『29』
勇者学校に入学して二カ月が経った。
生徒たちはそろそろ中間テストへ向けて勉学に励んだり、実践訓練を頻繁にしたりしていた。
そんな中、彼は再び剣士科の学科長室に呼ばれていた。
「師匠……」
相変わらず全く整理されていない紙だらけの部屋の中で、英人は溜息混じりに呼ぶ。
すると、オフィスチェアに座りながら資料を読んでいた麗は顔を上げた。
「おう来たか」
「いや、来たかじゃねぇよ」
英人は明らかに不機嫌な表情で麗を見据える。
「なんだその顔は。嫌なことでもあったのか?」
「これだよ、これ! これが嫌なんだ!」
高級そうな机をバンバン叩いて訴える英人。だが、麗は気づいていないようで不思議そうな表情を浮かべる。
「あのな、もうそろそろテストだろうが。あんた師匠なんだから俺が座学得意じゃないの知ってるだろ。
今から勉強しないと単位がやばいんだよ
それなのにこんな呼び出しされたら機嫌も悪くなるだろうが」
英人の目の下には隈が出来ていた。
毎晩のように勉強している証拠だ。
「なんだそんなことか。だが、悪いな。今回呼び出したのは私じゃないんだ。文句ならその方に言ってくれ」
麗が指をさした先――壁際に大量の紙の山があった。
よくここまで放置したと逆に褒めることができるほどの多量の紙。
不意にその中から声が聞こえた。
「こら麗。せっかく少年を驚かそうと思ったのに、なぜバラすのじゃ」
英人は紙が喋ったことに一瞬驚いたが、話し方ですぐに誰だかわかった。
「まさか崎守さんか?」
「大当たりなのじゃ」
そう言った刹那、紙の山が一気に舞い上がって、黒髪ショートのロリっ娘が露わになる。
崎守 唯香――元勇者にして東京第二エリアに位置する勇者学校の理事長。
相変わらず、小学生感丸出しだな。
そんなことを思いつつ、英人は訊ねた。
「で、理事長さんが俺に何か用ですか?」
「そうなのじゃ」
こくこくと何度も頷く唯香。
その手の男なら一発で虜になっていることだろう。
「じゃが、それを説明する前にもう一人待たなければならん」
「もう一人?」
英人が聞き返すと、突然部屋の扉が開いた。
振り返ると、そこには金髪ロングで碧眼の女子生徒がいた。
「げっ」
彼女を見て、英人は先ほどよりもかなり嫌そうな表情を浮かべる。
「おはようございますですわ。麗様、理事長」
二人に挨拶を済ませると、金髪の美少女――姫城 瑛里華は英人の横に並んだ。
「おはようございますですわ英人様」
瑛里華に挨拶され、英人は気まずそうに「お、おう」と返した。
「来たか瑛里華」
「はい。理事長に呼び出されて生徒会長であるわたくしが行かないわけにもいきませんから」
唯香の言葉に、瑛里華はそう返した。
すると、麗が英人に視線を送り、
「そうらしいぞ英人」
「なんだよ。俺だって崎守さんからの呼び出しってわかってたら嫌な顔なんてしなかったよ」
英人がそう答えると、麗は「それはどうだか」と呟いた。
おそらくテスト準備中である英人はたとえ誰からの呼び出しであっても、不機嫌になっていただろう。
「とにかく用件を早く言ってくれるか? これで全員なんだろ?」
英人が問うと、唯香は「そうじゃな」と言ったのち、続けて話し出した。
「単刀直入に言うと、お前さんたちを戦場に行かせたい」
「却下」「ぜひ行かせていただきますわ」
唯香の提案に、二人は即答した。
ただし、二人とも真逆の答えだが。
「わたくしはぜひ行かせて欲しいですわ。学生が戦場を経験できるなんてめったにない機会ですもの」
瑛里華が嬉しそうな表情を見せると、英人は呆れるように嘆息をつくと、反論する。
