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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第九章 望まぬ侵攻

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 しばらくすると、遠慮がちに扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

「失礼いたします」

入ってきたのはメリッサだった。エレノアが立ち上がれば、メリッサは少しほっとしたような表情で笑み、続ける。

「軽いお食事とお飲み物をご用意してきたのですが――いかがいたしましょうか。ウィシュカが、皆様お疲れになってくる時間でしょうからと。ご休憩は別のお部屋の方がいいかと思い、そちらもご準備してあります」

「まあ――」

示されて廊下に顔を出すと、スープ鍋やサンドイッチが乗ったワゴンが隠されていた。小瓶に詰められた、蜜砂糖漬けの果物が美味しそうだ。体が求めているのがわかる。何より、執務室から引っ張り出してくれようとする意図がありがたい。

「アーノルド様、アリーチェ様。今夜はこのくらいにいたしませんか。城のコックが夜食を用意してくれたそうなので、お召し上がりになりましたら、お部屋にご案内いたします」

「ええ、わたくしは喜んで」

「そうだな……約六時間か。初日にしてはまあいいだろう。火の始末をして、退室は一斉にしてもらう。施錠後は扉に規定の封印を行うので、持ち出すものはあらかじめ申告するように」

「はあ……」

エレノアが声をかければ、今回はアーノルドも了承した。先程からかちかちと小気味よく鳴っている置き時計は実務時間を計るものらしく、仕組みはわからないがアーノルドが裏面を操作すると動きが停まった。

(時間でお給料が変わったりするのかしら。そうなると、わたしたちはどこからがお仕事でどこからが生活になるのか……お城の暮らしって、境目が曖昧なのよね)

とにかく、いろいろと言われたがこれでやっと一息つける――と思ったのも束の間、すぐに別の言葉が接がれた。

「食事や宿泊に関しては規定の料金を払う。帳簿を見るに、飲食、宿泊業にも携わっているのだろう。支払いは経費で落とす」

「え――ですが、こちらはご宿泊のお客様にお出しする特別なお料理ではなく、普段わたくしたちが口にするような軽食なのですが……」

「ならばそれ用の金額を算出したまえ。昼間も言ったとおり、接待にあたるようなもてなしは受けない」

「まあ」

そのアーノルドの物言いには、いっそ清々しささえ覚えるほどだった。メリッサも驚いたように目を丸くして、エレノアに小声で語りかける。

「エレノア様――ですが、スープは夏にウィシュカさんの菜園で山ほど採れて保存用に乾燥させておいたドライトマトと、今日のティーパーティーで残った茶葉を合わせたスープですし、サンドイッチも具材は今日使った野菜やハムの端っこで、パンも使用人用に焼き置いてあるものですよ? 蜜砂糖漬けに至っては、トローエルさんが大昔に取り寄せて植えつけして、今ではなかば野生化したコクワの実を漬けたものですし」

「聞こえているぞ。ならば費用は適当にこちらで算出する」

 アーノルドは、言うが早いか帳簿を脇に除け、ずっと傍らに置いていた辞書のように分厚い資料を引き寄せる。時々開いては帳面と見比べていたようだが、半分寝ていたエレノアは特に気にしていなかった。が、今は違う。

「アーノルド様、それは?」

「あなたには関係のないものだ」

にべもなく返され、しかし代わりに答えてくれたのはアリーチェだった。

「それはお城や貴族の邸宅、教会など、特殊な監査のときに使われる資料ですわ、エレ姉様。イラーリア家の人間だけが持つ、特別製です。領主の申告や実際に支払われた税などの情報を元に、各地の年代ごとの作物の収穫量や物価の移り変わり、またその価値に変動をもたらすような大きな天候の変化や事件事故、技術開発などが記載されているのです。クローマチェスト人が日常的に食する、いくつかの代表的なお料理の物価指数も載っているので、昨年のものを見ればおおよその値段は算出できるかと……」

「それは……ちょっと面白そうな資料ですわね」

エレノアの顔と声が明らむのを感じたのか、アーノルドが顔をしかめる。厄介な人間に厄介なものを見つけられたと言わんばかりの表情で、それはもう盛大にため息をつかれたが、エレノアの興味はそんなことでは削がれない。

「ということは、新聞に載るような大きな出来事も書かれているのでしょうか? ちょっと見比べさせていただけませんか?」

エレノアはいそいそと本棚に向かうと、スクラップ帳をいくつか抜き取る。

「新聞だと?」

しかしアーノルドは、辟易したように吐き捨てた。

「まさかとは思うがそれは、最近(ちまた)で流行り始めているような、面白おかしくゴシップを書き立てたり、荒唐無稽な秘密結社だの怪しげな降霊術だのを取り上げたりしたものではないだろうな。〝黒き精霊のえやみ〟以降、〝女神の黒髪〟の輸入を停止する代わりにクローマチェストで栽培された紙料となる繊維植物が買い叩かれて、あちらの製紙工場で大量生産された紙が高額で輸入されるようになったが――それからというもの、見るに耐えない破廉恥な物語や低俗な雑誌が増え始めて、どうしようもない。それを高額で買う人間がいるのが、また許しがたい。どこかしらを法で規制すべきだ」

