第三十話 レッドオーク討伐完了
デーモンが死んだその瞬間、洗脳が解けたレッドオークの脳裏に今までのことが走馬灯のように駆け巡った。
黒いあの魔物に、支配された自分とその眷属。生け贄と称して、仲間のオーク達を捧げていた愚行。この階層の覇者を決めるべく、鎬を削っていたはずのリザードキングや土蜘蛛との共闘。
どれもこれも思い出せば吐き気がするような忌々しい物ばかりであったが、レッドオークが最も重視したもの、それは――
レッドオークがその巨体に見合わない機敏さで前に転がる。身の丈二メートルを軽く超える巨体は、鍛えられた体術のおかげか非常になめらかに動いた。
地面を転がり、先ほど捨てた斧にレッドオークが右手を届かせると、身体に幾らかの激痛が走る。同じく、洗脳が解けた冒険者達が、この隙にと一斉にレッドオークへ攻撃してきたからだ。
「ちっ仕留め損なったか! このまま反撃を許すな!」
アーノルドの号令に、冒険者達がレッドオークへと襲いかかっていった。
ワーワーと室内が大乱戦になっている中で、ベルフ君は少し離れた場所に観戦者気分で地面に座っている。
どうにも、魔物達は基本的に仲が良くないらしい。纏め役だったデーモンがいなくなった事で、全員入り乱れての大乱闘が開催されていた。
そんなわけで、みんな隣りにいる相手を殴る事ばかりに必死で、こっそり抜け出したベルフに誰も気がついていない。
地面に胡座を掻きながらベルフは、しみじみと語った。
「最後にケチついちゃったなー」
『ですねー』
ベルフとしては、あのままデーモンを人質に取りつつ、魔物達を全滅させる予定だった。ついでに、魔物達が全滅した後は、残った冒険者達一人一人に、王様ゲーム気分で命令でも出し続けて、じっくり遊ぶ予定だったのだが。
「まあ良いか、後は他の冒険者達に任せる。昨日、カリスにやられた傷もまだ癒えてないしな」
ベルフが自分の肋骨を試しに触ってみると痛みが走った。まだ骨に罅が割れたままなのだ。
『あいつらデーモンに洗脳されたくらいしかしてませんしね。クソみたいな奴らですが、少しくらいはベルフ様の役に立ってくれるでしょう』
レッドオークと戦っているアーノルド達を、ベルフはやる気なさそうに応援する。がんばれーだとか、そこだ行けーとか応援していると、ふと視界の端に、この場から逃げていく人間を見つけた。
「ん、あいつは?」
ベルフだけではなく、サプライズも気がついた。
『ああ、あの女魔術師ですか。思ったより根性がないですね』
その逃げ出している冒険者はルーネだった。彼女は、場の混乱に乗じてこの場から外へ行こうとしている。
邪魔なリザードマンを避け、空から襲い来るジャイアントバット達を魔法で燃やし、ルーネは脇目もふらずに逃げ出す。
彼女は、本来なら優秀な冒険者だ。危険なんてものは何度も乗り越えてきた、命のやり取りも数え切れないほどある。
しかし、それらは全て、後衛で守られているという状態でだ。
頼れる前衛のリークスは初期にリタイヤしている。リーダーであるカリスは頭のおかしい新人冒険者に殺された。この二人は、ルーネにとって戦いにおける精神的な支柱であった。
危機に陥った時、巨大な魔物と戦う時、自らに危険が及ぶ時、どんな時でも、攻撃役である自分を守ってくれていた前衛役。だが、その二人はこの場にいない。
彼女は冒険者になってから初めて、誰にも守られない状態で鉄火場に放り出されていた。
ルーネが、ついに扉にたどり着くと、恐怖で歪んでいた顔に安堵の色が現れる。
デーモンが現れた、頭のおかしいアイツに仲間のカリスが殺された、洗脳されていた時に食料として食べられそうになった、こんな場所に一人で取り残された。
この部屋に入ってからルーネの身に降りかかってきた数々の不幸に、彼女の精神は崩壊寸前まで追い詰められている。
ルーネは、扉から飛び出して、通路へと身を出すように逃げこむ。
もう終わった、危機は去った。
殺し間から逃げ出して安心していた彼女は、しかし、いきなり身体を掴まれると地面に引きずり倒される。
驚くルーネに、ミナの邪悪な声が聞こえてきた。
「逃げられると思った? 残念だったね」
そこには、リリスとミナがルーネを待ち構えていた。
リリスは、倒れているルーネを足で踏みつけると、剣先をルーネの首に押し当てる。ほんの少しでもルーネが怪しい真似を見せれば、すぐに殺す気なのだ。
