6-13
レグーラ大将が、悪意を以て流し込んだ毒。
それはカールの幼き心には、とてもではないが耐え難きもの。
流し込まれた毒は、徐々に徐々に心を蝕む。
対処が早ければ、処置も間に合ったのかもしれない。
しかし、それが出来たかもしれない人物が、雫が、王城に戻ったのは、件の毒を流し込まれた日から、三週間も経った日のこと。
カールの心に毒が回り切るには、十分に過ぎる時間であった。
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「陛下の様子がおかしい?」
王城に戻った私に、真っ先に駆け寄った女官長の言葉を鸚鵡返しする。
「はい。このところ、塞ぎ込んでしまい、常にない御様子です」
私は首を捻る。あの子煩いガキが塞ぎ込む? 何があったのやら?
「もしかして、シズク様と長く離れ離れになって、塞ぎ込まれておられるのではないでしょうか?」
傍らのテオドラが、そのようなことを言う。
「はあ? そんな理由で?」
怪訝な声を出す私に、テオドラは真顔でこくりと頷く。
「はい。私だって、長い間、シズク様と離れ離れになっては、寂しいですもの」
「そう?」
私は何だか気恥ずかしくなって、自分の頬を掻く。
うーむ、真正面からこんなことを言われると、どうも照れるな。
「早く陛下の元へ。私は先に戻っていますので」
「うん? テオドラも一緒にくればいいじゃない?」
私のそんな疑問の声に、テオドラは困った様に微笑む。
「私は長らくシズク様を独占してしまったので。どうか二人きりで。……それくらいの遠慮を見せなくては、嫉妬した陛下に目の敵にされてしまいます」
「……分かったわ、今から陛下にお会いしてくる」
私はそう言い残すと、王城の最深部、国王の私室へと歩みを進める。
その後ろを、女官長が無言で付き従った。
カツカツカツと、心なし早足で廊下を渡る。
うーむ、なんだかんだで、私も心配なのかも。
心なし? 明らかに普段より早足になっているよね? あー、恥ずかしい。
なんだか、気恥ずかしさが止まなくて、直ぐ後ろの女官長と、一言も言葉を交わさぬまま、カールの部屋の前まで着いた。
半身になって、女官長を振り返る。
女官長はゆっくりと、頭を深く下げた。
つまり、彼女はここで待つという、意思表示だろう。
私はそっと、カールの私室の扉を開ける。
室内に入って、少し眉を潜める。
部屋の中は、カーテンが閉め切られて、なんとも薄暗い。
そして、肝心要のクソガキは、どうやら寝台の上にいるようだ。
寝台の上の蒲団が、こんもりと盛り上がっている。
……まるで、引き籠りの部屋のようだな。
いや、引き籠りの部屋に入ったことなど、一度もないが。
私は、溜息を吐きたい心地になったが、何とか我慢する。
寝台にゆっくりと歩み寄ると、ぽすんと、こんもり盛り上がった蒲団の横に腰掛けた。
「どうされたのですか、陛下?」
……返事が無い。ただの引き籠りのようだ。
「どうしたの、カール?」
ポンポンと、こんもり盛り上がった蒲団を叩いてやる。
暫くすると、ひょっこりと、鈍い金色の髪が蒲団からはみ出てくる。
「おはよう、寝坊助さん」
ちらりと向けられた緑色の瞳が、私の姿を映す。
「……帰ったのだな、シズク」
「うん、ただいま」
「「…………」」
無言が続く。何とも言えない目で、こちらを見やるカール。
どうしたのだろう? 確かに様子がおかしい。
私は、ゴホンと咳払いする。
「女官長が気を揉んでいたわよ。何だか、お前が落ち込んでいるって。……何かあったの? 私にも言えない?」
私は囁くように話しながら、カールの頭に手を伸ばす。
テオドラと違って、このガキは嫌がるから、普段はしないが。
あの娘にそうするように、ゆっくりと鈍い金の髪を撫でつける。
「ねえ? 話してごらん」
「…………シズクは、余の結婚のこととか、もう考えているのか?」
「はあ?」
えっ? 何、結婚? 一体全体、何の話だ?
唐突に、そんな単語が出た理由も分からんし……。
それが、どう、塞ぎ込む理由に繋がるのか?
じっと、こちらの目を見るカール。
うーむ、突拍子もない問い掛けだが、どうもこれが話の核心らしい。
……ハッ! まさか、こやつ! 初恋でもしたのか!?
そんな可能性が頭を過る。
途端に、むかむかしてきた。
育ての母である私すら、まだ結婚していないのに。
それどころか、恋人すらいないのに!
9歳児の分際で、色恋沙汰ですか! そうですか!
ぐぬぬ、いや、しかし……。
この年の初恋、しかもまだ付き合ってもいないのに。
いきなり、結婚に考えが飛躍する?
……もしかしなくても、このガキ、愛が重いタイプ?
やばいな。将来、ストーカー男になったりしないだろうな?
