二人の守護者-04
アルタネイティブ・ヴァンプ――瀬上直哉より一通のメールが届いた事に、豊穣志斎は厳つい表情に驚きを内包し、メール本文を読んだ。
『本日十一時、秋音市民運動場へ来るべし』
まずメールに驚いた理由は二つ程ある。一つは志斎の持つ携帯電話のアドレスを知っていた事。もう一つは、そもそも瀬上直哉よりメールが届いた事自体だ。
何にせよ、時刻は現在十時半。指定された秋音市民運動場には十五分足らずで向かう事が出来るとして、志斎は歩き出した。
辿り付いた時、そこはもぬけの殻と言うべき状況だった。
秋音市が運営を行うこの市民運動場は、何かしらの行事で使われる以外は中高生の不良生徒達による溜まり場として使われている筈が、今は半径一キロに及ぶまで、アルターシステムによる人払いが成されていた。
グラウンドの中央で、ただ静かに立ち構える、瀬上直哉によって。
「良かった。連絡届いたね」
「なぜ己のめぇるあどれすを知っている」
「今時スマホも持ってないんだもん。おばあちゃんが聖邦教会の穏健派に連絡を取って、教えて貰ったよ」
そう、志斎のメールアドレスを知っているのは、聖邦教会の上層部のみだ。
そもそも志斎は自身の電話番号やメールアドレスすら知らないし、知り方も分からぬのだ。
「ヴァンプのアルターシステムを、渡す気になったか」
「その前に、お話をしよう。ボク達は人間だ。口もあれば、心もある。戦う前に、話す事は出来るでしょ?」
「なるほど、己に渡すべきだと判断すれば、貴様は素直に応じると言うのだな」
「それはないよ。だってボクには、ボクが守らなきゃいけない人が居る。その人がいる限り、ボクはヴァンプとしての力を、失うわけにいかない」
直哉は右手の指にあるアルターシステムを、志斎へ見せつけた。
その上でまだ変身する気はないと視線で訴え、後に腕を下した。
「では何を話すと言うのだ」
「セイント、君の力は強力だ。認めるよ。ボク以外にアルターシステムをここまで使いこなせる化物がいるなんて、考えもしなかった。
そこで提案なんだけど……ボクは正直、ヴァンパイアの討伐に、興味なんて無いんだ。あるのは七海を守りたいって気持ちだけ。
その為に全てのヴァンパイアを滅ぼさなければならないって言うんなら、ボクも君に協力する。
その後だったら、こんなシステムなんていくらでもあげるよ」
「必要無い。全てのヴァンパイアは己が滅ぼす。
しかしヴァンプのアルターシステムは、ヴァンパイア以上に危険なものだ。先んじて回収しなければ、世界が危険に晒される」
「そこだよ。どうして穏健派は、そこまでヴァンプの力を眼の敵にするの?
それが分からない限り、ボクは自分の力をおいそれと渡す事なんか、出来ない」
「貴様は、瀬上章哉がどの様にして死んだか、知らぬのか」
志斎の言葉に、直哉は表情をしかめた。まるで初めて聞いた名だと言わんばかりに首を僅かに傾げているので、志斎はフッと溜息をついた。
「父親の名すら知らぬか。貴様の育て親は非情だな」
「ボクのパパは、瀬上章哉っていうの?」
「そうだ。先代アルタネイティブ・ヴァンプ。奴の最後は悲惨なものだった。聖邦教会にも多く死者が出た。そしてその結末は、今後も起こり得る」
「……アルターシステムの、暴走?」
考えられる結論を、直哉は口にした。志斎も頷いて、かつて直哉の父が辿った結末を語った。
「貴様の父である瀬上章哉は、十七歳の頃にヴァンプのアルターシステムを授かった。そして戦い続ける内に愛する者と子を成し、戦い続けた。
しかし、奴のアルターシステムは暴走。適合者である筈の瀬上章哉は、ヴァンパイアとして覚醒し、そして最後には朽ち果て、消え去った」
