二人の守護者-03
そして時間は現在に戻る。
朝七時。七海は朝食として用意したトーストをかじりながら、今なお頭を擦っているナオに、忠告を一言。
「次侵入したら、家から叩き出すからね」
「はーい。もう、身持ちが堅いんだから」
「男女が住むって言う事は、そういう事よ。――それより、昨日の規約書に書いてあった、禁止事項四項目、覚えてる?」
「四番目って、七海がちゃんと学生やれるようにしろって奴だよね」
「そ。アタシ――」
そこで言葉を止めて、ニッコリと笑みを浮かべた七海。
「私は学校ですと、この様な口調で模範的な生徒を演じなければなりません。ナオちゃんにはご協力をお願いしたいのです」
「なんでそんなキャラ作ってるの?」
「諸々事情が御座いまして……何分噂が独り歩きし、私も引き返す事が出来ないのです」
「七海も苦労してるんだね」
「分かって頂けますか?」
「うん。だからその口調止めてくれないかなぁ」
「学校では常にこのような喋り方をしますので、ご協力をお願いしますね、ナオちゃん」
「あーもう、分かったってば」
なら良し、と口調を戻した七海は、トーストを口の中に全て入れ込んだ後、コップに注ぎ込まれた牛乳を喉に流し入れ、そのパサパサした口中を洗い流した。
「じゃ、行くわよ」
「え、もう行くの?」
「優等生は遅刻しない。それがアタシのいる世界なの」
そう言い放った七海が立ち上がると、ナオも立ち上がった。
ナオは胸ポケットにアルターシステムがある事を確認すると、七海に頷き、七海も彼を確認した上で、洗い物を流しへ入れ込んで、自宅を出た。
外へ一歩出ると、七海はフフッと笑みを浮かべ、カバンを両手でしっかりと握りしめ、そのスラリと伸びる足を用いて、綺麗な動きで歩き始めた。その姿は、確かに良家のお嬢様に見えなくはない。
しばし歩いていると、零峰学園の生徒と何人かすれ違う。その度に「七瀬さんおはよう」だとか「七瀬先輩、おはようございます」だとか「七瀬先輩、好きです!」だとか、挨拶や告白を受けているものだから、隣に並んで歩くナオとしては非常に居心地が悪い。
「七海、凄いね」
「何がでしょうか?」
「毎日こんな感じなの? このカワイイボクが隣にいるっていうのに、皆七海しか見てないよ」
「そうですね、ナオちゃんは大変可愛らしい(外観をした殿)方なのですが、皆さん私にしか声をかけないんですよね」
「ボク、何だか自信無くしちゃうなぁ」
「その自信は無くされた方が良いかとは思いますが……」
本来ならば十五分程度で着く筈の零峰学園に、三十分もの時間を必要として辿り付いた二人。
ナオはぐったりと机にうつ伏し、周りの生徒達から声をかけられた。
「あれ、どうしたのナオちゃん」
「うーん。今日七海と一緒に学校来たんだけど、皆七海の事しか見てなくて」
「疲れたでしょ? 七海ちゃん、人気者だから」
「七海ってば、どうしてこんなに人気なの?」
「そりゃ当然だよ。綺麗で可愛くて性格が良くて、誰からも信用されて、それに恥じない模範的な行動をする女の子だよ?
男子だけじゃなくて、女子からも人気が厚い女の子なんて、そうそういるものじゃないよね」
「……うん」
話を聞いていても、それはナオも同意見である。
彼女の本性を知った今でも、ナオは七瀬七海という一人の少女を好きでいる。
それはただ、彼女の姿に一目惚れしたというだけでは無い。彼女の強かな心と、真っ直ぐに何かを見据える秘めたる意思は、男であるナオが見ても、心惹かれる物がある。
(……ああ、七海は皆にとって、本当に神さまなんだ)
こんな言葉を、ナオは祖母から聞いた事がある。
『人には一人ひとりが信仰する神がいる』
神さまなんていないと考えるナオにそう言い切った祖母の事を、最初は「愚かな人」と考えていた時期もあった。
けれど――それは間違っていなかった。
確かに、人は何かに信仰をする。それは愛であったり、欲であったり、言ってしまえば概念という存在ではある。
しかし人は何かに信仰し、そしてそれに殉ずる事が出来る生き物だ。
今――ナオが七海と言う一人の少女を信仰するように、この零峰学園という小さな世界に住む人々は、七瀬七海という『神さま』に、信仰するのだ。
「……七海、いいかな」
「はい。何でしょうか、ナオちゃん」
ニコッと笑みを浮かべながら、声を返してくれる七海の姿。ナオは彼女へフッと笑みを返し、彼女の手を掴む。
「お話、聞いてくれる?」
「え? はい、いいですよ」
許可は得た。ナオは彼女の手を取り、屋上への道を歩んでいく。
校舎の四階より続く階段を抜け、屋上の扉を開け放ち、そして自身と彼女しかいない事を確認した上で鍵をかけ――ギュッと、七海に抱き付いた。
「ちょ、ナオ……?」
思わず、いい子ぶりっ子する事も忘れて、七海がナオの行動に驚きを隠さない。
