5-9
ぶるりと体を震わす。早朝、朝の風もずいぶんと冷たくなってきた。
もっとも、直にそんな寒さなど、誰も気にも留めなくなるだろう。
二つの人の塊が正面から向かい合う。
こちらに九万、あちらに八万。合わせて十七万にも及ぶ人間がこの場に集った。
我らが解放軍と、敵対する王国軍の兵士たちだ。
決戦の場となったのは、十七万もの兵が十分に展開できる平野部。
所々、木々が生えたりしているが、大した障害にはなるまい。
最も生い茂り、小さな森のような場所になっている所も、敵布陣の左翼から更に大きく左に逸れた位置だ。
気にするに値しないだろう。
つまり、地形条件から見て、小細工の差し挟む余地はないということ。
単純な力量差が勝負を分けることになる。そう、常識的な観点から見れば。
解放軍の陣形は、いわゆる鋒矢の陣。矢じりのように尖った陣形。
その意図は明白だ。一点突破による敵軍首脳部の撃滅。いいや、ハインリヒ王の首を獲ることのみが目的だ。
そんな首狩り戦術を企図する解放軍に対し、王国軍は鶴翼の陣を布いた。
左の翼に第五軍、右の翼に第二軍、中央前方に第六軍、中央後方に首都近衛軍という配置だ。
第六軍がこちらの突撃を防いでいる内に、両翼の翼を閉ざして、包囲殲滅を図ろうというのだろう。
……まあ、堅実な作戦だ。何ともつまらない。
しかしそれだけに、力量差を覆すのは難しい。
にもかかわらず、こちらの鋒矢、その先端を務める貴族軍は意気軒高だ。
どうやら、マクシミリアン将軍が寝返るという嘘を、馬鹿正直に信じてくれたと見える。
何せ、積極性に欠ける連中が、今回に限って先陣争いをしたぐらいだもの。
はは、存外貴族も純真な性根の持ち主ばかりなのかしらね?
なんて、夢にも思っていないことを心中で嘯く。
貴族軍の後ろは、今回の決戦に合わせて急遽徴募した庶民兵一万。
数合わせ感が半端ない、みすぼらしい格好の兵らだ。
そしてその後ろになって、ようやく真打の登場である。
解放軍主力である第七軍、私の魔杖三個大隊、ライナスのフィーネ騎士団。
この布陣で、ハインリヒ王の首を狙うことになる。
張りつめた緊張感。それを破るのは、攻め手である解放軍の方だ。
この軍の実質上の総司令、リリーが愛剣を鞘から抜き放つ。
その朝日に煌めく刀身を、高々と天に掲げる。
「全軍前へ! 突撃!」
刀身が振り下ろされた。号令一下、一拍遅れて突撃喇叭が吹き鳴らされる。
そして、全軍が動き出す。蛮声を戦場に響かせながら。
ここに、最後の決戦の火蓋が落された。
「反乱軍前進してきます!」
「う、うむ……」
部下の報告に、レグーラ大将が頷く。その声音には、怯えが多分に含まれる。
だが、誰も気に留めない。レグーラ大将のそれは、毎度のことだからだ。
「陣形、部隊行動から察するに、事前の予測通り我々を突破して後方の総司令部を狙う模様! 敵先陣には何種類もの軍旗が見えます。どうやら先鋒は、貴族の私兵騎士団たちの混成軍であるようです!」
その報告に、別の士官が私見を述べる。
「貴族の私兵騎士団が先鋒とは予想外ですな。それに、思いの外士気も高いようだ」
その言葉の通り、解放軍先鋒は気炎を吐いていた。
その雄叫びは、第六軍司令部まで優に届いている。
「なんと……。よ、よくない兆候ではないか?」
びくついた目を彷徨わせるレグーラ大将。
「ご安心を、閣下。油断しなければ、十分抑えることは可能です」
「そ、そうか……。よし、兵らに激を飛ばせ。懸命に耐えれば、じ、直にラザフォード、マクシミリアン両大将が、この両翼が敵を、げ、撃滅するだろうと」
「承知しました」
粛々と迎撃態勢を整える第六軍。
華もなければ、勢いもない。ただ、余りにも冷静ではあった。
兵らには焦りも怯えもない。
守勢こそが、第六軍の最も得意とするところ。兵らにはその自負があるからだ。
「前衛部隊、接敵します!」
「怯むな! 敵を撃滅する必要はない! 絡め取れ! 膠着状態を生み出し、時間を稼ぐのだ!」
前線指揮官の一人が叫ぶように指示を出す。
それはまさに、第六軍らしさに溢れた命令であった。
「反乱軍先鋒、第六軍と接敵しました!」
高い士気を持った解放軍先鋒は、その勢いのまま第六軍へと突撃する。
しかし、第六軍の軍列に乱れは生じない。
上手くその勢いを流して、損害を最小限に。
そして解放軍を絡め取っていく。
「……見事ですね、閣下」
ゲルラッハ大佐は、静かに感嘆の声を上げる。
「ふん。豚殿なら、あのぐらい当たり前にこなすであろうよ」
ゲルラッハ大佐とは対照的に、マクシミリアン大将は無感動に答える。
