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本日二回目の更新になります。
マグナ・アルルニア両国間で、講和がなった。
アルルニア軍は、旧メデス辺境伯領から完全に退去。
逆に、マグナ王国軍は、旧メデス辺境伯領全土に兵を派遣。
辺境伯都リーブラには、本軍が、今まさに進駐しているところであった。
マグナ王国軍を迎えるリーブラ市は、これ見よがしに、天秤を象った紋章の入った旗を掲げている。
この旗印は、旧メデス辺境伯家の紋章。
つまり、アンネリーの、旧主の血を継いでいるマグナ王を戴くマグナ王国を、新たな主として迎え入れるというポーズであった。
私は、その天秤の旗印を見て、思わず嘲笑してしまう。
ああ、なんて、無節操な連中だろう。
唾棄すべき変わり身の早さ。
しかし、仕方がない。誰しも、自分自身こそが一番可愛いのだ。
それに比べれば、祖国への思いなど、どれほどのものか?
その上、彼等には自分を騙す、他人に言い張れる、体の良い言い訳があるのだ。
私たちは、古くからの主家の血筋に忠誠を尽くしているだけなのだと。
ふん、理解できなくはないけどね。
でもね、そんな奴は、人から信用されないわよ?
実際、そういった手合いは、状況が変われば、すぐにまた旗色を変えるのだ。
なれば、そうならぬよう手を打つ必要がある。
そうね、辺境伯府、騎士団、大商会、それぞれの上層部は、悉く新マグナ派で固める必要があるでしょう。
反マグナ派は、裏から手を回して放逐する。
その際、私たちではなく、あくまでリーブラの人間の手で行わせることこそが、反発を抑える為の、冴えたやり方というもの。
ふむ、忙しくなるわね。
ラザフォード大将は、この手の工作は不得意に見えるし。
私が、主導するしかない……か。
やれやれ、王都に戻るのは、まだまだ先のことみたいね。
私はリーブラ市の市壁、その正門をくぐりながら、溜息を吐いた。
****
マグナ王国軍が、リーブラ入りして数時間が経った。
辺境伯府を始め、リーブラ市主要部は既に、抑え済みだ。
これからの占領統治に向けて、兵らは慌ただしく駆け回っている。
私はそんな中、仕事を抜け出すと、辺境伯府のお隣へと足を向けた。
供回りに、数名の護衛と、テオドラを連れている。
また、先に一人、先触れを出している。訪問は、スムーズに行われることだろう。
門を抜ける。途端に華やかな風景が広がった。
庭に咲き誇る、色とりどりの花々。
ここも変わらないわね。
主人の不在に関わらず、庭師は手を抜かなかったと見える。
旧メデス辺境伯邸、そこは記憶通りの姿を留めていた。
そんな美しい庭を抜けて、邸の正面玄関まで歩む。
扉の前には、男が一人立っている。
邸の使用人だろうか? 扉を開くと、深々と頭を下げた。
開かれた扉をくぐる。
その先の玄関エントランスに、屋敷の使用人たちが勢揃いしていた。
深々と頭を下げて、私たちを出迎える使用人たち。
その先頭に、見知った人物を見つける。
辺境伯家に仕えた、家令のセバスだ。私は彼に声を掛ける。
「久しぶりね、セバス」
「はっ。お久しぶりです、シズク様。いえ、摂政殿下」
私は黙ったまま、下げられたセバスの頭を見やる。
セバスは、声を震わしながら、続けて話し出した。
「こ、此度は、止むに已まれぬ事情とはいえ、敵兵に屈してしまい……」
「セバス」
私はセバスの口上を遮る。びくりと、セバスの体が震えた。
セバスの口上を遮ったのは、聞かなくても分かるからだ。
どうせ、マグナ王国に逆らう気は無かったが、圧倒的なアルルニア諸侯軍の兵力を前に、止む無く降伏せざるを得なかった。そんな、言い訳の言葉だろう。
