4-7
遠く敵軍後方から上がった轟音。立ち上る砂煙。
只事ではない。
いったい何が起きたのか。それは分からない。分からないが……。
ただ、どうしようもない不吉が、敵後方に回り込んだ騎兵隊に起きたのだと確信する。
「だ、大隊長、我々はどうすれば……」
大隊付の参謀、フロトー中尉が声を震わせる。
「……司令部からの指示は?」
「ありません」
……目に見えて、中央の歩兵部隊が浮足立っている。あれでは、敵の攻撃を抑え切れない。
予備兵力である私たちが出るとすれば、正に今しかないわけだが……。
司令部からの指示はない。
司令部は現状の把握と、中央の歩兵部隊の統率に忙殺されているのかもしれない。
「……大隊総員出撃します」
「はっ? しかし、司令部からの命令は……」
「貴様の将校バッジは飾りか、中尉? 独断専行は将校たるものの義務だ!」
フロトー中尉の言を切って捨てると、大隊総員に向き直る。
「大隊総員傾注! 我らはこれより戦友たちを救うために出撃する!」
抜剣し、刀身を高々と掲げてみせる。
「征くぞ、大隊長に続け!」
そう言うや、馬を駆けさせた。
私の命令に応えて、大隊の隊員たちが雄叫びを上げながら後ろに続く。
よし! この状況でも高い士気を保ってくれている。
「大隊長! 攻撃目標は!?」
中隊長のゲイラー大尉の声だ。彼の疑問に答える。
「敵中央に突撃を掛ける! 前方の味方を右回りに抜けて、敵中央の側面へ! そして横槍を入れる!」
たった一個大隊の騎兵突撃。しかし、脆弱な横腹に突き刺されば、敵主力の隊列を崩すぐらいはできるはず。
それで味方への攻撃の勢いが緩まれば……!
そう、それが叶えば、決死の突撃にも意味が生まれる。
司令部が上手くやってくれれば、何とか体制を整えて撤退戦に移れるかもしれない。
どうか、そうあってくれと願いながら馬を駆けさせる。
「大隊長! 味方の陣営から数騎、こちらに近づいてきます!」
部下の指し示す方に視線を向ける。
確かに、数騎が近づいてくる。……伝令だろうか?
徐々に近づいてくる騎影。
その先頭を走る男の顔を見とめて、思わず驚いてしまう。
「ダマー少将!?」
あまりに不可解であった。
開戦前ならいざしらず、戦闘中、しかも自軍が劣勢の中、司令部幕僚の作戦主任参謀たるものが、何故伝令に?
「やれやれ、何とか間に合いましたな」
「少将が何故? 作戦主任参謀としての職務を放り出して良いのですか!?」
いや、問うまでもなく良いわけがない。
彼は、こんなことをしている場合ではないはず。
そのはずなのに、ダマー少将は涼しげな顔をしている。
「ああ、大丈夫です。問題はありません。共和国軍は、こちらの降伏を待とうと、攻勢を緩めるでしょうから」
「少将、何を言って……?」
ダマー少将は真っ直ぐにこちらを見据えて来る。
その眼光には、私の知らない冷徹さを湛えていた。
「乾坤一擲のこの戦、勝つ目もありましたが、それ以上に敗北する危険性も高かった。故に、保険を掛けていたのですよ」
「保険?」
「はい。大将閣下の想定通り勝てればそれで良い。しかし、武運空しく敗北した時の為の保険を。……あり大抵に言えば、事前に敵と通じていたのです」
「なっ!」
ダマー少将が敵と通じていた?
それではまるで……。いや、まさに裏切り行為ではないか。
だけど、彼のことだ。当然味方のことを考えて……。
「あちらは精強とは言えぬ共和国軍、しかも少なからず損耗している。交渉相手にとって、我が軍の兵力は魅力的だったようですな。交渉は難しくありませんでしたよ」
「ッ! 何を馬鹿な! それでは……!」
少将は降伏ではなく、寝返るつもりなのか!
武運空しく降伏し、捕虜になるなら分からなくもない。
しかし、王家を、祖国を裏切るなど、騎士として許されない!
「ダマー少将、貴様! マグナ騎士としての誇りと忠義を忘れたか!」
「いいえ。忘れてはおりませんよ、お嬢様」
ダマー少将は、緩やかに首を振る。
「我々は、共和国軍の軍門に降るわけではないのです」
「何を? それでは一体誰に降ると、……あっ!」
ダマー少将は、正答を導き出した教え子に見せる教師特有の笑みを浮かべた。
「気付かれましたか? そう、我々はコンラート殿下に降るのです。私が事前に通じた交渉相手は、コンラート殿下の側近の『遠国の魔女』殿です」
「それは……。しかし……」
コンラート殿下、先王陛下の王太子であった御方。
彼に降る? 確かにそれでは王家への裏切りではない……のか?