ナオは、彼女の柔らかな身体に抱き付きつつ、ボソリと零れる様な言葉を発する。
「……ボク、七海を守る事、出来ないかも、しれない」
「え」
「セイント。アイツが怖いんだ。アイツはまた、ボクを狙ってくる。イタリア本部は七海の身体を狙う。
セイントは強くて、怖い奴で、そんな奴が、七海を狙ってくるんだ。
……怖くて怖くて、仕方ないんだ」
情けない男だよ、ボクは――ナオは自身の事を、そう罵った。
「七海の事を、守ると決めたのに、ボクは七海を守る事……出来ないかもしれないんだ。それが怖くて、怖くて、たまらない」
打ち明けられた悩みを聞いて、七海はつい、彼の頭を、撫でてしまう。
フゥッと溜息をついて、彼の小さな体をぎゅっと抱きしめ、そして「バカね」と、優しく言う。
「言ったじゃない。アタシは、ヴァンパイアからアタシを守ってくれるアンタを、それ以外から守ってあげるって」
「でもでも、それが出来ないかもしれないんだっ。
ボク、怖いよ。七海を失ってしまうかもしれない、ボクのせいで、七海の日常を――
この、七海の事を大好きな人達が沢山いる、この小さな世界を、壊してしまう事がっ」
自分一人の七海であるならば、それを守る事が出来なくても、平気だと思っていた。
しかし、この零峰学園という小さな世界で、七海は確かな信仰を受けた女神なのだ。
その女神を、自分の無力さで亡くしてしまうかもしれないと、そう考えれば考える程、恐ろしいと感じてしまった。
「だから、アンタの事をバカだって言ってんの」
「え……?」
「アンタ、自分の事を何だと思ってるつもりよ。そんでもってアタシの事も、本当に女神だとでも思ってるつもり? そんなの、ちゃんちゃらおかしくて、ヘソで茶が沸くわ」
「だ、だって……皆、七海の事が、大好きで……七海も、この学校生活を、無くしたく、ないんでしょ?」
「ええそうよ。アタシは自分の暮らすこの世界が大好き。不満はそりゃ、沢山あるけどね。
それでもアタシは、今アタシが、まさに牛耳れてるこの小さな国が大好きなの。
だからそれを侵してくるんなら、例えアンタだろうが許さない――でもね」
ナオの身体を放して、大空に向けて両腕を広げた七海。彼女は、今まさにいる世界を感じて、フッと息を吐く。
「アタシは女神なんかじゃない。アンタも無敵のヒーローなんかじゃない。だから精一杯、今出来る事をするのよ。
人間の人生は、後悔の連続。何かを成す事が出来て、何かを成す事が出来ない。そう言う勝負を、アタシたちは一生続けて、やっていくしかない。
だから全力で、今出来る勝負を楽しむんじゃないっ!
敵がヴァンパイア? 敵が聖邦協会? どっちの敵もアタシの身体を狙ってる?
上等じゃない、かかって来なさいっ! アタシはアタシに出来る最大限の防衛策でコイツらを出迎えて、勝利してみせる!
勝利出来ればアタシの勝ち、勝利出来なきゃアタシの負け――そんな勝負を、アタシはしてるつもりなのよ」
だからアンタも堂々として、アタシを守りなさい。
七海は、最後に清々しいまでの笑顔を浮かべ、ナオにそう言い切ったのだ。
「……七海は、いつでも、どんな状況でも、勝負してるだけ、なの?」
「そーよ。そりゃ愚痴もある。恐怖もある。
けど、ビビったままじゃ勝つ事なんて出来ないし、負けるなんて悔しいじゃない」
「……悔しい、か」
今まで、自分に無かった感情だと思っていた。
しかし、ナオは確かに、七海と出会う事で、いろんな感情と出会ったのだ。
それは愛情だったり、羨望だったり、時には確かな悔しさであった。
自分がこの世で一番可愛いと思っていた。
けれど七海は自分より美しかった。
自分がこの世で一番完璧だと思っていた。
けれど七海は自分より完璧だった。
――だが、悔しいという感情は小さくて、ナオは「七海のようになりたい」と、羨望する感情が多く溢れていた。
「うん。……悔しいね、悔しい」
「ナオ?」
「ボク、悔しい。こんな弱気な自分がいた事、そしてボクの方が力はある筈なのに、そんなボクより強い七海って目標の高さに……そして」
そんな目標を奪おうとする、アルタネイティブ・セイントという『敵』へ恐怖している感情に、悔しいと思った。
「七海。ボク、今日の学校、サボるよ」
「……そ。アタシもついて行こうか?」
「大丈夫。七海はボクの帰りを待っていて。――ボクは七海の考えを裏切って、無敵のヒーローとして、帰って来る」
最後に、七海の肩を掴んで、彼女の頬に小さく口づける。
彼女の柔らか肌と、自身の唇を通じて感じる体温は、まさに彼女と自身が「今ここに居る」という現実である。
「――ナオっ」
彼が、七海より離れ、屋上の扉に手を付けた時、七海は彼の名を呼んだ。
そして振り返る彼の表情は――「カワイイ」と言うべき表情を越えて「カッコいい」と、そう思わせる笑みであった。
今、二人の距離が、離れた。




