後ろの茂みに潜んだ射手に気が付かなかった。
ヒュンッと弓が空気を割いた鋭い音と、ドスッと鈍い音。
瞬きをしたその一瞬で、アーノルドの胸には矢が突き刺さっていた。
「アーノルドっ───」
リックが側に駆け寄ろうとしたその時、アーノルドが振り向き、そしてリックを強く突き飛ばした。
「え・・・・・・」
間抜けな声が出た。
そして地面から足が離れる。
アーノルドの『最期の』顔は、とても朗らかで、いつもと同じ優しい笑顔だった。
「ありがとう、リック」
そしてリックは、崖の下へと落ちていった。
恐怖なんて無かった。
ただアーノルドの姿が見えなくなるのが悲しかった。
広がる空が憎たらしく、自分のちっぽけさを思い知らせた。
そして水面に強く打ち付けられたリックは、全身に痛みを感じながら気を失った。