しかし、現実には、躊躇することなく、アルルニア側に付いたのだろう。
ああ、想像に難くない。
いくら、旧主の血筋が、アンネリーの子が、こちらにあるとはいえ……。
一度も顔を合わせたことのない子供だ。
そんな子供に、忠誠を尽くせと言うのも、無理がある。
なれば、祖国に、元来身内であるアルルニア諸侯に、味方するのも当然ではあった。
そう、当然のことよね。
ああ、だから、温情を呉れてやろうではないか。
「セバス、一度だけ、一度だけは見逃しましょう」
セバスが慌てて顔を上げる。その目が、信じられないと物語っていた。
「テオドラ」
私は、後ろに控えるテオドラを手招きする。
何故呼ばれたのか分からず、怪訝な顔を浮かべながらも、こちらに歩み寄るテオドラ。
私は、その両肩に手を置くと、そのまま、メデス辺境伯邸の使用人たちと、テオドラを向き直させる。
あっ、と何人かの使用人の口から、驚きの声が漏れた。
きっと、声を漏らしたのは、古参の使用人たちだろう。
彼らは、表情でも驚きを表しながら、テオドラの顔を凝視する。
父親譲りのさらさらとした金砂の髪。母親譲りの湖のような青い瞳。
整った顔貌は、どちらかというと母親似だろうか?
「ええ、一度だけは見逃しましょう。その代わり、これからは、お前たちの真の主のために尽くしなさい」
「はっ。必ずや。身命に賭しましても」
セバスは再び、深々と頭を下げた。
他の使用人たちも、その後に続き、頭を下げていく。
そうだ。頭を垂れろ。
この娘こそが、薔薇と天秤を受け継ぐ、真なる後継者なのだから。
****
その日、王城は、浮ついたような活気に満ち溢れていた。
それは、南の戦地から届いた知らせが原因であった。
南部方面軍の戦勝。アルル二アとの講和。メデス辺境伯領領有権の確立。
まさに明るいニュースだ。
王城内が浮かれた空気になるのも、致し方ない。
王城の奥深く、王の私室でも、明るい空気に満たされていた。
今まさに、女官長が戦勝報告を、王へと伝えたからだ。
女官長以下、王の私室内にいる女官たちは皆、喜びの笑みを浮かべながら、戦勝を言祝いでいく。
それを受ける少年王も、満更でもなさそうな様子である。
「それでは、シズクは王城に戻ってくるのだな!」
王の言葉に、女官長は頷く。
「はい。戦後処理が終われば、摂政殿下は王城にお戻りになられるでしょう。ふふ、よろしかったですわね、陛下」
「なっ! 別に嬉しくなどない! 口煩いのが帰ってくるから、逆に迷惑だ!」
「まあ……」
女官長たちは、少年王の言葉に、服の袖を自らの口元に当てる。
微笑ましげな表情を浮かべながら、忍び笑いした。
「むー、本当だからな!」
少年王は、口を尖らせると、女官たちを睨みつけていく。
「ええ。心得ておりますとも」
女官長は目を細めながら、そう口にした。
「ならば、良いのだ」
そう言うや、少年王は赤くした顔をふいっと逸らしてしまう。
そんな様子を見せてしまえば、女官ならず、誰であっても、王の本当の心情を推し量るのは、容易いことだろう。
そう、親の顔も知らぬ少年王にとっては、育ての母に愛情を抱くのは、当然のことであった。
気恥ずかしさから、決して口には出さない。
それでも、親へと向ける幼き愛情は、真っ直ぐに雫へと向いている。
それは、何処までも澄んで、濁り一つ無い。
疑うことも知らぬ、純真な心。誠、貴ぶべき感情だ。
しかし、その幼さゆえの愛情は、潔癖であるが故に、一度裏切られたと感じれば、容易く反転してしまう、そんな危うさをも孕んでいるのだ。
そう、透き通るような愛情から、黒く濁った憎悪へと。




