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机の上に広げられた羊皮紙。
マグナ王国南部を詳細に記した地図である。
その上にいくつかの駒が置かれている。
黒と白、二色に分けられたそれは、敵味方を表す。
ふと、王立士官学校に在籍していた頃の軍机演習を思い起こす。
あの頃は遊戯感覚で軍机演習に臨んだものだった。
人の命も国家の行く末も背負わぬ盤上遊戯。
何とも気楽に過ごしていた頃の記憶。
あの時分の僕は、まさか王太子の僕が本物の戦の矢面に立つことになるとは、夢にも思わなかったものだが……。
人生とはどうなるか分からない。
どうも神様とやらは、人が運命に振り回されて右往左往する様を見るのが楽しみらしい。
さもありなん。山なし谷なしの演目を観劇しても、ちっとも楽しくないだろう。
だからといって、少々演出過多なきらいがある。
思い返せば、僕の辿ってきた道もまた、中々波乱に富んだ道のりだ。
まさかの簒奪事件。命からがらでの王都脱出。在野での潜伏生活。
そして――あの娘に出会った。
柄に無く、運命というものを信じてしまいそうになる。
弟の傍にアカネが現れたように、僕の傍にはシズクが現れた。
そして今、王国の覇権を賭けて、その二組が争っている。
これが運命だというのなら、果たして二人のどちらが勝利の女神なのだろうね。
……いや、二人とも女神なんて性質じゃないか。
あの二人は魔女。目に付いた人間へ気紛れに、時に栄光を、時に破滅を齎す存在。
さてさて、僕は破滅しないように気を付けないと……。
「殿下?」
おっと、ライナスが訝しそうにこちらを見ているじゃないか。
いけない、いけない。軍議中に別の事を考えていては駄目だね。
ふむ、取りあえず、適当にはぐらかしておくか。
「ああ。何でもないよ、ライ…」
言葉は途中で途切れた。
ドタドタと、軍議の場に駆け込んできた闖入者が現れたからだ。
列席したアルルニア諸侯、軍人の目が闖入者に注がれる。
「軍議中失礼します!」
「構わない。火急の知らせかな?」
伝令と思しき闖入者に、報告を促してやる。
僕から直接声を掛けられたからだろうか?
闖入者の表情が緊張にこわばる。
「は、はっ! ……後退しなかった第五軍の残留部隊に動きあり! ウィッラ領に真っ直ぐに向かっている模様!」
「何だって……」
その報告に、思考を高速で回転させていく。
第五軍の残留部隊……か。
第二軍と共に退却した第五軍。
しかし、全軍ではなく、一部の部隊を残していったと報告を受けていたが……。
成程、このためだったか。
今後僕たちが、マグナ王国南部への切り崩し工作を行うのは明白だ。
そして、その工作で間違いなくこちらに靡く土地が有る。
かつての王太子領、ウィッラがそうだ。
確実に敵に回ることが分かっているのだ。
こちらと合流する前に潰しておこうというのも、当然の動きか。
敵戦力の削減。そして、王国南部の諸勢力への脅しにもなる。
裏切ればどうなるかという、一種の見せしめになるわけだ。
……これを見過ごすわけにはいかない。
「……第五軍の残留部隊は、確か二千ぐらいだったかな?」
「はい。斥侯の報告では、その程度の兵数だろうと」
ライナスが返答をする。
「そうか。……メイエリング卿」
「何でしょうか、殿下?」
僕の呼び掛けに、アルルニア諸侯のまとめ役、メイエリング侯爵が落ち着いた声音で応える。
「卿には、私が戻るまでの間、本軍の指揮をお願いしたい」
「それは……どういう……?」
「私は別働隊五千を直率して、ウィッラ領への救援に向かう」
僕の発言に、ざわりと場が騒然となる。
「殿下、それは……!」
