第五十六話 ベルフ、聖剣を使う
ぐぎぎぎとベルフがレイラの腕を抑えて、レイラを跳ね除けようとしている。しかし、うまく力を逸らされているのか、一向に押し返せないでいた。
「レイラ、待て、たんま、死ぬ、これはまじで死ぬ」
『おらー、それでもベルフ様の手下か! とっととなんとかせんかい!』
「も、もう無理です。さっきから頑張って、このクソ剣からの支配に抵抗していますけど、もう頭がぼーっとしていて……」
そう、レイラはもう意識が消えかけていた。剣からの強烈な思念と支配の力にレイラは完全に乗っ取られようとしている。
―――後は我に任せよ―――
もう任せちゃおっか、レイラはボーっとした意識の中でそう思った。
―――未熟な勇者よ、これより後は我がその道を指し示そう―――
指し示してくれるのかー、ならいいっかなー
―――そう、まずはこの男を倒すのだ―――
それくらいは別に良いな
レイラから押し込んで来る力が一層強くなる。もう刃先がベルフの首に当てられそうなくらいだ。サプライズも頑張ってベルフに肉体強化の魔法を使うが、なにせ大魔法を使った後で魔力がほとんどない。肉体強化の魔法も存分に発揮できていなかった。
「間違いない、レイラのやつ、聖剣への抵抗やめやがった」
『この雌豚がああああああああ』
さあ、あと一息でベルフの息の根が止まる。レイラが聖剣に言われるまま剣を押し込んでいく。ぐぐぐぐと押し込まれる聖剣パール。
そして、ついにベルフの首筋にくいこんだその時だ。カッという音を立てて聖剣パールとベルフが光りだした。
聖剣がベルフに触れている箇所、そこから強烈な光が発している。それはレイラが聖剣に選ばれた時に発していたあの光だ。しかし、今回はその時よりも遥かに強い光だった。
―――っこれは!? どういう事だ、剣の制御が効かない―――
これには聖剣パール自身も驚いている。ベルフに刃先が当たったその瞬間、感応石の制御が全て自分から離れてしまっていたのだ。
ベルフの体に力が満ち溢れてくる。先程までは空だった魔力が満たされていくのもわかった。
「とりゃあ!!」
ここがチャンスとばかりにベルフは押し込まれていた体勢から無理やりレイラを押し返す。
先程まではベルフを軽々と押さえ込んでいたレイラであったが、ベルフの力に耐えかねたのか、そのまま空中を飛んで、顔から地面に突っ込んでズザザーっと転がっていく。
そして、ベルフは自身の身体に起きている変化に戸惑っていた。
「これは、なんだ、力が溢れてくる」
『ベルフ様、空だった魔力も現在満タンです。どう考えてもあそこに落ちている聖剣が原因かと思われます』
サプライズがそう言うとベルフが地面に目を向ける。そこには、レイラが転がっていった時に落とされた聖剣パールが地面に横たわっていた。ベルフが導かれる様に聖剣を拾うために動き出す、が
「いかん!! 全員、あの男に向けて魔術を放て、あいつに聖剣を触らせるな!」
ルドルフの号令で我に返った魔術師や神官達がベルフに向けて魔術を放つ。火球が、氷が、風の刃が、神聖魔法の光の槍がベルフに向けて殺到する。
ルドルフの号令のタイミングは非常に的確だった。ベルフとサプライズか聖剣パールへと意識を向けたその隙を的確に撃ち抜いていた。ベルフの身体に先程の魔法が次々と当たっていく。
ベルフの身体を風の刃が切り刻み、氷塊は頭に直撃して、火球が当たった箇所を焦がし、光の槍が鎧に覆われていない胴体に直撃する。普段のベルフであれば確実に致命傷となった魔法の総攻撃。
現に、それを見ていたルドルフやカイ達はベルフが即死したと考えていた。しかし―――
『おい人間ども』
それはサプライズの声だった。
『貴様ら何をしたかわかっているのか』
普段の彼女とは思えないほど無機質な声だった。ベルフと一緒に人を馬鹿にし、他人を煽る時の人間味のある彼女の声ではない。古代の人間が作り上げた使い魔、値千金のアーティファクト、王侯貴族か英雄しか身に着けられないとされるナノマシン。そのナノマシンの本質がそこに現れていた。
