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城の専門的な修繕や清掃、絵画や彫刻など美術品の修復を依頼している職人たちは、祖父の代からの付き合いが多い。家単位で見れば、さらに昔からの付き合いになる場合もある。
代替わりをした親方もいるが、弟子時代から皆よく見知っている。幼い頃、作業現場に行ってあれこれ聞き回って、邪魔をして申し訳ないと祖父やヘンドリックに頭を下げさせたことも数多くあった。
それでも休憩時間に差し入れを運んでいけば職人たちはにこにこと迎えてくれて、エレノアを囲んで身近な道具や資材、珍しい素材や異国の建築物の話などをたくさんしてくれた。こっそりタイルを貼らせてくれたこともあり、その一枚は今でも見分けられる。
また洗濯職人によって巨大な絨毯やタペストリーが運び出されると、そこはエレノアの知らない時代の無骨な城に一気に逆戻りしてしまう。しかし数日を経て返ってきたそれらは、あざやかな色と弾力を見事に取り戻しており、エレノアは嬉々としてその上を転がってみせた。毛足の長いふかふかの美しい絨毯は、とにかく肌触りがいい。エレノアの笑顔は祖父とヘンドリックには渋面と説教を、職人たちには朗笑をもたらした。
美術品の修復は、幼心にも息を呑むものがあった。様々な薬品や素材を用い、大小の筆やナイフ、彫刻刀、大工道具、時には針のような繊細な道具を使って、数百年の刻を経た絵画や彫刻と向き合い、時間を巻き戻していく。一枚の絵を前に、剥がれた絵の具を地道に集め、パズルのように組み立てる。また残ったものは留め、足りないところは描き足す。あるいは向こうが透けて見えるような薄紙を重ね表面を保護したり、絵のみならず額なども、汚れの種類ごとに効果のある薬剤を用い磨いていく。
この絵は、描かれた時代に戻っているのだろうか? それともさらに時間を経た先の世で、完成された新しい絵として生み出されるのだろうか?
日々彩度を取り戻していく絵を眺めているうちに、エレノアは時間の中をさまよい歩いているような不思議な心地になり、ただ無言の空間でこつこつと神業を繰り返す職人の固い指先を、じっと見つめていた。飽きることなどなかった。
華やかさや派手さはない。あるのは一秒一秒の積み重ねだけだ。しかし自分が祖父から家令という道を受け継いだように、彼らがその道をつないでくれているからこそ、トルテュフォレは今日まで歴史を重ねることができている。
ゆえにティーパーティーといっても、彼らとの会話は仕事の話がほとんどだ。だが若い親方や職人との会話は、最先端の技術や情報と触れるきっかけにもなる。
「――少し前に、錬金術師たちが魔力を帯びた花蜜から冷却触媒ってえのを開発しましてねえ。それがあれば、肉や魚なんかの生ものを、漬けたり乾かしたりせずに、もっと長く保存できるようになるらしいんですよ」
「噂には聞いておりましたが、やっと普及し始めるのですか。花蜜ストーブが出たのはもう随分と前でしたけれど――やはり温めるのと冷やすのでは、勝手も違うのでしょうね」
「そうですねえ、容れ物だけならさほど変わらんのですが。こっちは内側に冷気を閉じ込めて中の物を冷やす仕組みで、氷室をうんと小さくして室内に置けるようにしたもの、とでもいいましょうか。やはり燃やすよりかは特別な術式を使っとるとかで、今はまだ連中が薬やらなんやらを保管するのに占有しとるんですわ。ウチも試しに導入したいと思っとるんですが、どうしても求めるならその対価として、研究や生活のための金や珍しい素材を提供しろときたもんだ。暖める方もねえ、壁や床に管を通して、そこに燃料系の花蜜を流すか燃やすかして部屋全体を暖める工法ができ始めてはいるんですが、問題が多くて」
「まあ――それはトルテュフォレのような石造りの城でも可能なのでしょうか? もし実用化に至った際は、真っ先にお願いしたいくらいのお話ですわ……!」