「アホかお前は。俺らが戦場に呼ばれるってことは、要するに勇者が死にまくって数が足りてないってことだろうが。
そんな危うい戦場にノコノコと行ってたまるか。戦場で死ぬのは構わないが、無駄死にはごめんだ」
そう述べたのち、英人は「それにテスト前だしな」と付け足す。
正直なところ、英人としては戦場に行ってテスト勉強ができず、戻ってきた際に単位を落としてしまうことが嫌なのだ。
「いいではありませんか英人様。昔のようにわたくしと一緒に殺しましょう」
目を輝かせて……いや、ハートにさせながら瑛里華が言ってきた。
それに英人はしまったと思う。
実は英人と瑛里華はこれが初対面ではない。
今から五年前。
英人が麗に連れられ戦場――北の死線に来させられた時、彼は初めて瑛里華と会った。
当時、英人は十歳、瑛里華は十二歳だ。
戦場で戦っていい年齢ではない。
しかし、彼と彼女は戦闘を行い、一年にもわたって魔獣を殺した。
それゆえ、英人と瑛里華は歪な幼馴染のようなものなのだ。
ちなみに、唯香は瑛里華の師匠であり、彼女もまた北の死線を経験した。
そしてその頃から、英人は唯香とも知り合いになっている。
「そもそも勇者になってないやつが戦場に行くのは禁止されてるんじゃなかったか」
五年前。
麗に戦場へ連れてかれ戦った英人だが、違法ということで、たった一年で保護施設に強制送還された。
「そこはほら。妾の権力でちょちょいとするのじゃよ」
「なんだよそれ……」
唯香の言葉が耳に入ると、英人は呆れるような声で言った。
「昔の英人様はカッコよかったですわ。魔獣を殺すときの表情なんかはもう……」
瑛里華はうっとりとした顔で天井を見上げる。
こいつ、イかれてるな。
そう思いながら、英人は再度深く溜息をついた。
「少年よ本当にいかんのか?」
唯香の質問に、英人は「無理だ」と答える。
「そうか。少年は行かないのか。じゃが、少年に行ってもらわんと駒が足りないのじゃがのう……」
駒が足りないと言っている時点で、味方の数が少ないことは十分に理解できる。
唯香は先ほどの英人の言葉を認めたようなものだ。
「あんた、本気で俺に戦場行かせる気あるのか?」
「こら英人。理事長にあんたはないだろ。失礼だぞ」
英人の態度に麗は注意をする。
麗は魔王を討伐した世界で唯一の勇者であるが、現役の勇者の時は、唯香の方が上司だった。
故に、弟子が上司に無礼な態度をとったら叱るのは当然である。
「いいのじゃ。少年は昔からこうじゃからのう。それよりもお主、どうしても戦場へ行ってはくれないか?」
「無理だ」
勇者学校は一つでも単位を落とすと即退学。
それでは勇者になることも、魔獣を殺すこともできなくなる。
戦場で魔獣を殺しに行って、そんなことになってしまったら本末転倒だ。
「ならこれならどうじゃ。戦場へ行く代わりに、テストは全て免除するというのは」
「行こうか」
英人は即答した。
戦場へ行くだけでテストが免除されるなら、安いものだ。彼にとっては。
「随分と変わり身が早いな」
「当然だろ師匠。魔獣を殺すだけで勉強から逃れられるなら、どこへでも行ってやる」
それくらい英人は座学が苦手なのだ。
彼は麗の推薦で入学してきたのでペーパーテストの実力は明らかになっていないが、一切準備をしなかったら平気で下から十番以内に入ってしまうほど。
「さすがわたくしの英人様ですわ」
瑛里華が熱い視線を向けると、英人は何かを追い返すかのように辺りを手で払った。
ついでだが、英人は瑛里華も苦手である。
理由として挙げるならば、彼は直接的な好意を抱かれるのが嫌いなのだ。
それをまた何故かと聞かれると、英人自身も上手く説明できないのだが。