そんな、心配もしてしまう。
いかん、この考えは、精神衛生上よろしくない。
カールストーカー疑惑は、脇に置いておこう。
しかし、なるほど、塞ぎ込んでいる原因は恋煩いか。
だが、恋煩いにしても重症じゃない?
もしかして、既に振られちゃった? ブロークンハートなの?
うーん、難しい。
案外、この手の問題って、男の子の方がナイーブなこともあるし。
だけど、カールの恋愛か。
これは、政治的な意味でも難しい。
王侯貴族の結婚は、政略結婚が第一だ。恋愛は二の次。
あー、でも、側室や妾ならなんとか……。
うん、そういう形なら、どうにか無理がきくかも。
正室は無理だけどね。
だって、カールの正室は、始めから決まっているのだから。
ふむん、取り敢えず、今の対応だ。
ブロークンハートな、失恋カールの為に、当たり障りない回答をしておくか。
「……突飛なこと言うから、思わず固まっちゃったじゃない。何、結婚? 当然、一国の王の結婚だもの、ちゃーんと考えて上げているわ」
「……それは、テオドラか?」
「えっ!?」
まさしく、将来の正室を言い当てられて、驚きの声を上げてしまう。
一体、どうして……?
「テオドラか。そうなのだな……ッ!」
「わ! 何をするの、か……」
カールが、被っていた蒲団を自ら剥ぎ取ると、こちらに放ってくる。
頭に被さった蒲団を、横によけると、立ち上がったカールの目を見上げる。
私は言葉を失ってしまった。
カールの瞳にある色を見て。
それは、未だかつて、カールが私に向けたことのない色。
だけど、これまで多くの人間に向けられた視線の色。
――それは、それは、怒りと、そして、憎悪の色。
こちらを見下ろすカールは、何かを叫ぼうとして、言葉を飲み込む。
そして、踵を返すと、部屋から駆け出していった。
引き止めるべきだった。でも、できなかった。
カールの視線に、胸が潰されたような心地になっていたから。
どうして、カールは……?
「せ、摂政殿下、今しがた陛下が飛び出して行かれましたが?」
女官長が、慌てたように室内に入ってくる。
「下がりなさい、一人にさせて頂戴」
「しかし……」
「下がれ!!!!」
「ヒッ! も、申し訳ありませんでした」
女官長は、声を震わしながら頭を下げるや、そそくさと部屋を後にした。
俯きながら、カールの寝台に腰掛けて、どのくらい経っただろうか?
私はゆっくりと寝台から立ち上がる。
そして、寝台の傍に置かれた、瀟洒な硝子製の水差しを手に取る。
勢い良く、壁に叩きつけた。ガシャンと、破壊音が響く。
「どうして! 誰が吹きこんだ!? いや、そもそも、どうして漏れた!?」
そう、一体、何処から漏れた!?
マグナ王家の秘密、取り換え子が、チェンジリングが!
先程のカールの言動、それは、この秘密を知ったとしか思えない。
しかし、おかしい。
この秘密を知るのは、この国では、私と共犯者のリリーだけ。
テオドラが生まれる前にも、その可能性を考えて、産婆は信用のおける口の堅い人間を、リリーが選んできた。
そして、いざ女児が産まれてしまった時、固く口止めをし、その上で、頃合いを見て始末したのだ。
だから、誰にもばれているわけがない。
……リリーが裏切った?
馬鹿な、今更そんなことをして、彼女にどんなメリットがある。
加担者として、彼女もただでは済むまい。
なら……。ばれたのではなく、その可能性を推測された?
これは……あり得る。
あの産前戴冠の後に、産まれてきた子が本当に男だったかどうか。
それを疑問に覚えた人間がいても、おかしくない。
そして今回、鎌掛けか何か知らないが、揺さぶりを掛けてきた。
そういうことか。
私はようやく、得心のいく答えに辿り着く。
だからといって、一向に気は晴れない。
「……殺してやる」
私は、思いをそのまま言の葉に乗せる。
「殺す、殺す、殺す、殺す、必ず見つけ出して、殺してやる」
危険だ。下手人が誰かは分からない。
しかし、そいつは、明確に私に敵対して来ている。
私の急所を確実に、躊躇もなく衝いて来た。
危険だ。危険過ぎる。だから……。
だから、殺せ。すぐに、殺せ。必ず、殺せ。
この身が破滅させられる前に、必ず、必ず殺さなければならない。
ああ、懐かしい感情が噴き出してくる。
それは、九年前には常に覚えていた思いだ。
この身を脅かす敵対者への怯えと、敵愾心。そして、真っ赤な殺意。
九年の平穏に、微睡んでいた赤い獣が目を覚ます。
私は、それを自覚する。
ああ、ご愁傷様。
私は、敵対者に対する憐憫すら覚える。
だって、この私に敵視されて、破滅しなかった人間は一人もいやしないのだから。
そうとも、必ず、必ずや、これ以上ない破滅を味合わせてやる。
私は、獲物を見つけた獰猛な獣のように、弄ぶべき玩具を見つけた魔女のように、嗜虐的な笑みを浮かべて見せたのだった。




