6-2
廊下の中央を一人、スムーズに歩いていく。
そう、スムーズに。
何故だか、私が廊下を歩くと、皆が皆、廊下の端を歩きやがる。
顔を伏せがちに、こっそりとだ。
何故かな、かな? 普通私のような重要人物に出くわせば、覚えを良くしようと、積極的に話しかけて来るものじゃない?
ちっと、舌打ちをしながら、横をコソコソと抜ける女官を、横目で睨む。
そのためか、正面から近づいてくる人間に気付くのが遅れた。
そう、珍しく、私と同じ廊下の中央を歩く人物に。
「あら、摂政殿下、陛下の勉学の時間は終わったのですか?」
私はその声の主の顔を見る。そうして眉をハの字にした。
「……摂政殿下は止めてくれるかしら。ねえ、大将閣下?」
私の返しに、リリー、リリー・ギュンター大将は肩を竦める。
「分かったわ、シズク。だから、貴女も大将閣下は止めて。貴女にそう呼ばれると、何とも落ち着かないわ」
「あっ、そう。それと先の問いの答えだけど、クソガキ陛下は、私の授業をおサボりあそばれましてよ」
「……不敬ですよ、シズク」
リリーは疲れた表情で首を振るう。
どうしたことかしらね?
ああ、きっと、一軍の軍団長として、多忙の日々を送っているせいね。
そうとも。そうに違いない。
「はあ。貴女が、陛下の育ての親でなければ、今の一言で打ち首ものですよ」
「育ての親ねえ。どうせなら、もっと利口な子を育てたかったわ」
私は友人との会話という気兼ねなさから、更に軽口を重ねる。
「貴女はまた……。全く、陛下はあの年にしては、十分利口じゃないですか。……それに、あの娘、テオドラも」
「リリーは甘いわね。二人ともまだまだよ。まだまだ。だから、もっと色々なことを詰め込んでやらないと」
私がそう言うと、リリーはくすりと笑う。
「うん? 何が可笑しいの、リリー?」
「いえ、まさか貴女が、そこまで子煩悩になるとは。ふふ、何だか可笑しくて」
「子煩悩? 私が?」
「ええ、立派な教育ママですよ」
そう言って、もう一度くすりと、リリーは笑いを零す。
私はからかわれるのが面白くなくて、ついそっぽを向いてしまう。
「微笑ましいことです。ですが、懸念が一つ。友人として忠告しましょう」
「うん? 何、忠告?」
「ええ。養い子の教育も結構ですが、それにばかりのめり込んでは、益々婚期が遅れてしまいますよ」
「あ゛?」
私の口から、女性として如何なものかと言わざるを得ない、そんな声が漏れる。
だけど、私はそんなことを気にも留めず、目の前の女を睨み付ける。
ちなみに、上から目線の忠告をしてくれやがった友人様は、既に既婚者で、その上、子供まで出産済みであった。
「…………リリー、貴女は勘違いしているわ」
「はあ。勘違い、ですか?」
「そうよ。私は結婚が出来ないのではなく、結婚する気が無いだけよ」
「シズク、貴女……」
待て、止めろ! 私を憐憫の眼差しで見るな!
「別に! 強がりじゃないし! ええ、七将家の当主様と違って、絶対に後継ぎを産まねばならないわけでもないですし!」
「ええ、ええ、そうね。絶対の必要性はないわね。ただ、結婚してはいけない理由もないでしょう? だから、ほら、ね?」
止めて! 本当に止めて! そんな駄々っ子を言い含めるような言い方は!
「大きなお世話! それに今更……。遅きに失しているわ。私ももう26よ」
26歳、日本ならいざ知らず、この世界では立派な嫁ぎ遅れであった。
「そんなことはありません。だって、シズクは実年齢より、ずっと若々しく見えるもの。そう、外見年齢なら、20歳前後かしら?」
……確かにアジア系の容姿は、白人から見て、若く見えるらしいけど。
「それに一国の摂政です。嫁の貰い手はいくらでも。……よかったら、どなたか紹介しましょうか?」
一国の摂政だから? つまり、政略結婚かよ。ふざけんな。
さっきの、若く見える云々は、唯のリップサービスですか、そうですか。
「結構です! ふんだ、七将家の家門、そのネームバリューで結婚できた、そんな女の世話になんか、なるもんですか!」
そう捨て台詞を吐くと、私は廊下を疾走する。
「なっ! 取り消しなさい、シズク! 私たちは立派な恋愛結婚……!」
そんな怒声が、背中から追いかけて来る。
バーカ、バーカ、バカリリー。リア充なんか、爆発してしまえ。
と、これが王城内で顔を合わせた、摂政殿下と大将閣下の会話である。
おお、なんてこったい。威厳の欠片もないわね。
「ハア、ハア。……よし、追いかけてきてないわね」
私は大きく息を吐きながら、走ってきた方向を窺う。
そのためか、またもや不意打ちを食らう。
「酷い慌て様ですなぁ、摂政殿下?」
「げっ……」
思わずそんな声を漏らしてしまう。
不意打ちの相手は、またもや大将閣下。つまり、七将家の当主であった。
「レグーラ大将……」
私は、こちらを濁った眼で見る男の名を呼ぶ。
その視線は、嫌悪という言葉では生温い、黒々とした憎悪に染まり切っている。
流石の私も、こうまで真っ直ぐに憎悪を向けられれば、良い気分はしない。
「摂政殿下ともあろう御方が、そのような振る舞いは如何なものでしょうなぁ?」
お前の態度こそ、如何なものかしら、ね!
「ああ、少し火急の用がね。だから先を急ぐの。悪いけど、私はこれで」
そう言って、レグーラ大将と擦れ違う。
私の背中には、未だに憎悪の視線が突き刺さっているのを感じる。
私は努めて、後ろを振り向かない様に歩き続けた。
そうして、角を曲がって、ようやく肩の力を抜く。
ったく、あの男は、本当に……。
父親に似なかった痩身の体に、青白い顔、粘着的な話し方。そして、あの憎悪。
この王城で出くわす人間で、最も忌避すべき男だ。
まあ、あの男に憎悪を向けられるのも、無理からぬことだが。
何せ、彼の父、先代のレグーラ大将を戦死させ、また、レグーラ家が統率する第六軍を、ズタボロにしたのは、他ならぬ私なのだから。
……それが、真っ当な戦闘の結果なら、ああまで憎悪されなかっただろう。
ああまで、憎悪される、それは……。
それは、最早口にするのもタブーとなっている、解放戦争最後の決戦、そこで私が講じた、最悪の作戦が理由に他ならない。
そう、中東名物、人間爆弾で、第六軍を吹き飛ばしてやったのだ。
そりゃ、恨まれるというものである。
ふん、だから何? 人の恨みが怖くて、赤く染まれるものか!
ねえ、そうでしょう? 藤堂さん?
私は一度首を振るうと、胸を張り、毅然とした態度で、廊下を歩き続けた。