「では、決まりじゃな。お前たちに戦場へ行ってもらうのは明日からじゃ。それまではゆっくりしておくとよい」
「ゆっくりって今から授業なんだが」
英人がツッコむと、唯香は「そうじゃった」と笑い、二人の間を通り過ぎて部屋を出て行った。
「さて、私も授業の準備をしなくては。貴様ら、悪いがここから出て行ってもらえるか?」
それを訊いて、英人はこんな汚い部屋でどうやって準備するのかと疑問に思う。
その後、彼は瑛里華と共に学科長室を後にした。
☆
英人は教室に向かうため廊下を歩いていると、不意に後ろから瑛里華に抱きつかれた。
「おい離れろ。ここは学校だぞ」
「では、学校でなければこのようなことをしてもよろしいのですか?」
英人の首に腕を回したまま、瑛里華は彼の耳元で囁いた。
しかし、それに彼は動揺することなく冷静に対処する。
「言っておくが、俺はお前のことを異性として欠片も見てないぞ」
「まあ酷いですわ英人様。わたくしはこんなにもあなたを愛していますのに」
そう言ったのち、瑛里華は英人の耳を甘噛みする。
だが、英人はこれにも動じる気配はない。
「一方的に自分の感情を押し付けるのは愛とは呼ばない。狂気だ」
そう告げたのち、英人は瑛里華の鳩尾目掛けて肘打ちを繰り出す。
だが、すぐさま攻撃を察知した彼女は彼から離れて簡単に躱してしまった。
「あらあら、レディに対して少々乱暴ですわね。まあそんな英人様も好きですからいいのですが」
英人を見据えながら、瑛里華は不敵な笑みを浮かべる。
「どこがレディだよ。普通なら今のは当たってるぞ」
「そうですか? まあこれでもわたくしはこの学校の生徒会長ですから」
東京第二エリア勇者学校第七十八期生徒会長――姫城 瑛里華。
一般の学校の生徒会長は選挙によって決まるらしいが、勇者学校の生徒会長である条件は唯一つ。
学内で最強であること。
故に、瑛里華が所持しているランクポイントはどの生徒よりも圧倒的に多い。
「これなら、俺は戦場へ行っても何もしなくて済みそうだな」
「そんなことありませんわ。わたくしはあなたが魔獣を殺している姿が一番好きなのです。どうか存分に殺してください」
頬を朱に染めながら、豊満な胸の前で両手を組み、懇願するように口にする瑛里華。
「お前って昔から変わらないよな。常に頭のネジが数本抜けている」
それなのに、普段、瑛里華はどんな人が相手でもしっかりと生徒会長として振る舞っている。
狂っている面を見せるのは英人にだけだ。
それだけにタチが悪い。
「ありがとうございます」
「いや、別に褒めてないんだが」
理解し難い瑛里華の言葉に、英人は呆れるように大きく溜息を吐いた。
「そういえば英人様。最近、赤い髪の女性と白い髪の女児とよく一緒にいるそうですね」
赤い髪の女性――カレン、白い髪の女児――シンシアのことだろう。
「あぁ。そうだが」
「まあ。私という女がいながら不倫なんて許しませんわよ」
可愛らしく頬を膨らませて怒る瑛里華。
「……いつ俺がお前と結婚したんだよ」
そうツッコむと、英人は再度嘆息をつく。
「まあいいですわ。戦場から戻ってきた暁には彼女たちとはきっちりとお話させて頂きますから」
そう言い残すと、瑛里華は英人の進行方向とは逆にある階段を上って行った。
授業開始の時間が差し迫っていることに気が付いたようだ。
カレンたちとの接触を止めろ、と英人が言ったところで彼女は聞く耳を持たないだろう。
それならば放っておくしかない。
(あいつと絡むと通常の十倍は疲れるな)
そう嘆きながら、英人は教室へと足を進めるのだった。