彼の最後は、太陽の光に照らされた吸血鬼のように、砂となって消えたと言う。
「誤解を恐れずに言うと、ヴァンパイアが一般市民を襲った際の被害など、たかが知れている。
この日本では、毎日どこかの線路で、自らの意思で身を投げる者がいる。それと同じだ。
一日一回死者が出るか、それとも自我を殺された者が出るか、そこにどんな違いがある?」
「あるよ。それは人の意思じゃない。誰かが今日、意思を持って生きられる筈の時間を、ヴァンパイアが犯しているんだ。
ボクが君と協力して戦えば、被害はもっと抑える事が出来る」
「そう、まさしくその通りだ。しかし瀬上章哉の暴走により、聖邦教会の死者は二百六十三人に及ぶ。
……暴走時間は二時間少々。しかも混乱の中、初動の対処を怠らず、聖邦協会や外部組織が全て出張り、可能な限りの迎撃措置を理想的に行って、これだ。
次はもっと多くの被害者を出すかもしれない」
「次って、何さ」
「貴様だ。瀬上直哉」
志斎は、胸ポケットからアルターシステムを取り出して、両手の中指へ装着した。
「貴様もいつかは、ヴァンプの力を暴走させるやもしれん。
貴様ら過激派は我々の使うアルターシステムを欠陥品と呼ぶが、己はこの時間制限を『安全装置』と見ている。
人間が人間のまま、人間に猛威を振るうヴァンパイアを殺す為に必要な兵器だ。
兵器には一定のリスクが伴う。そのリスクを極限まで減らす為の安全装置が存在して何が悪い」
「ボクがパパと同じ未来を辿ると、どうして言えるのさ」
直哉も、アルターシステムを整え、変身する準備を終えた。
志斎が変身しセイントへと生まれ変われば、彼も変身し戦うという意思表示でもあるだろう。
しかし、二人の口は、止まらない。
「逆に問おう。貴様の父親が辿った道を、貴様が辿らぬ保証がどこにある。我々は可能性すら許すべきでは無い。
貴様を人間で居させる為に必要な処置だ。しかし貴様がそれを拒否するのであれば、それは貴様が、敵と言う事だ」
「可能性を問うなら、今は七海の身を守るべきじゃないの? 分かるでしょ、七海の持つ虚力の量を。
ヴァンパイアたちは、七海を決して逃がさない。彼女がどこに逃げたって、地を這ってでも追って来る。どうしてその可能性を否定するのさ」
「ならば己が彼女を守ろう。貴様は不要だ」
「志斎は、一体何と戦っているの? ヴァンパイアとじゃないの? ならボク達が戦う必要なんてないじゃんか、それなら二人で戦えば!」
「己が何と戦っているか? 知っている。だが仮に知らずして、どうなる」
「え」
虚を突かれた、と言う表現が正しい顔を、直哉は浮かべた。
志斎も彼の表情を見て「そうだ」と頷く。
「己はただの戦闘マシンだ。聖邦教会の命令に従って行動し、聖邦教会の命令に従って戦い、聖邦教会の命令に従って死ぬ。それだけの事だ」
「そんなの、そんなのって……っ」
「貴様は人間なら口があると言ったな。心があると言ったな。そう、確かに口はある。だから貴様とここまで語らった。
しかし己に、マシンに心など不要だ。己は、我が信仰すべき神の御心に従うだけの――機械だ」
彼の言葉が、直哉の心へ深く突き刺さって、声を荒げて首を振った。
「愚かだよ君は! じゃあどうして七海の手にキスしたのさ、どうしてボクがパパを知らない事を、非情と憂いだのさ!?
それは君に心があるからじゃないの!? 悲しみも苦しみも、好きも嫌いも、君の心が示すからじゃないの!?」
「そうかもしれん。事実貴様の言葉が正しいと訴える己も居る。
これは己の心かもしれん。しかし、聖邦教会の決定である。それ即ち、神の信託と同じだ」
「ふざけてるよっ、自分の意思が許されない信託なんて、そんなもの無視しちゃえよっ!
