第三十五話 レイラの質問
レイラは夢を見ていた。
その夢は、レイラの過去の出来事を追随しているものだ。
若い頃、まだ父親の傍にいた頃、彼女は父親の商売相手に食って掛かったことがある。原因は、その相手が父親に対して商品の代金を支払う事を渋った為だ。
相手の商人は、父親に対して、資金がないから待ってくれだの、もう少ししたら払うだのとごね続けていた。
その言葉は真実であり、事実、ここで代金を支払えば相手の商人は破産するだろう。だが、レイラはそれを無視して相手に金銭の支払いを要求した。当然、その商人とレイラの間には喧嘩が発生する。
相手の商人も悪いが、払いたくても金がないのだから仕方ない。相手にしても、支払いを少し待ってくれと言うためにレイラの父親の元に来ただけであり、確かにゴネてはいたが、それは支払期限を伸ばしてくれと言う前提の上だ。代金を支払わないというわけではない。
父親が間を取りなし、その場は上手く収めたが、これ以降、父親はレイラに対して懐疑的になる。レイラ自身もそれを理解しており、この出来事は彼女にとっても大きな転機ともなった。
正しい事をして何が悪いんだ。自分は何も悪いことはしていない。彼女が不幸だったのは、父親との価値観の違いだろう。彼女はそれ以降、更にその器を小さくしていく。
彼女はそして、反省も何もせず成長して行った。自身がその時、正しさの為に動いたと信じ続けて。
ラナケルトにある、中規模程度の宿。その宿の一室でレイラが惰眠を貪っている。
彼女は、ショートカットの髪をボサボサにして、仰向けであまりよろしくない寝相で寝ていた。ちょっと口からヨダレなんかもでている。そんなレイラがベッドの中で惰眠を貪っていると――
「起きろレイラ」
『なにヨダレ垂らして寝てるんですか、早く起きなさい』
ベルフからの目覚ましの声が聞こえてきた。
あー、なんだー? と寝癖つけて寝惚け混じりのレイラが目を開けると、ベルフが完全装備でベッドの脇に立っていた。
ベルフは、青く輝く金属製の鎧を着こなし、腰の剣帯には鞘に入ったブロードソードを差し込んでいる。
左腕にはサプライズの外部向けマイクである多目的リストバンドを巻いていた。顔は、やる気全開といった感じで気合がみなぎっている。
しかし、レイラの目を真に引いたのは、彼が右手で肩に担いでいる鉄のハンマーだ。
ハンマーは全長一メートル五十くらいはあるだろうか。柄の方にベルフの頭よりも大きい長方形の鉄の塊がつけられている。
「おはようございますベルフさん、どうしたんです?」
「今日は祭りの日だろう? 勇者が残した聖剣を俺が叩き折る為の、な」
そういやそうだったとレイラは思い出した。窓から街を見れば街路を沢山の人が歩いている。この街だけではない、近隣からも集まってきているのだろう。出店や大道芸人達がここが稼ぎ場とばかりに鎬を削っていた。
「正確に言えば、新しい聖剣の資格者を探し出すための祭りですけどね。それで――その鉄のハンマーは一体?」
「武器だ」
そんなもんみりゃわかる。問題は、それを何で装備してるかという点だ。レイラはそう考えたが、面倒くさくなったので口にするのをやめた。
『そんなことはどうでも良いでしょ、早く行きますよ。手下三号の癖にベルフ様を待たせるとは何を考えているんですか』
第一級寄生型ナノマシンであるサプライズが、ベルフの装備しているリストバンドから金切り声を上げる。
レイラはそれに、はいはいと適当に相槌を打つと、ベルフを部屋から追い出して、もそもそと着替えを始めた。外から聴こえてくる、祭りの音を聞きながら。
ラナケルトにある神殿は、元々この街が悪徳の街と呼ばれていた頃に、街を訪れた無名の聖者が哀れな被害者達の魂を鎮める為に建てたものだ。
悪徳商人や盗賊達が、外部から連れてくる数多くの奴隷や誘拐された子女達。なんの罪もないただの被害者である彼等彼女等の魂が、安らかに眠れるようにと供養のために建てた場所である。
当時、無名の聖者が住んでいた頃は、神殿や教会と呼ぶのもおこがましい小さな建物だった。風雨が吹きすさぶような、みすぼらしい建物の中で日々、聖者が鎮魂の為に祈りを捧げていた。
それが、勇者が街を救済して以降は、その役割をすっかり変えている。
元々は哀れな被害者達を鎮める為に作られたこの場所は、街を救った勇者の栄光を称える場所となった。
聖者が住んでいたあばら家のような建物は、別に作られた西洋の神殿を思わせるような、巨大な石造りの建物にその立場を取って変わられている。犬小屋ほどの小さな土地は、街中の人間が神殿に押しかけても不都合がないほどの広さを持つようになった。
そして、無名の聖者は何時の間にか街からその姿を消していた。
聖者が住んでいたあばら家のような建物は、今では土地の隅っこの方にひっそりと忘れられたように存在している。それも、神殿の外観を穢すということで取り壊しも決まっていた。
偉大なる勇者を称える場所に、あのようなものは相応しく無いと街の人間達も神殿の人間も思っているのだ。
そして、今日の祭りは勇者を称える大事な祭り。街を救った偉大なる勇者、彼が神殿に残した聖剣の使い手を決めるための神聖な儀式が始まる。
この神殿に押しかけた誰も彼もが、聖剣の新しい使い手の登場を期待して集まっていた。
神殿の外の門から神殿の中へと続く通路の左手側に人がずらりと並んでいた。通路の右手側は神殿の中から外へ向かうための通路になっており、肩を落とした元気の無さそうな人間たちが、神殿の中から外に向かってトボトボと歩いている。