コンラート殿下が勝利者になれば、そうなのかもしれない。しかし……。
「だが、我々は既にハインリヒ王陛下に剣を捧げた身。やはり、それは主君へ対する裏切りであろう」
「されど、畏れながらハンイリヒ王は、紛れもない纂奪者です。王家の正統性は、疑いようもなく、コンラート殿下にあります」
「例えそうだったとしても。我々はその事実を知った上で、ハンイリヒ王に剣を捧げたのだ。違うか、少将?」
そうだ。騎士の矜持として、いや騎士に限らず、ダマー少将の言うことは道理に適っていない。
一度剣を捧げておいて、都合が悪くなれば主君を変えるなど!
「そんな恥知らずな真似をするぐらいなら、討ち死にした方がマシだ! 貴様はそこまでして生きたいか、少将!」
「この老骨、手前の命を今更惜しんだりはしませぬ」
「ならば、何故!?」
「私が惜しむは、我が主家、ギュンター家のみ。そう、全てはギュンター家の存続の為です。御理解下さい」
理解? 理解しろですって!? ふざけるな!
「七将家の一、栄えあるギュンター家ならば、残す意味もあるでしょう。しかし、少将の遣り方では、恥に塗れた家が残るだけです。話にならない」
ダマー少将の言葉を否定する。
「恥……ですか。コンラート殿下に付くことが?」
「そうです。いや、開戦前に寝返るならまだ分かります。しかし敗戦が決した後に、コンラート殿下に剣を捧げようなどというのは、命乞い以外の何物でもない」
「命乞いの何がいけませぬ。誇りのために、ギュンター家を断絶させると?」
ダマー少将が尚も言い募る。
それぞれの主張は平行線のままだ。当然か。
誇りを重んじる私と、ギュンター家の存続を第一に考える少将、その考えが一致することはありえない。
「全く強情な。貴女の兄上様は納得なされたというのに」
「嘘は止しなさい、少将。兄上はそのような恥知らずではない」
「ええ。決して恥知らずではありません。そして、ギュンター家が恥に塗れることも良しとはされなかった。その為に英断を下されたのです」
「? 何を言っているの?」
話の筋が分からない。
恥を良しとしなかったのなら、当然少将の提案を断ったはずなのに……。
「よいですか、お嬢様? ハインリヒ王の即位を支持されたのは、当時の当主であった先代。そして、その立場を踏襲したのが、現当主である貴女の兄上です」
「分からない。何が言いたいの、少将?」
「しかし、王家の正統を重んじる貴女は、纂奪者を認めなかった。それ故に、纂奪者に屈した兄を自らの手で討ち、コンラート殿下の下に馳せ参じる。はて、これに一体何の裏切りがありましょうか? 何の恥がありましょうか?」
ダマー少将の言に頭が真っ白になる。
何ですって? 誰が、誰を討つと? そんな馬鹿な……。
「兄上が……それを、認めたと?」
震える声で、そう問うた。
「はい。勇敢なる決断です」
私の震える声とは対照的に、平然とした声で答えるダマー少将。
「ッ! 貴様が、貴様が、そう唆したのではないのか!?」
「否定はしません」
「貴様!」
右手に握った剣の刀身を、ダマー少将の首筋に突き付ける。
「私の皺首を落として満足なら、そうしなさい、お嬢様。しかしその後に、先程話した台本通り動いて頂きます」
「まだ言うか! くっ、……何故です? 少将貴方は自身の教え子である兄上のことが可愛くは無いの?」
「ギュンター家の存続に比べれば、全ては些事に過ぎません」
ダマー少将の瞳は揺るがない。
ああ、この老将は本気なのだ。
一切の虚言を述べていない。本当に兄を殺す気なのだ。
全てはギュンター家の存続の為に。
その信念の固さは認めよう。だけど、私が言いなりになる理由は……。
「はあ、お嬢様。騎士の誇りの為に、ギュンター家のみならず、それに仕える兵たちをも道連れになさるお積りですか?」
「あっ……。私は、そんな……」
「今や、お嬢様の決断に、第七軍全ての命運が掛かっているのですよ。その上で御決断下さい」
ダマー少将の首筋に剣を突き付けたまま俯く。
私は騎士の誇りの為に死ねる。それに嘘は無い。
だけど、誇りの為に兵たちを死なせることは? それは……。
どのくらい俯いたまま時間が経っただろう。
私はついに決断する。決断してしまった。
ダマー少将の首筋から、刀身を外す。
「……よろしいのですか? この首を落とさずに」
「我々は、コンラート殿下に力を示さねばならない。我らが有用であることを証明するために。だから、優秀な参謀を殺すわけにはいかない」
ギリッ、奥歯を噛み砕かんばかりに、口を噛みしめる。
剣を鞘へと収めた。
「命令です、少将。私を司令部へ、兄の下へ案内しなさい」
ダマー少将が深々と頭を下げる。
「はっ! 承知しました、お嬢様! いいえ、リリー・ギュンター大将閣下!」
その戦場で、私はギュンター家の当主に、第七軍の軍団長になった。