どうして、どうして君は――そうやって心を閉ざせるんだッ!」
「己が間違えていると考えるからだ。そして、神の信託が正しいと、信じているからだ」
「そうかよっ! でも言っておくけど、それは何て言うのか知ってる?」
「何と言うと?」
「盲信って言うのさ――!」
直哉は、両手のアルターシステム同士を繋ぎ合わせた。
〈Alter・ON〉
流れ出る機会音声。しかし直哉は尚も、彼として言葉を紡ぐ。
「ボクが君を止めるよ。そして七海も守る。その為に君が必要だから、ボクは君をぶん殴るっ!」
「そうか。ならば、それを成せばいい。己も、己の信仰する神に従い、それを成す」
志斎も、直哉と同じくアルターシステム同士を繋ぎ合わせた。
〈Alter・ON〉
同様に流れる機械音声。
直哉と志斎は、音声が風にかき消されて、聞こえなくなると同時に、両腕を捻り、アルターシステムを起動した。
「変身――ッ」
「――変身」
溢れ出る光と共に、二人が地を蹴った。
駆けだす二者、成される変身。
アルタネイティブ・ヴァンプと、アルタネイティブ・セイントは、互いの拳と拳をぶつけ合わせ、そして視線も合わせた。
真っ直ぐなヴァンプの視線が、酷く眩しく見えた。
しかしセイントは拳を振り切り、ヴァンプの小さな体を吹き飛ばす。
空中で受け身をとり、続いて連続した攻撃がセイントより放たれる事を想定していたヴァンプは、着地と同時に構えを取り、放たれた二撃のジャブを受け流した。
「――ッ、」
しかし、威力は桁外れだった。ただ拳を突き出しただけの一撃二つは、ヴァンプの掌を震わす程の衝撃を孕んでいた。
「こんち、っくしょぉおっ!」
掌を強く突き出す掌底。
そして避けられた事を確認する前に放つ回し蹴り。
またもそれを避けられた事を想定した肘打ちを、一瞬の内に繰り出したヴァンプの攻撃。
だがセイントは、ヴァンプが想定した回避ルートを全て通った上で、しかしヴァンプのカウンターを躱しきったのだ。
互いの思考に無駄は無い。
自身の攻撃が、そして回避が、如何にしても読み取られている事を知った上での攻防が、そこにある。
「なるほど、貴様は美しく戦うのだな。まるで芸術品だ」
セイントの言葉が聞こえるも、それは無視するヴァンプ。
しかし彼女の言葉には否定の意味も込められていると、ヴァンプはすぐに知る事となる。
ヴァンプの突き出された拳を掴んだまま地面を軽く蹴り、彼女の首に足をかけたセイント。
そのまま体重を前にかけ、顎から落ちたヴァンプは、胸元から込み上げる血反吐を吐きながら、眼を見開いた。
「しかし貴様の戦いは、アートであっても戦闘では無い。戦場では美しさなど、不要だ」
両手で顎を掴み、そのまま強く引っ張る。
首がもげるような痛みを感じたヴァンプは、無意識に両腕で地面を叩き、運動場の砂を撒き散らした。
セイントの視界を覆う砂。しかし力は弱めない。
今すぐに意識を落としてやろうとしたセイントの考えは、しかし続いたヴァンプの行動によって遮られた。
背後より襲い掛かる、一つの剣先。
それを寸での所で、ヴァンプより身を離して回避したセイントと、すぐに立ち上がって剣の柄を掴んだ、彼女の一振り。
「っぅ、!」
装甲に叩き込まれる一撃。グッと息を呑んだセイントへ、続いて二本目の刃が何時の間にやら左手で掴まれていて、それを振りかざした事を確認する前には、刃を右手で防いでいた。
「っ、やぁあ――っ!!」
そのまま強引に振り込まれた刃。右手の装甲を削りながら振り切られた切先は、地面に刺さると消滅し、だが目を離した内に、彼の手に収まっていた。
「――訂正しよう。貴様は戦士だ。ならばこそ、今ここで叩くッ!」
「ようやく声を荒げたじゃん、自称ロボットッ!」
刃と、拳。
ヴァンプとセイントの戦いは、膠着状態のまま、五分ほどの時間を必要とした。