「危険ですぞ! 救援部隊は他の者に!」
「御気持ちは分かりますが、どうか御自重を!」
矢継早に、反対意見が飛んでくる。
僕はゆっくりと右手を上げることで、それらを黙らせた。
「私は何も、自身に縁ある土地を攻められて動転しているわけではない」
ゆったりとした口調で、そのように話す。
「戦術戦略上、私自ら出張ることにメリットがあるが故のことだ」
「……そのメリットとは?」
メイエリング侯爵が尋ねて来る。
「私が救援部隊に居れば、ウィッラ領の民たちは、我ら救援部隊が味方なのだとすぐさま理解できよう。合流する上で、面倒事は減るはずだ」
「それは確かに……。では、戦略上のメリットとは?」
重ねて問い掛けて来るメイエリング侯爵。
「私自ら兵を直率しての救援。私が、私に味方しようとする者を、決して見捨てないという姿勢を見せる。そこから得られる声望は、今後の切り崩し工作をスムーズにするだろう」
「むう……」
メイエリング侯爵が唸り声を上げる。
理屈は分かるが、それでも危険性を考慮すれば簡単に頷けない。
きっと、そんな所だろう。……もう一押しするか。
「二千に対し五千。それに、ウィッラ領の者も合流すれば更に戦力差が広がる。滅多なことはあるまい」
「されど……」
「唯一の懸念は第六軍の存在だが……。他でもないメイエリング卿に指揮を取ってもらえれば、こちらの本軍で封殺できよう。ウィッラ領に援軍の派遣など到底できまい」
最後に、ぐだぐだと五月蠅い老人を持ち上げてみせた。
満更でもないのか、老人の表情に喜色が見え隠れする。
「むう。そこまで仰るなら、仕方ありませんな。この老骨めが、必ずや第六軍の牽制を全うしましょう。殿下も、どうかご用心を」
「ああ。頼りにしている。卿も気を付けよ」
僕は一つ頷くと、メイエリング侯爵にそのように返した。
「メイエリング卿も認められるなら……」
「不安も残りますが……。確かに殿下の言通りメリットは大きい」
「うむ。殿下御自らの御出馬も止む無しですな」
メイエリング侯爵が折れると、他の諸侯も渋々ながら僕の意見を認めていく。
やれやれ、面倒な説得に貴重な時を費やしてしまったね。
「よし! そうと決まれば、時は一刻を争う。軍議はこれまで! ライナス、お前はすぐさま救援部隊を編成せよ!」
「はっ!」
深々と一礼すると、ライナスは足早に去っていく。
僕もその後を追うように、ゆっくりと歩き出す。
「殿下、どうか私の倅もお連れ下され」
「小官も是非御傍に!」
「なれば小官も!」
諸侯や、軍人たちの幾人かが、売り込みトークをしてくる。
失敗したな。僕もライナスのように飛び出していくべきだったか。
「先述の通り、救援部隊の編成はライナスに一任した。部隊に参加したくば、ライナスに申し出ると良かろう」
それだけ告げると、僕もその場を逃げるように去る。
悪いね、ライナス。面倒事の処理も君に任せた。
なんて、生真面目な部下に内心で謝る。
そのまま歩き続けていると、ようやく一人となった。
やれやれと、空を仰ぎ見る。
「おや、もう日暮れか……」
落ちていく太陽を見ていると、理由なくもの寂しい気分になる。
これほど鮮やかな色合いを見せるのに、不思議なものだ。
そもそも、毎日見ることのできるものなのに、どうしてこうも特別に感ぜられるのだろう。
……リルカマウスちゃんも、今頃この夕日を眺めているのだろうか。
なんてね。うーむ、どうもセンチで、ノスタルジックな気分になっているね。
全く、これから戦だというのに。
まあ、下手に昂り過ぎるよりはマシか。
僕は夕日から目を逸らすと、逆に地面へと視線を下ろす。
西日が作る僕自身の大きな影を横目に、止めていた足を再び動かし始めた。