「お城の冬は、それこそ氷室のようにお寒いでしょうからなあ――内装をいじって重ね張りの形にすればいけるでしょうが、全部のお部屋となるとこりゃ一世一代の大仕事だ。親父からは、先走りの技術は不具合も多いから、王都辺りの物好きや見栄っ張りがやってみて、家を燃やすまで待ってろと言われとるんですが……どっちにしてもここ数年の花蜜不足が痛手でねえ」
話し込んでいるうちにも、トローエルと何人かの職人たちが庭の隅でこそこそと何かの作業を始める。かと思えば、ヘンドリックが馴染みの親方衆とともに城の外壁を指差しながら何事かをやりとりしている。
(もう、わたしにはおしゃべりをたしなめに来たのに――仕方ないわね)
若い衆と一緒に苦笑しつつ話を続けるが、話題はやはり花蜜の高騰が主だった。
「精霊もおらず、花蜜が採れないよその国では、相変わらず〝女神の黒髪〟をガンガン燃やしてるそうで、特に採掘元の国は今じゃ年がら年じゅう薄暗く、空も肉を湯がいた灰汁を張りめぐらせたようなんだとか。行ってきた者の話によると、雨や雪まで黒いそうですよ」
「それは……なんだか恐ろしいお話ですわね……」
「ええ、でもその代わりに大規模な機械工業なんかは猛スピードで発展してるそうで、それがもう時代が百とか二百違うって話なんですが――いかんせん環境がねえ。仰々しいマスクが紳士淑女の正装に組み込まれてるらしく、帽子や襟と合わせて新鮮な生花やハーブをどれだけ飾れるのかがステータスだそうで。クローマチェストの花はえらい高値で取り引きされるそうですよ。しかしねえ、そのおかげで俺らは規格のそろったネジや釘なんかを手に入れることができる。なんともお互いに、滑稽な話じゃありませんか」
「お国柄といってしまえばそれも仕方のないことなのでしょうけど……わたくしたちが住むには、少し難しそうですわね」
「まったくです。進みすぎるってのも良いのか悪いのか――煙や煤を吸って、真っ黒になって亡くなる職人も多いらしくてねえ、機械と同じように人間も使い捨てですわ。そもそも、地母神の髪をむしって燃やすなんて――そんな野蛮な名前を素材につける連中ですから、職人や下働きの命なんて、なんとも思われてないのかもしれませんな」
「それはとんでもないことですわ……。そう伺うとなんとも言葉にはし難い、人の歪みのようなものを感じますわね……」
百年や二百年違うというなら、同じ時を経たクローマチェストはどのようになっているのだろうか。願わくは、今と同じように自然を愛し精霊と共存する、豊かな国であってほしい――そう思うのだが。
過去の陰惨とした記憶が、まだ刻まれているだろうか。
〝女神の黒髪〟――それは海向こうの巨大な島国で採掘されている、まだ歴史の浅い燃料資源だった。そしてクローマチェストに〝黒き精霊の瘟〟をもたらした、諸悪の根源でもある。
輸入された当時は、それこそ新たな燃料時代の到来ともてはやされ、ところが異変はたったの数年で訪れた。
――おそらく公害の一種だったのだろう。煙や煤を吸って、真っ黒くなって亡くなる――それだけでは語り尽くせない病が、クローマチェスト中を襲った。
因果関係は不明だが、前後数年の農作物の不作も〝女神の黒髪〟のせいだというのが、大方のクローマチェスト人の見解だ。
祖王が駆け抜けたはるか古の戦乱ののち、国土に緑と命を――と願った次代の賢君ローワン。その善政のもと、祖先たちが育んできた大地は数多の精霊を生み、神話の中で、おとぎ話の中で、祭の中で、おまじないの中で、ふとした日常の中で、人と共存してきた。
クローマチェストがその自然豊かな国柄を尊ぶ「原点」に立ち返り、花蜜を使用した独自の発展の道を選んだのはそれからだが、クローマチェストの錬金術師や魔術師たちは今でもその謎の物質を忌み嫌い、国民は大国に言われるがまま輸入、使用に踏み切った国を恨んだ。
そしてその記憶が薄れないうちに勃発した、エスタシオン家の騒動――それさえ差し止められなかった王家や家臣たちは、国民の信任を失っていった。