そして、更に彼等に絶望の情報が追加された。
「ふむ、正直ちょっとミスったかなーとは思った、思ったが、少し遅かったみたいだな」
ベルフが聖剣をしっかり握っていた。ベルフは、ルドルフ達の攻撃に気づくと、避けるでもなく、迎撃するでもなく、直感に従って聖剣を取るためだけに動いていたのだ。そして、その行動は結果を結ぶ。
聖剣を手にしたベルフは、自身から発する気合だけで全ての魔法を耐えきってみせた。
多少の切り傷や痛みは、今の攻撃で作られてしまったが、致命傷となるものは一つもベルフの肉体に作られてはいなかった。
ベルフが手にしている聖剣の刀身が光を浴びて輝きを増していく。刀身の素材として使われている感応石が、周囲にある思念や魔力を吸収していっているのだ。
その内、光の粒のような物が空中から現れては、その刀身に吸い込まれていく光景が作られ始める。周囲にある、思念や魔力のエネルギーが視認できるほどに高濃度となったため、光の粒となってその場に現れているのだ。
「さて、どうするか」
ベルフのレベルが急速に上っていく。聖剣の力を使った一時的なレベルの上昇ではあるが、それは既に、英雄と呼ばれる領域にまで到達し始めている。
一秒ごとに増していくベルフの圧力にルドルフは自身の失策を痛感していた。攻撃を仕掛けるのが余りにも遅すぎたのだ。
「失敗した、勇者殿と一緒にいるときに纏めて攻撃するべきだった!」
「ルドルフさん、それは行き過ぎでは」
「では、あの男を野放しにするというのですか!? あいつのせいで、この街は滅ぶ寸前まで追い込まれているんですよ!」
「それは……しかし……」
レイラもろとも攻撃するべきだったと発言するルドルフ。その言葉に周りの人間が少なからず驚くが、何よりも驚いたのがレイラだ。
聖剣パールの支配から解き放たれて意識を取り戻した彼女が第一声に聞いたのが今の言葉である。
地面に顔から突っ込んだせいで顔面をちょっと擦りむいて、痛みに耐えている彼女に突き付けられたのが今の言葉だ。しかも、カイの奴がルドルフにちょっと説得されかかっていたので、衝撃はなおさらである。
やっぱこの街の人間は一人も信用しちゃいけねえ、レイラは固く心に誓った。
人知れず、レイラ含むベルフ一行を完全に敵に回したルドルフやカイ達。しかし、この中で最大に怒っているのはベルフでもレイラでもなかった、サプライズである。
ベルフとルドルフ達、にらみ合いをしている両者の耳に、ふいに遠くから悲鳴が聞こえてきた。
「た、助けてくれー!!」
「アンデッドが、アンデッドがすぐそこに」
「ダメだ、もう追いつかれてる!」
それはゴードンや広場にいた市民達の声だ。彼等は、多数のアンデッド達に追われていた。早く助けなければ少なからず全滅してしまうだろう。
その姿にいち早く動いたのはカイだ。
「これは行けません、彼等を早く助けなければ! ベルフさん、我々に思うところはあると思いますが、今は停戦をお願いします。できれば彼等を助けるための助力を!! もし御協力いただけるのならば、もう私達はあなたとは戦いません」
カイからの提案、それに対してベルフが口を開いて返答しようとする。だがそれよりも前に口を挟んできた存在がいた。サプライズである。
『なに舐めたこと言ってるんですか』
普段のサプライズとは完全に声色が違っていた。その様子に、カイやルドルフが冷や汗を掻き始める。
『お前達は全員、私が必ず殺します』
それはカイの提案に対しての完全な拒絶だ。そう、彼等はサプライズの逆鱗に触れていた。だが、サプライズだけではない、彼等はベルフの逆鱗にも触れていた。
「そうだな、こいつらは必ず殺す」
ベルフから殺気が膨れ上がっていく。聖剣に備わっている感応石から更に力がベルフへと入り込んできている。その力にルドルフやカイ達がたじろいだ。
「待て、落ち着け、冷静になれ!」
「待ってください、私はどうなってもいい、ですが彼等だけは」
しかし、ベルフもサプライズもその言葉を聞く気がなかった。
「やれサプライズ、まずはあいつらだ」
