第三十一話 エピローグ
あれから一月後。
ベルフは、怪我も癒えて、レッドオーク討伐依頼の成功報酬も貰えて、と何不自由なく過ごしていた。相も変わらずリリスの家に寄生して、ちょくちょく依頼を受けては小銭を稼ぐ日々を送っている。
そんな毎日が続いていたある日、冒険者ギルドから緊急の、本当に緊急の依頼が冒険者達に発せられた。
その依頼の名は、沈黙の洞窟の中に大量発生した大蜘蛛の殲滅、である。
ベルフ含めて、依頼を受けた冒険者達は沈黙の洞窟入り口で呆然としていた。
沈黙の洞窟は、その入口部分が地下一階と連動するように大きく開いている。高さ十メートル、横幅は数十メートルはあろうかという巨大さだ。
その入口が地下へと続くように大きく道を続けている。
で、その沈黙の洞窟入り口は現在、多数の大蜘蛛達が巣を張り巡らせていた。
洞窟入り口から上を見れば、天井伝いにびっしりと蜘蛛の巣が。横を見れば、壁と地面の間にもびっしりと蜘蛛の巣が張り巡らせている。
一つ一つの蜘蛛の巣は数メートルはあるだろうか。こんな感じで、見える限りずーっと沈黙の洞窟、奥深くまで巣がいくつも張り巡らされている。
その状況に、モブの男冒険者が困ったようにつぶやく。
「おい、なんだこれ。誰か説明しろ」
その言葉に、この場にいた全員が同意する。
緊急依頼ということで、動ける冒険者達は全員ここまでやって来ていた。しかし、どれだけ数を揃えても、これはもうどうしようもない。
ここから洞窟の中を見た限りでも、大蜘蛛の数が有に数十、いや数百は居るように見えるからだ。魔物の数が圧倒的に多すぎる。
そんな中、ベルフがぶっきらぼうに言った。
「帰るか」
サプライズも同意する。
『そうしますか』
そのまま洞窟に背を向けて街まで帰ろうとするベルフを、一人のギルド職員が手を広げて止める。
彼女は、小さい体に職員のスーツを着込んでいた。ショートカットの髪は少しボサついている、ここ数日まともに手入れしてないのかもしれない。目下には隈も出来ているので、徹夜も続いているのだろう。
その女性職員は声を張り上げていった。
「大蜘蛛の退治が終わるまでは返らせません。帰った人はギルドを除名とします!」
その女性の言葉で、場に緊張が走る。もしもギルドを除名されてしまえば、今後この街で冒険者活動はできなくなるからだ。仮に活動できたとしても、多大な足枷が付くのは間違いない。
疲れた表情と合わさって鬼気迫る女性職員の、その声にベルフは心地よさを感じた。
「と言っても、これでは手の出しようがないしなあ。そうだろサプライズ?」
『そうですねベルフ様。酒場に戻って、つまみの唐揚げでも食べながら、酒の一杯でも飲んだほうが有意義ですね』
相手に余裕が無いと見るや、ここが煽りどころと遊び場を見出したベルフ。目の前にいる女性のストレス耐久度を測るべく厳しい試験官役を演じた。
「しかし、だ、よく考えてみればギルドを除名されてしまえば、街から出ていくしか無い、これは大変だ。という事で、そこの女。近隣の街に冒険者が活動する上で、お勧めの街はあるか? 去り行く俺に一つくらい、未来のための情報を与えてもいいと思わないか?」
ベルフだけではなく、サプライズも続く。
『ベルフ様にとっとと教えるんですよ生ゴミが。疲れてる女アピールで、こっちの同情でも誘ってんですかあ? その洗髪していない髪の一つでも洗ってきてから話しかけてくださいよ、臭いんですよ』
なおも続くベルフ達の精神攻撃。
この女性職員はいつぞや、ベルフ達を煽ってリリスとミナを間引き組に誘った職員だ。
当時の余裕満載の態度は影を潜めて、女性は感情豊かにベルフを睨みつけてくる。憎しみ満載の視線に、ベルフは更なる心地よさを感じた。
「こッこッ!」
女性職員が言葉にならないとばかりに詰まる。
『こっこっ? なんですか鶏ですか? 人間の言葉を喋って下さい。鳥類の言葉はわからないんですよ』
サプライズの言葉に女性職員が更に怒るが、ベルフの方はそれどころではない。
彼はやる気無さそうに鼻くそをほじっていた。もう飽きたのだ。
「じゃあ、俺達は帰るから。後は頑張ってくれ」
好き勝手言いたい放題のベルフ達に、我慢の限界まで来た女性職員が叫んだ。
「この事態はあなた方の責任でもあるんですよ!」
沈黙の洞窟。その特性は主に、洞窟内を漂うマナの豊富さである。