ここに並んでいる人間達は、聖剣の所有者となる資格を手に入れる為に集まってきた人間たちだ。ラナケロスだけではなく、近隣の街からも集まって来ており、老若男女、種々様々な人間がいた。
先程、通路の右側を外に向かって歩いていた奴らは、その挑戦が失敗した奴らである。そんな中で、ハンマー片手にレイナと一緒に挑戦者の列に並んでいる男がいた。そう、この作品の主人公ベルフ・ロングランである。
「で、ベルフさん、そのハンマーまだ持ってるんですか?」
レイラがそう聞くと、ベルフはハンマーを地面に置いて出店で買った焼き鳥を頬張っていた。出店で買ったものにしては中々美味いのか、結構満足そうな顔をして食べている。
「レイラ、飲み物くれ」
『おらー、はやくださんかー!』
ベルフとサプライズからの要求に素直に水筒を差し出すレイラ。似たような光景がリリスとミナの時もあったが、ベルフの中では覚えていない。
水を飲んで人心地付くベルフ。ハンマーを拾い上げると、気合十分と言った表情を見せる。
「当然、武器だからな。こいつで聖剣とやらを叩き折ってやる」
ベルフをMisson聖剣折りに焚き付けたのはレイラであるし、それでベルフがお尋ね者になればいいと思ったのもレイラだ。しかし、それにしてもベルフは、ちょっと気合が入りすぎている様に思えた。疑問に思ったレイラが質問する。
「ベルフさん、なんでそこまで気合入ってるんですか?」
『あーん? 手下三号風情がベルフ様に質問できるとでも思ってんですかあー? 身の程を知りなさい、身の程を』
サプライズからのインターセプトにレイラのコメカミに青筋が立つ。
「別に良いぞサプライズ。いい機会だ、レイラに俺が何でここまで怒ってるのかを教えてやろう」
ベルフが特別だぞと言う態度で、そう言った。
「えっと、歓楽街での楽しみを邪魔されたからじゃないんですか? 昔のデンジャラスなラナケロスの街を楽しみたかったと言う最低の理由で怒っていたのは覚えています」
「確かにそれはある。だが、一番の理由はな」
一番は? レイラがゴクリとつばを飲むと。
「なんとなく気に入らない」
ベルフらしい答えが返ってきた。
「えーっと、なんとなくですか?」
「うむ」
「本当にそれだけ?」
「それだけ」
期待して損した。レイラとしては、もっとまともな理由があるのかと思っていた。その勇者と因縁があるとか、暗黒歓楽街の王になりたかったとか、聖剣ぶち折って街一つと戦いたかったとか。そういう理由だ。
『流石ですベルフ様、くだらない理屈なんぞにこだわらないその姿勢。そもそも理屈なんぞ他人を説得するものでしか有りませんからね。やりたいことだけやっちまって人生過ごしてしまえば良いんですよ』
「俺もそう思っている」
ギャーギャーと騒ぐベルフとサプライズ。
こいつらに期待した自分が馬鹿だったなーと考える中で、ふとレイラは思った。
この二人なら、あの問題にどう答えるのだろうか、と。
レイラはそう考えると、精一杯のこびた顔でベルフに質問する。
「ところでベルフさん、ちょっと聞いていいですか?」
「だめだ」
ベルフは数分前と態度を百八十度変えた。
レイラに絶対質問をさせない、そんな気迫がベルフの言葉から伝わってくる。
『雌豚がー、ちょっと質問を許された程度でベルフ様に親しみ感じたんですかあ? 甘いんですよ、王に質問をしたければ、それなりの節度を持ちなさい』
怒りで頭の体感温度が百度になりそうな中、レイラは話を続ける。
「いえ、そんな難しい話じゃないんですよ。例えばの話ですよ、ベルフさんが後払いの約束で誰かに商品を売ったとします。でも、いざお金のやり取りの段階になった時、相手が払えないとごねたとします。そんな状況になったらベルフさんならどうしますか? ちなみに、代金を支払うと相手は破産すると言う状況で」
レイラの質問は、正に今朝レイラが夢に見たあの場面だ。自身が過去に陥った状況、それを自分とはまるで考え方の違うベルフなら、どう答えるか興味があった。
「簡単だ。商品を返してもらう」
「あ、商品は返ってきません。相手が転売した後です」
そう、レイラも商品を返せと最初に言ったのだ。しかし、相手からは、もう売っちまって手元に商品はないと言われた。その態度が若い頃のレイラの癪に障ったのもある。
「なら、相手が破産しようがなんだろうが金を巻き上げるしか無いな」
『ですねー、命以外の全てを持ってベルフ様に代償を支払ってもらうしかありません』
ベルフとサプライズが出した答えは、奇しくも昔のレイラが出した答えと同じだ。
それを聞いてレイラは思った。過去の自分は、このアホ二人と同じ答え、つまり同レベルの答えを出した……つまり、それは間違いなんじゃないか、と。
家を出てから数年。レイラは初めて、当時の自分が間違っていたのではないかと悩んだ。思考レベルがベルフ達と同じだったと言う事実が、彼女の中にある人としての尊厳を痛く傷つけたのだ。
あのレイラが反省していると言う、世界の奇跡が起きている中で、ベルフ達の耳に神官の声が聞こえてきた。
「次の者、前に!」
ベルフの前にいた人間が聖剣の持ち主としての資格を得る試練に失敗したのだ。ベルフの番がやって来た。
「お、そろそろ俺達の番だな、ちょっくら聖剣を折りに行くか」
『ついに本番ですか。いっちょやってみますか』
悩めるレイラをそのままにしてベルフは向かう。聖剣が収められている聖室へと。