「お兄様……それを空位の今してしまったら、間違いなく市民議会から言論弾圧を訴えられますわ……。外務省とも揉めそうですし、何よりその見るに耐えないと仰る物語も、今では男女関係なくお茶会の話題になったりもいたしますのよ。お芝居の原作にもなっていますわ」

「くだらん」

そしてここにもそのくだらない物語を読んでいる人間がおりますとはとても言えず、エレノアとメリッサは苦笑いしながら目配せする。ヘンドリックも、今ばかりはアーノルドの味方かもしれない。

 たしかにこの数年で本の流通は増えた。とはいえまだ高価なものには変わりなく、貴族や一部の裕福な市民、宗教関係者などが主な購買層ではあるのだが、それでも識字率の高まりとともに徐々に広まりを見せている。

 あるいは読まずとも、装丁にこだわりがある本や、文字装飾、細密画が施された美しい本はさらに高額の美術品でもあるし、並べておけば高尚を気取りやすいのだ。

 そんな貴族の見栄や知識人たちの占有意識もあり、アーノルドの言い分も一定数支持されてはいるが、一度世に作られた流れをきとめることは非常に難しい気もする。本の虫であるアレックスなどは、そういった新書も平和な時代の娯楽と受け入れつつ、しかし原本が駆逐され翻案などに成り代わられるのを嫌い、価値ある古書を蒐集しゅうしゅうし始めているが、きっとこれも過渡期の中にあるものの一つなのだろう。

 エレノアはアーノルドの隣に立ち、スクラップ帳を机に置いてページをめくる。

「それでもこちらで取り寄せているものは、硬派で真面目な部類だとは思いますけれど――晩年の祖父が王都から取り寄せ始めて、わたくしがそのまま引き継いだものですのよ。かなりしっかりとしたもののようなので、めぼしい記事は切り抜いて保管してありますの」

「ほう」

アーノルドも中身を確かめるように一冊を取り上げ、ページを繰る。それからすぐに、何かに気付いたようにエレノアを見上げてきた。

「これは――UTSS? まさかこんな辺境の地で、この文字列を目にするとは」

「それ、お兄様も愛読している新聞では?」

「ああ――」

「まあ、そうなのですか」

意外な共通点に、エレノアはようやく心が和らぐのを感じた。

「まさか愛好の方にお会いできるなんて、感激ですわ。メンバーはペンネームを使用しているためどこのどなたかはわかりませんが、内容や文体から相当に博識な面々ではないかと生前の祖父も話しておりました。時には地方の出来事も記事になっていますし、いずれか商会の方なども関わっているのでしょうね」

「そうだな……。まあ、これならばそれなりに信頼は置けるだろうが――しかしそれはそれとして、この資料は帳簿の改ざんなどの悪用を防ぐために、イラーリア家の人間以外の閲覧は許されない決まりになっている。諦めろ、トルテュフォレの女主人」

「この状況では、改ざんもなにもないと思いますけれど……。仕方ありませんわね……」

心底つまらなさそうに呟くエレノアに、アーノルドは眉間を一度押さえ、改めてその特別製の資料に向かう。

 スクラップ帳を揃えながらちらりと覗けば、細かい文字や数字、表やグラフなどが見開きいっぱいに並んでいるのが見えた。さすがにこれにはエレノアも息を呑み、棚に向かうのを装い目を反らす。

(すごい……あれだけあると、わたしなんかが見て理解できるものなのかしら。歴代財務省の重鎮を数多く輩出してきたお家なだけあって、やっぱりお金に関しては一流の専門家なのね……。地方の領主のお城ともなれば、国税はともかく領税は地域によってだいぶ異なるでしょうし……毎年、編纂にどれだけの時間や労力がかかるのでしょう。この方がご自身の――いえ、一門のお仕事に誇りを持つのも、わかる気がする。……もう軽率な嫌味や野次は、飛ばせないわね)

スクラップ帳を棚に戻しアーノルドの作業が終わるのを待つ。なんとなくその姿を眺めていれば、アーノルドは眉をひそめ、何度も目を細めたり、資料を立てたり位置を変えたりしながら、指やペン先で細かい文字列をなぞっている。

(あ……!)