これの為に魔物は、食料も水も必要とせずに生きていける。魔物達の楽園と呼ばれるのはそれのためだ。
と同時に、マナを大量に含んだ結果、この洞窟内で取れる鉱物は、その成分に大きな変質が起きる。それらの鉱物は、物によっては希少な物もあるのだが、とりあえず、沈黙の洞窟と言うのは人間、魔物双方にとって非常に価値のある場所なのだ。
で、先に討伐されたレッドオークとリザードキング。あの二つの魔物を倒した事で、残った土蜘蛛が沈黙の洞窟内の覇者になってしまったのが今回の騒動の原因である。
実際。沈黙の洞窟はその特性から外から入り込んできた強大な魔物同士で、度々その覇権をかけて戦うことはあった。
しかし、幸か不幸か今まで昆虫型の魔物が洞窟の覇権を握った事はない。今回にしてもレッドオークとリザードキングの双方が生きていれば、土蜘蛛は逆に彼等に殺されていただろう。
特に、リザードキング含むリザードマンは好んで蜘蛛形の魔物を食べるので、彼等リザードマン達は、土蜘蛛や大蜘蛛の天敵であった。
さて、そんな邪魔者がいなくなった土蜘蛛は、洞窟内を己とその眷属のための楽園を作り上げていった。
レッドオークやリザードキングのような魔物は、主にメスの妊娠出産などによるものか、一度に多数産卵はするが年に数回しか卵を産まないかのどちらかである。
ところが、土蜘蛛は蜘蛛の魔物だ。卵から一度に大量の子蜘蛛を産み落とす彼等は、その生産能力が半端ではない。
これが、通常の場所であれば弱肉強食だの、その場所における生物の限界数だのと制限がつくのだが、ここは沈黙の洞窟である。
豊富なマナのおかげで生きていく上に栄養や水分はいらない。しかも、子蜘蛛の育成において、天敵になるはずの他の魔物達は全滅した。
結果として、ねずみ算式に爆発的な増え方をした大蜘蛛達が、沈黙の洞窟を制覇してしまったのだ。
以上を喋り終えると、女性職員は、ハーハーと息を切らしていた。
「わかりますか、あなた方がレッドオークもリザードキングも倒してしまったからこうなったんですよ!」
ベルフは納得していない声色でそれに答える。
「いや、討伐の依頼を出したのは、そっちだしな。俺たち冒険者を責めるのは筋違いじゃないか」
サプライズも呆れ声を出す
『鳥類の言葉のほうが、まだマシでしたね。ゴキブリ以下の人類語を聞けて私としても満足です』
ベルフとサプライズが語ったにしては珍しく正論である、が、彼女には通じない。
自分達のミスを素直に認められる様なギルド職員は、腐った組織であるライラの冒険者ギルドの中では生きていけないのだ。
「土蜘蛛を放置したのは貴方達の責任です! 正式に土蜘蛛、及び大蜘蛛討伐を厳命します!」
その言葉にイラっとしたのはベルフだけではない。依頼の成否事態にケチを付けられたことで、レッドオーク討伐に参加していたリリスやミナ、それにアーノルド含めたベテラン冒険者達にも被弾した。
彼等も、冒険者ギルドからの緊急依頼と言うことで、この場に来ていたのだ。
場の雰囲気が一方的に悪くなっていく中、ふいに洞窟の近くにいた冒険者達が悲鳴を上げた。
「大蜘蛛だ、大量の大蜘蛛が洞窟から出て来たぞ!!」
騒ぎが起こった方を見ると、多数の大蜘蛛がこんにちは、とばかりに洞窟の入口からでてきていた。ワサワサと身の毛もよだつ様な、大型昆虫の大群だ。その数は優に数百は超えるだろう。
いきなり始まった魔物の大侵攻に、冒険者たちが逃げ惑う。ここに残っていては大蜘蛛の波に一息に飲み込まれてしまうからだ。
「ちょっ! ちょっと待ちなさい! 逃げればギルド除名ですよ除名。あなた方、わかっているんですか!」
逃げる冒険者達に女性職員が叫ぶが誰も聞いていない、我先にと街へ逃げ帰っていく。
そんな騒ぎを面白おかしく見ていたベルフに、アーノルドが話しかけてきた。
全身鎧を来た大柄なアーノルドは、ベルフと比べれば大人と子供かと思うほどに体格差がある。
そんな二人ではあるが、あの討伐以降、何故か気があったのかよく話し合う間柄になっていた。
「おい、あれはなんだと思う?」
アーノルドは洞窟から湧いてくる大量の大蜘蛛を親指で指し示す。
数百どころではなく、尚も沈黙の洞窟から大量に出てくる大蜘蛛達。誰が見ても尋常ではない数だった。
「おそらくだが、洞窟内にいた大蜘蛛の数が飽和したんだろうな。サプライズ、探知画面でちょっと洞窟の中を見せてくれ」
