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「お前やっぱり逃げるときはここだよな」
「和時。どうしてわかったの……」
「ケンカしたときは、いつもここだもんな」
月乃は、学校の屋上にいた。
「昨日、家に帰らなかったのはいいけれど、どこにいけばいいのかわからなくて、結局戻ってきたんだな。俺がもっと早く気付いて野宿しないですんだな」
「やめろよ、優しくなんてしないで」
月乃は俺から離れる。俺は近づいた。
月乃は俺から離れる。俺は近づいた。
月乃は俺から離れるが、後ろのフェンスに当たり、これ以上退がれなくなった。俺は近づいた。
「来るなっ! 来ないでっ!」
俺は近づく。
「なあ、月乃。俺はお前に色々隠して悪かった。やっぱりお前に変だと思われるのは嫌だったから」
「だから半端に優しくなんかすんなっつたろ。それ以上近づいたら、飛び降りるぞ」
俺は足を止めた。
「月乃、俺お前が何にそんなに思い詰めているのか知らないけれど、やっとわかったよ。お前、死のうとしてたんだな」
月乃の顔に、驚きが走る。
「あの『影』お前だったんだな。お前はただ屋上に来た俺に声をかけようとしたのに、俺には口しかない『悪夢』に見えて、叫んじまった。お前、俺に拒絶されたと思ったんだろう。他の誰にも相談できないことを俺が受け止められなくて、最後に告白して消えようとしたんだな」
それは驚きから、思索に変わり
「最初俺にはお前の姿が見えなかった。あれは、お前が俺に会わす
顔がないって気持ちを汲んだ俺の脳みそが見えなくしていて。けれど、お前は俺に対するやり場のない怒りを思い出してあんな真っ黒になったんだな。あの影、俺に触ろうとしていた。全身が、黒で塗りつぶされて、きっと辛いことがありすぎて真っ黒になったお前が、俺の姿を見て助けを求めてたんだな」
どうして後悔は先にできないのだろう。
「でも結局機会はあったけれど、死ねなかった。ここまできて後は
飛び降りる段階になったけれど、やっぱり死ぬのが怖くて、俺が助けにこないか待ってたんだな」
知られたくないことを知られて、恥ずかしくて仕方ないと言った顔だった。
月乃は柵に手をかけた。俺は走った。
月乃は柵の最上段に足をかけた。俺は月乃の真下にまで到着した。
月乃は闇の中に身を投じようとした。俺の手が伸びる。
そして月乃の体は下へ下へと落ちていこうとして、俺は月乃の右手に向かって手を伸ばす。
手を伸ばせば伸ばすほど、月乃が地面に落ちてゆく。
頼む。間に合ってくれ。
この悪夢だけは。
「まったくどうしようもない。お前は本当に何もわかっていないのだから」
気がつけば、俺は間に合っていた。月乃の腕をしっかりと掴み、屋上へと引き上げた。
けれど、それは俺一人でやったことではなかった。
確かに、そいつが手伝ってくれた。一緒に、月乃の手を掴み、持ち上げてくれた。そいつは、俺と月乃を見下ろすように立ち、ぐにゃりと笑う、影。
人間の輪郭を黒色のペンキで塗りつぶしたような人型。
「お前……、サビルロウか?」
影は、答えずに消えた。
「なんで……、なんで死なせてくれないんだよ」
代わりに月乃が喋りだした。
「私、もう生きていけないんだよ。可哀想だと思うんなら、死なせてくれよ」
俺は結局最後まで月乃を助けられなかった。
月乃を腕に抱きしめながら、最後の台詞を言うために、息を大きく吸い込んだ。
「月乃、お前はまだ俺の答えを聞いていないだろ。月乃、俺は確かにお前の言う通りお前にたいしてそういう気持ちは持っていない。普通の友達の一人だと思っていた。ごめん。……でもな、俺、お前がいないことがこんなに切ないなんて知らなかった。お前が側にいてくれることがこんなに幸せなことだなんて思わなかった。こんなこと言える立場じゃないのはわかっているけど、どうか我侭を言わせてくれ。どうか、死なないでくれ。どうか、俺と友達でいてください」