そこでようやく、エレノアはあることに思い至った。

「――メリッサ」

「はい」

「お願いがあるのだけれど。すぐにアーノルド様にホットタオルをご用意して差し上げて。それから居住棟の父の部屋に行って、作業机の右の引き出しにある眼鏡のケースを持ってきてほしいの」

「えっ……お父様の? しかし――よろしいのですか?」

「ええ、すぐに」

「は、はい。かしこまりました」

執務室を出て行くメリッサを見送れば、アーノルドが唖然とした様子で話しかけてきた。

「君――」

「申し訳ありません。やはりわたくし、寝ぼけていたようですわ。もっと早くに気付けばよかったのに――」

「いや……なぜ私が眼鏡を使用していると? 実際そうなのだが――王都からシセラスに来るまでに、ちょっとしたアクシデントでレンズを駄目にしてしまったんだ」

「そうでしたか……長い道中、それは大変でしたでしょう。おいそれと手に入るものではありませんし――パーティーのときも眼光鋭い方かと思いましたけれど、そのせいもあったのですね。実はわたくしの父も細かい作業をする人間だったようで、祖父やヘンドリックが語ってくれた思い出話の中の父とよく似た仕草をしていらしたので、もしかしたらと思いまして。父の眼鏡はレンズの入れ替えができますので、合うものがあればよいのですが……差し出がましいことをいたしました」

「いや……そうか。素直に感謝する」

アーノルドは目を閉じ、額に手を添え中指や薬指で眉間を押す。目の疲れから、頭痛などもあったのかもしれない。

 メリッサが戻り、細い銀盆に乗せられた温かいタオルを差し出せば、アーノルドは深く椅子にもたれかかり、長く息を吐いてそれを目元に当てる。その間に、ヘンドリックが眼鏡を検分してくれた。

 なめらかな布がかぶせられ、薄い木の箱に収められた鼻眼鏡パンスネの銀のフレームとチェーン、そして数組のレンズ。総じて箱から古めかしく見える。しかしヘンドリックは懐かしそうに、そのフレームを取り上げた。

「大丈夫? 使えそうかしら」

「もちろんです。こうしてお手入れさせていただくのは久しぶりですが――あなたのお父様、ウィルフレッド様は、幼い頃から衣装室に残された華やかな装束や壁のタペストリー、裁縫や刺繍など女たちの手仕事にご興味を持たれて、家令教育の傍ら、深夜までその作業をなさっておいででした。そのせいか、年を重ねるごとに目をお悪くされて。一時期は本当に仕立屋テーラーを志すと仰って、亡きお祖父様とはよくぶつかり合っていらっしゃいました」

「跡継ぎがそれでは、先代家令もさぞや難儀したであろう。孫娘を溺愛するのも、それならば理解できる」

「しかしながら、その腕前は相当なものでした。職人組合に入ることは許されませんでしたし、あちらからもお断りされてしまいましたが――ひたすら道を追求し、エレノア様がお生まれになってから仕立てたドレスは、それはもう見事なものでした。成人の儀で、それを着てダンスホールに立つ娘を見るのだと、エレノア様が乳飲み子の頃から仰っていました」

「……そうか」

 クローマチェストでは、二十が成人を迎える年になる。地方で領主を務める爵位貴族の子息令嬢などは王都に招かれ、王宮で開かれる舞踏会で王族との接見を経て名実ともに社交界入りを果たすことになるが、各地の有力者の子息令嬢は、領主が開く舞踏会がその役割を代替する。エレノアはこちらにあたるが、しかし二年前、成人の年を迎えたエレノアに待っていたのは祖父の死だった。

 結局エレノアが父のドレスを纏うことはなく、今もひっそりとクローゼットの奥にしまわれている。

 実情を下調べしていたアーノルドも、さすがにそこには触れ難かったのだろう。

「――しかし今日のティーパーティーもそうだが、貴族や良家の子供は子供なりに、幼い頃からこういった疑似社交界に出入りしてマナーを心得、成人のときにはすでにある程度の関係性を築いているからな。王政が揺らいだ今となっては、ほとんどただのダンスパーティーだ」

「そうですわね……わたくしやクラウス様も来年はお呼ばれされるのでいろいろと調べてみたのですが、あれ以来王族の列席はないそうですし。……大公家の面々が代わりを担っているようですが、なんだか、意義の薄いものになってしまいましたわね……」

下手な慰めなのか、微妙なアーノルドの言葉とともに、アリーチェが続けた言葉にエレノアは目を見開く。

「そうなのですか? フェイリム殿下や弟君……王妃様は」

「今は表立って市民議会と揉めたくはないのだろう。やっと王宮内も落ち着いてきたところだ。王政派と市民議会の連立政権もようやく形ができ始めている。大公家は比較的中立を保っているから、そちらの方が市民議会にも抵抗がないのだろう。弟君はまれに姿をお見かけするが、王位継承者であるフェイリム殿下と、先代の国王陛下の影響が強すぎる王妃陛下はこの頃はおおやけに姿をお見せにならない。そういうところも含めて大公家は――、本当に……抜け目がない」

「――アーノルドお兄様」

言葉が過ぎたのを咎めるかのように、アリーチェが厳しい口調でそれを制する。エレノアもそれ以上は問えず、ただやはり、ヴァイスの話との温度差を感じた。

(まさか大公家は――いえ、考え過ぎよ。考え過ぎよね……?)

嫌な想像が頭を過ったが、とても口にはできない。

 それから数枚のレンズを試し、なかなか合うものを見つけたあとのアーノルドの仕事はそれはもう早かった。最終的には蜜砂糖漬けのコクワの実が一番単価が高いことが判明したのだが、それらはシロップまで含めて、ほとんどが兄妹の腹の中に消えていった。

(お腹、壊さなきゃいいけど……)

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