ルーネは混乱の極みにいた。この二人は確かに自分が殺したはずだ、何故生きてここにいるのかわからない。しかも、自分に剣をつきつけている。
リリスとミナは、事前にベルフと話し合って、カリスとルーネが逃げ出した時の保険として部屋の出口で待ち構えていたのだ。
サプライズの探知能力で、部屋の中にデーモンがいるとわかっていたので、部屋の中に二人が入ることを拒んだための処置である。
結果として、ルーネをこうして追い詰めることが出来た。
ミナは心底、楽しそうに語る。
「あの僧侶の男はベルフが、ちゃんと殺してくれたからね。こっちもちゃんとやらないと」
ミナは杖に魔力を込め始める。リリスに足で抑えられて、身動きのできないルーネを始末するつもりなのだ。
ルーネは涙を流しながら首を横に振っている。ミナが本気で殺す気だと分かるのだ。そして、自身の命がここで潰える事も。
ミナがルーネに向かって魔法を放とうとすると、そのミナの動きをリリスが止めた。
「ミナ、もう良いんじゃない? この人、もう完全に心が折れてるわ」
リリスの言葉にミナが魔法の発動を止める。確かに言われてみればルーネは酷い様子だった。顔は泣き顔でクシャクシャになっている。こちらに反抗するどころか、全てを諦めて、持っていた杖さえも放り投げている。
度重なる出来事で、ルーネの心は完全に折れていた。
しかし、ミナはその程度で許すような甘い人間ではない。
「でもリリス、ここはケジメとして殺しておくべきだよ」
ミナは、それでもルーネに止めを刺すべきだと主張した。だが、リリスの方は、もうその気が無いようだ。
「でも、もう良いかなって。ここまでやったら十分だと思うし」
リリスの態度にミナは諦めたようにため息を吐く。ミナも、彼女の甘さには慣れていた。
ミナはルーネに向かって言った。
「リリスが良いって言うから見逃すけど、もし、今後私達に手を出したら次は許さないからね。もう一人の、リークスとか言う仲間にも伝えて」
ルーネの方は、ミナの言葉に何度も頷くと、落ちていた杖を拾ってその場から一目散に逃げ出した。もしかしたら、ルーネが反撃してくるかと二人は身構えてもいたが、それも杞憂だったようだ。
「ごめんねミナ。私が我儘言って……」
リリスの謝罪にミナが答える。
「別にいいよ、私もそこまでしたかったわけじゃないし。それより、部屋の中はもう決着が付いたみたいだよ」
ミナが部屋の中を指し示すと、今まさに、冒険者達がレッドオークを倒した所であった。
レッドオークが地に倒れる。偉大なオークの王は、不利でありながらも存分に、その武威を示していた。
部下のオークは他の魔物達に囲まれていて、こちらに来れない。最初に冒険者達に攻撃された時、片方の腕が切り飛ばされた。本来なら両手装備である斧を、慣れていない片手装備で戦う羽目になった。
それでも、このレッドオークは囲んでいる冒険者達の数人を道連れにする事に成功する。通常のオークキングよりも高レベルの個体であったこともあるが、死兵となったレッドオークが、危険を顧みずにがむしゃらに攻撃していた事も大きい。
アーノルドは、倒れている数人の冒険者達を見て寒気がした。
もし、このレッドオークとまともに正面から戦っていたらどれほどの犠牲が出たであろうか。最初に手傷を負わせたから勝つことが出来たが、もしもそれがなかったら。
果たして、部屋に入る時に感じた死の予感は、デーモンだけだったのか、それがなくても万全な状態のこのレッドオークと戦っていれば……
ちらりとアーノルドはベルフを見る。
「認めたくないが、あいつのおかげってことか。本当に認めたくないが」
ベルフは、レッドオークが倒されたことを知ったのか、こちらに向かって走ってきていた。それも本当に全力で。
その様子を見てアーノルドが舌打ちをする。
「何だ、今更こっちに来て、なにか文句でも言うつもりか。レッドオークを俺達が倒したことには変わりないんだ、十万ゴールドは俺達のもんだぞ」
アーノルドの言葉にもベルフは怯まない。とにかく全力疾走だ。
ベルフの様子を不思議に思った冒険者達が首を傾げると、ベルフの後ろに巨大な物体が居ることに気がついた。そう、それは――
部屋の中を見ていたリリスとミナが慌てて通路に戻る。と同時に、ベテラン冒険者達が次々と部屋から慌てて通路の方へと駆け込んできた。