『わかりました』
聖剣パールから流れ込んでくる力。それを魔力に返還すると、サプライズが魔術を発動する。拳大ほどの雷球が複数生まれると、アンデッド達に追いかけられているゴードン達に向かって飛んでいく。
「あれは勇者様!! た、助かった。早く私達を―――」
レイラの姿を視認したゴードンの顔に希望の光が差す。聖剣に選ばれた勇者、レイラ。確かに頼りない所はあると思っていたが、それでも勇者は勇者だ。これくらいのアンデッドならすぐに倒せるはず。
「私達の姿を視認したのなら、すぐに私達を助ける為に駆け寄ってきてもいいだろうに本当にあの女は、全く―――」
しかし、ゴードンのその言葉は最後まで続かなかった。
サプライズから生み出された雷球達がゴードン達の頭上で爆発すると、巨大な雷を幾つも生み出していく。
そして、大地を揺り動かすような轟音が轟くと、人間やアンデッドの区別なく、サプライズの魔法が地上にいる全てを雷光の中で消し炭に変えてしまった。
その光景をカイやルドルフ達は呆然と見ていた。
「さて、次はお前達だ、覚悟はできたか」
聖剣パール、それの持ち主に相応しい、いやそれ以上の力と畏怖を今のベルフは備えていた。それは、先代の勇者以上にも見える程に。
「ベルフさん、なぜここまで。あなたと私達が協力すれば誰も傷つけずに済ませられたはずです……」
カイ達はまだショックから立ち直っていない。街に対しての愛情溢れる彼等からしてみれば、目の前で街の人間達が犠牲になったことに心が追いついていないのだ。
そして、それに答える声があった。
「カイさん、それは当然ですよ」
そこには、レイラが立ち姿でびしっと決めていた。白いドレスは土でちょっと汚れて、顔には擦り傷があるが、それでも彼女は凛々しく立ち姿を決めている。
「ライラの街、冒険者ギルドの元ギルド員として言わせてもらいますが、冒険者に殺し合いを挑んだ以上、彼等は絶対に容赦はしません。これはベルフさんだけではなく、冒険者全てに通じます。そんなあなた方にベルフさんが協力する事は、絶対にありません」
レイラの姿にカイが衝撃を受ける。彼女が全く違った別人のように見えたからだ。
「し、しかし、それでもゴードン達を魔法で消し飛ばす理由には成りません!」
「あ、それについては緊急の措置って事でケリ付けていいんじゃないですかね。あの状況ですと逃げてきた人間ごと魔法で消し飛ばすのが、町の安全につながりますよ。逃げてきた人間を助けるとか、細かい事をすると数匹は他に逃げちゃいますし、撃ち漏らします。下手すれば私もすり抜けてきたアンデッドに殺されちゃいましたね。ベルフさん、グッジョブです」
レイラが親指を立ててベルフに賞賛を与える。ベルフの対応は自分的には完璧だったよ、とお墨付きを与えていた。ちなみに、その理由の大半は、自分に文句を言っていたゴードンや街の奴らを消し炭に変えたことが多分に大きい。
「いやー、大を助けるために小を斬り捨てるとか、なかなか出来ることじゃありません。ベルフさんのおかげで、この大通りに繋がる方面の街の人間達は、安全が完全に確保されましたね」
笑顔でレイラがベルフに手を振る。ベルフはそれを見て、まんざらでもなさそうな顔をした。
『ほう、どうやら手下三号もようやくベルフ様の偉大さに気が付きましたか。そう、その調子で残りの人生を全てベルフ様に捧げなさい。貴方には期待していますよ』
なかなか和気藹々と仲を深めていくベルフ達。しかし、その態度にカイ達は怒りを増していく。
「勇者どの、貴方という人は!」
カイがそこで怒るが、レイラはそれにも動じずニコニコと笑顔を浮かべながら言った。
「ところでルドルフさん、カイさん、聞こえてましたよ。私をベルフさんごと殺せばよかったですか?」
ギクっと言う心の音が響いた。
「そ、それは、ルドルフさんも本気ではなかったはずで」
「私は言いましたよね、冒険者に殺し合いを挑んだら必ず容赦しないと。ちなみに、私は冒険者なんですよ? 知ってましたか」