『わかりました』
サプライズがビデオカメラで映し出した様な映像を、空中に投影してきた。探知画面から精査して再現した映像であるが、映像の再現精度は優に90%を超えている。
そこには、洞窟内にビッシリと大蜘蛛達がいた。洞窟内の一角を映し出している、この映像だけでさえ、数十の大蜘蛛が見える。
これが、洞窟全域となると、その数は千どころではない、軽く万を超えるだろう。
その映像を見たアーノルドは一つ頷くと決める。
「よし、俺達は退くぞ。こんなもん、冒険者じゃなくて軍の仕事だ。お前はどうする?」
ベルフはいつもどおりやる気の無さそうな顔で言う。
「俺も今回は退くかな。とりあえず、ほとぼりが覚めるまで他の街にでも遊びに行ってるわ」
その声にアーノルドは笑顔を一つ向けてから
「そうか、じゃあまた縁があったら会おう」
アーノルドはベルフに別れを済ませると、周りの冒険者達に退避を呼びかけた。
そのまま、数人のベテラン達がアーノルドと共にいなくなると、そこにはベルフ、リリス、ミナ、尚も叫び続けているギルドの女性職員しかいなくなった。
「貴方達、戻ってきなさい! わかってるんですか! ……ってちょっと何するんですか!」
ベルフが職員の身体を掴み上げると脇に抱えた。
放っておくといつまでも叫んでそうなので、勝手に避難させる事にしたのだ。
離しなさいだの、不敬ですよだの、今に覚えていろだのと騒ぐ女性を無視すると、リリス達と共に街へ向かって走り出す。
そうして走っていると、リリスがベルフに釘を差した。
「言っとくけど、私達はこの町に残るからね」
リリスの言葉に、ベルフが驚いた顔をする。
「なぜだ?」
「当たり前でしょ! ついていく義理も何もないわ!」
ベルフが心底わっかんねーという顔をしていた。
てっきり、リリスとミナの二人は、死ぬまで自分の手下として人生を全うしてくれると思っていたからだ。
そして、ミナもリリスに続いた。
「リリスもだけど、私だって無理だよ。学院はあるし、卒業するまで、この町にいないと行けないんだからね。そういうわけで行くなら一人で頑張って」
手下、一と二の唐突な裏切りにあったベルフ。さほどショックは受けてないが、便利なコマが二つも、いなくなることに不安を覚えた。
『けっ、役に立たない手下どもですね。まあ良いでしょう、今のうちに自由を謳歌していなさい。いつまでもベルフ様から逃げ続けられるとは思わないことですね』
サプライズからの別れと再会を約束する言葉に、リリスは腰につけてある剣でベルフを斬り捨てたい衝動に駆られる。まず間違いなく、ここでベルフを殺ってしまった方が自分の人生のためになるからだ。
「しかし、そうなると手下の数が不足するな。何処かにいないか、適当なのが……」
ベルフが酷く真面目な顔で悩む。そして、不意に気づいた。自分がいま運んでいるギルド職員、こいつはどうだろう、と?
「ちょっとなんですか。何か肌にピリピリした物を感じるんですけど、この人、何を考えているんですか」
彼女は酷くうろたえていた。場の雰囲気というか、生命の危機というか、第六感というか、ベルフからの気配に、そういう物を肌で感じたのだ。
「サプライズ、この女をどう思う?」
ベルフは、頼れる相棒に意見を聞いた。
『ふむ、なるほど。確かに、こいつは頭よさそうですし、世渡りも上手そうですね。そこの雌豚達の代わりにはなるでしょう』
サプライズの返答にベルフは決心した。次はこいつを手下にする、と。
「ちょっと、この人達は何を話しているんですか、そこの二人も止めて下さい。仲間なんでしょ!」
女性の言葉にリリスとミナの二人が目を逸らした。こうなったベルフは、もう止まらないと知っているのだ。
『喜びなさい、貴方をベルフ様の手下にしてあげましょう。その人生、死ぬまでベルフ様のために費やしなさい』
「そう言うわけだ、これからよろしく頼む」
ベルフの言葉が妙に優しかった。屠殺場へ連れて行く家畜に、最後に優しい言葉をかける。そんな誠実さが言葉から滲み出ていた。
しかし、当の女性職員はベルフ達の言葉に、心臓が恐怖で唸りを上げている。
そのまま、女性職員の悲鳴を聞きながら、ベルフ達は街へと戻っていく。次の冒険へと向かって。
これにて、第一部完です。
ここまで見てくださった方々、本当にありがとうございました。