「逃げろ、とにかく逃げろ!!」
全身鎧を着た冒険者が、そう言いながら部屋から飛び出してくる。その冒険者が、反対側の通路の方に走り去って行くと、今度は二人にとって馴染み深い人物が出てきた。
そう、この作品の主人公、ベルフ・ロングランである。
ベルフは、リリスとミナを見つけると、素早く両肩に担いだ。
実に手慣れた動作で、右肩にリリス、左肩にミナを担ぎあげる。
わけもわからず、いきなりベルフに担ぎあげられたリリスとミナ。素人であれば、ここで一つ二つ騒ぐ所であるが、最近似たような経験をしていた彼女達には、次に何が来るのか、なんとなくわかっていた。
「それでベルフ、今度は何が来るの? もう何が来たって驚く自信があるわ」
リリスの言葉にミナも続く。
「うん、私も何が来たって驚くから覚悟決める為にちょっと言ってほしいな。今度はどんな厄ネタが来るのかな?」
ベルフに担ぎあげられて、後ろを見る格好になっているリリスとミナ。さて、何が来るのかと身構えていると、突如、部屋へと続く扉が、壁を巻き込んで勢い良く壊された。
そして、そこに巨大な蜘蛛が現れる。大蜘蛛の上位種、土蜘蛛だ。
土蜘蛛は、その巨体を屈めると足を巧みに使って通路の中を高速で走り始めた。その目標はたった一つ、ベルフである。
サプライズの放った雷の魔法で気を失っていた土蜘蛛は、目が覚めると妙に頭がすっきりしていた。デーモンの掛けた洗脳が解けた為である。
そのまま、自身を操っていたデーモンを怒り心頭と言った感じで八つ裂きにしようとしたが、何時の間にかデーモンは死んでいた。まあ、デーモンが死んだからこそ洗脳が解けたのだから当然だ。
そのまま、土蜘蛛がやり場のない怒りを抱えていると、不意に背中に痛みを感じた。そこで土蜘蛛は、ある事を思い出す。そういえば、自身に傷を付けた人間がいたな、と。
辺りをキョロキョロと見回して、憎きベルフを探す土蜘蛛。襲い掛かって来る雑魚モンスターを適当に蹴散らしていると、少し離れた場所で胡座を掻きながら、余裕の表情で乱戦を眺めているベルフを見つける。
そのまま、八つ当たり半分、舐めた事してくれやがったなと言う気持ち半分で、傍観者気分で余裕ぶっこいてたベルフを土蜘蛛が強襲。こうして、地獄の鬼ごっこが開始された。
「そういえば、こいつの事を忘れていたな」
『いやー、全くですね。これは失敗しました』
HAHAHAと笑い合うベルフとサプライズを他所に、リリスとミナの顔には絶望の色が現れている。
土蜘蛛は、キシャー! とグロテスクな口をガチガチ動かして、今か今かとベルフ達を捕食しようとしていた。ベルフに担がれて、後ろを向く格好となっているリリスとミナは、そのショッキングな光景を視界に収める事に完全成功している。
「ちょっ! 洒落になってない! 洒落になってない!!」
リリスが口をパクパクと動かしていると、土蜘蛛が口から何かを飛ばしてきた。人をも容易く溶かす溶解液だ!
『やらせませんよ!』
その溶解液が届く前に、サプライズが雷の魔法を迎撃として放った。雷の魔法が当たった溶解液は、ベルフ達に届く前に四方八方に四散する。
ただし、四散した溶解液が付着した壁部分が、ジュワーという音を立てて、溶けていくのは見逃せる所ではない。
『おー、中々やりますね。少しでも被ったら危ない威力です。おい雌豚共、しっかりとベルフ様の盾になるんですよ』
サプライズからの二人へ送る応援メッセージも、リリスとミナの耳に届くことはない。先程の溶解液が、あと少しで自分たちに届きそうだった事を知っているからだ。
「やっぱりこいつだ、ルーネとかカリスじゃない、こいつなんだ。こいつが本当の敵なんだ」
「落ち着いてリリス。ここでヤケになっちゃダメだよ。殺るなら街に帰ってからにしないと」
リリスとミナの二人がベルフ暗殺計画を立てている横で、当のベルフ本人は楽しそうにしていた。
「サプライズ、今回の依頼は大変、実りがあったな」
『はい全くです。装備も充実、レベルも上がる。良い事尽くめでしたね』
「また、討伐依頼があったら来たいな。今度はもっと強くなってからだ」
『次はレベル十を超えたらにしますか。目指せレベル二桁です』
今回の依頼の結果に、満足している様子のベルフ。
彼等がクタクタにながらも、土蜘蛛との地獄の鬼ごっこを終えて街に帰れたのは、それから三時間後のことであった。