「――おい、こんな場でする話じゃないだろ。申し訳ありませんね、エレノア様」
若い親方を、その師であった父が止めに来る。
「エレノア様はお小さい頃から好奇心旺盛で、知識欲もすごいお人だった。なんでも聞いてくれるからついつい話しこんじまうが、ご両親のこともあるし、こんな華やかな場所でねえ――この馬鹿息子が」
「あっ……も、申し訳ありません。失念しておりました」
「ああ、いえ――」
考え込んでいたエレノアに、両親を偲んでいるのだと思ったのか、若い親方が慌てて頭を下げてくれる。
「構いませんのよ。外の情勢を知っておくのも、わたくしの務めですもの。珍しいお話が聞けてよかったです」
「いやいや。お偉い方々もお見えになりますし、特に今日はお祝い事があるとメイド長さんからも聞きましたからねえ。なんでも侯爵家の坊ちゃんが婚約者をお連れになるとか。俺たちにとっちゃ大方雇い主ですからな、水を差すわけには――」
と、そこで会話がかき消されるほどの黄色い歓声が庭の向こうから聞こえてくる。
(ああ、やっぱり)
リボンや花飾りがふんだんにあしらわれた、愛らしい流行りのドレスや帽子に身を包み、日傘を手にしたうら若い乙女たちに囲まれるソワレ。困ったような笑みを浮かべているが、それは特に彼女たちの問題にはならないらしい。
メリッサも案内を装って一生懸命引き離そうとしているが、いいようにあしらわれている。引きつった笑顔を浮かべ奥方様や旦那様方の相手もしているが、あれはあとで荒れそうだ――。
「ありゃ商会や市政の方々ですな。美貌の執事の噂は聞いちゃいましたが、あれはあれで大変そうだ。儂らは退散して、隅でトローエルの爺さんと土でもいじりながら、美味いサンドイッチを頂戴いたしますわ」
「ふふ。どうぞ、お手拭きをお持ちになってください。お口直しの甘くないレモネードもございますよ」
本当は甘いものが大好きな親方であったことは、幼い頃から知っている。跡を継いだ息子もそれは承知だったらしく、「紅茶にも蜜砂糖をたんまり入れてもらえよ」と笑いながら丸テーブルの方へ移っていった。
(あの親方なら、ソワレに淹れたお茶も平気で飲めそうね)
丸テーブルの方では、リュカやベリンダが他の親方衆と談笑している。聖堂の手習いに訪れる子たちの多くが彼らの元で下働きとして使われており、その関係で個別に寄付をいただいているので挨拶回りをしているのだろう。
(それにしても……〝黒き精霊の瘟〟か。あのとき、ヴァイス様も仰っていたけれど……)
ぼうっとそれを見つめるエレノアの心に、一滴の黒い雫が落ちる。
(もしかして今、わざと話を逸らされたのかしら……だとしたらなぜ? ……ううん、偶然よね。こんな場だもの、親方たちも気を遣ってくれたんだわ)
むりやり気持ちを切り替え、エレノアは新たな客人たちを迎えることにする。
市政に関わる人間はほとんどが侯爵家と縁深く、また商会は時流もあり、王都同様、近年力を付け始めている。トルテュフォレを守るエレノアからしても、このシセラスの社交界を牛耳る面々は片手間相手にできるものではない。
「レコンフォール様、お久しぶりでございます」
「今回もお招きいただけて光栄ですわ」
シセラス淑女たちは、スカートを両手でつまみ膝を曲げて腰を落とす、社交界での挨拶をエレノアの前で行う。エレノアも見栄えのしないいつもの衣装で、さらに優雅に応えてみせた。
家庭教師も持たず社交界への出入りも少ないエレノアではあったが、家令教育の一環として、貴族社会の伝統やマナーだけは祖父から厳しく施されている。特に年齢を重ねた紳士淑女からは小さく感嘆の息がこぼれ、エレノアもどこかほっとして、いつもの笑みを浮かべた。
「本日はようこそお越しくださいました。皆様におかれましては、お忙しいところ貴重なお時間を頂戴し、重ねて御礼申し上げます。今回は特別な催しもご用意しておりますので、ぜひ最後までお楽しみください。トルテュフォレの使用人一同、皆様によき時間をお過ごしいただけますよう、力を尽くしてまいります」




