二人の物語
空に浮かぶ満月が、煌々とした輝きを魅せる深夜の事。
一人の女性が森林を超える程の跳躍を見せ、白衣と緋袴をひらめかせた。
女性は茶色と黒の混じり合った髪色のロングヘアを生え際からひとまとめにして丈長でまとめている。
恰好を呼称するのならば、いわゆる『巫女装束』と呼ばれる物だ。
巫女装束をまとった女性はキッと引き締まった表情が印象強く、整った顔・目・鼻立ちは、見る者全てを魅了するような輝きに満ちていた。
緋袴には女性の背丈ほどあろうかと目せるほどの長太刀が備えられており、女性は鯉口を切って、綺麗なフォームで横薙ぎする。
一閃。切先が月光に反射して光ると共に、暗闇に紛れた漆黒が切り裂かれ、消滅していく。
女性は高く舞い上がっていた自身の体を森林の中へと着地させ、目の前に居る人物を睨み付けた。
森林に似合わぬ紺色のスーツを着込んだ男性だ。無造作に切られたファッションを感じさせない短髪と、煌めくような銀髪がアンマッチしているように見える事が、非常に印象強いだろう。
「――見つけた」
「やあ、プリステス。こんな所までご苦労様だ」
「アンタはアタシが殺す。いくら逃げようが、アタシが絶対に……!」
「人間は目標を持たねば、ただ生きる屍となる――まさしくその通りだね」
青年は、スーツを翻しながら女性に背を向けて歩き出す。
その姿を見据えながら、女性は「逃げんな!」と長太刀を構えたが、行く手を阻むように女性へ向けて漆黒が押し寄せた。
黒い霧と形容できるそれを、女性は長太刀を再び一閃して、切り裂いた。
四散していく黒い霧。そしてそこには、既に男の姿は無かった。
「くそ……くそぉっ!」
女性は、近くにあったしっかりと根を埋めた木を思い切り殴りつける。木はグラグラと揺れ、僅かながらに葉を舞わせた。
「マジで絶対に……見つけて、殺して……殲滅してやる……!」
端麗な顔立ちに似合わぬ、物騒な物言い。
だが彼女の魅力が決して衰えて見えないのは、それは彼女が長らく、その憤怒を身にまとっていたからであろう事は、容易に想像が出来た。
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少女――神崎美咲は、幼い頃に両親を亡くした。
交通事故だった。まだ夕方の時間帯に横断歩道を渡ろうとした時、ブレーキが故障した2tトラックに轢かれて、この世を去ったのだ。
少女は、両親の亡骸を見て、涙を流すこともできなかった。
人間の醜い部分を見たからだろう。
父親は原型を留めていなかった。
はねられ、轢かれ、そしてタイヤに頭を踏みつぶされており、唯一父と分かる物が、父の日に送られた手作りのネクタイだけと言うのは皮肉に思えた。
母は、なまじ原型を留めていた事が凄惨さを更に際立たせた。
綺麗な顔立ちを留めてはいたが、轢かれた際の内出血によってか口と鼻からダクダクと血を流し、手足は本来曲がらぬ方向に曲がって、虚ろな目を開いたまま死んでいる光景が、美咲にとっては耐え難い光景である。
死に際が如何に醜いか、物語っているようで、嗚咽と共に吐き気を催し、その場で嘔吐した。
肉親の醜い死に様。それを目の当たりにした美咲は、ただその場で項垂れ、胃液すら吐けなくなるまで、膝と手を付いていた。
――その頃から、彼女は人と接する事が怖くなった。
事故が人為的なものでない事は知っている。
ただ身近な人の死と言う物を経験してしまったが故に、人を近くに寄せ付けなくなった。
そうして人生を過ごし……齢は既に、十五歳の女子高生となっていた。
前髪を目元まで伸ばして俯き、さらに奥には黒縁の重圧感ある眼鏡をかけ、端麗な顔立ちを隠している。
肩まで伸ばした後ろ髪に触れる事も無く、ただ下している少女は、ハードカバーの本をを両手で持ち、秋音高等学校のセーラー服に身を包む。
周りに友達はいない。彼女はただそうして、ただ本を読むだけの毎日を続けていた。
「神崎さん」
「ふぇぁいっ!?」
目の前から声をかけられれば、奇声を上げながら立ち上がり、その場でぴんと背筋を伸ばして相手の言葉を待つ。
まるで怒鳴られるのを待つように、ビクビクと震えるその姿に、クラスメイトも「何でもない」と諦めたように去っていく。
それを悲しみはしない。むしろホッと息をついて、再び席に着き、本を読む作業に戻っていく。
そんな少女だからこそ、クラスメイトはただ、彼女に対して「無関心」になる。
それが、神崎美咲にとって、唯一の日常であったのだ。