レイラがそこで冒険者カードを取り出す。ラナケロスの街で冒険者登録しておいたときにもらったものだ。自身の立場が完全にベルフ側であり、カイ達と敵対していると示していた。
「さて、お話し合いはもう良いか?」
その声でベルフが一歩踏み出すと、カイ達がざっと後ろに気圧されたように引く。数の上では二桁にもなるルドルフやカイ達ではあるが、ベルフ一人に完全に気圧されていた。レイラも危うい感じがしたので、カイ達から遠く離れた場所まで全力でダッシュして逃げだす。彼女の防衛本能の賜である。
「さっきは必ず殺すと言ったが、少しだけチャンスをやろう」
ベルフがそう言うと、聖剣が強く光りだす。それはもはや、光だけではなく熱すらも発している。剣の周囲が熱で歪められているような錯覚も見えた。
「この一撃に耐えられるのなら、お前達を見逃してやる」
『おお、ベルフ様、なんとお優しい。ほらお前達、ベルフ様の慈悲に感謝しなさい。そして出来れば死ね、全員死ね』
「「そ、それはいくらなんでも!」」
ルドルフやカイ達が一斉に突っ込みを入れるのとベルフが剣を振り下ろすのは同時だった。
カッという衝撃波が起こると、カイ達が完全に吹き飛んで行った。
射線上にあった建物が、今の技で次々と崩壊していく中でレイラがおおーっと感心していた。自身が市庁舎でレイスに使ったあの時よりも大分ド派手になっている。
カイ達を吹き飛ばしてベルフが一息つくと、そのベルフの脳内に語りかけてくる声があった。
―――なぜだ―――
それは、聖剣パールに宿っている意識そのものからの声だった。
―――なぜ、お前を操れない―――
先程から、聖剣パールは必死にベルフとサプライズを止めようとしていた。ベルフの身体を操ってアンデッドに追われているゴードン達を助けに向かわせようともした。サプライズが魔術を放つときに感応石の力を停止しようともした。カイ達に大技をぶつける時もだ。
しかし、それらは全て失敗に終わっている。こんな経験はパール自身も始めてだった。
―――なにより、なぜここまで力を一度に使って平気なのだ―――
聖剣パールとは他者、もしくは大気中のマナなどのエネルギーを感応石で作られた剣本体で集めて、それを使用者の体内エネルギーへと変える武器なのだ。
しかしそれは例えて言えば、違う血液型の血を輸血する、水の代わりにガソリンを飲む、体内のエネルギーとする為に雷を身体に受ける、それらと同レベルか少しマシ程度と言って良いほど無謀な行いだ。
つまり聖剣を使うには、周囲のエネルギーを自身の体の中に取り入れても大丈夫な体質が必要であり、その体質が備わっている人間が勇者として剣に選ばれるのだ。
だが、それはそれとしてその体質を持っていても力を使える許容量というものがある。ベルフが扱ったその力の量は今まで聖剣を扱ってきた歴代の勇者達の限界を遥かに超えていた。聖剣自身の経験と照らし合わせてみても、一度にここまで力を使えば身体に支障が出るのは間違いないはずなのに
『ああ、それは簡単な事ですよ』
ベルフの精神世界とも言う中で、サプライズがパールに話しかけた。
―――簡単?―――
『ええ、簡単ですよ。まずベルフ様の精神力が貴方の力を遥かに上回っています。最低でもデーモン以上の精神操作能力がなければ、ベルフ様を操る事はできません。そして、感応石の力に耐えられているのはベルフ様の才能です。ナノマシンの改造すら弾き飛ばすベルフ様の精神力と体質、それらは貴方程度の理解力を遥かに超える物なのですよ」
―――馬鹿な、その程度で神々に作られたこの私の支配に抗えるなんてあるはずがない―――
サプライズが聖剣パールのそのボヤキを無視して話を続ける。
『そして、私が魔術を放った時に貴方が剣の力を操れなかったのはですね』
―――操れなかったのは?―――
それが聖剣パールの発した最後の言葉だった。剣に宿る、いや備えつけられていた自立システムは、そこでサプライズの力によって完全に消滅した。
『私が完全に、この剣に備わっているシステムを掌握していたからですよ。お勤めご苦労様です、とっとと消えなさい』