「閣下……。偶にはレグーラ大将に賛辞の言葉でも送って差し上げてはどうです? きっと御二人の関係性も良好になりますよ」
「面白い冗談だ、クリスタ。豚殿と仲良くしてなんとする? ああ、我が家の晩餐のメインディッシュにでもなってくれるのかね?」
メインに豚の丸焼きは悪くない。そんな軽口を叩くマクシミリアン大将。
「……戦闘中に無駄口を叩いて失礼しました。それで閣下? 第六軍が問題無く敵軍の攻勢を防いでいます。予定通り、第二軍と連携して包囲戦に?」
「うむ、そうだな。ただし、慎重に押し包むのだ。慎重にな」
念を押すように、二度同じ言葉を繰り返すマクシミリアン大将。
「閣下?」
「……ただ無策に突撃するだけか? あの魔女が? ……嫌な予感がするな」
ゲルラッハ大佐に答えるというよりも、独り言のように呟くマクシミリアン大将。
そんな上官の言葉に、ゲルラッハ大佐の警戒心も否応なしに跳ね上がる。
「……承知しました。慎重に押し包むようにします」
「うむ。それがよかろう」
「第六軍の前衛部隊崩れません! 我が方の被害甚大! このままでは……!」
部下から悲鳴のような報告が上がる。
「見れば分かる!」
ヴェルジー卿は苛立たしげに叫び返した。
なんたることだ! 勝てる戦と見て、武勲目当てに先陣を切ったのに……!
そんな怒りと嘆きが綯交ぜになった言葉を心中で漏らすヴェルジー卿。
そう、ヴェルジー卿が聞いていた話では、楽に勝てる筈の戦であった。
だが、蓋を開けてみればこの有様である。
ヴェルジー卿は、血管の浮き出た両手で手綱をきつく握り締める。
「くそっ! マクシミリアン将軍はまだ動かんのか!?」
「はっ! 未だ離反の動きを見せません!」
「何故動かぬ。まさか……」
……謀られたか。そんな思いがヴェルジー卿の頭を過る。
しかし、誰に謀られたのか? マクシミリアン将軍? それとも……。
ヴェルジー卿の脳裏に、異邦の少女の妖しげな笑みが浮かぶ。
「まさか! まさか貴様が謀ったのか!? 遠国の魔じ……ウッ!」
「閣下!? 閣下!」
ヴェルジー卿の眉間に矢が突き刺さった。
短く呻き声を上げると、馬上からずるりと落ちるヴェルジー卿。
部下が慌てて助け起こすが、ヴェルジー卿は既に事切れていた。
「ヴェルジー卿戦死!!」
その報は、苦戦を強いられている解放軍先鋒部隊に響き渡る。
どよめきと共に、浮足立つ先鋒部隊。
「これはいかんな……」
アヴリーヌ伯爵は呟く。
「閣下このままでは……」
「うむ。先鋒部隊が総崩れになるのも時間の問題よ……。マクシミリアン将軍も動きそうにないしな」
「はい。しかし何故? マクシミリアン将軍に謀られたのでしょうか?」
「フン。馬鹿を言うな、ベルトラン。あの魔女殿がそう簡単に騙されるものか」
「なれば……」
ベルトランが囁くように言葉を返す。
「魔女殿の計画通りということだろう。その証左に、見てみろ! 我が後方部隊の落ち着き払った様を!」
アヴリーヌ伯爵は後方を振り返るや声を大にする。
「……確かに。ならば、魔女殿にはここから逆転する策があると?」
「さてな。想像もつかんよ。ただ、我ら先鋒部隊はきっと、与えられた役割を果たしたのだろうよ。ならば、後は生き残るために行動するとしよう」
「はい。中々厳しそうですが……」
「なあに。我先にと突っ込んだ連中よりは幾分マシだ。……先陣争いを譲ったのは正解だったな」
アヴリーヌ伯爵の言通り、アヴリーヌ伯爵の騎士団は先鋒部隊の中では比較的後方に位置していた。
「ああ、それは真に。閣下の慧眼のお陰ですな」
アヴリーヌ伯爵はベルトランの言葉に首を振る。
「運が良かっただけだ。幸い、あの魔女殿とは、他の貴族連中より付き合いが深かったからな。どうも、あの魔女殿が持ってきた話にしては美味しすぎると、嫌な予感がしたのだよ」
アヴリーヌ伯爵は苦笑しながら話す。
「トリッドリット卿戦死!! エレーネ騎士団壊走!!」
また一つ悲報が飛び込んでくる。
「無駄口を叩いている暇はないな。精々生き延びるために悪あがきするとしよう」
「はっ! お供します!」
「先鋒部隊、被害甚大! 各私兵騎士団それぞれ壊走を始めました! 先鋒部隊総崩れです!」
報告通り、貴族の私兵騎士団たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
指揮系統も一本化されてない混成軍のため、てんでバラバラ、四方八方へと逃げ惑う。
それに引き摺られるように、戦果拡大を図る敵軍の陣形にも綻びが現れた。
小さな、しかし確かな隙だ。
まあ、だからといって、普通はどうしようもない。
鋒矢の陣の先鋒が崩れたのだ。一体どうやって隙を突くというのか?
王国軍がそう思うのも当然。
いらぬ心配をするぐらいなら、戦果拡大に努めるのが正解だ。
そう、普通ならばね。
だけどお生憎様。私は普通ではないのだ。
ああそうだとも、普通から外れた、外れてしまった人種。
だからこそ、どんな外道な行いも平気でするのよ。
私はリリーと馬を並走させると、彼女に話し掛ける。
「頃合いね。第二陣を突入させ……。いいえ、投入しましょう、リリー。……リリー?」
返事を寄こさないリリーの顔に目を向ける。あっ……。
その表情は常の毅然とした軍人の顔ではない。
普通の少女のような。どこか泣き出しそうな表情であった。
「……リリー、あれらは兵ではなく、兵器よ。そして、あれらを人から兵器に変えたのは私。貴女は何ら気に病む必要はないの」
私の口から思わずそんな言葉が零れ出た。
「いいえ。軍における責任の全ては将が負うもの。私の罪です。故に、逃げるわけにはいきませんね。キチンと責務を果たしましょう。……シズク、第二陣を投入させなさい!」
毅然とした軍人の表情を取り戻すや、力強く命令を下すリリー。
「はっ! 承知しました、副指令閣下」
私はそんなリリーの命令に返答した。確かな敬意を込めて。
「第二陣を投入せよ! 目標、正面の第六軍!」
私は戦況を劇的に変化させるであろう命令を下す。
そうして、今一度リリーに向き直る。
「第二陣の投入後は、いよいよ私たちの出番ね。私は魔杖部隊の下へ戻るとするわ」
「ええ。シズク、貴女に武運あらんことを」
「ありがとう。貴女もどうか無事で」
そう言うや、馬に鞭を入れる。ぐんと、リリーの傍から離れていった。
私は魔杖部隊へと戻る道すがら、投入した第二陣へと目を向ける。
約一万もの庶民兵が、逃げ惑う先鋒部隊に代わる様に第六軍へと突き進む。
急募したばかりの庶民兵。
そんなものが果たして何の役に立つのか? 誰もが疑問に思うだろう。
魔杖を以て、即兵力とした? いいえ、一万もの魔杖の余剰在庫など何処にもない。
だから、魔杖で兵士に変えるのとは別の手段を用いた。
そう、先程リリーに話したように。
彼らを兵士ではなく、兵器へと変えたのだ。
迎え撃つ第六軍は、兵器と化した者たちの尋常なるざる姿を目にしていることだろう。
みすぼらしい格好で、武器らしい武器も持たない。
何やら荷物を抱え走り寄るその姿。
きっと目は血走り、口から涎を垂らしながら奇声を上げている。
そんな尋常ならざる姿だ。
正気とは思えない。勿論正気であるはずもない。
重度の薬物中毒は、彼らから真っ当な人間性を根こそぎ剥ぎ取ったのだから。
ついに、第二陣の先頭が、第六軍前衛と接触する。
そして、真っ赤な血肉をばら撒いた。いや、真っ赤な血肉となってばら撒かれた。
次々と轟音と共に、敵もろとも弾け飛ぶ兵器たち。
これぞ中東名物。テロリストのお家芸。
人はそれを人間爆弾と呼ぶ。
さあ、道は開かれた。
「エルマ! 準備はいい!?」
魔杖部隊に駆け込むや、エルマへと問い質す。
「はっ! いつでもいけます!」
「よし! では、敵本陣へと突入する!」
そう声を上げるや、魔杖部隊と共に一気に駆け出す。
リリーの第七軍、ライナスのフィーネ騎士団も連動する。
そうして、開かれた道目指して駆け抜けていく。
そう、血と罪に濡れた道目指して。
いよいよ、決着の時が訪れようとしていた。




